剣英 / 呪術師ウィード (前編)
脱ぎ捨てた鉛の鎧を“死の司”カラナザールがふわりと飛び越えた。翼は動いている様子はない。そも自重に耐えられる形ではないから、おそらく呪術的な浮遊だろう。
「導け」
断定するような、重い声が世界へと広がった。硝子を引き裂くような音を出して、虚空に現れたのは、いくつもの電光の塊。生者を彼岸へと誘う怪物、“ウィル・オー・ウィスプ”の群れだ。
ぢぢぢぢっと虫の羽音めいたを上げて、怪物はダスイー達へと向かった。
雷光の群体へ向けて盾を高く掲げ、オリエルが前に立つ。“ウィル・オー・ウィスプ”は盾に当たり爆ぜると、じぃっと短い断末魔だけで消えていく。身につけていた武神の教典がぶわっと熱のない炎を上げて燃え落ちた。
「忌まわしいッ!」
「だから使うんだろッ!」
笑うようにダスイーが叫び、オリエルの後ろからぱっと飛び出す。体のひねりを使った、回り踊るような踏み込みが大地を滑る。振るう短剣にまとわせたのは蒼い闘気。薄く弱い輝きだが、それでも殺傷力はそこらの魔剣にも劣らない。
咄嗟にカラナザールが緋色の鎌を薙いだ。風を文字通り斬り捨て、無風へと変えていく。だが、拳を振るう時よりもわずかに動作が遅かった。
大鎌の内へと入り込み、一閃。ぼたぼたと鈍い音を残して、ダスイーはすれ違う。後ろへ回り込んだ後、ぐるりと反転した。
「あああッ」
カラナザールは何百、あるいは何千年ぶりの痛みにのたうった。ダスイーが落としたのは右手の指だ。子供の腕ほどはありそうなそれを数本、切り捨てていた。
痛みに鈍る動きに合わせて、オリエルが突っ込んだ。ぎりぃと歯を剥いて、裂帛の声を上げた。痛々しいほど、響くひび割れた音が女の喉を通して吐き出された。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
「させぬわッ」
それでも死の司”カラナザールは抗った。重い銅剣の一撃を片腕で振るった鎌で防ぎ切った。重量で押し返すカラナザールの刃を、敢えてぎりぎりと受け止める。一人ならばじり貧だろうが、二人での戦いだ。動きが止まることは純粋な隙へと変わる。
それは相手も知る所だ。
「来たれッ!」
切り裂かれた指から血を吹き上げて、血の魔法陣を素早く生み出した。現れたのは死せるコカトリスの群れだ。即座に蹴爪を振るい、オリエル、そしてダスイーへと飛びかかった。
オリエルは盾で受け流しながら、びりびりと伝わる石化の呪術を耐えている。いかに魔獣の革鎧をまとっているとはいえ、中は生身の人間だ。抵抗には限界がある。
「いい加減に、見飽きたぜぇッ!」
ダスイーは笑うように左腕を広げた。腕から薄い闘気が広がっていく。その大きさはすぐさま人を通り越し、天着くばかりに光の塔が伸び上がった。操られていたグリセルが使っていた薄く広げた使い方だ。元より、こういった小技も闘気の扱いもダスイーの方が上手なのだ。本人は否定するだろうが、こうして作り出された蒼い光が証明だ。薄く長く広がった、淡い光をダスイーは吐息だけをヒュウと漏らして、静かに振り下ろした。
蒼い光が、死せるコカトリスをオリエル、カラナザールごと包み込んだ。死者達はしばらく苦しみ、そして砕けて散っていった。逆にオリエルにはなんら問題ない。死者は生命力の渦に押し潰されたが、命を持った者にはただ撫でられているようなものなのだろう。剣や刃という力を通していない、ただの掌なのだから。
「気色の悪いッ!」
「そうでもない」
翼を広げて、呪術の揚力を引き上げるとその光から逃れるように飛び上がろうとするカラナザール。その鈍さは追撃を許してしまった。
「お゛お゛っ」
オリエルが銅剣と強力で以て、大鎌を横へと流した。地面に足の着いていないカラナザールの体勢はずるっと崩れる。もしも、かの女神が本来の力を取り戻していたならば起こりえないことなのだろう。驚きの声も上げられず、表情だけを変えたカラナザールに、オリエルは無慈悲に左腕を突き出した。鋭く捻り込まれた盾が女神の腹をえぐって、はじき飛ばす。
倒れ込んだ先にはダスイーが刃に蒼い闘気をかき集めて、振るっていた。
「やったッ!」
ウィードの横でリオナが叫ぶ。明らかな隙、短剣はその背に確実に滑り込む。だが、帰ってきたのは固い音、稼働した黄金の鎧がダスイーの刃を阻んでいた。
「力不足だな、所詮、小さき者にすぎん」
嘲るように翼で周囲を叩いた。暴風を巻き散らし、ダスイーの体を吹き飛ばす。オリエルも耐えてこそいるが、じりじりと後ろに下がらざるをえない。とても動けるものではない。それを悠然と蹴り飛ばし、“死の司”はオリエルを転がした。円盾では受けきれず、括り紐ごと跳んでいく。流しきれなかった衝撃が、左腕を抉る。砕けた鎖帷子がいくつも突き刺さり、痛々しく肉を削いでいた。
そこに下ろされるのは死の刃、カラナザールの大鎌だ。血のような色を輝かせて、首にめがけて無造作に振るわれる。オリエルは敢えて、銅剣で再び受けた。不自然な体勢であったが、鍛えた肉体でぎりぎりと刃をいなした。鎌は大地まで落とされて、ざっくりと荒れ地へと突き刺される。
カラナザールがそれを引き抜こうとする隙に、オリエルは転がるようにしてその場を離れると、体勢を立て直した。塩がふいた大地に点々と血を落としながらも、両腕で銅剣を握り直す。そして、じりじりと突きつけるように刃先を前に出すオリエル。黄金色の刀身がカラナザールを歪んで写す。破邪の力があるだろうか、それとも単に相性が悪いだけなのか。“死の司”は忌まわしげに、その刃をにらみつけた。
遠くには、生命力を使い切ったダスイーが荒い息のまま、立ち上がれもせずオリエルを見ていた。悔しがることも放り捨てて、神経を肺へと集中させて、ひたすらに息を整えている。
すでにカラナザールの眼中にはない。ならば――
「今、ね」
ウィードはか細い独り言と共に立ち上がった。回りにいるのは、支えてくれていたリオナ、そしてぼろぼろに崩れ落ちそうなガドッカだけだ。ガドッカはすでに限界を超えていている。自己修復の祈りを捧げているが、それですら、吐き出す黒煙が少し減っているにすぎない。
血をぬぐいながら、ウィードは覚悟を決めた。リオナの手をぎゅっと握ると、お願い、と薄い声で言葉を紡ぐ。ゆっくりと魔力を伸ばし、呪術をゆっくりと広げていく。
呪詛の反動にびりびりと右手が痛む。杖を握っていたはずのそれは杖と癒着して、ぐねぐねとした茨へと変わっていた。少し、無理をしすぎたわね、他人事のような声が頭に響いた。
「力、を、貸して、ダスイーを、助けるの」
血に塗れた口をいびつに動かしながら、茨の魔女は少女に請う。リオナの答えは決まっていたようで、腕と一体化していた杖を握りしめて、祈るように瞳をつむった。
そして、辿々しくもウィードの呪術を魔力で掴む。鑑定眼、いや魔女の瞳を持つリオナはゆっくりとその緑眼を開いた。
「やろう」
「ええ」
少女の声に森の魔女は静かに頷く。そして呪術を成長させていく。
「流れるは命の雫、そを同じくするは血脈の楔。茨の魔女、バルーシャ・ウィリオーンの名において、絆とし、ここに縛る。此の鼓動は彼の鼓動となせッ!」
茨が、魔力だけで編まれた幻視の茨が広がっていく。
リオナの生命力を載せたそれは、ダスイーの全身を包み込むと砂糖菓子のように溶けていく。生命の根源を同じとするもの、すなわち兄妹である二人の生命力を繋いで与えていく。生命力は同調し、ゆっくりとダスイーの中へと消えていった。
「何をッ、しているッ!」
オリエルの牽制をかいくぐって、死の女神は赤い刃を振るった。呪詛の含まれた斬撃からは、ぶわりっと血で作られた刃の群れがリオナとウィードへと飛んだ。一つ一つの威力は低いものであるが、無防備な二人には致命傷となりえるだろう。
「何してんだッ!」
あっさりと緑色の光がそれを阻んだ。リオナの生命力を載せた闘気だ。しかし、その刃を構えるのはダスイーであった。握っているのは、いつかすめ取ったのか、大剣使いの持っていた魔剣だった。
「なんて、手癖の悪い」
「へッ、拾いモンが仕事だろ、ぼーけんしゃってのはよぉ」
笑いながら、答えるダスイーに、あきれたような呻き声だけを返してやる。ダスイーはそれをにへらっと笑い飛ばす。そして、そのまま、跳び上がるように間合いを詰めていった。




