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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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天蓋の逆さ / “賢者の瞳”リオナ




 河舟でゆるりと運ばれていた。リオナ達が乗った舟は波に合わせてゆっくりと揺れる。心地よい風も吹き、汗も引き始めた。日も大分落ち、辺りは赤く染まりつつある。ざわざわと揺れる姿が夕日に黒く浮かび、影絵のようだ。見る分にはキレイなのになあ、とうんざりするほど歩いた密林を眺めた。

 頭の奥から抜けていく熱を感じながらふぅっとため息を吐き、ワニ人間から渡された水袋をもう一度口に含んだ。

 横には上機嫌に尻尾を振るワニ人間の子供がいる。子供はぺたぺたとガドッカの体に触れている。鋼鉄の人間というのが物珍しいのだろう。時折、吹き上げる蒸気には体を乗り上げて、きゃいきゃいと声を上げている。


「あついっ!」

「これこれ、煙突には触ってはいかんぞ、火傷してしまう」


 蒸気に触れたのだろう、さっと手を引き、河の水に浸した。


「で、あなたたち、また厄介なことになってるわね」

「誤解されただけだ」


 呆れながら言うリオナに、忌々し気な視線を投げかけてくるサブア。ようやく縄を解かれたものの、ごろりとふて寝している。そのさまは、どうにも兄を思わせた。


「まあ、辺境の道を通ればねぇ」


 こんな秘境の地を道を通るのは、稀有だ。追放者や訳ありの貴人、そして犯罪者も少なくない。密輸か、人身売買か。サブアの出で立ちではそう思われても仕方ないだろう。

 リオナ達も怪しまれていた。しかしガドッカが、廃都への巡礼に向かう神官だと名乗れば、それは解けた。廃都は神々の微睡む地だ。ともすれば、ここを通る巡礼者も数が多いのだろう。ワニ人たちは大分友好的だ。単に熱中症のリオナを心配しているだけかもしれない。

 サブアも娘の呪われた傷を治すため、奇跡に縋り旅をするものだと、ガドッカがなんとか言い含めた。神官、異教とはいえ神の奇跡を体言するガドッカの話に彼らは、ようやくサブアの縄を解いてくれた。


 まあ、本当のことじゃないけど。似たようなものだし、嘘じゃあないはず。


 そんなふうにひとりごちてから、舟の行く先を眺めた。日が闇にその時間を受け渡す中、煌々とした、小さな光が見えてきた。

 下れば下るほど、その光は大きく強く見えた。揺らめいているのは炎だ。人の背丈ほどある石の塔の上にぽつんと浮かんでいる。視線を向ければ、リオナとそれは、“目”が合った。炎の中には縦に裂けた瞳孔が二つ、浮かんでいる魔術師と契約した火の精なのだろう。それはただの炎であることを止めて、緑色の蛇が浮かび上がった。蛇はこちらをひと睨みするが、興味を失ったのかすぐに炎の塊に戻った。

 そのまま舟は石塔へと向かうと、ざわめきが聞こえてきた。


「ついた!」

「おおお、あれはッ!」


 石塔の先には河岸があり、いくつもの大きな桟橋が見えた。小型のはしけ舟やカヌーばかりではあるが、並んでいる。そこには鱗の生えた人々が荷物や道具を下ろしている。

 蛇の頭を持つ女性が帳簿を片手に、うなり声を上げていた。彼女はこちらに気が付くと首を長く伸ばし、声を張った。


「そこな、ものらッ! どこの氏族のものか!」

「我らは牙岩の氏族! 鱗の王との盟約により、マレビトを降ろしにきた」


 先頭にいた大きなワニビトが堂々とした声が響く。どっしりとした体を持ってこちらを先導する。

 蛇頭の女性は縦に裂けた瞳孔を開いて、驚きの声を上げた。


「牙岩かッ! セスの子らよ! 久方の来訪うれしく思うッ! 戦士の館は開いている。今、使いを出させよう。いや、むしろ私が――」

「境界の司よ、不要だ。マレビトは今宵、我らが預かる。明朝にでも処遇は決めよう」


 そして慣れた様子で空いた桟橋へと舟を合わせる。そして各々、係留のために突きだした杭に結びつけ始めた。

 リオナやサブア達の乗った小舟も括り付けられ、勢いよくワニビトの子供が桟橋に降り立った。そして大人達から荷物を少しだけ受け取ると、短い足を忙しなく動かして運んでいく。

 大人のワニビト達はどっしりと荷物を背負う。各々、磨き上げられた石の短刀を二振り、必ず腰に帯びている。強力な呪詛を受けているだろう、瞳を象った紋様が刻まれ、そこから染み出すように、煌めく淡い魔力がリオナの瞳には映った。


「ふぅぅーむ、外敵から人々を守る壁邪の民、といったところですかな」

「それほど良い者でもあるまいさ。体よく忌み事を押し付けられているだけかもしれん」


 ガドッカの感心したような声に、伸びをしたサブアが冷たく割り込んだ。彼は“悪魔”の少女を背負いながら、慎重に桟橋へと移った。彼女は魔術師にぎゅぅっと掴まりながら、きょろきょろと周囲の爬虫人類を見回している。物珍しいのはお互い様のようで、あちらも鱗を持たないヒトをちらりと視線に納めてくる。


「ささ、マレビトの方々、ワシらについてきなせぇ」


 ワニビトの中でも最後尾を泳いでいた男が、のっそりと声をかけてきた。はーい、と短く返事を返して、彼の後ろを付いてリオナは続いた。


 踏みならした道に従い、ざわめきの方へと近付くと緑色の淡い光が見える。光の元は硝子の水槽ようなもので、中には光り輝く魚が飼われていた。彼らはヒトが近付くと、喉をぐぃーぐぃーと鳴らして、ゆっくりと光る。緑色をした硝子によって、その色は変わっているようだ。


 柔らかで奇妙な灯りの中をほうっと息を吐き進んでいけば、ざわめきの元である市場に入る。威勢良い声が、夕刻に響く。夜行性の種族が多いのかもしれない。そもそも、この暑さで昼の市などはやってはいられないのだろう。

 人々で混み合い、小さな店がぞろりと並ぶ中を進んでいく。


「安い、魚あるよ、マレビトさんどうかね」

「クモー、クモー、クモはいらんかねー。食べれば知恵が湧くよ。語り部、御用達の一品だ。今ならおまけでカタツムリも付けるよ」

「うごめく茸! 旦那さん、奥さん喜ぶよ!」

「ファゴット村の養殖蛙だ、泥臭い野生のとは味が違うぜ」


 固い笑いを残して忙しなく生物を売るリザードマン達の横を過ぎる。文化が違う、と少しばかり遠い目をしてしまうリオナ。思わずサブアの方を見ると、そちらもげんなりした顔をしている。逆に“悪魔”とガドッカは楽しげで、時間があればクモの姿焼きに手を出しそうな勢いだ。


 ようやくリザードマンの商店を通り過ぎると、色とりどりの野菜を売るタートルマンがのんびりと草を食んで、店番していた。噛んでいるのは嗜好品らしく、甘い香りが漂ってくる。その臭いにやってきた蠅だの蚊だのを店主はのろのろと追い返したり、腹に収めたりしている。

 そこを過ぎれば木の細工物や金物を売る蛇頭の人々に混じって、ゴブリンの竹籠売りがやんやと声を上げている。ゴブリンという種族は人類以上にどこにでもいるらしい。見知った顔ではないが、見慣れた光景にリオナは少しだけ、ほっとする。


「竹組みの背負い、ひとつ貰おう」


 さすがに疲れてきたのだろう、竹籠売りのゴブリンに禿頭の魔術師は声をかけた。籠をいくつも運ぶために竹で作られたもので、“悪魔”の少女を運ぶには丁度良さそうだ。


「へえ、だんな。しかし、こいつは商品じゃねーのです。まあ、鱗も髪もねえ、わしらの縁、カネならジャリ八つ、交換は要相談でさぁ」

「ジャリ、あー、銅貨は持ち合わせがないな」


 ほんの少し青筋を立てて、サブアは銀貨を一枚ひょいと渡す。大判だが色合いはよくない、悪貨の類だろう。


「これなら釣りもでるだろう」

「だんなだんな、混じりが多すぎです」


 ちらりとこちらをサブアが見る。待っているのはリオナ達ではなく、ワニビトも一人ここに残ってくれていた。ゴブリンの籠売りはそれを見て、ふーむと唸る。


「ま、お待ちの方もいらっしゃるし。籠ひとつ、で手を打ちませんかね」

「仕方ない。あー、そこの腰に付ける、小さなものをくれ」

「あい、弁当籠ですね、まいどどうも」


 交渉を切り上げて、竹作りの背負いに少女をさっと載せ替えた。少女はのんきに、おー、と楽しげな声を上げた。それで余計に目立ち、周囲からの視線が刺さった。禿頭の魔術師は気にした様子もなく、ずんずんと進み始める。

 それに合わせてリオナ達も足を動かす。


 しばらくすれば、市場からも抜けて、静かな開けた場所に着く。既視感がある場所だった。隅には木人や的が立ち並び、奥には簡素な作りだが、広々とした高床式の住居が並んでいる。どうも修練場を兼ねているようだ。

 光る水槽はなく、通常の魚油が灯りとして、住居からちらちらと光っているのが見えた。

 既にワニビト達は各々休息に入っているらしく、その体をごろりと横たえていたり、調理済みの魚だの芋だの蛙だのを、木皿にのせている。おそらくは市場で購入してきたものだろう。


「ささっ、マレビトよ、どうぞこちらへ」


 一際、大きなワニビトがのそりと近付いてきた。体には子供がわきゃわきゃと張り付いている。これ、と短くたしなめると、はにかんで離れていった。


「挨拶が遅れてすまぬ。我はこの氏族の長カーウ。牙岩の氏族、戦士セスの裔である」


 どっしりとした体を持つ彼は、丁寧に名乗りを上げた。爪を握り隠し、見せないように腕を組んで礼をする。


「アルディフの街より来ました、魔術師リオナと申します」

「拙僧は機械神ザオウに仕えるもの、ガドッカである」


 二人はそれにならって丁寧に礼を返す。合っているか分からないが、礼を尽くしたということが大事なのだ。異郷、いや異なる境界にある存在ですら多い世界である。

 サブアもさすがに分かっているようで、渋々といった形で礼を取る。


「サブア、この娘は故有って名乗れん。奪われたのだ」

「なんと、むごい」


 カーウは憤慨して声を漏らす。名を奪うというのは死より大きな侮辱、存在の否定なのだから、当然だろう。


「サブア殿、申し訳なかった。今宵はゆるりと休んでくだされ」


 ささっと皆に進められたのは濁り酒だ。硝子の徳利から乳白色の液体からどろりと流れてくる。


「ほう、これは」


 サブアが香りを嗅ぎ、酒に口を付けた時だった。


 ぴしりと、世界が鳴る。


 ぞっと、した感覚がリオナに走り、視線が自然と空へと向いた。夕日はすでに落ち、月が輝いていた夜が、ひび割れた。半月を上下に裂いて、逆さにそびえる白い山が、ゆっくりと現れた。美しい剣のような峰が大地へと刃を向けている。


 熱帯の夜に、無造作に白い雪が場違いに降り注いできた。


 ワニビト達もリオナもガドッカも思考が追いつかない。ただ、一人、サブアだけが、悟ったようにくいっと酒を飲み干していた。





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