月下に荒ぶ / “賢者の瞳”リオナ
赤々とした灯火が夜闇を照らす。ランタンを片手にリオナは外套をぎゅぅっと押さえた。じわりと広がる冷気に辟易しながらも、ふぅふぅと白い息を吐きながら、静かにあたりを眺めた。
すぐ目の前には寂れきった廃墟があった。工場という場所だったらしい。機械によって機械を大量に作ったという不可思議な建物跡だと、聞いた。曇り硝子で作られた窓はばらばらと割られている。端にある巨大な煙突が半ばで折れて、砕け散り石くれをまき散らしていた。先端から飛び出した鉄の骨が月へと伸びていた。
その下には機械の巨人が静かに眠りに付いていた。神話の時代、トロールを殺すために作られた機工だろう。すでに黒曜石の槍によって胴は穿たれ、錆びが浮き、その上に蔦が絡まり合っている。
その鉄の遺骸に一心に祈りを捧げているものがいた。
鉄の錫杖を握った大鎧を着た巨漢、そう見るのが普通だろう。しかし、その隙間から見えるのはは螺子と歯車で作られた機械仕掛けだ。一息、吹き出しせば、それは熱い蒸気であり、寒い夜にもうもうと立ちこめる。彼はすでに肉体をすべて機械へと変えていた。それが機械の雷神ザオウに仕える神官、ガドッカだ。
最後にしゃあんっと錫杖を鳴らす。そして、神官は頷くように大仰に兜を揺らすとガチャガチャと立ち上がる。
「すまぬッ! お待たせしたッ!」
「この人はちゃんと眠れたの?」
「ああ、我が神の御許に“でえたあ”を送った、安心なされよ」
こしゅうっと息を拭き上げて、夜に散らす。二人はその空を眺めた。星も月も近いのは、辺りに住人というものが存在しないためだろう。
リオナ達がいるのはすでに放棄された都市の端だ。かつて機械の文明が発展してた場所なのだろう。おそらくトロール達に滅ぼされた土地、あるいは世界の一つだ。
「これから、こんなのがたくさんあるのね」
「この“地方”ではそうでしょうなあ」
かつて世界は砕かれて断章となった。今は壊れた世界を継ぎ接ぎしているにすぎない。言葉では分かっているつもりだったが、こうして二度目の旅に出てようやく実感が湧いてきた。故郷であるアルディフ、そして魔術を学んだ学院のあったウグルの街は石作りといっても煉瓦や石を削って重ねたものだ。二年前の旅での通り道でも木や石の建物はあった。しかし、こんな、どうやって作ったかもわからない建物ではなかった。
そもそも城壁でもないのに、これほどの高さの建物を造る理由がよく分からない。
「さて、そろそろ寝床でも探しますかな?」
「寒いしねぇ、そうしましょう」
慣れた様子でリオナは辺りを探る。ランタンを高くかかげて、辺りを照らす。ガドッカが背負った天幕はあるが、この旅に出てから二ヶ月も立つ。やはり屋根の下で休みたい。リオナは忠誠を誓う騎士のように片膝を突く。しかし、視線は君主ではなく、大地へと向かっている。魔力をすうっと伸ばし、言葉を解き放つ。
「盟約を示せ、地を這う熱よ、埋め火で以て導きを為せ」
地がゆっくりとひび割れて、煌々と赤が漏れる。そこからどろりとした赤々とした溶岩の塊がぐるぐると回りながら浮かび上がる。ちょぅどリオナの頭の高さまで持ち上がっていく。ぐるりと一転すると、それは動き始める。ぽろぽろと黒いかさぶたのように固まった表面を落としながら、熱の塊は夜闇を裂いていく。ゆらゆらと大気を振るわせて、歩くような速さで飛んでいく。
力が緩く抜けて、ふらつくのを抑えた。ふんっと気力を引き戻してから、リオナはそれに足を合わせた。
「ふぅぅーむ、少し頼りすぎなのでないですかな」
少し不満げにガドッカは蒸気を噴く。この旅の間、ずっと魔術師として契約した神から力を行使している。この一年、修行した成果なのだから、少し見せつけたかった。少しだけ口を尖らせてむぅっと唸る。確かに、調子に乗っていたかもしれない。呪術師である友人も普段は魔力というものをまったく使わなかった。先達の姿勢は学ぶべきだろう。
「確かに、ちょっと使いすぎかも」
それでもすでに使ってしまったのだから、とリオナは熱の塊に続いていく。
熱は石と鉄で出来た廃墟と共に、リオナの顔をぼんやりと浮かびあげる。成人したばかりで幼さは強く残っている。緑眼を光らせながら、周囲を認識していく。
目の良さには昔から自身がある。魔力を視認することも、じっくりと見れば物の本質も理解することができた。異能の類だと、師匠は言っていた。とはいえ、異種族には生来から闇を見通すものは多いし、種族によっては邪眼の類まで持ち得ている。そもそも魔力の視認は修行によって身につけることができるから、ちょっとした才覚にすぎないと釘を刺されたものだ。
先達はそんな警鐘ばかりを送ってくる。それだけ魔術や奇跡というもののが危険だと認識しているためだろう。だが、理解していたって不満は溜まるのだ。
「でも、この旅は急ぎたいもの。少しでもね」
「うーむ。契約したとはいえ、神の導きというのは。ううーむ、しかし、むむむ」
それを持ち出されると弱いとばかり、ちかちかと兜の奥を輝かせる。ガドッカもリオナも、かつての冒険者仲間、オリエル・コークスグルトが失った脚、その治療のために始まった旅だった。
硝子片が散らばる道、穴だらけの建物の間を進みながら、ぼんやりと思う。“死の司”カラナザール、上古より存在する荒神によって呪詛を受けたオリエル。その治癒のためには同格以上であり、呪詛を払う神の力が必須だ。
今は小康状態にあるが、治らない脚の傷は彼女の体力を蝕みつつあった。今を伝えるウィードからの手紙は大分、焦りが感じられる。急がなくてならない、西へ。神々の住まう廃都へ――
「ッ」
ぞっと唐突に瞳に痛みに似た感覚に走り、思考がぶつ切りにされた。光が広がったと思うと思い切り後ろへと引き倒された。ガドッカが肩から突き飛ばすようにリオナをかばったのだ。
ぱちっと爆ぜる音とわずかな閃光が地面で輝く。薬剤、特に塩素に似た刺激の臭いが鼻につく。光の矢。もっともよく使われる初歩的な魔術の一つだ。跳び上がるように、体勢を戻しすっと短剣を構える。
当てることも出来ただろう。ガドッカにもリオナにも矢は刺さらなかった。
「警告ならば、言の葉を使うべきではないですな」
憤懣と声を上げて、ガドッカは錫杖をしゃらりと鳴らした。その声に闇の中からすぅっと現れたのは禿頭の男だ。骨ばった鋭い相貌、その上に浮かぶ細く冷たい瞳がじっとこちらを見ている。闇に紛れるような暗色の外套と、契約の文言が刻まれた樫の杖から滲み出る魔力の渦は魔術師であることを激しく主張している。魔力の渦がちらちらと白く輝き、朽ちた壁を背にしているのがようやく見てとれた。
「貴様らは、なんだ?」
端的に、明確な声で不明瞭な質問を返してた。神経質そうに杖でひび割れた石の道を叩
く。その度にうごめきのたうつように鮮烈な鈍い白光を発している。おそらく魔力を無造作に放出し、霧散させてしまっている。一見無駄な動きだが、契約の言葉が発せられれば、それは即座に魔術となる。いわば抜き身の刃を構えるようなものだ。
「ただの旅人よ、魔術師さん」
「機工の狂戦士を連れた旅人などいるか」
「失敬な。拙僧は“ごうれむ”のような木偶ではありませんぞ」
文字通りプンプンっと蒸気を吹き、妙に憤慨するガドッカを抑えるように一歩、リオナは前に出た。
ねめつける蛇のように、こちらをのぞき込む禿頭の男。しわは深く、中年というよりは老年に差し掛かろうとしていた。
その後ろ、朽ちた壁の影からは息苦しそうな声が上がっている。リオナの瞳で、壁をすり抜けて見れば背の高い少女が荒く胸を上下させているのが分かった。体を覆うようにかぶせられた灰色の外套は血が滲み、赤黒く変色をしている。あたりには血のにじんだ包帯が乱雑に散らかっている。変えている途中だったのだろう。
リオナは息を鼻から吹くと、柔らかく短剣を鞘に納めた。
「少なくとも、敵じゃないわよ」
「味方でもあるまい」
魔術師は杖を突き付けながら、口の端を上げ杖に力を込めた。リオナはそれをじぃっと観察する。
「リオナ殿ッ!」
「待ってッ!」
前に出ようとするガドッカを押しとどめるとその杖が輝くのに任せた。リオナの瞳はその流れがすぐさま見て取れた。後に起こる軌跡すら予想できる。
「星の子らよ、盟約の名の元に、魔を穿て」
光の矢がリオナに向けて放たれた。その光はリオナの目の前で爆ぜるように分岐して、ガドッカのさらに後ろへと流れていく。そして鉄板のようなものを叩く音がいくつも響いた。
「な、なんとぉッ!?」
大仰に叫びを上げて振り返る神官、がしゃんと踏み込んだ先にはひび割れたマネキンが闇の中に浮かび上がっていた。その背後に付かれていたというのにガドッカはまったく気づいていなかった。
カタカタと震えて動く手にはそれは毒の塗られた短剣を握りこんでいる。隠形のためか、軽く空洞ばかり目立つ体の中に、糸のようなもので動くように仕込まれた可動部分が見えた。だが、それ以上に不気味なのは顔だ。すべて、苦悶の表情を浮かべた仮面のようなものを取り付けられている。おそらく男の顔なのだろうが、それを身に着けているマネキンは女性らしい体形で、なんともちぐはぐだった。
それが、態勢を立て直す前に鉄の錫杖で叩き潰す。バキバキと顔面を押しつぶされて、そのマネキンは崩れ落ちた。
「運がなかったな。巻き込んで」
「これは?」
「追手だ」
ぶつ切りに、突き放すように答える魔術師。杖から魔力を収めると、光は断たれ闇の中にまた魔術師の姿が沈んでいった。
「じゃあな、町の外、やつらの目の届かないところへ行け。私たちから離れれば、おそらく安全だろうよ」
ガドッカとリオナは目を見合わせる。硝子でできたガドッカの瞳、その奥がゆっくりと明滅する。リオナは笑い返すと、ずいと前に出る。
溶岩球の明かりに魔術師の骨ばった顔が浮かび上がる。
「まあ、よくある寄り道よ。任せて、手伝うわ」
「先ほどは不覚であったッ!、挽回させてくだされ」
その声に魔術師は、眉根をひそめて、戸惑っていた。それにリオナ達はにぃっと有無言わせず、近づいていく。
「なぜだ? 必要もあるまい」
「旅は道連れっていうじゃない?」
「やめておけ、地獄への道連れになるぞ、なにせ」
手をひらひらと払い、リオナ達を除けようとする魔術師の声を銅鑼声が吹き散らした。がんと金属の音を出して一歩踏み出したガドッカは、思い切り蒸気を吹き上げた。
「ハハハッ! なんの、それも地獄ならもう体験済みッ! 心配なされるなッ!」
そうして鋼鉄の胸板を叩く。鈍い鐘のような音が強く響いた。
その強引な親切の押し付けに、魔術師は自身の頭を撫でまわした後、目を閉じた。鋭い瞳を開いたあと重苦しく口を開く。
「断る」
「お゛う?」
間の抜けた声がリオナの腹から漏れてきた。予想外の声に戸惑うと、男の体から吹き出すように砂が溢れて、風にも逆らって舞う。
「枯れ果てよ星の欠片、朽ち行くままに痛苦を叫べ」
言葉が力となった。魔力を練って、呪術で精錬された砂が狂ったように、吹き荒んだ。呪いの砂が嵐となって叩きけられる。、咄嗟に目をかばっても、砂が覆うように周囲にとどまり続ける。じっくり染み出した呪いに抗いきれず、リオナはほんの少しだけ力が緩やかに抜けていくのが分かった。隣のガドッカに至ってはバチバチと電光が全身に張り付くように走っている。見た目は派手だが受けている痛みや疲労もほとんどない。
しかし、嵐が去った後には禿頭の魔術師は姿を消し、怪我をした少女もいない。残ったのはわずかな血の跡だが、それも魔力の欠片となって、天地に溶けて消えていく。
「なんとまあ、目眩ましとはなあ」
ぷしゅっうっと砂を吐き出しながら、ガドッカは頭を叩く。間から砂が漏れ出しては、大気に消えていく。砂といっても呪術で作った幻覚のようなものだから、術者がいなければ消失するのだ。
それにならいながら、リオナもボサボサになった髪から砂を払う。お節介だろうと、放っておくのも気が咎める。とはいえ、危険の待つ場所に無策で進むというのも考え物だ。そもあの人形はこちらにも害意があったのだ。すでに状況は始まっているのだろう。
「困ったことになったわねぇ」
まあ、寄り道の言い訳になるかなあ。そんな自分の思考に苦笑しながらも、リオナは目に力を入れて開く。そうして瞳に写るのは、禿頭の魔術師が残していった残滓だ。鈍い白の魔力がわずかに輝き残っている。魔力の残り香は消し去ったつもりだろうが、リオナの瞳にはしっかりと道筋として見えている。
その輝く道にゆっくりとリオナは足を踏み入れていった。




