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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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水槽の憂鬱 / “夏枯れ茨”ウィード





 かちゃかちゃと菓子皿を鳴らす音が消えた。サメが満足そうに、鰓を震わせた。自らの領域を侵された“吐き出す渦”が忌まわしげに、ぐるぐると回る。口を開かないのは、長姉たる“遠き目”がその虚ろな瞳で睨みを利かせているためだろう。ウィードは自身の額に拳を押し付けた。

 特に禿頭の魔術師はその視線を押しのけて、サメに声を上げた。


「で、こいつが迷宮の核なら、こいつを始末すればいいのか」

「ようやく実体を得たというのに、酷い物言いだな」

「ふん。縛られた異形にはその程度で十分だ」

「貴様ァッ!」


 サメはこの場の幻影、その動かし方がようやく理解してきたのだろう。ガチガチと歯を鳴らしながら、抗議した。


「まあいい、“喪失者”よ。おまえに我らを捕えられない」


 サメは歯を食い合わせて、笑いかける。禿頭の魔術師は静かに睨み返す。それと同時に、“渦”が作り出した海図が、ぴっと格子状に裂けて激しく動き出す。海図に記されている海と島がパズルのように組み立て直されていく。


「この海の支配権は我らのもの。まあ、ガラハムとの盟約の元、せいぜい我らの贄になってくれ、古き魔女たち」


 サメはそう言い放つとすうっと消えていく。幻術で出来た部屋から意識を消したらしい。それは“冬の手”の束縛を振り払ったことを指す。その様に古きものたる“手”は忌まわしげにいくつかの手を組んだ。


「口数ばかり多い割には、やるのう」

「貴女の術がぬるいだけでしょ」

「貴様に言われたくない。なんだこの海は? 好きにされおって」


 “渦”と“手”、二人の義姉は相変わらず仲が悪い。耳をふさぐ変わりに、自身の額を杖を押し付けた。なぜ、古代の怪物たちの間に座ることになったのか、と原因へと視線を向けた。“枯れぬ花”の名を持つ魔女ヴィジャが微笑んでいる。くるくると銀の匙を回しながら、旧友だろう二人のいがみ合いを楽しげに眺めていた。


 長い溜息しか出ない。この古き魔女とは昔から付き合いはあった。手ほどきを受けた最初の師と言っても過言ではない。“鎧の迷宮”と言われる故郷にあった迷宮、その踏破功績という形で、悪夢のような“お茶会”の会員にされてしまった。


 確かに系譜としても真名としても“ウィリオーンの魔女”に連なるものではある。だが、若輩であるし、異例だった。この会議は“今の世界”より古くからから、時を重ねた怪物達ばかりいる。そんな会合に参加するなど、迷宮の奥にいる時より胃が痛い。

 だが。今回の招集は私の嘆願なのだと、顔を上げる。懐かしい友人を救うために。静かに息を吸い、騒ぎ立てる二つの異形に割り込んだ。もう埒が明かない。


「かのサメを討てば、迷宮化は解けるでしょう。幻術で捕らえられぬのならば、直接乗り込むしかないわ。わたしと、サブアさんが出る。他の方々では力が強すぎますから」


 ウィードが断定すると禿頭の男と、“欠けた月”が頷いた。若輩に話を途切れさせられた異形はじっとこちらに魔力で編まれた視線を投げかけてくる。それを横では楽しげにヴィジャが緑の髪を弄ってこちらを見ている。この状況で助け船もださない、いい加減な師を罵りたい。


「師匠と“月”は道を作ってください」

「あらあら、師匠使いの荒いこと」

「いじめるな“花”よ。“茨”、任せてくれ」


 師匠をたしなめる“欠けた月”にほっと息を吐いて、そのまま続ける。


「“手”と“渦”の両人は、この地に楔をお願いします」

「……まあ、“欠けた月”がやるなら、仕方ないわ」

「良いだろう“茨”よ。腕が鳴るのう」


 “冬の手”がカカカッと笑いながら、体をわしゃりわしゃりと動かしている。ぎょっとする異形の肉体だが、“冬の手”は面倒見が良い。彼女の弟子達もそんな風だったから、あの一門特有の雰囲気はこの始祖が作り出しているに違いない。


「ウィリオーンの名において承認する。すみやかに実行すべし」


 “遠き目”が掠れた声で承認する。

 この幻像が消え去っていく。円卓が染み入るように消えていく。魔女たちの姿も消えていく。ウィード自身も本来の場所へ戻るだけだっただろう。そうしてウィード自身の幻像も立ち消えになる、はずだった。合流場所を伝えようと口を開いた、時だった。


「面倒だし、貴方送るわ、ちょっと失礼」

「ぐぉえ」


 魔術師の首根っこを素手で無理矢理引き抜いて、ヴィジャは空間ごと抉り取るようにサブアを思い切り送り出した。

 禿頭の魔術師はのたうち回り、えずきそうになるのを必死に抑え込んでいる。存在がバラバラになったような感覚、天地を何度も逆転されたように頭蓋が揺れていることだろう。師匠は相変わらず荒っぽい。


「うわあ、ないわー」


 師の暴虐に“渦”ですら引きつった声を残して消えた。それも師匠は無視して、幻のまま消えていく。静かになった後に戻ったのは、薄暗い宿の一室だ。ウィードの借りた安宿で、質素な寝台と簡単な机、使い込んだ冒険道具が並んでいる。小さな燭台からわずかな火が輝き、魚油の燃える臭いが広がっている。


「最悪だ」


 転移酔いに口元を抑えながら、よろよろと膝をつく。それでもすぐに杖で体を押し上げるように立ち上がった。意外と慣れているのだろうか、復帰が早い。


「お疲れ様、少し休みなさい」


 彼の肩を抑えて、ゆっくりと寝台へと座らせる。そして、手近な水差しからを傾けて、冷めた薬湯を小さな椀に注いで渡す。魔術師は杖を離さず、震える手で握る。そして、静かに息を整える。


「酔いに効くわよ、どうぞ」


 ひゅうひゅうとした呼吸音だけが、夜陰に響く。勧めても飲む様子のないサブアに、苦笑いを返す。見せるようにこちらも椀に一杯、注いで飲み干した。ハーブ特有の香りの強いと強い苦味が舌に広がる。

 その様子に、鼻息を一つ漏らして口をつける。苦味から顔をしかめるが、サブアの薬湯はゆっくりと減っていく。しばらくすれば、転移に用いられた呪詛がゆっくりと散っていくはずだ。

 それまでしばらく待とうと椅子に腰かけた。だが、すぐに問いかけが割り込んできた。大分せっかちな性格らしい。


「おまえは、誰だ? 貴様の発案なのだろう、あの魔女どもの集まりは」

「私はウィード。神殿都市アルディフの呪術師よ」


 苦味のためか、しかめ面のまま魔術師は聞き続けた。


「君といっしょに行動している、リオナちゃんとガドッカの仲間」


 続けるウィードは自身の左腕を掴んで、懐かしさをぎゅぅっと抑える。かつての長くも短い冒険の記憶は、今浮かべるべきでない郷愁が体に溢れそうだ。


「さっき聞いたでしょ、ガラハム・イーナンの迷宮。一応踏破したメンバーってことになるかしらねぇ。手助けのため、ちょっとなりふり構わず伝手を頼ったら少し大事になったの。巻き込んで、ごめんなさいね」

「気にするな。手筋が足りんのは事実だ。頼りにさせてもらうぞ、茨の魔女」


 名前を呼ばずサブアは立ち上がった。そのまま風が欲しいのだろうか、鎧戸を開いた。ぴっちりと張られた防虫網越しに外が見える。月夜に照らされた海がきらめていた。普通ならばとても迷宮の内とは思えない。

 だが、その思考を消し飛ばすように巨大な腕が虚空より伸びた。海底に向かうだろう“冬の手”の呪詛、それに魔術師は目を見開いた。震える腕のまま薬湯に口を付けて、飲み干すと、ようやく言葉を吐き出した。


「あんな、化け物の腹の中にいたのか? 私は」

「あまり言わないで。特にあの人は傷付きやすいから」


 様相の割に繊細な義姉を思い浮かべ、彼に言い放つ。こちらから、わずかに魔術師が体を引く。あの腕を見るような畏敬と恐怖のいり混じった視線を投げかけてくる。


「いや、あの方々と同格とは思わないでよ」


 動転した魔術師にウィードは苦笑を返すことしかできなかった。過剰な期待も、恐怖も持ってもらっては困るのだ。仮とはいえ、仲間として活動するのだから。


「もう少し、休みましょうか」


 その問いにサブアは杖の石突で床をガンっと叩いた。それが、心を落ち着かせる合図となっているのだろうか。魔術師の顔はしかめ面に戻った。刺すような鋭い瞳に生気を宿らせて、こちらに向けられる。


「十分だ。時間がない、行くぞ」


 短く言葉を捨てて、机上に椀を置く。頷いたウィードもわずかな荷物を背負うと、燭台に覆いを被せた。じぃっと火が音を立てて消えた。


「さあ、付いてきて。手札はもう揃えてあるから」


 言い切ると静かにウィードは踏み出す。それを後押しするように、窓から吹く夜風が涼やかに流れた。



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