忌み子の宴 / “賢者の瞳”リオナ
溶岩を流して、ゆっくりと暗い砂の海を進んでいく。赤い熱がぼうっと行く先を照らしていく。
魔力を流しながら、周囲を見る。陸地らしき場所なのだろうか、ゴミや遺骸がぶつかっているのが見て取れる。熱の流動をそちらへと流す。光が赤々とそちらを焼き、照らしていく。
はあっと上を向き白い息を吐いた。天蓋に浮かぶ光が目に入る。あの上には多数の人々が暮らしているが、こちらからその底を見ることはないだろう。無意識にリオナは瞳を緑色に輝かせた。闇を見通すと、光の内から硝子の視線がいくつも存在しているのが分かった。
都市の地下を覆い隠す天蓋、そこにはいくつもの目が取り付けられているらしい。一つをにらみ返すが、ガドッカのように表情があるわけでもない。ただ張り付けられた銀の意匠がリオナの魔力を静かに反射してきた。
「う゛ー?」
唸りとともに疑問が漏れた。こんなところをなぜ監視するのだろうか。
その疑問をカチンっと硬い音が打ち消した。溶岩に溶けなかった遺物が当たった音だ。それはただの暗色の岩に見えた。だが、そんなものが魔術によって作られた高温の波に溶けないはずはない。崩れ、削れているが、これはトロールの遺骸のようだ。さすがに生命を失っているようだ。だが、それでもなお、流れに合わせて天を衝くように腕が伸ばし、そしてゆったりと沈んでいった。
その遺骸たちが砂の流れ、そのよどみの中に集まって、陸地になっているらしい。トロールが歯を食いしばり鬼面を晒しているのが見て取れる。他にも薄い鉄板や、精巧に作られただろう巨大な鉄の車から朽ちた大砲がそびえていた。
「あんまり、上陸したくないわねぇ」
「悩んでいる暇はないぞ」
サブアが茫然自失としているガドッカに顎を向けた。普段の陽気さはなく、しょげ返ってしまい、そのあたりの機械の遺骸たちみたいに見えてしまう。“悪魔”の少女が撫でていても、時折思い出したように硝子の瞳がぼんやりと光るぐらいしか、反応を返さない。
思考の檻にとらわれている。何よりも休息が必要だったが、休める場所は見当たらない。ならば自分たちで作るしかないのだ。
「はいはい、分かってまーす」
ゆっくりと魔力をすぼめていく。魔力によって作り出された影響を残すためだ。熱はゆっくりと消えていく。そうして溶岩をしずかに黒ずんだ石くれへと変えて、硝子の小舟を文字通り接岸させた。
固まった石くれの大地に一歩、足を踏み出す。遺骸の陸、堆積した死は大地の代わりをしっかりと為している。これならば砂に流れることもなさそうだ。
後ろを振り向き、少し長くなり始めた髪を、短い紐でぎゅっと後ろに縛る。
「少し、見てくるよ、ここ頼んでいい?」
問いかけには答えず、サブアはゆるりと座り込んだ。へたりこみ、硝子の床を見ている。南洋と呼ばれた島々で十分な休養をしていたはずなのに、見た目より疲労が濃いのだろうか。どうにも船旅が響いているらしい。
「盟約を示せ、地を這う熱よ、埋め火で以て導きを為せ」
屈んで砂に手を突っ込む。魔術の残火から、松明代わりの溶岩の塊を作り出し引き抜いた。ただ一人で闇を見据えるなら、リオナ自身の瞳に力を込めるだけでもいいだが、いざという時に溶岩の斧にも変化できる。
「じゃ、行ってきます」
「ああ」
短い声でようやくサブアから返事が来る。寒々とした闇の中、わずかに光るランタンを抱えて白い息を吐きだしていた。
それを後目にゆっくりと遺骸の大地へ進む。ガタガタとした足場、トロールの指や顔を見ないようにしながら、奥へ奥へと進む。
冷たい風が耳を叩く。わずかに死の魔力が混ざり、リオナの瞳には黒ずんで映る。ふっと息を吸い、溶岩をぎゅっと握り締めて、気を張った。うっすらと体の上に魔力が巡り、赤い熱がちらちらと走り回った。魔力の幕だ、これで多少なりとも防御にはなる。こうした闘気を参考にした使い方は、兄を思い起こす。
そのせいだろうか、覆われた地下、暗い闇は懐かしい迷宮の記憶をざわめかせる。もう大分、あのアルディフからは遠くに来た。今、故郷はどうなっているのか。
思いを噛んでいると、歩くのが急に楽になった。左右を見れば、平坦な地面が細く続いている。この吹き溜まりを何かが踏み固めて道としたらしい。
トロールの四肢は削れ、機械はひしゃげて潰れている。歩くいた後というよりは、轍か何かが這いずった痕跡にも見えた。
また風が耳の横をぬるりと抜けた。どうにも不吉な気もするが、今は当てがあるわけではない。息を整えて、左右を見た。瞳に集中しても、平坦な長い道、そしてその横にトロールや機械の遺骸が突き出て、あるいは転がっているのが見えるだけだ。
その中から何かがゆったりと立ち上がった。人型だが、ふさりとした羽毛の生えた頭が見えた。首をぐるりと回したそれはフクロウのものだ。首から下は腰巻だけをした女のもので、豊かな乳房が見えている。だが、その胸から圧迫するような視線が届いた。乳首のあるべきところには、ぎょろりと血走った目がある。
フクロウの頭が甲高く笑い、耳朶を揺らす。こちらに四肢を無茶苦茶に動かしながら近づいてい来る。嘴からは鞭のような舌が伸びて、先端には太い針のようなものが伸びている。
まともな生き物ではない。迷宮の、狂った怪物たちそのものだ。それが獣のように跳ねて舌を伸ばす。どくどくと脈打つそれは、吸血鬼のそれだろう。リオナの特異な瞳には不死者特有の瘴気が黒ずみ、ぼんやりと輝いて見えた。
「盟約を示せ、地を這う熱よ。我握るは汝が心臓、魂をも焼きつくせ」
溶岩の塊を握りしめて、低く踏み込んだ。伸びた舌が頭の上を掠めるが、当たることはない。相手の跳躍の下をくぐり切ると右足を支点に回るように反転した。魔力が溢れて、支点となった場所が赤熱し始めた。
そのまま全身にお返しに、塊を溶岩の斧へと変えた。そのまま持ち手をぐっと伸ばして、長柄とする。
「断っ!」
気合を入れて、思い切り振り下ろす。
柔らかい肉を立ち、背骨を砕いてそのまま遺骸の地面へと縫い留めた。そのまま、斧に魔力を込めて、赤い熱を吸血鬼の全身へと吹き上げた。枯れた血の代わりにどろりとした溶岩を流し込む。
「ぢぃぃぃぃぃ、ぢぃぃぃぃ」
奇怪な悲鳴が辺りに響くが、それでも押し付けたまま吸血鬼を焼く。火葬しなければ、不死の怪物は何度でも蘇るものだ。兄のように闘気の生命力で相殺しないならば、厄介極まりない相手だ。
溶岩は真なる祖と呼ばれる魔性すらも焼き切ったと伝え聞くし、相性は悪くない。
燃える体から声すら焼き切った。しかし、火葬には時間がかかる。一息吐きながら、座り込もうとしたときに、かたりかたりと遺骸の大地が鳴った。
熱の光に集まるように、何かが寄ってくる。闇に目を凝らせば、屍衣を纏ったよろよろと蠢く不死人が、あの長い舌をちらちらと伸ばしているのが見えた。その後ろには今焼いているフクロウ頭の女怪と同じ種族、そして青銅の義足とロバの脚を持つ大鎌を持った美しい女がにたりと笑いながら近寄ってい来る。
その後ろにも、いくつかの影が出番を待つように並んでいる。
これは、まずい。灰と化したフクロウ女から斧を引き抜く。溶岩でできたはずの得物を握っているのに、血が抜けたような寒けがあった。
殺意はない。
薄く血に濡れた口でニタニタと笑っている。ただただ、新鮮な玩具でどう遊ぼうかと、邪気の含んだ視線だ。それがリオナを四方八方から、ねとりと覆っていた。




