悪夢を守るもの / “穿鋼”ガドッカ
轟音が夜を裂き、その崩落が二人の足を速めた。
ガドッカは蒸気を吹き上げて、朽ちた通りを先行する。足が混凝土[こんくりいと]を砕いていくのも気にせずに進む。
「遠回りは失策でしたなあ」
「そ、そうねッ!」
大分、後ろから大声でリオナが叫んだ。彼女が掲げた明かり、溶岩の塊の光も遠い。
振り向けば必死に追う姿がある。実践派の魔術師らしく駆ける速さは悪くはない。しかし、疲れを知らぬ自分の速さには付いていけないようだ。合わせようと足を緩めるが、叫びがそれを打ち消した。
「さ、先にッ! 行ってッ!」
「任されよッ!」
ぜえぜえと息を吐くリオナを後ろに置き、ふんっと力を込めて足を駆動させる。砕いた道が導きとなるだろうと、彼女を振り切った。
頭部の硝子で出来た瞳を、かちりと回す。光がぽうっと広がり、闇を裂いて粉塵を写した。ガドッカはその舞う先を目印に廃墟の暗い道を跳ねた。“トロールバスター”の作られていた工場、二度と動くこのない跡地の真ん中を突っ切った。装甲板を作っていたのだろう。作りかけた積層板が並んでいた。錆びた一枚を握ってから、出荷通路だったぼろぼろの陸橋を抜ける。そして、滑り込むように、もうもうと白くなっている路地へと入り込んだ。
瞳を文字通り輝かせて、叫ぶ。
「この地は奉仕者たちの墓所であるぞッ! 如何なる訳があろうとも、その忠節を愚弄することは許されぬっ! 我こそは」
「「砕けよ、我が名のもとに」」
銅鑼声を打ち消す冷たいつぶやき。女と老人の声で編まれた呪いの言葉が白い光となった。破壊の力をもって、粉塵を裂きながら突き進んできた。ガッドカは、それに向けてひょいと工場の装甲板を投げつけて防ぐ。白い呪力が爆発すると装甲板は消え去った。ばらばらと錆が飛び散った。
「無粋ッ! 悪漢らしい手管よッ!」
「「下らん」」
そう言い切ったのは人形だ。老人の顔を被ったそれは杖を突きだしてこちらを見ていた。おそらく先ほどの人形と同じだ。人形の使い魔か、あるいは人形使い当人が呪術によって、この姿になり果てたか。
今はどちらでもよい。
思考をがちりと組み替えて、ぎゅるりと硝子の瞳を回して、周囲を睨む。崩れた建物の下、灰色の岩が降り積もった場所からは血がべっとりと流れ出ていた。ぜぇぜぇと苦しく息を吐きだしながら、禿頭の男が這い出してきた。岩に挟まれた足を必死に抜き出そうとしていた。その横には飛び出した目玉がごろりと転がりこちらを見ていた。男のものではなかった。澄んだ青色はあの傷ついた少女のものだと理解できた。遅かった。もはや血と肉でしかあるまい。
すでに神に捧げ、とうに失ったはずの胃から吐き気という信号が脈打つ気がした。
「なんたることをッ!」
「「うるさいガラクタが。砕けよ、我が名のもとに」」
無造作に白い輝きが放たれた。先ほどのまじないだ。どうとでもなるとばかり、ガドッカはその一撃を胴体で受け取り、怒りを解き放つ。閃光は起こらず、気合によって打ち消された魔力がごうごうと風を切るように唸りを上げた。
舌打ちされた方向へと向かって、思い切り踏み込むと機械の神官は猛然と錫杖の一打を振り下ろす。
「「約定を果たせ、岩の獣魔、立ち塞がれ」」
咄嗟に人形は杖を掲げた、また宝玉が砕け、魔力を放つ。同時に大岩がぬっと現れてガドッカの一撃を防ぎきる。硬い音と痺れるような腕の感覚が、ガドッカの装甲をびりびりと揺らした。
その岩からぬぅっと腕が一本伸びて、緩慢ながら力強く殴りかかってきた。
「何のぉッ! 雷神ザオウよ、拙僧に御力をッ!!」
祈りが轟と響くと、雷光が錫杖へと伝わった。そのまま振られた腕に向けて錫杖で薙ぎ払った。わずかな抵抗の後、岩を抉るように裂いた。どろりと溶けた断面を見せた後、その岩はすぅっと消えていった。
「所詮、魔力で作られた紛い物ッ! 拙僧の祈りに壊せぬ道理はないッ!」
ふんふんっと息を吹き上げて、ガドッカは雷光を片手に一歩一歩と近づく。じりじりと離れようとする人形は杖を構えて、隙あらばその杖の魔力を解き放とうとしているのだろう。しかし、無造作で、呪いというものをあまりにも恐れないガドッカに効果は薄い。思い込みは呪力を跳ね返す強さとなるのだから、ガドッカに並び立つものはそうそういないだろう。
人形も理解したのか、淡々と杖を向ける先を変える。ガドッカではなく、禿頭の男、そして少女の潰れた岩の方角だ。
意図はすぐ様、理解できた。鋼の体を猛然とその前に飛び込ませる。
「「貫け、我が名のもとに」」
二つの声に編まれた呪いが輝き放たれる。ぬぅっと蒸気を吹き上げて、雷光の杖を振り抜いた。重い魔力をぎぃっと曲げる。そのまま、捻じり落とした白光が混凝土をえぐる。わずかにぱっと爆ぜて大穴が開いた。
破砕の音すらない収束された一撃である。卑劣だが、腕は確かだ。ぬぅっと唸りガドッカは錫杖を改めて構えた。
「いま、たすける」
後ろからの声にガドッカは硝子の瞳をぎゅるりと向けた。写るのはよたよたと立ち上がる男の姿だ。足は幸い折れていないようだが、全身に打ち身の後が広がり、痛々しい。すでに、潰れた肉となり果て、事切れた少女に声をかける姿も、ガドッカに追い打ちをかけた。
「魔術師殿ッ! 拙僧の後ろにッ!」
ガドッカの銅鑼声も届かず、魔術師は這うように瓦礫を掘り出す。
その様に、人形は仮面をずらした。下から出てきた女の顔がぬらりと顔を出す。そして、淀んだ油を思わせる笑いを浮かべた。
「あとでぇー、いいじゃあなぁいですかぁー、わぁたしのぉー、相手ぇしてくださいよぉ。サブア、せぇんぱい」
にやにやとした声で、唇をなぞる。だが表面に浮かぶ笑みよりも、視線はどんよりとしたもので、睨め上げるようにサブアに向いている。
「どうせぇー、死ななぁいのにぃー。どぉおして、そのばけもの、ばっかぁりー」
間延びした声がじわりと染み出すように夜に響く。
ごとりとがれきを押しのけた魔術師がようやくこちらに振り返る。後ろでは肉が蠢き、瞳の神経が伸びてはそちらへと這っていく。そして巻き戻るように少女の姿へと変わっていった。
異質な再生だった。死から拒絶されたような、その戻り方をガドッカはすでに見たことがあった。
「わからん」
「えぇー、そんなぁー、もしかしてぇー、あたまのぉ、中までぇ禿げました」
「黙れ。これは剃っているだけだ」
その異質な状況をさも尋常であるかのような魔術師達に、ガドッカは視線をぎゅるりと回して警戒を強める。
そのうちに、少女がゆっくりと立ち上がる。破れ千切れているはずの服や包帯も巻き戻っている。そして、ぱっくりと割れて赤い断層のある顔が見て取れた。
真の名を失い、世界の法則から外れた神々、その成れの果て。この世界に生きていないが故に、死なぬもの。
「“悪魔”だというのか」
一度、葬り去ったはずの悪夢が、ガドッカの奥底を振るわせていた。




