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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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碧が咲く  /  “賢者の瞳”リオナ





 ぼんやりと上を見ていた。視界が揺れるが、空は広く心地よい。久方ぶりに波の感覚だ。懐かしい潮の香り。海を進む船旅は曾祖父の家に挨拶に行った時以来であった。

 視界を平行へと下ろすと、灰色の大地が遠くに見えた。境界である場所であるため、ある一点を過ぎるとすっぱりと大地が区切られている。先に灰色の大地の住人達が巨大な漁港を作り上げていた。時折、世界が綻び、外にある混沌が現れることもあるだろうになんともたくましい。

 はらはらと踊る灰の姿も遠くに消えていく。

 頭上で気の抜けた、やたら大きな蒸気音がした。振り返れば天に伸びる大きな煙突がある。初めて見る型の船で、蒸気船というらしい。左右の船縁についている外輪がくるくると回り、進んでいくらしい。魔術も生命力も使わず、石炭を燃やして進むらしい。

 甲板の端で船縁で回るそれを眺めながら、不思議不思議とだけ言うと思考を溶かす。


 手すりに寄りかかりながら、体を弛緩させる。眺めるまでもなく視界に入ってきたのは青々とした海だ。どこまでも、どこまでも青く広がっている。

 なんの青色が近いかしら、海だし、海でいいじゃん。そんな、つまらない言葉の羅列が泡のように浮かんではぱっと爆ぜて消えていく。


「あー、海ねー」


 無駄に同じ言葉を繰り返す。辺りは暖かいというよりはすでに暑い。薄衣を羽織り、すらりとした麻の水着を身に着けている。足はサンダルだけで十分だ。密林のように虫もいない。疲れ切ったリオナは涼しさを優先していた。じんじんとした痛いほど輝く日が中天にあるので、首に掛けていた麦わら帽子を被る。


 くるりと甲板にむけば、客たちがのんびりと日光浴などをしている。上流階級らしきものや、休んでいる雇われ船員、新進気鋭らしい商人まで雑多な人々がいる。


 そして反対の端で禿頭の男が手すりに捕まって海に体を傾けている。大分、船酔いがひどいらしく、唸り声を上げて顔を青くしている。横では清楚な恰好に着替えた“悪魔”の少女が彼を介抱している。

 意図せずしてつらい目に合わせて悪い気がした。けれど、これも随分、遠回りした道程を取り戻すためだ。


 この船、機械というもので動く蒸気船ならば素晴らしい速度で進むことができる。大きな出費も考えていたのだが、この蒸気船“ババンラ・カー”号はガドッカの兄が所持しているものらしい。ガドッカが久方ぶりに会った兄に頼み込み、ほぼ無料でこの船に乗せてもらった。航路通りに進めば、この南海の島々が残る“領域”を半月ほどで渡る。ほぼ、ガドッカの負傷によって遅れた日数を取り戻すことができる。

 ゆったりと進む帆船しか知らなかったリオナには、最初こそは半信半疑だった。しかし、青い海を白く裂いていき、ずんずんと灰の大地が遠くなる様は呆然とするしかない。


 この船というのは、なによりも歩かなくていいのが素晴らしい。脚絆をしても夜にはパンパンに張る脚、豆だらけになる足なども楽になっていく。背負い袋や革帯のせいで擦れて赤くなった皮膚が潮風で少しヒリヒリするが、それも許容できる解放感。なにしろ船旅なら背負い袋を背負わないのだ、こんなにうれしいことはない。

 そもそも、熱帯雨林から雪山に急に放り込まれるし、不死者の群れに突っ込むことになるし、ここのところ休むこともままならなかった。今ぐらいだらけてもいいだろう。


「これもガドッカさんの縁のおかげねぇ」


 ぼんやりと、ひとつ息をつく。甲板を見渡してもそのガドッカの姿はない。客室の方で自分の身体機能をチマチマと拡張しているらしい。やっぱり素人と街の義体医師が直しただけではいろいろ足りなかったようだ。外装に錆止めを塗り、浮き輪に、機械の声帯など取り付けている。

 もう手伝えることもないし、リオナはこうしてのんびりと甲板にいるしかない。とはいえ、やることもしゃべる相手もいないというのは、さすがに飽きた。


「あ゛ー、あ゛づい」


 何の意味もない言葉だけ吐くのも限界がある。島でも見えないかと、ゆったりと揺れる中、船首へと向かってみる。人は少ないが同じような考えをしたものが何人もいた。

 しかし、一際、目立つのはただ一人の女だった。


 澄んだ森のような緑の髪が長く伸び、潮風になびている。ゆったりと水面を眺めているだけなのに、いやに様になる。背丈は長身というわけでもない。だが、そこにいるだけで視界が誘導されるような感覚がリオナの眼にのしかかる。


「あら」


 さらりと彼女がこちらを向いた。服がふわっと動くのはひだの多いせいだろうか。奇妙なことにうっすらとした橙に染めた布を一枚だけで出来ていた。確か“キトン”と呼ばれるもので、体に合わせてくるりと巻いてブローチで止めて、腰に帯を付けてまとめているだけのはずだ。肩から踝まで覆っているが、その女性的な膨らみはまったく隠していない。知識として聞いたことはあるが実物は初めて見た。


 しかし、その女性に既視感を感じる。不思議と、懐かしいような気がした。


「あの、どこかでお会いしませんでした」


 つい、口を開いてしまった。そして出ていったのが下手なナンパみたいな言葉で、自分で自分に苦笑いしてしまう。


「そう、ね。私もどこかで会った気がするわ」


 意外なことに、ゆったりと彼女は微笑んだ。彼女はかつんと底の厚いサンダルを鳴らして、近づいてくる。

 強い風がびゅぅっと吹き、頭から麦わら帽子が盗まれていった。あっという間に帽子が空へと逃げていく。


「あっちゃあ」


 額をぺちんと叩き、目をつむる。高くはないが、買ったばかりのお気に入りだった。陽光がまぶたを貫いて、リオナをあぶってくる。ひもをしっかり掛けておけばよかった。次の島で買うしかないだろうか。


 パッと外で魔力の臭いが爆ぜた。蒸せるような草いきれの香り。


 油断していた! 目がくらむのもお構いなしにすぐさま開き、拳を構える。船での移動を考慮に入れなかったのは、リオナの魔術は触媒となる“大地”、火山とのつながりがないと消耗が激しいのだ。自衛の手筋が少なくなる。どうしたものかと、眩む瞳を整える。


「気を付けなさいな」


 いつの間にか、目の前に女がすうっと佇んでいた。彼女はさっとリオナの頭に麦わら帽子を載せてくれる。子供扱いだが、微笑む姿がそれに有無を言わせない。これだから、美人というのは、それだけで魔力を持っているようなものだ。近づいた彼女から花の香がした。潮風に負けない香りだが、不思議と優しいものだ。香水にも魔力が込められているのかもしれない。


「あ、ありがとうございます」


 手でしっかりと麦わら帽子を被りなおす。辺りで騒いだ様子がないのは、誰も気付かずに帽子を呪術か何かで取ってきてくれたのだろう。すさまじい使い手もいるものだ。帽子を触るとわずかな魔力の残滓が感じ取れた。


「ウィジャ」

「はい?」

「私の呼び名」


 そうとだけ言うと彼女はすっと離れていく。こちらの調子など考えない雰囲気だった。彼女の一つ一つの動きもなんだか自然すぎて、不自然に見えてしまう。そんな奇妙な感覚が押し付けられた。


「あまり硬くならないで。リオナ、ちゃん。張り詰めるのは悪くないけど、切れてしまって意味がないわ」


 微笑んだまま、一方的に言う。そして興味を失ったのか、踵を返して歩き去ってしまった。あとには花の匂いが少しだけ残った。


 妙な人だったなあ、と呆けていると硬いものが当たる音がした。


「もう! のんびりさせてよ」


 文句を言いながら海の方へと顔を向けると黒い塊が船にいくつもぶつかっていた。たぶん船底で使われる木片の類だろう。どこかで沈んだ船があったのだろうか。

 冷や汗が勝手に出た。まあ、古い船がどこかで廃棄されただけだろう。そういうことにしてほしい。

 へたりこみながら、ぐったりと海を眺める。何もないといいなあ、とつぶやく。祈るでもないその言葉は潮の中へと溶けていった。





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