青い瞳と黄金の髪の男 ~魔女と人の子 番外篇~
自分の国は、草原を挟んだ隣国と争いの渦中にある。
三方を砂漠に囲まれた隣国は、遠く離れた唯一の草原地帯を望んだが、彼らにとってこの国は障害でしかない。
そんな、自然資源の独占管理によって大きく栄えた自国が、自分の生まれ育ってきた護らねばならない土地なのだ。
国のはずれにある辺境地に砦の城を建設したのち、王都と地方を繋ぐ大在門のそばに別荘の城を設けていたため、国王様は自ら居を移してきていた。
その城にはいくつか鍛錬場が設置されている。
もちろん一つは、自分たち騎士の鍛錬だ。
────といっても名ばかりの、平民や農民の出自のものが剣や槍、盾の構え方と歩兵での戦術を叩き込まれるだけの付け焼き刃を育てる場所である。
他にも利用している集団があるそうだが、一つは戦法を立てる下流貴族や本職の騎士たちが集まる部屋がある以外、誰がどんな目的で利用するために設けられたのか知らない。
中流以上の貴族たちは、そもそも戦場にすら出てこない。
血を流し直接死の可能性がある場所と、彼らは全くの無関係をここ何世紀も貫いていた。
だからといって、貴族に対して特別な嫌悪を抱くことはない。
関わり合いのないものを相手に、どうして恨みを抱けようか。
────。
今日もまた拙いもの同士で教え合い、教わり合って来たる争いの日に備え鍛錬を重ねるだけだと思っていた。
はじめて彼を視界に捉えたとき、自分は密かに震えたことをよく覚えている。
目の前に神が顕現したのかと見紛えるほど、その青年は美しかったのだ。
自分は農民の集落に住んでいた。
担当した作物は緑の栄養価が高い食物だったが、集落全体を支える収入の中心を担う小麦畑の実るさまは、毎年眼を見張るものがある。
そんな黄金に包まれる季節を思い出し、それでも引けを取らない髪色が颯爽と歩くたびに細かく揺れ動く。
鍛錬場に入ってきたとき周囲を捉えた青年の瞳は、自国随一と謳われるLa étoiles bleuという宝石──通称、星を宿す青い宝石──より青く煌めいている。
内包した幻想的な揺らめきも、彼の瞳と比べたら劣って見えることだろう。
歩いていてもブレることがない真っ直ぐ伸びた背筋と、この場に似つかわしくない清廉な姿に誰もが彼を高い身分の出自だと思っていた。
けれど話してみると意外にも柔らかい物腰で、少しばかり下品な冗談にも、彼は微笑むだけで倦厭するそぶりはない。
最初の頃は、鍬や斧すら握ったことがないだろうと事あるごとに冷やかしていた連中も、鍛錬中の見事な彼の太刀筋を見て教示を仰ぐようになっていた。
実際、その青年は畑仕事をしていたと農民の輪に入り、花も育てるし料理も人に喜んでもらえるほどだと平民と話を沸かせる。
が、彼が最も優れていると認識させられたのは、対人での剣技と盾の使い方だった。
きっと教えてくれた師が良かったのだろうと、自分はそんなことを考えている。
しかし誰も師については触れようとしない。
彼がそれを拒んでいるように思えたからだ。
自分がそう思った一番の理由。
それは青年が来た初日のことだ。
彼の登場は、実は二度目だった。
一度目の際、入ってきたときの気迫に圧され、誰も話しかけるものはいなかった。
美しさは先述したそのままに、仄暗いものを宿した目はここにいない誰かを射殺す勢いで睨んでいるようだった。
そして互いに接点を持つこともなく、彼は城に常駐する騎士に連れられ鍛錬場を出て行った。
暫く経って、城壁を切り抜いた窓から、陽が傾いていることに気付いた頃だろうか。
青年は戻ってきた。
それからの日々はあっという間だった。
戦場の幕が開くまでの決められた期間のうち、半分はとうに過ぎていたと思う。
前半は無論、退屈とまでは言えないが、それなりに皆が内心の焦りを顔に出していた。
それまで土や水を触り、家畜の手入れをしてきた少しマメの痕が残る硬い手のひらは、剣を握って振り回すようには鍛えられていない。
持ち上げ、騎士の闘いぶりを見たことのある者が見よう見まねで剣を振るうさまを、自分たちも同様に真似していただけだった。
そんな戦場の空気すら知らない自分たちは、家に帰ることができるかも分からない不安を、同じ村から来た者同士で分かち合うことで精一杯だった。
実際のところ多方の村落を一つの空間に入れたら、知り合い同士で固まりが出来てしまうのも頷ける。
青年が来る前は、他の村から来た者との交流は鍛錬時だけに限られていた。
けれど漸く準備期間の半分が過ぎようという日。
なんの酔狂か、戻ってきた青年の煌々と輝く瞳に吸い寄せられるかのように、村落の境も忘れて皆が周囲に集まった。
彼との会話に華を咲かせ、鍛錬に精を出す。
剣を振るうさまも上達し、戦術にも多少は明るくなった。
皆の顔にあった不安や焦燥もいつしか消え、絶望に近い悲哀を語り合った仲間の目には、絶対に生き残るという使命感にも似た光が宿っていた。
自分でも、確かに思う。
青年が来たことによって、自分たちはそこに希望を見出すことが出来たのだ、と。
設けられた期間の終了間際には、誰もが自分たちの生存を疑わなかっただろう。
そして同時に、育った土地の違いなど関係なく、手の届く範囲にいる仲間は必ず護ると強く意識していた。
**
辺境の城に農民出の騎士として召喚されてから、およそ六月半が経った。
鍛錬場では明朝、まだ日が昇り切らない時刻から始める戦いの準備と互いの無事を願う声、そして不自然なほど高揚した者たちの高らかに談笑する様子がそこかしこで見られる。
城に来た時とは比べものにならないほど、自分たちは騎士とは言えずとも、戦場を担うだけの強さは得られたように思う。
剣の扱いも、振り回される側ではなく、振るう側として鍛錬できている。
領主が解放した土地を代々借り受け、自分も小さな頃から祖父や父親の手伝いで畑仕事をしていた。
ここにいるもの全て、似た生まれであることは言うまでもない。
鍬で土を耕したり、斧で木を切ったりするのとはまた違い、戦闘という面ではどうしても不自然な動きになってしまうことはある。
剣の扱いに慣れるには個人差があるが、しかし、もとより体力と根気は有り余っているため、集団として見れば各々に大した力量の差はなかった。
多少の違いが浮き出るとすれば、それはやはり戦術や戦法の明るさだろう。
農作物や家畜の管理は出来ても、どのように敵を倒し数を減らしていくか考えることは、似ているようで比なるもの。
青年然り、数えられるほど少数ではあるが、考えを纏め、人に教えることの出来るものはいた。
その者たちは言葉を噛み砕いて説明してくれるため、何人かは頭を抱えながらも理解はしていたようだが、殆どの者は内容の半分も聞き取ることは出来ていないだろう。
特に貧しい土地柄の村は、大人でさえ文字を書ける者は少ない。
場所によっては、領地の境に設置された検問所の受付人しか紙とペンを扱えぬ村だってある。
そんな自分たちにとって、導いてくれるものの存在がどれほど要になっているか。
中でも星を宿す青い瞳と、豊潤な小麦畑を思わせる黄金の髪を特徴に持つ美しい青年は、やはり欠かせない存在だったように思う。
もう誰も、青年のことをただ美しいだけの彫像のようには揶揄しないだろう。
堂々とした立ち振る舞いは、しかし、皆が寝静まったあとで崩れることを知ってしまった。
しん、と吐息さえ大きく聞こえるほどの静寂のなか。
明かり取りの窓の隙間から映える月が、彼の陶器のように滑らかな肌を照らす。
美の女神を魅せる美しい造りの顔は、その瞬間だけ苦悶に歪められていた。
その表情さえも、ほかを圧倒し魅了してしまう憂いを孕んでいるようで。
青年の様子に、柱の影に隠れて息を潜めることしか出来なかった。
自分が彼の悲壮な姿を見たのは、それで最後だ。
朝にはもう、青年の瞳に陰鬱な色はなかった。
彼の行動を詮索しようとは、自分は微塵も考えていない。
誰にだって、隠しておきたいことはあるだろう。
鍛錬場から出て、隊列を組むように指示された。
城門の下に整列し、騎馬隊にいる副指揮官の合図を聞き、よそ見もせずに進行する。
目の前には広大な緑の資源地と、どこを見回しても続く冴え渡った青い空。
それから地平線の先に、恐らくは敵だろう。まだ爪の先ほどの細さにも満たないが、先頭で並列した敵の線が微かに見える。
辺りはまるで臨場感がない。
敵の位置が離れすぎているせいかとも考えたが、どうやら無風状態で音が拡散されないらしい。
自国の旗も、今は垂れ下がったまま沈黙を貫いている。
人によっては戦場独特の覇気みたいなものが、空気を震わせるようだと表現するだろう。
だが自分は、そうとは感じなかった。
むしろ静かすぎる。
敵側も草地を侵す気はないのか、土の地面から動く気配はない。
草原を一直線に割る黄土色は、少しだけ湿り気があって気候が崩れる報せを思わせる。
雨なんぞ降らなければいいのにと考える一方で、敵の足元が不安定になれば勝機が見えるなどと浅はかな願望が脳裏を過った。
先陣を切る自分たちが草原地帯からずっと離れた頃、トリを担う騎馬隊も完全に土だけの地面に出たのだろう。
遥か上空で未だ物言わぬ空気を震わすように、後方で指揮をとる騎士の怒声にも似た号令がかかった。
瞬間、わずか駆け足だったみなの歩幅が、大きく騒がしいものになる。
戦いの火蓋が切って落とされた。
前方に目を凝らすと、敵も確実にこちらへ近付いているのか、細い線だったものが太くなり、疎らにだが人の形も点で認識できるようになる。
互いに寄っているため、距離が詰まるのも早かった。
2つほど人を挟んだ左隣にいた奴は、足が速いらしい。自分より先に剣戟の音を上げ、猛りの声を放っている。
4人ほど右隣にいた戦場で目立つ輝きを持った髪と瞳は、自ら率先して先陣を切っていた。
鍛錬時、ごく稀に見せる猛々しさに拍車をかけて、彼の周りに群がる敵を一掃する覇気が拡散し、最後方にいる若い平民の怯む声が止む。
自分たちは、想像していたよりも優勢だっただろう。前線を支える主柱になっていたのは、紛れもなく美しい青年だ。
けれど両端を担っていた騎馬隊が、思っていたよりも劣勢を極めた。
当初は敵国の騎士や兵士たちに優る勢いで奮戦していたのだが、どうやら予期せぬ事態が起こったらしい。
これは後から知ったことだが、青年の知り合いが火の付いた矢を飛ばしたり、迫る敵を風で追い戻したりなどの後方支援を務めていたらしい。
しかしその支援が凪いだ瞬間を、敵国側が好機と捉えるだろうことは必然だった。
途中、分厚い雨雲が頭上に接近して、敵の騎士たちを雷で追い払っている様子が見えた。
けれど最期の砦とされていた城が陥落し、自分たちの主が討たれたことで、戦いを止めることが適った。
双方の武器による相対が始まっても静寂の中にいるような心地でいたが、白旗宣言が為されたあとになって、やけに周囲の音ばかり拾ってしまう。
胸のあたりが妙に騒ぎ、いつのまにか呼吸も浅くなっている。
青年の、自身が斬り伏せられそうになっている時以上に必死な顔が、そうさせるのだ。
彼が鍛錬中に話した内容が、思考を埋め尽くす。
自分には愛する人がいるのだ、と青年は熱い眼差しで語った。
きっと、すごく美しい人なんだろうなと返すと、彼は自分の剣技が褒められた時以上に、満ち満ちた顔をしていたっけな。
そんな相手の形見が見つからないという。
それはぜひとも探し出してやりたい。
聞けば、その相手は魔女だったのだという。
今時そんな存在がいるなんて農民の自分には想像もつかないが、きっと青年にとっては彼自身よりも大切な相手なのだろう。
血と雨が降ったあとの泥のなかを、名がないと話した青年はずっと探すために手を浸している。
敗戦した今、農民も平民もそう大した数は残っていない。
けれどその誰もが、知らず知らずのうちに青年の探し物を手伝っていた。
彼には剣術だけでなく、体術も多少習った。
騎馬から騎士を落とす技も自分たちに教え、運良く勝ち残ることができた者はこうして生きている。
特に自分は運が良かったほうだ。
相対した騎士は直情的な者が多く、或いは複数で取り囲むと怯む者までいた。
人に恵まれるとはこのことだ、なんて戦場で似つかわしくない感慨を抱いたのも、今は遠い昔のことのようだ。
特に青年は運が良くなかった。
鍛錬中に彼の素性を思わせる言葉を聞いたことがある。
こちらから聞いたわけでも、向こうが話し出したわけでもなく、ふとした瞬間吐息のように露わにしたのを聞いただけだ。
おれは、まだ童のままなのか……と。
早く成熟したい未熟な者の言葉にしては、彼の声には胸を締め付けられるものがある。
いまや戦場の前線で活躍した青年を、童だと除け者にするものなどいないだろうに。
けれど、指先を染める血の色が他人のものか自身のものかすら曖昧な状態で、彼の目は誰かから認めてもらうことだけを強請っているようだった。
自国が敗戦したということは、自分たちがそれまで命を賭して守ってきた場所が、他国の手に渡るということ。
白旗を掲げたこちらを追いやるように、勝利を手にした敵の騎馬隊が迫ってくる。
これ以上、他の国の持ち物に関わることは出来ない。
敵の騎士から温情で矛を向けられるだけに留められた注意で、青年の探し物は強制終了となった。
自分が知る限り、彼の探し物は見つかっていない。
だが青年の真剣な表情に魅せられ、形見の品が吸い寄せられるように出現することを願う。
本当に魔女という存在がいて、本当にその力が働くというのなら、どうか彼のそばに戻ってやってほしい。
そう、新しい土地の空を見上げて望まずにはいられないのだ。
自分はきっと、彼のことを忘れはしない。
あの青年が持つ青い瞳のように揺らめく透き通った湖面と、空の眼下に広がる豊かに実った小麦畑を見て思い出すだろう。
願わくば……、
美しい青年が、ただ切なくて悲しいだけの行路を進むのではなく、どこかで愛しい者と報われる心の拠り所を得られるように────。