誰がための雨向日葵(たがためのあめひまわり)
雨って好きですか?
雨は人をサンチマンタリズムにします。そんなことを思いながら書きました。
十一月 一日 午後一時。
それまでは晴れていたのに、急に細雨が降り始めた。それでも理香は右手に傘、左手に向日葵の花束を持って出かけた。
地面を踏みしめる音が乾いた音から少しづつ湿った音に変わっていく。
「向日葵か。あってよかった……。」
それまで温室の中で育てられていた季節外れの向日葵を見て、理香はぽつりと呟いた。今日のために近所の花屋を回って向日葵を探した。それでも見つからず結局注文してもらうことになり、2、3本の予定から盛大な花束になってしまった。
そんなこともかき消すように雨は強くなる。雨が傘に当たる音は軽快なパチパチという音から、ぼとぼとと鳴るようになった。傘の縁からは雨粒が自己主張するように不規則に流れ落ちる。
街の風景は少し暗くなり、理香の周りをカーテンで囲みこむようである。道の側溝を流れる水も、静かに音を立て始めた。
コンクリートの道路から、道の脇の舗装のされてない土の小道に入る。すると雨の音が少し変わった。理香は目の前の変わらない雨量を見て立ち止まったあと、さっきまでのぼとぼとという音は電線の下を歩いていたからなのだと結論付けた。少し前に誰かが通ったのだろうか。足跡の形の水たまりができている。地面をしっかりと蹴って進んでいる。この先の住民が雨に家路を急いだのだろうか。
そんなことを思い浮かべながら歩いていると、道の端にある木の葉が傘に当たった。傘がカサカサ音を立てた。傘を傾けると、今度は少しぬかるんだ地面が理香の足にまとわりつくようである。
そっと歩きながら小道を抜けると、一気に開けた道に出る。そしてそこにある電柱に、理香はそっと向日葵の花束を置く。雨晒しになった向日葵に水滴が当たり、向日葵が揺れる。それを見ていると、この止まってしまった記憶の中に少しでも、その絶えず流れる何かが見える。
理香は時計を見た。午後1時43分。そっと黙祷をした。その間は、理香は空っぽだった。今降っている雨が溜まりそうなほど空っぽだった。
理香がこのことをし始めて、5、6年過ぎた。最初の1、2年はここにいることが苦しかった。今にでも悲鳴が、笑いが、聞こえてきそうだった。
ただもう、空っぽである。
こうして毎年失った友人のために置いている花束は、数日すると無くなっている。またそこに誰かがいることを感じる時、その人の感情が理香は妙に気になった。しかし、特に確かめる方法を持たないまま今に至っている。
気付いた時には雨は止んでいた。傘を折りたたんで元来た道を引き返す。
ちょうど橋の上を通りかかる時。空には大きな虹ができた。それは今の理香にはもったいないぐらいの虹だった。その虹はたくさんの人のフラッシュを浴び、その堂々たる姿はネットに上げられた。そして間もなく何もなかったように消えて、それがちょうど消えたぐらいの時に、足元をずっと見ていた理香はようやく頭を上げて、自分の家の中に入っていった。
こんにちは。作者の茜です。
この作品を書くにあたり、実際に雨の中を歩きました。ということで、情景描写にこだわってます。というか、明確な心情(悲しいとか楽しい)を意識してほぼ書いていません。
どちらかというと習作です。ご勘弁ください。
ということで雨の中和歌も作りました。
雨上がり
錆びた鉄柵
よりかかり
服にプリント
雨の写真を