蛇の庭 / “穿鋼”ガドッカ
視界の隅に設置された体内温度を表すメーターが赤い警告色のまま下がらない。さすがのガドッカもうんざりしながら辺りを見渡す。並ぶのはただただ緑だ。鬱蒼と並ぶ低木を鉈で切り払いながら、川の音へと必死に近づいていく。樹から稀に顔を出す空は、容赦なく陽光を叩きつけてくる。そして、なによりも湿度が機械で出来た肉体を軋ませる。
「だ、だいじょうぶ?」
「はっはっはっ、今なら卵が焼けますな」
暑さのあまり、舌っ足らずになるリオナにガドッカはなるべく軽く答える。それを嘲るように、真っ赤な鳥がぎゃあぎゃあと鳴いた。
「お゛ー」
赤い顔のリオナは汗を滴らせ、ブーツをぐしゃぐしゃと鳴らしながら歩く。両手両足を保護する姿はいかにも暑苦しいが、この地、“蛇の庭”では毒虫や毒草は少なくない。刺されたり接触したならば致命的なことも多いのだ。
切り払った葉の裏から飛び出した極彩色のカエルたちや散っていた蜘蛛などは、迷宮の怪物にも匹敵する毒の持ち主である。
雷神の加護によってすでにタンパク質という、肉を持たないガドッカではあるが、それでも鉄板の体積が膨張するのはいかんともしがたい。特に作り立ての右腕と、その接合部の具合がよくないのだ。
長旅というのは不調との付き合いになる。特に、土地ごとに気候も住む人々も違うこの世界においては、迷宮に潜る以上に過酷なものだ。
前の土地では町というか、人とも出会わなかったせいだろう。疲労も濃い。軽くなったのは食料の入った背負い袋の中身だけで、それはそれで困ったものだ。
「ううーむ、どこかで休まねばなあ」
できれば街があれば幸いなのだが、どうにもこの辺りには道というものが見当たらない。ヒトと呼べる種族が住まぬ未開の地なのだろうか。それはそれで困る。前の土地、荒涼たる機械の墓標では補給すらままならなかった。ガドッカはともかく、生身のリオナには相当には堪えているはずだ。
せめて集落でもあれば。びゃしりと、思考を遮るような水音が鳴る。気が付けば足元には水気の含んだ泥が広がっている。それを踏み分けてさっと進むと、やっと目の前が開けた。
広がっているのは水。茶色く濁っているが、海のように長大な河なのだろう。水音は穏やかではあるが、流れゆく水草は速くも遠くへと進んでいた。
ガドッカは川べりに腰かけるとふうっと足を付けた。思わず、しゅうしゅうと短く煙を吐く。
「ず、ずるい」
不用意に足を突っ込めないリオナの恨みがこもった声が聞こえる。水浴びでもしたいところだろうが、生身では危険すぎる。寄生虫でもいたら目も当てられまい。
「すまぬなあ」
「ぬーむ、ぬー」
理解はしているのだが、感情が受け付けないのだろう。地団駄しそうな雰囲気で唸りを上げた。
迷宮に潜っている頃よりも荒々しくなったような気もするが、それもよしだ。そもそもわがままなど言えなかった灰の青春を送っていたのだ。多少素直になった方がよかろう。
ガドッカは熱くなった頭で朦朧と考えを巡らせた。流れゆく水を感じながら、視線をそちらに向けていく。一頭のワニが気持ちよさそうに泳いでいる。小柄なワニはすうっと仰向けになると腕を伸ばして伸びをした。
「ん? んんん?」
「あれぇ?」
こちらの声に驚いたように、ワニはこちらを見た。のっそりと立ち上がると。黄色い瞳をきょろきょろさせて、戸惑ったようにこちらに近づいてくる。
「あーあー、はじめ、まして? えーと、ヒト?」
見た目より甲高い声で、人間かと問いかけてくるワニ。ぺたぺた、と川べりの泥の上を直立で歩行してくる。ワニの獣人だろう。リザードマンの仲間というか、同種類のヒトだ。真っ赤な口を手で押さえながら、寄ってきた。
「えー、あー、うん、そうなの」
「すごい! つるつる! ピカピカ!」
牙を剥いているが、それは笑いの表情らしい。興味津々といった風に近づいてくる。着ているのは腰布と道具を吊るしたベルトだけだ。ワニの獣人は巨体を持つはずだが、背丈は低く、リオナよりも小さい。褐色の鱗には黄色の縞が入っている。おそらくまだ子供なのだろう。
「君は――ッ! おうっとと」
言いかけて、彼女はぺたんと腰から崩れる。
「つるつるの君、大丈夫?」
「あー、リオナよ、少し、まずいかも」
ふううっと息を吐きだし、天を仰ぐリオナ。顔は紅潮したままだ。疲労が大分出ているようだった。気づかうように、ワニ人の子供がリオナをのぞき込む。
「んんーむ、大変!」
わたわたと焦りながら、腰に吊るした道具から小さな笛を取り出すと吹く。ガドッカの体に反響して震わせた。水面ですら、ざわざわと唸りを上げた。ガドッカは白煙を吐いて、頭にある聴覚部位を抑え込んでしまう。
「何をッ!?」
「大人ッ! 来るッ!」
水面がざわめく。遠くから波が現れて群れとなり、水面が裂けた。巨大なワニ人が鼻からざっぱっと顔を出している。水底を歩いてくる彼らは、各々、小舟を引き、魚や果実などが入った籠が積みあげてある。
そして、その中にぐったりと倒れている人影が二つあった。縛られて転がっているのは禿頭の男、そして丁重に扱われているだろう少女が寝かされている。
「あー、どうも」
呆けたような声を上げるリオナに、サブアはぎろりと目線だけ向けてきた。ガドッカは苦笑いの意味を込めて、ぴゅうっと煙を吹き上げていった。




