崩れゆくもの / “穿鋼”ガドッカ
岩肌であるというに、ぶくぶくと膨れたような肉体だった。腹は膨れて、今にもはちきれそうだ。肥満というわけではなく、妊娠のそれだ。白目のない金の瞳を向けて、大きく長い腕を伸ばして、巨人の体を引き寄せた。そして、その頭のない死体を抱き上げて、岩で出来た顔から、石くれをぼろぼろと落としながら、吠えた。
嘆き声は痛みすら感じるものなのだろう。サブアは耳を抑えてうずくまった。電光をまとった錫杖がびりびりと手を振るわせて抵抗する。おそらく叫び声すら魔力を帯びていた。リオナも溶岩を壁にして守っていたが、押し込められそうだ。
声がすっと止んだ。山の静けさ、轟音に押しつぶされていた耳に、風の唸りがようやく聞こえてきた。
女神は吠えた口を大仰に開き、自身の子供であろう巨人の亡骸に口づける。そうしてから、がばりと息子の体に食いついた。
「え?」
「は?」
「ちィッ!」
杖を支えによろよろと立ち上がるサブア、彼の舌打ちが嫌に響く。巨人の剣はからりと落ちて、斜面を滑った。その甲高い音は、ばりばりと骨を砕き、血を滴らせながら肉を食む女神に消し去られる。
「七匹の大蛇、瀑布を統べしグルグ・アカー。盟約に従い、抑えたる暴虐の牙を開き、今こそ滅びを歩むがいいッ!」
ただ一瞬の魔術構築だった。杖を掲げるとサブアの影から、七つの水流が鎌首をもたげ、膨れた女神へと叩きつける。
だが、それは金の瞳にひとつ睨まれるだけで凍り付き、風に当たるだけではらはらと白い断片と変わる。
「さすがに、出鱈目だな」
舌打ちができず、もごりと口を動かすサブア。顔は青白く、顔からは汗がぽたりと落ちた。振り絞った一撃であったが、それも届くことはない。もはや視線を向ける価値もないと、膨れた女神は息子であっただろう巨人をゆうゆうと咀嚼しきる。
存在の格が違う。厳しく、圧倒的な差だ。
しかし、無為ではない。視線を止めた間にリオナが魔力、その緑色の輝きをかき集めている。地に手をついて集めた力をいつでも放出できるように、荒くなった息を強く押し込めていく。
ガドッカ自身の冷え切っていたタービンも温まり、ぽぅっと白い蒸気を勢いよく吹き上げることができた。まだ関節はギクシャクするが動力に問題がないのは幸いだった。
「雷神ザオウよ、偉大なる御力を貸し与え給えッ!!」
祈りとともに気合を込めて、斜面を駆け上がる。熱で雪が解け、地は濁流でぐずぐずにぬかるんでいた。泥をはね上げて、槍のように構えた錫杖を真っ直ぐに突き出す。
それを前に再び、膨れた女神は叫びをあげた。それだけで雪が産まれて吹き荒ぶ。人を呪う災厄の声だ。
「人の守り手たる機械の主よ。ご照覧あれッ!!」
気合を込めた祈りによって人造神から賜った雷光がほとばしり、吹雪を裂く。そうしてガドッカは魔術師たちを守る。電光の爆ぜる音だけが機械の神官を振動させる。
しかし、その叫びも攻撃の意図はない。ただの前兆にすぎなかった。
膨れた女神は自身の腹を抉り、石の塊をぼとぼと落とした。
それが、ボコボコと赤ん坊の形へと変わり、ぎゃあぎゃあと呻く。腕が伸びすぎたもの、脚がないもの、頭が大きすぎたもの、すでに死に絶えたもの。それらが短い四肢をばたばたと動かし近づいてくる。産まれたてだというのに、成人ほどの大きさはあった。食われた巨人と同じように青白い皮膚を裂いて、筋肉が膨張する。あるものは、そのまま筋肉の塊となって皮膚の上にコブを作り出す、あるものは筋肉が足りずしぼんでいる。
それでもこちらへの敵意は変わらない。ずるずると這ってくる。歯のない口でにたにた笑いのまま、だ。
だが、それにリオナがにぃぃっと歯を剥いて笑い返す。
「まあ、今更雑兵と。ちょっと、こちらを舐めすぎじゃない」
「然り然り」
戦術も何もない。ただ産み、ただ荒ぶるだけ。それ以外は興味もないのだろう。世界の外、混沌の内にいたせいだろうか。あるいは元よりそういう在り方だったのだろうか。あの巨人が同時に戦えなかったのは、そのためだろう。のたりのたりと鈍く遅い赤子たちやあの吠え声などはただ巨人の足を引っ張るだけだ。
とはいえ、神殺しというのは難しいだろう。圧倒的な耐久性、そして無尽蔵ともとれる魔力は以前、うんざりするほど見たことがある。
「それに、あんなの、まともに相手するわけないでしょ」
リオナの手には緑に輝く魔力がどうっと解き放たれた。
さすがに、それには気が付いたのか、膨れた女神がリオナを睨もうと金の邪視を向けてくる。だが、それをガッドカの体が塞ぎ、雷光が視線の魔力を捻じ曲げた。地に落ちて、氷がごろりと産まれるだけだ。
「無為、なり。といったところですかな」
ぷしゅうと蒸気を吐き、ガドッカは硝子の瞳を細く収束させた。その後ろでリオナの、そしてその契約者たる火山の神が力を解き放った。
「盟約を示せ、埋め火の王ガルケゼラッ! 日輪に焦がれし地を這う熱よッ! 太陽への腕をここに願えッ! 渇望がままに食らいつくし、破局のままにもがくがいいッ!」
地が揺れて、ごぼりと溶岩の線がリオナから広がる。ここは山である。その属性から火の山の王たるガルケゼラの力をつなげた。裂傷から噴き出す血のように溶岩がゆっくりと吹き上がっていく。
「さあ、下がってッ! 山頂ごと、吹っ飛ばすよッ!」
うごめく熱が岩盤を抉り、マグマを作り蓄え始めたのだろう。機械神の“らいぶらり”によれば、この女神の本体たる雪山は、地層がぶつかり、圧力がかかって作った山だろう。元より火山ですらない地盤が変化し、脈打つように収縮する。
さすがに、その変化は苦痛であったのだろうか。母たる女神は叫びをあげた。周囲の赤子達が骨を軋ませ、筋肉を飛び散らしながら、勢いよく成長し、歪な肉体のまま寄ってくる。
「なんとぉッ!」
掴みかかってくる赤子だった巨怪達を、ひと薙ぎした。そのまま、叩き潰し焼く。産まれたばかりの脆い肉体で必死にすがってくる姿は哀れでもあった。
その感情だけを置いて後ろに跳び、リオナの横についた。
「爆ぜよッ! 焦がれよッ! 手を伸ばせッ!」
溶岩の斧を裂け目に叩き込み、手を離すとさっと跳びのく。ごうっと熱気が漏れだすと、底から山頂ごと、噴きとばした。お゛お゛お゛っと声を漏らして、抵抗したがそれも遅い。女神と子供たちは山頂ごと、密林へと落ちていく。これでもう助かることはないだろう。むごい方法であったと、ぷしゅうと蒸気を漏らした。
女神は必死に手を伸ばし、届かぬことを察すると腕をぶんっと振った。赤子が、悲鳴とともに投げつけられた。轟音とともにリオナへと突っ込んでくる
「はぁっ!?」
「馬鹿なッ!」
ガドッカが間に入り、ぐっと踏み込んで赤子を叩き落とす。だが、同時に衝撃が右足に流れた。疲労がぴしりと音を立てる。ぱきんと、軽い音ともに右足が力を失った。歯車の不調ではない。生身の体ならば疲労骨折だ。
「あ」
間の抜けた声が誰ともなく漏れた。そのまま力を入れられず倒れ込む。目の前には山頂を失って、変わって頂となった溶岩だまりがある。
不幸なことに、その溶岩だまりには突っ込むことができなかった。
ふわっと体が浮く、いや落ちる。山に向けて、杖を突き立てようとするが、間に合わない。
二人が声を上げるが、すでに遠い。小さくなる二人と浮遊感、あっという間に見えなくなった二人と山の頂があった。
衝撃、衝撃が、背を叩き、胴が爆ぜた。生木の砕ける音と臭い。痛みはない、が、喪失感には。猛然と消えた、何度か、衝撃。視界が暗い、光。明滅。
ガドッカの思考が混乱し、意味のまとまらない電気信号が駆け巡る。彼が見ることが出来たのは、砕けた自身の肉体だ。落下の衝撃に耐えきれなかった下半身が、激突した巨木の半ばに食い込んでいる。上半身は胸まで、ばらばらと散り、密林に積もった雪をしゅうしゅうと溶かしている。動力部は幸いにも緊急停止しているが、黒色の固形燃料がごろごろと転がった。
また視界が暗くなる、腕は動かない。思考を維持するエネルギーが到達しない。一つ息を吐こうとするが、蒸気が出ることもなかった。そのまま、機械の神官は機能を停止させていった。




