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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
鋼の声で歌って
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不動の鉄 / 女騎士オリエル




 光が消えると死霊騎士は、未だ立っていた。力を失った茨をがむしゃらに振り払う。だが、それまでだ。ダスイーに向けて振りかぶった剣は、力を失いからりと地に落ちた。

 それは、もう動くことはない。兄の亡骸へと戻り、倒れ込む。


「あー、紛いもんで良かった、ぜぇ」


 盗剣士が疲れたような声を汗と共に吹き上げた。消耗は激しいようで、高揚した顔と弱々しい動きが不安定に彼を動かしていた。疲労を無視してダスイーがグリセルの体を背負った。力を失った体とその鎧はずしりと重いようでふらついている。オリエルはとっさに駆けつけると支えた。


「ったく、最後までビビらせやがって……」


 グリセルを挟んで隣に立つと、苦笑いを浮かべた。オリエルはかちゃりと兄の兜から面頬をあげた。静かに凪いだ顔がそこにあった。それでようやく、ふぅっと息を吐き出せた。


「こいつがよぉ、本物だったなぁ、あそこから逆転でもしただろうになぁ。残念だったな、ざまあ、みろ、うへへへ、へへ」


 ぶつぶつと自身を鼓舞するように声を漏らすダスイーに、オリエルはいちいち頷きながら、その場から二人を引っ張っていく。


 出来ることならここで倒れ込みたい。

 しかし、安堵はあるが、安心はまだない。

 乱戦の剣戟や怒号は未だに近くにある。こうして、ゆったりと避難できるのは“鉄の瞳”のオーク達が咄嗟に集まって、壁のように周りを固めてくれるためだった。

 赤や黒にまだらに染まった鎧と盾、その色は敵の者ばかりではないようで、新しい血が滴り落ちている。それでもなお、壁たらんとするのはさすがの“鉄の瞳”だということだろう。


 ダスイーもそれを分かっているのだろう。弱々しく、生命力を絞りきった体を無理矢理動かしている。一歩が重いが、それでもウィードの前でなんとか止まった。

 茨の魔女も呪詛返しのせいで、血を滴らせているがまだ微笑むだけの余力は残していた。その横ではリオナが不安げに彼女の背をさすっている。


「さあ、脱出しましょう」


 ぐいいっと口をぬぐうと、吐血によって色が変わった大地に杖を突き立てた。


「牙の王に連なる血の御子よッ! 我はバルーシャ・ウィリオーン、茨の魔女が真の名を以て、汝を招来せんッ! 呼びかけに答えよ」


 ウィードが力強く、叫ぶと彼女の血で変色したはずの地面から、血がぶわりと吹き上がった。ぐわんっとたわみ、形が作られていく。赤い長衣、野牛の髑髏を取り付けた杖、そして長い牙を持つオークの女だ。

 不機嫌そうに、ぎぃっと牙を鳴らした。


「便利な小間使いではないのだぞ、茨の」

「分かっているわ、埋め合わせは後で。血の御子よ、グリセルをお願い」


 か細いウィードの声にもう一度牙を鳴らすと、血のような宝玉を取り出してオークの古語らしき声を上げた。


 ぞぞぞっと円上に血の池が吹き上がる。ダスイーはそれに顔をしかめながらも、兄の亡骸を落として行く。


「死ぬなよ、猿ども、茨の。面倒だからな」


 無愛想にそういって、兄と共に血の海に沈み、幻のように霞んで消えていった。

 あのオークの呪術師は兄をヴィンズ神官長に素早く送り届ける役割だった。互いの役割は果たされた。

 ウィードとダスイーはへたり込み、高揚したまま青い顔を上下させている。

 あとは味方が息を整え、次の戦いに備える時間を作るものが必要だ。

 それに兄が復活するまでは時間がかかる。もとよりただ死んだわけではない。アンデッドとなったものから、その魂を呼び戻し、肉の体を再構築するのが、どれほど難しい奇跡なのか。ヴィンズ神官長が最善を尽くして半刻は必須だろう。


 切り札、いや道化の札たる兄が戻るまでの半刻、時間を作る。それが、自分の役割だと、女騎士は銅剣を握りなおした。


「まだ行く必要はないよ、オリエルさん」


 リオナがその腕を握ってきた。休め、とばかり引く。

 オークの傭兵や兵士はよく戦っている。だが、それでも一人加われば、いや加わらなければ止められない存在がいる。真名を知るのは数人だけなのだから。


「大丈夫よ、だからね、座って」


 まだ余裕のある顔でリオナはにぃっと笑う。どちらかといえば、ダスイーを思わせる威嚇めいた力のある笑いだった。緑眼を輝かせて、一点を指さす。


「貴方は知らなすぎるのよ、オリエルさん。冒険者のことッ!」




 指し示した先はすっかり霧に覆われている。

 ガドッカが雷光をまといながら、その白の中にそびえ立っていた。

 対峙するのは黒い塊、“悪魔”あるいは“死の司”。それはわざとらしいほどの赤い口を開き、白々しい乱杭歯をむき出しに笑っている。ただ壊れない玩具を楽しんでいるようなものだった。


 それでもなお、ガドッカは蒸気を大きく吹き上げた。同時に帯電した鉄杖が唸りすら後に置いて、なぎ払われた。一瞬、霧が振り払われ、それごと“悪魔”の腹をえぐり、肉と体表を爆ぜさせるが、それでもなお、そいつは笑っている。すでに巻き戻すような再生が始まっていた。直っていないのはオリエルに突き刺されたままの剣ぐらいだろうか。


 だが、そのような小さな痘痕、なんの問題になろうか。

 そのまま、ただ無造作に拳を振るう“死の司”。ガドッカに押しつけてくる一撃はただ重量と力ばかりだが、その鋼すら砕くだろう。


「ぬぅぅぅぅッ! 何のぉッ!」


 ガドッカは振り切った体を、戻さずに転げるように倒れ、避けきった。倒れた先にある相手の足を蹴り飛ばし、その勢いで地面を抉りながらも距離を取る。


 立ち上がる前に“悪魔”はその大地をわざわざ削り取りながら、ゆっくりと歩くように追いつめてくる。ナックルウォーク、トロール達のような動きなのは“死の司”が押し込められているという彼らの鎧のせいだろう。地上の最強種族たるものを模した形は、見上げたガドッカを圧迫しているに違いない。


 駆けつけたい、その衝動がオリエルに来る前にぎっとリオナが腕をつかんだ。


 薄くなった霧をかき分けて、ただ一つの大剣がぬっと顔をだした、大剣にびっしりと刻まれた魔法文字が淡い橙に輝いた。そのまま“死の司”の足を斬り込めば、分厚い皮膚ごとざっくりと切り払われた。

 そのまま、バランスを崩して倒れ込んだ“悪魔”をにらむのものがいた。


「おい、黒いのッ! 今回の損害、てめえで補填してやるよ」


 そう言って引きつった笑いをあげているのは、酒場で斬り合っていた巨漢、迷宮で“悪魔”に追われ、仲間を失った男だ。

 “悪魔”は新しい玩具ににぃぃぃっと赤い口を開き、歓喜に白い乱杭歯を剥いた。足はすぐさま繋がり、するりと立ち上がってしまう。


 ガチガチと歯を重ねては音を鳴らし、腕を振り上げる。

 だが、それはぴたりに止まる。その後ろにはすでに狐のような目を細めた男が立っていた。


「契約を為せ、氷原の王よ、静謐をここに顕せ」


 狐目の男が短い詠唱と共に“悪魔”に触れた。その全身に氷が這い回り、瞬く間に強大な氷へと凍結させる。彼は魔術師だったのか。オリエルは思わず、ほうっと声を上げた。

 そびえ立つ氷像となった“悪魔”に向けて、白い息を狐目の男が吐きかける。ぐったりしていた時の様相とは違い、力強く白々とした魔力をまとっている。


「あい、助かったッ! なんだなんだ、今回は“氷の嵐”ではないのか」

「ははッ、あまり状況に適しませんからね」


 魔術の苦笑いにも気がつかず、大仰に立ち上がるガドッカ。蒸気を吹き上げて、ふんっと一言あげると雷光が体を走る。


「足を止めたのは俺なんだがッ!」


 文句を言いながら相対するのは大剣使いだ。すでに氷は砕け始め、ぴしりぴしりと不安な音を奏でている。

 あっと言う間もなく、それは爆ぜて凶悪な巨躯が大剣使いに向けて拳を振るう。巨漢はそれを剣の動きで受け流しながら、後ろに跳び下がる。それでも衝撃で体ごと吹き飛んでしまう。

 その代わりに突っ込んできたガドッカが今一度、敵の頭蓋を叩き割った。


 にやにや笑いの悪意が顔を出す前に、狐目の魔術師と共にすぐさま下がる。


「魔術師殿ッ! あの凍結はあと何度ッ!」

「二回ッ! 前やったせいでかなり耐性が出来ているッ!」

「十分ッ!」


 ぎゅるぎゅると関節の自由な手首をガドッカは回していた。おそらく感覚を確かめているのだろう。体にかかる衝撃が、金属疲労として彼には直接現れている。いつ砕けてしまうか分かったものではないのだろう。


「半刻、あれば十分ッ! お二方、援護をッ」


 文字通り、びりびりと体を震わせて、機械の神官は気合いを入れた。ガドッカの中で文字通り反響する音に呼応して、雷光が爆ぜた。


「くそ、分かってる。声がでけぇなッ!」

「はあ、貴方が言いますか?」


 大剣使いの悪態に答えながら、狐目の男は小さな棒、ワンドを細剣のように構える。

 白々しい乱杭歯をむき出しに笑う“死の司”は三人の冒険者にのっそりと歩み寄った。なぶるような笑いに対して三人は笑い返す。

 自らの意志で笑う、決意を込めた微笑だった。


 アレに割って入ることは出来ない。

 オリエルはぎゅぅっと自分の拳を握りしめる。剣を緩慢な動きで鞘に収めてから、ようやく座り込むことにした。

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