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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
最果ての風を聞け
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夜明けまで / “穿鋼”ガドッカ





 後片づけが終わり、よくやく体を横たえたのは冷気が大分ひどくなってからであった。事務室の跡地に無理やりに毛布を引いてごろりと、投げ出している。このような恰好は好まないが、全身の四肢はまともに動きそうもない。


「どうにも、情けない」


 ガドッカは久方ぶりに汚れた煙を吹き上げた。蚊帳の外というのはこういうことだろう、と不満がふんふんっと息とともに黒く登っていく。


 上に見えるのは穴の開いた天井、うっすらと刺す星の光だけが灯となっている。低光量に対応していた瞳の硝子にはひびが入り、投影される像は歪んで見える。陰鬱な気分はこれのせいだと、決めると聴覚に集中する。

 隣には少女の形をした、“悪魔”がいる。ふぅふぅと息を吐き、休んでいる。顔には肉と肉に断層があり、血が流れるまま床でいくつも結晶を生み出している。

 異形ではある。しかし、その安らかな表情は人を思わせる。以前であった剛力無双の形を取った“悪魔”とは、また違うようだ。


 そして離れた場所には魔術師が二人、別々の壁に寄りかかっていた。禿頭の魔術師サブアは杖を抱えながら、崩れ落ちるように座り込んでいる。それに相対するように立つリオナはじぃっと瞳を向けている。彼女の緑眼は魔力を帯びているのが感じられた。

 リオナが相手を値踏みするとき、鑑定する時、そして戦いの場で広げている見鬼の力だ。そして、彼女自身は意識していないだろうが、気が立っているときには必ず魔力が走っているのだ。

 サブアも対応するように、杖を握って離さないままだ。いつでも魔力を展開できるという意思の表れだろう。


 一仕事終わったというのに、わざわざ刃を突き付けあうような真似をしている。血の気の多さは兄上譲りであるなあ、と他人事めいた思考の電流がゆっくりとガドッカの中で歩き回った。


「ねぇ、ガラハム・イーナンの弟子ってほんと?」


 小柄なリオナの高い声が静寂の中にきぃんと響く。本人は抑えたつもりなのだろうが、少女の声には負の感情がどっしりと混じっていた。なんとも似合わない、とガドッカは黒煙を吹く。


「そうだ。破門されたがね」


 淡々と返すサブアは立ち上がる。血色は良くなってきたが、再び争いとなれば立ち回れるとは思えない。それでも瞳の奥に眠る意思は、しっかりと見て取れた。これも中々の難物らしい。

 ガラハム・イーナン。魔法、神々が自ら封じ、禁じた御業を自らの手中に納めようとする邪術師。彼は幾多の迷宮を作り出しては土地を枯らし、世界の外より化生や怪異を召喚し、世に災厄を撒いている。すべてはその渇望のための犠牲だった。

 リオナの故郷アルディアは忌まわしき邪術師が作り出した迷宮に侵され、肥沃な大地は荒廃してしまった。迷宮から溢れた怪物との戦いで帰らぬものとなった人々は多い。彼女の生家にあった、茶葉の商いも両親との時間もすべて失われたのは、ガラハム・イーナンの撒き散らした災厄のせいだろう。


 その元、弟子が“悪魔”を引き連れているとは穏やかにいられるはずもない。しかし、そう悪い男には見えぬ、と機械の神官は頭の歯車をがちゃりと回した。


「逆に聞くがね、貴様らは何者だ」

「一度いったでしょ、旅人よ、通りかかったの」

「どこに向かう旅人だというんだ。なぜこんな場所を道程にする必要がある。補給もできん。続く道も朽ち果てていた、真っ当なら歩く必要もない」


 サブアは淡々と突き放す。

 この土地には人類が生活することはまずできない。古き戦争で、トロールに傷つけられた。大地は枯れ果て、この何も育たず、何も作り出すことのない。怪物すらも住むことはなく、人々はこの地を捨て去った。戦後に使われた救命艇の跡地だ。今はただ世界を繋ぎとめる楔、あるいは糊付けのために配置された墓地に過ぎない。

 好んで通る必要もない。食料と寝床の確保、そして体力を考えれば大きく遠回りした方が楽であるし、何より安全だ。

 それを押して通るとすれば、サブアのような脛に傷があるものぐらいだ。


「別にやましいことはないわ、ただ単に急ぎなのよ。で、そっちは?」


 薄い胸を張って、脅しつけるように言い放つリオナ。ただただ目は鋭く、不機嫌そうではあった。違和感が胴体部分に、油のように広がっていく。それが思わず、ガドッカの発声機関を震わせた。


「リオナ殿、彼はあくまで元弟子――」

「まって、サブアにはわたしが、お願い、した」


 さすがに彼らの険悪な気配に起きたのだろう。“悪魔”の少女がよろりと体を引き起こす。顔の傷がずるりと広がり、血の塊が落ちてくる。どろりと落ちたそれは結晶となって転がった。


「わたしは、戻りたいから。最果てに、廃都に、行くの」


 ぽつりぽつりと思考の断片を彼女は吐き出していく。無理やり立ち上がろうとするのを、ガドッカは片手で支えた。サブアはそれを見て、眉間を抑えて息を吐きだす。そして杖をすっと立てかけた。

 廃都とは、神々が終戦の盟約を結んだ聖地だ。数多の神々はその地で微睡んでいるか、天地を支える柱として世界を支えている。


「我々は、彼女の名前を探しているんだ。知り合いの一人もいる、はずだ」

「“悪魔”からの解放、ね」


 リオナも構えを解き、ふぅーむと唸る。

 “悪魔”とは真の名を失い、この世界とズレた存在となった精霊や神々だ。真の名を再び掴んだならば、今の世界と合一することができる。


「私はな、師を裏切った。故に魔術もほとんどは失われた。師から賜った契約だからな。師を裏切れば失われると、仕込まれていたのだろうよ」


 瞑目し、そしてずるずると背中をこすりながら魔術師は座りこむ。魔術師は超常の存在たる神や精霊との契約によって、その力を形にする。それが失われたともなれば、その無力感は強いものだろう。


「だから、サブア、ガラハムから逃す約束したの、わたしとする、かわり」

「あー、彼女の名を取り戻す代価として、契約を行うことになっている。この盟約は護衛も兼ねてな。支払いはこいつでもらっている」


 そういうと手を伸ばし、“悪魔”の横に転がった結晶、“生命の石”を握った。そのまま、ぎゅうっと押しつぶすと魔力へと変わり、サブアの中へと溶け込んでいく。血色はわずかに戻り、息も整っていく。おそらく直に“生命の石”を吸収したのだ。長いこと冒険者を続けているが、初めてみる光景だ。

 リオナも目を丸くして、うめき声をあげている。無理やり体力を回復する非効率的な方法だ。本来、“生命の石”は貴重な鉱石である。このように使うことはない。体力は休めば戻るが、“生命の石”は失われればそれまでだ。


「彼女は、迷宮の奥に縛られていた。師の使う“生命の石”の生産を担っていてな、駄賃代わりに奪ってきたんだ」


 にぃっと笑うサブアは幽鬼のように見えた。狂乱の魔術師たるガラハム・イーナンの弟子らしい、笑い方だ。人を引き離すような、気味の悪さがじっとりと広がる。

 それに顔の割れた少女が微笑んだ。


「サブアは、やさしいから、ね」


 口も動かさず、ガドッカだけに聞こえる声がか細く届く。神が送る啓示に近い言葉であった。なるほど、と心中で返すと、小さな笑いのイメージが兜の中で反響した。


「夜明けとともに我らは出る」

「そう、私はそれまで見張ってあげるわ」

「礼はいわんぞ」


 鼻息混じりにそう言うとサブアは毛布を敷くとごろり床に伏した。寝息はすぐに聞こえてきた。やはり体力の消耗は激しいようだ。無理やりにいくつも呪術を展開したのだから、当然といえば当然である。


「サブアの、横が、いい」

「あい、わかった」


 儚げな“悪魔”をその横に寝かしつけると、ガドッカはなるべく音を立てずリオナの横に腰かけた。


「らしくない、よね」


 張っていた気が緩んだのか、ほんの少しだけリオナは目に涙を浮かべた。疲労と自己嫌悪がきっと波のように揺り返してきたのだろう。


「なぁに、これから取り戻せばよかろう。我らも行くべきところは同じである。このまま旅の道連れにすればよいではないかな」


 ガドッカとリオナは最果てへと向かっている。最高位の神々が微睡と覚醒を繰り返す。世界に深々と楔を打ち込んでいるが故にその地では争うものはいない。神々の休戦地ともよばれるのが廃都だ。


 その土地ならば、かつての仲間、オリエルが死の神によって負わされた傷も治せる神がいるかもしれない。

 オリエルの容態はあまりよくない。かつて受けた足の傷は治ることもなく、体力を奪っていく。気功を使えるダスイー、そして知る限り最高位の呪術師だろうウィードがなんとか進行を遅らせているが、それだけだ。

 ふがいないことにガドッカの祈りで作られた義足も大した力を発揮できず、呪いに負けて壊されてしまった。ガドッカも信心の足りなさに、憤慨するしかなかった。

 その時であった。リオナの提案に乗ったのは。


「いいわね。そのために、力をつけたんだもの」


 リオナはそのために一年、ただただ修行を続けた。天賦の才も迷宮で培った素養もあったのだろう。短い時間で魔術師としての力を身に着けた。

 リオナが免状をもらうと同時に、ガドッカは彼女と旅に出ることにした。

 最果ての地、廃都に住まう神々ならば、その呪いを解けるものがいる。最初は希望的観測だったが、彼女が魔術師として学びを進めると、現実にそれを成せる神々が眠っているのがわかった。


 実際、彼女の師たる魔術師は大いなる神と接触し、契約を成した。人の身で、人の御業生命の蘇生を行ったという。蘇生を司るほどの行為の神もいるのだ、嘆願と代償さえあれば、オリエルの傷も治ろう。


 二人はただそのためだけに、この地にいる。わずかでも素早く、最果てへと向かうために。


 決意に拳をぎゅっと握ると黒い息がごほりと漏れる。さすがに休まなくては、と思うと自身の意識はもう手放されていた。





 日が差せばすでに彼らの姿はなかった。リオナは唇を尖らせて不満を表している。また、あの禿頭の魔術師のことだから、目くらましでも使って別れの言葉もなしに出ていったに違いあるまい。


 触らぬ神に祟りなし。いらいらしているリオナを横に置くと、ガドッカは体に最低限の修理を施す。細かい傷や内部の機工をなんとか直し、外れてしまった腕を溶接した。一日の祈りだけではここまでだ。いい加減、全改修が必要になるかもしれない。

 応急処置として手回しでねじ止めを行い、四肢に油をさした。

 その作業が終わってもなお、不満げに歩き回るリオナに、ガドッカはまあまあ、とようやく声を上げた。


「なぁに、道筋は同じ、また縁があれば出会うこともありましょう」

「そう、そうね」


 いつものようににっと笑うリオナ。この言葉を待っていたらしい。またまだ子供っぽい様子だ。だが、その顔の方が良い、と機械の神官は白い蒸気を吹いて笑い返した。


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