転げ回る道程 / “穿鋼”ガドッカ
霧が凍り付くように、魔術師達の姿を象ったぼんやりとした幻像が実体へと固まっていく。大いなるものの招来から、ようやく二人が帰還したのだ。
伸びをして、腰をひねるリオナに対して、禿頭の魔術師がへたりこむように座り込んだ。彼は大分、消耗したらしく、顔は青い。その横へとひょこひょこ足を動かして、“悪魔”の少女が近づいてきた。
「だい、じょぶ?」
「大事はない」
ふうっと柔らかく笑うサブアに、微笑みを返す“悪魔”。彼女から差し出された小瓶から、かぶりと飲む。薬らしく、また渋い顔へと魔術師を戻していく。
それをぼんやりと見ていた神官の視線にかぶさるようにリオナが前に立った。
「話はまとまったわ、突入もできるみたいね」
「突入、といいますが、この雪では」
こちらも座ったまま、しゅうっと勢いのない蒸気をひとつ放出して、答える。
使徒より生えた若木から放たれる暖かさによって、この周囲は守られていた。蛇の頭をした司祭やワニや亀の呪術師たちが魔力を注ぎ、この領域を増やしている。だが、その領域の先は雪が吹き荒び、熱帯の木々を凍えさせている。
もはや外は豪雪の地である。それに対して、リオナもサブアも熱帯を渡るための服装だ。外套などはあるが、こんな場所を歩くためのものではない。まともに動けるのは油を変えて、なんとか動けるガドッカぐらいだろう。それでも、何時間まともに動けるか、疑問だ。その後、戦闘機動できるとは思えない。
「道ならば我らが作ろう」
しゅるりと会話のうちへと、蛇の頭が入り込む。派手な司祭服をまとった女、“境界の司”である。彼女は舌をちろりと出して、視線を合わせてきた。
その後ろには蛇頭の司祭がずらりと立つ。リオナはなぜか、へぇっと声を上げた。
「ちょうど七人、“瀑布を統べるもの”の代行ってこと」
「然り。“埋め火の王”の盟約者よ。我らも、ワニビトの戦士達も熱奪われる地では、汝らの役には立たぬ」
「だろうな」
彼らが寄ってきたのに気付いたサブアが杖を片手に割り込んできた。“悪魔”の少女は置いていくつもりらしく、屈強なワニビトの戦士がその周りを囲っている。彼女は大分居づらそうだが、ここは我慢してもらうほか、あるまい。
「じゃあ早速行きましょ」
「おお、しばし待たれよ」
こきこきと体を回し、準備体操を始めるリオナ。ガドッカも油差しを取り出して、関節を何度か伸ばし、ひざや肩の噛み合いを微調整する。どうにも芳しくはないらしく、音が鈍く重く感じる。一度、“おうばあほおる”が必要だろう。
ため息のような煙がぽうっと気が抜けたように漏れる。落ち込む気持ちを動力を空回りさせて、思い切り蒸気を吹き上げて気合を入れなおす。勝負とは手持ちの札で戦うもの。ないものねだりは、結局自分を弱くしてしまう。
蒸気にぎょっとして目を開いたサブアが、すぐさま瞳を狭めてこちらを怪訝に見ているのに、ぽっぽっぽっと笑いを返す。
「さぁて、行きますかな。頼みますぞ、“瀑布”の方々」
「任せよ、機械の使徒よ」
にぃっと赤い口を開く“境界の司”。彼女ら、蛇頭の司祭は蛇の唸り声をあげて手で複数の印を切る。ぎりぎりと妙な音がすると同時に、白い霧が広がったように見えた。
「また、相をずらしたのか」
「結構、無茶するわねぇ」
魔術師たち、そして司祭達だけが残る。蛇の唸り声が祝詞として響き、呼びかけが世界をさらに割った。白い霧がひび割れて、暗い空間がめきめきと広がる。空気は重く、迷宮の奥底を思い出させる。
「血を這う熱よ、ここに汝を流出せん」
リオナが、手のひらから溶岩の塊を呼び起した。地に手を付かずとも溶岩はふわりと浮きあがった。地熱から低温の火がごうと広がり、辺りを照らす。
そこは僅かながら、坂になっている洞窟だった。溶岩の火が、黒い岩肌を艶やかに照らしていく。錫杖で叩けば、硬い音が鳴る。微妙に濡れている。わずかな水音が頭に響く。
すでに捧げたはずの脊髄のあたりにぞわぞわとした感覚が広がる。幻の触覚だが、伝えてくる悪寒は現実に即している。
「“床下”抜いて、地下世界の近くまで繋いだのねぇ」
「地下世界ッ! トロールの領域ですと!」
頭部の視覚鏡を開いたり閉じたりして、ガドッカは落ち着き払ったリオナに食いついた。太古争ったザオウとトロール達は宿敵とも言えるのだ。お互いにここにいては気分のいいものでもあるまい。
「何、ここは我らの領域。間借りとはいえな。不安がることもない。汝らはすぐに退去する。さあ、それに入ってくれ」
“境界の司”が落ち着き払った声を出す。指さした先には、どう持ち込んだのか、頑丈そうな大型の樽があった。確かに三人詰めれば入りそうではある。
何か、理解したサブアは眉根を寄せて、頭を抱えて悶えた
「地界、いや冥界ならば、確かにどこの場所とも繋がっていよう。空にある山にも届くだろう。しかし、なんだこの樽」
「かつて伝承があったのだ。このような樽に閉じ込められた異郷の僧侶、彼は死の世界に旅立つために乗り込んだ。冥府にたどりついたものの、生を結局捨てられず、孤独のうちに願った。その時、我らの神が河に逆巻く流れを生み出し、かの僧侶を助け出した。かの僧侶は“七匹の大蛇”に帰依し、我らが蛇頭の氏族の祖となった」
「はあ」
ガドッカは間の抜けた声を上げて答える。魔術師二人は、お゛ヴと鈍く、苦しげに呻いている。
「理解が早いな。さすがだ。我らも時間がない。儀式に入らせてもらう」
彼らは七人集まると手をつなぎ、祈るように膝をついた。
苦々しくサブアが早く入れ唸る。はて、と声を上げながら、樽の蓋を開けた。きちんと中で締まるようになっている。中々芸が細かい。
サブアが少しいらっとしながら、背中を小突いた
「鉄塊の、山の奥というのは冥府、異界とされていることは知っているな」
「まあ、人伝の知識ではありますが」
古い友である茨の魔女を思い出しながら、ガドッカは答える。
「で、だ。やつらは、トロールの冥界とあちらの冥界を無理くり繋いで移動しようという寸法なわけだ。やつらは冥界から蘇りの神話をなぞって――」
「ほうほう、ほう?」
「細かい話、後! 来るって!」
ぞぞぞっと引き潮のような音がどこかから響く。見れば、司祭たちはそれぞれ溶けていき、巨大な壁のような水へと変わっていく。ぷるぷると圧力をとどめている姿は滑稽にも見えるが、その質量は暴力だ。
ぱちんと、何かが爆ぜて形が一気に崩れた。
「“大瀑布”が来るぞ! 早く入れッ!」
「なんとッ!」
崩れた水壁を背に飛び込むリオナとサブアを確認するとガドッカはぎゅっと蓋を締め込んだ。暗い樽の中、猛然とした水の暴力が自分たちを襲い、かき回すのだけは理解できた。 あとはただひたすら、誰が上げた悲鳴だがわからない声と、冥府すら削る水の轟音、絶え間なく変わる上下の間隔が、鋼鉄の頭を馬鹿になるまで揺らし続けた。




