焔走り / “賢者の瞳”リオナ
上手く踏み込めた。陸橋の下にいるだろうガドッカにリオナは感謝する。あとは自分が戦う。戦える。今までとは違うのだから。
リオナは自身に言い聞かせる。そして思い切り、人形の足元に滑り込んだ。相手にはさぞ攻めずらい位置どりだろう。もうこちらを無視できまい。あの禿頭の魔術師はきっと逃げ切れるだろう。
「「小賢しいッ! 刺し穿て、我が名のもとにッ!」」
叫びが呪いとなり、人形の腹のあたりから、幾筋もの白光がぱっときらめくと、魔力の楔が降り注ぐ。白い石で作り上げられた道を貫き、粉塵を巻き上げながらリオナへと近づいてくる。
「なわーっ!」
間の抜けた叫びを上げながら勢いのまま通りぬける。リオナは後ろまで回り込んで、ぐるりと反転する勢いのまま、溶岩の斧で横殴りする。
「断ッ!」
「「ちぃッ!」」
人形の長い足へと触れる前に光の大剣が割り込む。ぎぢりっと赤黒い溶岩を抑え込む。片腕を失ったせいか、態勢が崩れていく。どうにも長細い体を支えきれないようだ。
「粘りが、ないッ! 盟約を示せ、地を這う熱よッ! 渇望を広げよッ!」
叫びとともにむせ返るような硫黄の臭いが吹きあがる。押し込んだ斧が刃を溶断し、魔力の剣はひび割れて砕けた。散った破片はリオナに刺さる前に燃え上がり、消える。そして刃へと剣の束であった杖に向けて炎が追っていく。
「「かぁッ! 裂けよ、我が名の元に振るうは“死の刃”」」
気合とともに編まれた呪いが放たれる。いくつもの宝玉が爆ぜて魔力へと変わった。砕け散った刃、そして昇ってくる炎をも切り裂いて、光の大剣が再び構築される。
それにさっと、リオナは離れる。実質はただの仕切り直しだ。しかし、不愉快そうに仮面が歪んでいた。ぐるりと体を回し、こちらに死相を向けてくる。
そのさまを見て、にぃっとリオナは笑う。歯を向いて、かつて兄がそうしたように。
「「貴様ッ!」」
「へぇ、随分、余裕のないことッ!」
人形は生命力、すなわち魔力を持てない。“動く鎧”をはじめとした疑似生命達が、魔力を使うならば“生命の石”が必要となる。人形の持つ杖に括り付けられた“生命の石”の数は十より少し多い程度だ。
「「踊れッ! 廻り回るは、我が名のもとにッ!」」
石が砕けて、小さな光が刃の群れへと変わる。一枚一枚が魚のように大気を泳ぐ。人形の上でぐるりと流れる光は、小さな刃であるが、人間を引き裂くには十分な威力があるのだろう。
「「行けッ!」」
雨のごとく光の刃が注いでくる。笑い顔のまま、リオナは力を込めて斧を掲げる。熱がうごめき、体は朱色に染まる。刃の魚群ははらりと散って、人工の大地を幾重も抉った。ただそれだけだ。
「練りこみに焦りがあるわねぇ」
思わず親しい呪術師に似た声が漏れた。尊敬する彼女とこの人形は違う。この人形の力は所詮借り物、自分の力ではないのだろう。いくら強力な呪いであっても、自信を持って使うことはできない。経験のように、自分の中へと消化したわけでない。ただ被って、似姿になり果てているにすぎないのだろう。
一度、焦りという感情が割り込んでしまえば、死相の呪術は、借り物の技というものは脆い。
追い詰められれば視野もまた狭くなっていく。兄もよく言っていた。そも人形を介しているならば、余計だろう。練られていく魔力にも気付かない。力は確かに小さいが鋭く、強い。
「あなたの力はここまでなの?」
リオナはあえて指をきゅきゅっと振って、笑いかける。さすがに激高はしないが、睨め上げるような視線が、仮面の奥からどろりと漏れてくる。
ぎゅるりと手首の間接を人形が回し、こちらに向けて慎重に刃を構える。じりじりと長い脚で這いずるような幅でこちらに近づく。いつでも一気に踏み込める構えのまま、不自然な距離の取り方だ。
判断が遅い、いや、仮面と中身で意見が食い違っているのだろう。
「だから、貴様は、片手落ちなんだッ!」
人形の後ろで、よろりと禿頭の男が杖を支えにして、立ち上がった。
ぎぃっと人形が振り向くより早く白い光が溢れた。青白く、今にも倒れそうな体から絞りだした魔力がサブアの右手に集う。それを握りつぶして、静かに呪詛を紡ぐ。はらりはらりと魔力が舞い、乾いた砂がぼろぼろと落ちた。
「すべては終わり、すべては消えた。朽ち果てる星の欠片、荒ぶる器に渇きを注ぎ、ただただ痛苦を掻き毟れ」
サブアの杖から漏れて広がった砂が大地をざらざらと流れて、吹き荒れた。人形の下から、吹きあがり石臼のような音が唸りを上げた。手足足長の人形を包み込み、呪詛が周囲ごと抉る。濃い砂嵐が瞬く間にその姿を覆い隠した。
リオナも目と口元をかばいながら、その姿を見ていく。練り上げられた呪詛は離れた位置にいるリオナですら口の中が乾くような感覚を覚えるほどだった。人形の呪詛を込めた刃、禿頭の魔術師が放った砂、二つの魔力は削りあい、ごうごうと唸りを上げた。
「「ぐがああああッ! 散れッ! 散れッ!」」
光の大剣を必死に薙ぎ、砕いた宝石から魔力を吐き散らしながら呪いを揺さぶる。
「渇けッ! 渇けぇッ!」
「「この、程度ッ!」」
呪いを上乗せしようと禿頭の魔術師が叫ぶ。さすがにそれだけでは抑えれず、砂嵐が弱まり、ゆっくりと消えていった。
魔力の剣はヒビが走り、人形はぽろぽろと表面を崩し、死相は半ばから割れて、左半分が落ちた。仮面の下にあった女の顔が半ば見えてきた。
焦燥とも違う、恨みのこもった瞳をぎゅるぎゅると不自然に回すさまは、さすがにリオナでも気色が悪い。
「なぁんで大人しくぅ「死ねッ! 刺し穿て、すべてをッ! 我が―――」」
呪詛を叫ぶ人形、それに得物を向ける。握るのは魔術、黒い岩でできた斧は朱色の熱が脈打つように這いまわっている。リオナは燃え立つ刃を撫でて、少しだけ血を流した。そして、ひょうっと息を吐き、斧を大地へと叩きつけた。みしりと古く朽ちた道に溶岩の刃が食い込んだ。
「「名のもとにッ」」
全方位に解き放たれる呪いが楔となって降り注ぐ。禿頭の魔術師は避けられない。そして魔術師リオナはあえて避けない。できる限り、力強く叫びを吹き上げた。
「盟約を示せ、埋め火の王ガルケゼラッ! 日輪に焦がれし地を這う熱よッ!」
神の名を聞いた大地がぶるりと震え、叩きつけた斧が大きく脈打った。腐卵臭が一瞬だけ広がり、炎と変わって爆ぜて消えた。その中であっても悠然とリオナは立っていた。服も頭髪すらも焦げた様子はない。彼女が握る斧の刃から大地が大きくひび割れて、煌々と朱が漏れる。そこからどろりと赤々とした溶岩が広がった。
ただ、その魔力を帯びた熱があるだけで、降り注ぐ楔の呪詛を焼き尽くす。
「「これはッ!」」
「汝が微睡を牢獄とし、永劫の呵責と成せッ!」
溶岩はすでに人形の足を絡めとり、壊れたような動きしかできない。そのまま、ずるずると引きづりこまれていく。とうとう仮面が崩れ落ち、杖は焼け大剣は消えた。木の焼ける臭いすら燃え尽きて、リオナには届いて来なかった。
「時間稼ぎぃ、のー、つもりですかぁ」
そういった時には燃え尽きて溶岩へと沈み切った。この呪詛をも焼く地熱ならば、“本体”である術者にも燃え移り、呪詛の式を焼き払える。あの人形を使う術もしばらくは途切れるだろう。それでもなお、見えなくなった人形から、粘りのある声が響く。
「せんせぇー、ガラハム・イーナンからぁーああ、逃れられるはずがぁ」
それを最後に地に沈む。
リオナはふうっと息を吐き出した。すると熱がさぁっと引き、黒々とした大地と岩になった斧が残り、夜の冷気が戻ってきた。
さすがにリオナもふらりと尻もちをついて倒れる。魔力を、生命力を使いすぎたようだ。そのまま大の字になり、すでに冷たくなった黒い大地に頭を付けた。ひゅうっと息を吐き出すと、粘りのある女の声だけが思い起こされる。
忌まわしき邪術師、あの唾棄すべき名がぐわんっと脳に再び響いていた。




