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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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牙の傷痕  /  “喪失者”サブア





「ほんっっとッ! 大変だったんだからッ!」


 猛烈な弁舌の勢いに合わせて、ぐびりと盃を空にしていく。テーブルがガンッと鳴り、皿と置物の像がはねた。この娘には珍しく酒なんぞ飲んでいた。旅先というのは中々、水が合わず酒で紛らわせることが多いが、そういうわけでもない。きつめの酒を混ぜ物もなしに流し込んでいる。頭が鈍るものであるが、今のサブアには批判する力は残っておらず、ぐんにゃりと椅子に腰かけている。

 一度、海魔によって座礁した船は応急手当を済ませた。しかし、応急手当にすぎず、こうして寄港して、船の修繕をすることとなった。

 おかげで、ようやく揺れない大地に戻ってきたのだ。ありがたい。魔術師は祈らぬものではあるが、今だけはどこかの神に感謝したいものだ。そういえば、契約している蛇神は水難も司っていたな。彼でいいだろう。


 “悪魔”は疲れ、あの鉄塊も少し食べるところは見せずらいため、酒場にはいない。どんちゃん騒ぎというほどでもなく、それでも静かというには人の声と活気がある。良い店だと思いながら、対面から響くリオナの声を、聞き流しながら果実に手を伸ばす。


 うろこ状の硬い皮を剥くと、白い果肉が顔を出す。口に入れればほんのりとした甘みと酸味が広がる。大きな種の周りになるとその味が濃く、強くなった。なじみのない果物だが、割と気に入ったのだろう。サブアは気づけば、その皮を積み上げていた。


「聞いてるぅー?」


 バンバンと机をたたく。足もばたばたさせる。なぜか、水着のままであるが、色気というものを身に着けるには、様々なものが足りていない。鼻で笑いながら、答えてやる。


「聞いてる。災難だったなー」

「ぶーッ! ほめろよぉー」


 幼児退行したように声をあげて、こちらを見上げる。抑え込んでいた諸々が解放されたのだろうが、正直いって迷惑である。こちらは所詮、同行者であって、仲間でも友達でもない。いっそ、言って切り捨ててやろうかという衝動が喉元まで出るが、ヴーヴーと唸るるその間の抜けた姿に、はあ、と力を抜いた。

 話を変えるために、レモン水を飲み干すと店員を呼ぶ。


「熱い茶をくれ。あとは適当なつまみを頼む」

「このお酒、おかわりッ! おわかり?」

「ハイよ~」


 自分のつまらない言葉にけらけらと笑うリオナを店員は慣れた様子で受け答えた。まったく、こんなところで世俗のものに尊敬など抱くとは思わなかった、とひとりごちた。


「あのだから、ね」

「ああ、わかった。それでそれはなんだ」


 話を切り上げようと、彼女がテーブルに置いていた像を差す。すると彼女は笑い声を大仰に揚げた。うるさい。


「なにいってるの? サメの像だよ」

「サメ、なぜそんなものの像が?」

「えー、酔ってる?」


 そういいながら、店員が持ってきた酒のおかわりを口に含む。茶を受け取りながらそれはおまえだ、といいたくなった。だが、また面倒になるのはごめんだ。自分の口を黙らせるためにサブアはつまみに手を出した。出てきたのはエビと貝の酒蒸しだ。黙々とエビの皮を向き食む。じゅわっと海の香りと甘みが広がる。

 それにうえっとした顔をしているリオナ。どうやらエビはダメらしい。食べ進めるこちらに、しかめ面を向けたまま、彼女は口を開いた。


「だって、ずっと一緒に戦ってくれたでしょ、サメ」

「ぴ?」


 自分でも大分奇天烈な声が上がった気がする。


「あの人形使いだって、雪山だって。サメが助けてくれなきゃ危なかったし」

「はぁ?」


 この女、知性が間抜けになったのだろうか。

 そんな事実などない。


「ほら、おっきくなった人形遣いの足をかみ砕いてくれたり、雪山で吹雪に乗って戦ってくれたじゃない! 恩知らずねー」


 そののんきな言葉に、戦慄しながら茶をゆっくりと飲む。


 何にやられた?


 この少女、リオナは魔術師だ。言いたくはないがこの年齢で高位魔術師といってもいい。知識量と魔力操作の技術から見れば、すでに工房や塔、私塾で弟子を囲ってもいい腕前だろう。

 迷宮都市の出であり、その下地が彼女の才覚をここまで伸ばしたのだろう。その生命力の高さは扱える魔力そのものだ。これも大きい。魔力が多ければ修練も多く詰める。そして、生来の才覚だろうか、魔術を見る眼は高く幻像なぞこの女にはすぐ見抜かれる。

 鉄火場にも慣れているし、度胸もある。


 認めざるをえないが、今のサブア、いやガラハム・イーナンの弟子であった頃のサブアであっても彼女に打ち勝つことは難しいだろう。


 それが、なんだ?

 水着のまま、正気を失い、見ず知らずの存在が確固たる記憶として植え付けられている。


「……そうだ、そうだったな、少し疲れているらしい」


 心にもない声で頷き、茶をもう一口すする。味と香りが消えている。熱さばかりが喉を通りぬけていった。そして静かに、慎重に、手早くつまみを喰らう。彼女に働いている魔力を感知しようにも、正面に居座る状態では支障が出る。酔いの高揚があれども手練れであり、あの瞳は呪術には鬼門だ。眠りを待つ必要がある。

 つまみに素早く手を付ける。二口、三口と食べていくとようやく海洋のうまみが戻ってくる。その勢いのまま、ほふほふと身を食う。


「悪くなかった。もう寝る。そちらもほどほどにな」

「あーい、オヤスミー」


 ぱたぱたと手を振って見送る魔術師と、サメの像を背にゆっくりと着実に進む。酒場から外へと出ると宿へと向かう。立地に余裕があるのか、行楽地としての性質があるのか。やたら広く、別荘めいた家々が南国の木々とともに、ばらばらと配置されている。むろんいい値段がする。普段ならば泊まる気にもならないが、今回は他に宿泊施設もないし、仕方ない。わざわざ野宿する気もない。

 そして、そのうちに割り振られた家へとたどり着く。玄関先に置かれた虫よけの香炉から、ふわりと独特の臭いが鼻をつく。開けばやけに広い玄関口、そして当然のようにあるサメの像。

 頭を平手でパシンと叩き、すっと一瞬目を閉じる。開いても結果は同じだった。


「おや、お戻りになれられたのですか」

「さ、ぶあ」


 銅鑼声の隙間をすっと細い声が耳朶に入り込んだ。

 休んでいただろう、“悪魔”がゆったりと歩いてくる。珍しくゆったりとした服をまとっており、割れていた肉体は大分落ち着いているようだ。ぎゅっと締まっている包帯も緩みそうにない。思案する前に杖で土間の土を叩く。魔力が反響しわずかな魔力の流れが返ってくるのがわかる。その魔力の音を追えば、服の下から見覚えのない腕輪をしているのが見えた。


「お客さん、が、来てた。たいへん、みたい」

「どこかで、お会いした気がするのですがねぇ。しばらく前に出て行ってしまいましたぞ。忙しない方でした」


 やたらキンキンと耳を打つ声とともに、樽めいた機械がぬっと顔を出す。ぷしゅっと魔力の塵が混じった煙を吐いた。無意味な大声が少しだけ、安心できる。


「貴様は相変わらずだな。ああ、そうだ、リオナがおかしくなっている。あまり触れるなよ、いつ爆発するかわからん」

「おかしく? ふーむ、最近、酒を覚えてしまってなぁ……参った……。サメ殿の像まで持ち歩いて、困ったものです」

「……まあ、そんなことだろうと思った」


 さすがに二度目は驚くより嘆息した。額を抑えてひとつ撫でる。


「すこし、出る。客と会ってくる」

「ほう、行先の目星が付くと」

「まあ、な。行ってくる」


 話を切り上げて、戸を閉じた。そしてすぐに魔力の残滓を追う。杖を鳴らしながら、石畳を叩くながら、魔力を反響させていく。

 月に照らされた明るい闇の中を、淡々と足を進める。さわさわと鳴る森の音、夜鳴く鳥やこちらを見つめてくる果実食いの猿たちの視線が嫌に気になる。それでも、足と魔力の反響だけに感覚を絞っていく。

 ようやく、木々の合間を抜けて、ある家の門前にたどり着いた。豪農の家だったのだろうか、壁があり中庭までもある。馬を繋げるべき小屋には、派手な色の恐鳥が静かに眠っている。中にある館は古い石造りに茅葺の屋根がのっている。

 その軒下ににある長椅子に、一人の女が座っていた。煌々と光る月光を受けて、その女は輝いて見えた。古い衣服であるキトンを身に着けてはいるが、その姿は全裸よりなまめかしい。

 新緑にきらめく髪、赤々とした唇。美しい、のだろう。容姿だけならば夜に咲く花にも思えた。しかし反響する魔力の感覚が、その存在の圧力は花などという儚いものではないと否定する。

 この感覚で知っているのは、あの女達しかあるまい


「あら、思ったより早かったわね、ガラハムの教え子にしては優秀じゃない」

「ウィリオーンの魔女、か」


 すうっとその女、笑い唇に指先を当てた。


「ヴィジャ。それが私の呼び名よ」


 かりそめの名を名乗っただけだというのに、その女の気配は大樹のように思えた。師と同格だろう魔人に、汗が浮き上がるのが分かった。無意識に下がりそうになる足に、活を入れて踏み出した。


 少なくとも今はこの魔女はおそらく味方だ。張り付きそうな口を引きはがすと静かに声を打つ。


「貴様には聞きたいことがある」


 淡々と言うサブアの喉は、すでに渇いているように感じられた。ようやく絞り出したその声に、魔女は赤い半月のように口を歪ませて微笑むのだった。





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