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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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白い闇 / “賢者の瞳”リオナ




 さらさらと雪が降る。熱帯の夜を瞬く間に冷やしていく。月を割られて、雪に覆われて、光を失いつつある夜があった。リオナは集中すると瞳を緑に輝かせた。

 落ちてくる雪を見れば魔力が強く働いているのがわかる。自然物ではなく創られたものだ。これほどの量を、突然創り出す存在などぞっとしない。

 月を裂き、天に逆さにそびえる霊峰はその根源だろう。視線をリオナが向けると、その山の奥から、何かが睨み返してきた。冷たい、黄金の瞳だ。こちらを刺し貫くような意思がびりびりと、リオナの心を揺らす。

 そして、動かない。動けない。目が、逸らせず、ぴしぴしと自身に呪詛が走るのがわかった。体に霜が降り、足先から感覚が消えていく。呪詛に抗わんと、心を動かし魔力を流すが、それすら白い息にしかならない。それでも冷えた肺から声をなんとか引き出す。


「ガ、ガルケゼラ!」


 契約した神格の名を借りてようやく、リオナは目を逸らせた。四つ這いになって息を整える。だだの一睨み、目が合っただけだというのに、自身の体は氷の中にいたように冷たく変わっていた。

 はーっと息を吐き、魔力を巡らせ、体に張り付いた呪いの霜を溶かしていく。アレはなんだというのだろう。あの距離で、ただ一瞬で、致死の呪いを放つもの。地上に存在してはいけないものだ。あの黄金の凝視が、いまだにこちらの瞳に冷たく焼き付いている。


「リオナ殿ッ! リオナ殿ッ!」

「だい、じょうぶ」


 揺さぶるような大声にようやく現実へと引き戻された。ただ一瞬のことだったようだが、ぱりぱりと髪に張り付いた霜は、あれがただの幻覚でないと示している。それを魔力で振り払って、悲鳴を上げる体を立たせた。


「なにかに、見られただけだから」

「ふん、見られただけでそうなるものか。貴様は目が良すぎる」


 禿頭の魔術師は頭巾を目深にかぶってから、腰袋をから赤いものを投げてよこした。中には宝石となった血の塊、“生命の石”だ。握っているだけで、暖かな感覚が体に走る。力を吸いあげながら、一息、長く吐く。

 周囲ではワニビト達がどたどたと走り回っている。呪術師や司祭を呼び出そうと、伝令らしきものたちが駆けていく。


「残ったものは火だ、早く火を起こせッ! 子供たちを中に入れろッ!」


 カーウが声を荒げ、指示を飛ばす。彼も慣れない雪を踏みしめては、転びそうになっている。体の冷えもひどいようで、大分苦しそうだ。

 サブアは彼らが走り回る中で、山のそびえる天をにらむ。


「来るぞ」


 ぼそりと言葉を落とす。サブアは杖を掲げて、魔力を広げていく。むぅっとガドッカが蒸気を吹き上げて、まだ体を動かせないリオナの体を引き上げる。


「行けッ!」

「おうッ!」


 二人が跳ぶと同時に、轟音が突き刺さり、大地が薄い雪と土を吹き上げた。ガドッカの腕の中で、それを見た。

 人間の倍ほどある氷の塊が突き刺さっている。ぎろりと宝石、黄玉が一つ輝いている。めきめきと手足を伸ばし、流麗な人型を取った。


「ごぅれむ?」


 ガドッカがリオナを優しく下ろしながら声を上げる。ぎぃっと黄玉が瞳のように動いて、リオナをにらむ。それが動き出す前に、舌打ち一つ、サブアは呪いを解き放つ。


「枯れゆくは星の欠片、乾くままにひび割れよ」


 禿頭の魔術師の杖から、砂嵐がごうごうと吹き荒れて、氷塊の怪異へと叩きつけられる。


「無為である」


 重い声が、砂塵を裂いた。呪詛の砂は力を失い、凍り付き、ぼたぼたと地に置いた。知性を持った宝石の瞳を輝かせながら、ずしりと足を進めてくる。冷気を纏い、その姿は輝きを帯びている。ヒトとは違う異形でありながら、不快感はなく、ぱりぱりと氷の翼を広げるその姿は、むしろその聖なるものに見えた。

 その姿を正面から一人の男が睨んだ。ワニビトであるカーウが黒曜石の槍を握らながら、冷たい地面にも関わらず、振り絞った気力で相対する。


「宣告する。去れ」

「否である。戦士よ、我は主命を成さねばならぬ」


 氷の天使像はぎらりと一つ目を、カーウに向けた。敬意すら感じる穏やかな口調ではある。しかし、底にある意思は曲げようもないだろう。


「むぅ、これは」

「使徒だ、鉄塊。お仲間だろう」


 ガドッカも錫杖を片手に立ちふさがる。サブアもつまらなさそうに、杖を構える。使徒、神の使い、天使とも呼ばれる上位存在だ。


「ま、神がどこぞの邪術師にそそのかされたのか」

「どういうことよ?」


 リオナの問いかけに、答える暇は与えられなかった。


「吹雪け」


 かの使徒のただ一言が放たれる。ただそれだけで、魔力が圧縮と解放が行われ、視界を覆うほど雪が猛然と吹き荒ぶ。天は雪に覆いつくされ、白い闇だけがごうごうとひろがっていく。

 カーウはそれだけで、震えるしかできなくなった。熱が奪われて、硬い鱗は凍り付く。弱いわけではない、とにかく狙ったかのように相性が悪すぎる。サブアが身を守ろうと展開した砂嵐も相殺には至らない。


「十分ッ! 雷神ザオウよ、拙僧に御力をッ!!」


 ガドッカが自己の熱量を上げて、雪を溶かして必死に一歩、そして一撃を振り下ろす。錫杖に電光を与え、氷像へと叩きつけた。


「霜の剣よ」


 声とともに作られた氷の刃がそれを受け流す握った腕を軽く振ると、ガドッカの両足をあっさりと斬り落とす。鋭い刃は、部品すら欠けることなく、どさりと雪上にガドッカとその足を倒れさせた。


「なんとぉーッ! 馬鹿なッ!」


 “大仰”な悲鳴を上げて、ガドッカは雪の下へと体を埋められていく。そのまま吹雪を纏って、使徒が一歩、また一歩と近づいてくる。わずかに暖かな“生命の石”を左手に握りしめた。強風にリオナもさすがに地に手を付く、ようにした。右手で雪をかきむしると、冷たい土の感触が手のひらに感じられた。


「粛清である。すまぬな、少女よ。主は汝を始末せよ、と命だ」

「やめ、て」


 がちがちと震える言葉を出しながら、使徒を見上げる。雪がその氷の体から吐き出され、わずかな光すら飲み込んでいく。


「君は目が良すぎる。魔力の瞳では、現実にある目をつぶすだけというわけにもいかぬ。恨むがいい、憎むがいい。君にはその権利がある」

「来ないで」


 重い脚が、とうとうリオナの目の前に立った。苦しまぬように、という慈悲だろうか。大きく刃を振り上げた。その圧倒しているという認識は、リオナに魔術を滑り込ませるだけの時間をくれていた。


「盟約を示せ、埋め火の王よ! 汝がゆりかごを永劫の牢獄と成せ」


 ごうっと地が熱を帯びた。雪をも燃やし焼き払い、リオナから広がると使徒の足元を溶かしていく。そのまま溶岩へと変わった大地は逃げようとする鈍重な氷像を包みこんだ。それもわずかなことだった。溶岩は瞬く間に黒く変わり固まった。そこにぴきぴきと音を立て、拳が突き出される。氷でできたそれは、めりめりと岩を無造作に引き裂いた。

 そのまま、のっそりと視界を覆うように氷の使徒が翼を広げた。吹雪が再び吹き荒ぶ。

 冷や汗がだらりと、背筋に流れて、冷たく落ちた。それでもまだ、リオナが展開した溶岩の地は残り、彼女の体を守っている。


「苦痛を伸ばすことになる。やめよ」

「そういう、傲慢さ、足元すくわれちゃうよ」

「心にとめておこう」


 羽ばたきの音もなく、使徒は傲然と翼で旋回を始める。熱を奪う雪の嵐をかき回し、氷の使徒は黄玉を強く輝かせ、殺意をまとう。ここからが本気だと、言いたげだ。

 周囲には倒れていく爬虫人類、そして吹雪を防ぐだけで必死のサブア、罠に協力するための破損が両足と思った以上の痛手となり、雪に半身を沈めたガドッカ。

 これは、詰みかもしれない。弱気とともに久方ぶりに示されるのは死の想像だ。凍てついて、頭部のない自身の様子が幻視できた。

 相手のことは分からない。なぜ殺されそうなのかも、わからない。そんな理不尽はどうでもいい。大事なことは、まだ、ここは通過点にすぎないことだ。倒れるわけには――


「盟約を示せ、地を這う熱よ。我握るは汝が心臓、魂をも焼きつくせッ!」


 ぎゅっと“生命の石”を握って割る。溶岩から、赤々とした大斧がリオナの腕に収まった。黒く変色していく溶岩の斧を肩に担ぎ、腰を落としてどっしりと構えた。さあ、あとは押し通るだけだ、とリオナは自分に言い聞かせた。

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