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夏の斜陽  作者: 景子
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夏の斜陽

「……私よりも好きな人が、できたのですね?」



それは確認のようでありながら、すでに断定された気配を持っていた。


ならば自分に正直になるべきです、と。

決して自身の「恋人」という立場に奢ることなく、謙虚で前向きな彼――王都の黒髪騎士は、苦笑しながらそんなことを言ってくれる。


その声音は、凛とした冷たささえ感じる彼の容貌に反して、思いの外優しい響きを持っていた。

それがますますこちらの好意を底抜けにしていることなど、彼は知らないのだろう。


彼――この目の前の男は、長らく私の恋人である。


騎士らしくない白い肌に整った顔立ち、青い瞳。どちらかと言えば細身で長身という見た目から、まるで氷柱(つらら)のような、鋭利で冷たい印象を周囲に与える。


けれどそれも第一印象だけで、ひとたび彼と言葉を交わせば、取っつきにくいイメージが一転、感情豊かな表情や相手を思いやった心配りに、みな毒気を抜かれて懐柔されてしまうのだった。


無垢で、およそ人を憎むという感情からかけ離れたこの清らかな存在に、どれだけ救われてきたか。


きっと、目の前の本人には分かるまい。


これで無自覚なのだから、本当にこの天然物は末恐ろしいと、目の前で揺れる男の一纏めにされた長い黒髪を目で追う。



(人たらしは、お家芸かな…)



ふと、この家系に芯の強い優男が多いことを思い出す。


彼は確か、三男だったはずだ。


見た目こそクールな美形然としているが、周囲の誰も彼もから可愛がられて育ったようなこれは、実に末っ子らしい男だと思う。


おかげで、最愛の人ができてなお、こちらはその男振りと可愛さのギャップにメロメロだ。

恋人として愛した期間以上に、そもそも、人としての彼に心からの親愛を寄せていたことを思い出す。


嬉しいことも悲しいことも、佳きも悪きも、私の遠き日の思い出は彼と共にあった。


これから二人の関係性が変わって行くのは避けられない。


一方が、互いの尊さを越える存在と出会ってしまった以上は、必然だった。


二人の甘い楽園は、いま、穏やかな終焉を迎えようとしている。



瑠璃(るり)…」



この段になって桑染(くわぞめ)は、今日初めてとなる彼の名を口にした。






◇◇◇◇◇






瑠璃が従兄の変化に気付いたのは、一月ほど前だっだ。

その変化を、心変わりと言っていいのか考えるのに少しばかりの時間を要した。


彼と私は3才違いで、母親同士が仲のよい姉妹であったことから、幼少期を共に過ごし、ほとんど兄弟のようにして育った。


彼は昔から頭の回転が早かった。

自分も馬鹿ではないと思ってはいたが、彼の明晰さには舌を巻く。

勉学においてなど、到底敵いそうもなかった。


そんな彼――自慢の従兄殿を、兄のように慕いながら、それが恋慕に変わっていくのは自然な成り行きだったと表現するほかに、瑠璃は言葉を知らない。


それは彼にとっての当然だった。



彼――桑染は、美しかった。

決して、白皙の美少年などと持て囃されていた訳ではなかったが、長い睫毛が縁取る大きく形のよい瞳と、すっと通った高い鼻梁が印象的な綺麗な顔立ちは、主張し過ぎることなく、相手に好感を抱かせるに十分な威力を備えていた。

白い肌に黒い瞳、緑がかった黒髪の襟足だけが少し長い彼は、今では立派な研究職員として王都の研究所に在籍している。


幼少期を経て、青年期に差し掛かる頃には、彼の顔の造形はますます整っていった。年を追うごとに美しくなっていくようだと思ったのはいつだっただろうと、瑠璃は密かに記憶の糸を手繰り寄せる。


かつての春には、この美しい従兄殿を連れて馬で遠乗りした。黄昏時の丘陵から見下ろした水田の夕陽にきらめく水面の美しさと、それを二人で見つけたという幸運に、14才だった瑠璃は身震いするほどの興奮を覚えた。

その興奮も冷めやらぬままの勢いに任せ、瑠璃が桑染に想いを告げたのはこの時だった。


夏の夕べには敷地の水辺で蛍狩りを楽しんだが、のちにその蛍が研究資材として入り用だったという事実に愕然とさせられたのは、よき思い出だ。


秋には木陰で読書する彼を窓辺から見つめて、戻ってきたらお茶の準備かな…と、愛する人の帰りを心待ちにしていたあの日も懐かしい。


冬の布団の温かさと、隣で眠る彼の体温に感じた幸せ。健やかな寝息。



あの春から7年を数えて、季節はいま盛夏の頃。

緑は鬱蒼と茂り、生命の猛りを力強く感じるこの季節に、彼と私はひとつの区切りを迎えようとしている。


遠い日の思い出は甘く、今となっては一片の切なさを瑠璃に与えた。



「私はいま、あなたを失おうとしていますが…。思っていたより動揺せずにすんで、驚いているところです」



薄情ですかね…と静かに呟けば、つい今しがたまで恋人だったその人の顔が少しだけ、歪んだ。



(そんな苦しそうなお顔はしてほしくないのに…)



そう思う自分はいま、うまく笑えているだろうか。


最後くらいは、笑顔で飾りたいものだ。


だから、安心してこの手を離してほしい…と、伝わればよい。



「…あなたの幸せを、誰よりも祈っています」



それは本心だった。

できることなら、自らの手であなたの幸せを勝ち取りたかったけれど。



(あなたのことを、誰よりも愛していました。)



さようなら。

愛しい人。




温かな雫がひとつ、頬を伝った。

お読みいただきありがとうございます。

初めての投稿作品がハッピーエンドでないとは、これ如何に。

幼なじみ、従兄弟同士、年下攻め…という作者の嗜好が垣間見える内容ですね。

少しでも暇のお伴になれば、嬉しく思います。


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