白面亡き者 / “喪失者”サブア
はしけ舟を砂浜に着けた。不自然に凪いで、静かな熱が籠っていた。焼けただれそうな砂を踏み、オベリスクへと近づいていく。波だけが静かにゆきては返していた。
先導する兎人がオベリスクの前で立ち止まると、サブアは足を止めた。呪術師は横に並び、忌々しげに杖を構えた。
オベリスクがそびえた岩場に、粗雑に作られただろう木製の祭壇が場違いにあった。様式も紋様あるいは文字ですら、オベリスクとは似つかない。だが、それでも魔力の集積具としての機能は同一のものだろう。元々いた神格のものであろうオベリスクの力を、あの祭壇で奪い取っているのだろう。
「早いな、“喪失者”よ。体がまだだっていうのに」
声とともに虚空から、そこには一人の女が染み出した。薄笑いを浮かべながら、祭壇の上で胡坐をかいている。
姿形はリオナによく似ていた。薄い肉体を覆う水着の形から、被っている麦わら帽子、そして顔かたちも同じに見えた。だが、肌も服も麦わら帽子ですらも“塗られていない”ように白い。そして、目のあるべき場所だけが虚のように黒一色に染まっている。白い髪を弄りながら、にたにたとサメのように、いやサメの歯を剥きだして微笑む。
「端末か、くだらん」
サブアはうんざりと吐き捨てた。白い女はひび割れたリオナの声で、ガチガチと歯を鳴らす。サメの化身がわざわざ、リオナの形を取ったのは疑似的に術者を作り、この世界への楔にするためだろう。どんな馬鹿げてふざけた存在であろうと、神格だ。
「わざわざ、その子に象るなんて、ふざけているわね。それで私たちの手が緩むとでも」
「この娘子は深きものの系譜。我らサメと同じの血を引くもの。巫女の形代としては、実に馴染む」
黒い虚をゆがめて、拳をぎゅうと握り、それを頬に押し当てた。妙に背を反って、慣れていないだろう人間の体をゆがめては、ごきりごきりと骨を鳴らした。そして、牙を剥いてくつくつと喉を鳴らした。
「……できれば、知りたくなかったよ、そんなことさ」
眉間を拳でこすりながら、呪術師が呻いた。言いながらもゆっくりと腰の小袋に手を伸ばした。中から取り出したのは血の色をした結晶“生命の石”だ。脈打つような魔力が感じられてサブアの耳を打った。かなりの魔力量が固まっているのだろう。久方ぶりに見る大物だ。
「ほう“ウィリオーンの魔女”、それでオレ、いや、あたしと戦うっていうの?」
ひび割れた声が、だんだんと調整されて聞きなれた少女の声へと変わっていく。時折、不自然な雑音が混じるのは、声帯ではなく思念によって音を発している証拠だ。
「お生憎様。私も少し忙しくてね」
魔女の声に合わせて、ゆらりと兎人が光の刃“ちぇーんそー”を起動させる。そして、ウィードがぎゅぅっと魔力を握った石に通し、そのまま、ぽいっと海へと放り込んだ。澄んでいた浅瀬は蒸気が慌ただしく噴き上がり、白く濁る。
「ウィリオーンの魔女、バルーシャの名において乞い願う、埋め火の王よ、汝の怒りをここに示せ。盟約者リオナ、そを侵犯せしものを討て」
呪術とも魔術とも分化していない、祈りに近い呼びかけの言葉が魔力を反響させた。
“生命の石”の落ちた海の底からゆっくりと黒々とした巨大な腕が伸びた。ただそれでけで人の倍はあるだろう。
それはすぐにひび割れて、どろりとした橙色の素肌をわずかに見せる。それはゆっくりと立ち上がる。届かない太陽をもがきながら、掻き抱くように巨人が立ち上がると太陽をその背に隠した。
影が島を覆うが、それも一瞬で太陽とは違う赤々とした輝きが周囲に飛び散る。黒々とした硬質化した表皮を持つ巨人が、溶岩をまき散らしながら吠えた。オオオン、オオオンと泣き叫ぶような声だった。吠える度に、それは子供のように瞳から溶岩の涙をこぼしている。
「埋め火の王ガルケゼラの写し身かッ! 確かに不足はないなッ!」
ひび割れた声でサメの化身が笑い、歯をカチカチと鳴らす。すると船舶すら飲み干しそうな巨大なサメが遠い水面から顔を出した。そのまま、猛然と巨人に食いついた。そのまま勢いよく巨人は浅瀬に倒れ込み、海水を島全体にぶちまけた。
「キィエエエエッ」
噴き上がる蒸気の中、巨大サメが鳴く。魚類に発声器官も何もないのだが、たぶん気合的な何かが魔力に乗って聞こえるのだろう。サブアはそう思うことにして、自分を騙そうと努力した。
高熱の肉体も無造作にかみ砕くサメの歯、たとえボロボロになってもすぐには生え変わる脅威の再生能力をみせて、橙色の溶岩と黒々とした表皮を幾重も砕き、飛び散らす。
だが、巨大サメの動きはそれまでだ。溶岩の巨人が倒れた体制のまま、手刀を振るうと脳天が炸裂した。雑に飛び散った血が砂浜を汚す。
だが、それでサメは消滅しない。割れた頭はそれぞれ再生し、二つの頭を元気に振るい、巨人を噛み砕かんと叫び、噛む。溶岩の巨人は蹴りとともにサメを引きはがし、岩礁に叩きつける。浅瀬にサメの血で染まる
血で汚れた砂浜や海面がもぞもぞと動き始め、そこから背びれがぴこんと生えた。
「ビーチシャークだ! 避けろッ!」
砂の中ですら泳いでくる、それを警告する兎人が砂浜ごと抉って、瞬く間に一匹切り捨てた。すり抜けてこちらに来るサメ達に、彼が印をすぐさま切ると剣の雨が降り注ぎ、サメどもに突き刺さる。
「剣の雨なら嵐でお付き合いしようかな」
リオナの形代が手の平をふうっと息を吹き付けて、魔力を放つ。高位の呪詛汚染者である神格に声はいらない。ただ自分のあり方を示すだけで力となる。ただ吹き付けただけの息が、何十ものサメを生み出しては、雨霰と空から落としてくる。
牙を剥くサメを鼻面をサブアと呪術師が雑にぶっ叩いて軌道を反らした。いい加減慣れと諦観が、怒りへと変わってきた頃合いだ。
「ねぇ、魔術師さん。ここは任せて先にいってくれないかな」
「迷宮の核が目の前にあるのに、ここより先があるのか」
いい加減見慣れてきた単調で本能的な攻撃を避ける“夏枯れ茨”の提案に、サメの鼻面を叩きつつサブアは答えた。
「この迷宮の契約者、近くにいるみたいなの」
「ガラハム=イーナン、が?」
「違うけど、そうよ」
不明瞭に恐ろしいことを言うウィードに顔をしかめた。呪術師は申し訳なそうに微笑みながら、コバンザメを射出してくるジンベエザメの攻撃を転がるように低い体勢で避けていく。
「魔力の光は同じだけど、弱々しいから、たぶん、イーナンの代理人か何かよ。増援でも送られたら溜まったものじゃないわッ! 島の海岸、反対側に気配、あるのッ!」
降り注ぎ続けるサメと剣の雨、そして飛び散る溶岩など味方からの攻撃を含めて嫌に慣れた様子で、呪術もなしに避け続ける魔女に困惑しながら、サブアは頷いた。どちらにしろ、味方の攻撃に巻き込まれて死ぬのはごめんだ。
「ふふ、ならちょっと遊びましょうかね」
「舐めるなッ! 模造品! 人類は決して屈しない。必ず貴様らを根絶やしにしてれる!」
リオナの似姿へと兎人が人類代表めいた顔で怒りの声を上げながら突撃した。縫い止めるように大地やサメに突き刺さった剣を足場にしながら、幾重も降り注ぐサメを切り捨てていく。
イタチザメ二尾を虚空から取り出すと、迎え撃つように白い女はそれぞれを剣のように構えた。哀れなサメは苦しげにえらを振るわせている。
「それにアナタまでアレにつきあう必要はないでしょう」
「そうだな、あとは頼む」
思わず出た素直な自分、即座に従うと、海岸を離れて小島の中央を素早く抜けようと足を跳ね上げた。追撃や余波もあったろうが、ウィードの茨がそれを押しとどめてくれていた。四方から伸びる植物に絡めとられて落ちていくサメが砂をバタバタと吹き散らすが、無視していく。
木々の間、林とも呼べない緑の間をくぐれば、もう島の反対側だ。遠浅には座礁したらしい武装船が見えた。砂浜にはそれを背に、人形が立っている。服も着ず、つるりとした表皮をすべて、さらした裸の人形だ。毛髪はなにもなく、卵のように見えた。わずかな膨らみから女の人形だと分かる。それは悲しげな顔を文字通りに張り付けて、軽く手を上げた。
「しつこいな、マカラ」
「つれないじゃあないですか、せんぱい」
すらすらと言葉を紡ぐ人形、いつもと違う感覚がある。動作がなめらかだ。だが、そんな技量などマカラにあるわけもない。そも声を震わせるのに、魔力もなにも使っていない。
「……本体、か」
「お久しぶり、ですねぇ。10年ぶりですか」
いつものような余裕もなく人形使いだったものは答えた。すでに、呪詛に侵食され、あるべき肉体を失った異形だ。ガラハム=イーナンの弟子にされた、少女の面影が残るだけの人形だった。裸なのは何かを演じ続けたためだろう。服飾の類すら、彼女には呪いとなり、自我を侵食する。
「後がないか」
「私が、直に来たいわけ、ないでしょう。せんぱいのせいですよ。こんな無様を晒してぇ、先生ぃが許すわけもない。ここで、せんぱいを殺さないとぉ、私も壊されちゃいます」
油のようなねっとりとした声も、喉奥で躊躇うように吐き出された。攻めるように、どろりとした瞳がサブアを射抜いている。
「悪かったな、付き合わせて」
「ほんとぉ、ですよ、せんぱい。でもそれもこれで御終い」
虚空から仮面をついっと取り出す。のっぺりとした白い面だ。鼻もなく口もなく、目のあるべき部分に黒い宝玉が埋め込まれている。それはおぞましい記憶を思い起こさせる。
その顔をした男を知っている。張り付けた白い顔の男、魔力を高めるために付け替えた黒い宝玉の瞳は忘れるものではない。
唾棄すべきもの、残骸の魔道士、偉大なる悪夢。名はガラハム=イーナン。
「それはやめておけ、消える、ぞ」
「結局は今やるか、あとでやられるか、ですよぉ。自分でした方が解除率は高いんですぅ」
震えたサブアの忠告に、諦めの声で答えて、顔の形も変えられず人形となった呪術師はゆっくりと白面を被った。
「さよなら、せんぱい」
感情を返す間もなかった。魔力が爆ぜて、呪詛の嵐がザブアの耳朶を叩く。頭蓋ごと、殴られたような衝撃によろよろと姿勢を正す。
ひたすらに寒い。
南洋の熱い日差しの下にいるというのに、刺すような寒さがサブアの背を駆けた。
目の前に立つのは、仮面をかぶった魔術師の端末。マカラの存在を上書きしただろう化生があった。残骸の魔道士、その形代が黒々とした瞳をなんの表情のない面とともに向けている。それは、何も言わず虚空から杖を引き出すとゆったりと構えた。
「またな、後輩」
ここから消えたものに、そう告げるとサブアは同じように杖を構える。無意識に出たのは、かつての師に教わったままの、決闘の構えであった。




