夜明けまで / 呪術師ウィード
ダスイーがようやく天幕の中に腰を下ろした。その横には泣き疲れたリオナがすうすうと安らかな寝息を立てている。先程まで、ずぶ濡れだったが慈雨は体の中に吸い込まれたようで、その体はすっかり乾いている。きっと体力も精神も目覚めた時には落ち着いているだろう。
ウィードは結論づけると、一息吐いた。合わせるように視界の隅でガドッカがゆっくりと蒸気を吹き上げている。胴の一部と左腕は溶接されたように、いびつに膨れあがっていた。
オリエルはこの場にはいない。ヴィンズ神官長へ帰還を報告するため、出て行ってしまった。
「遅かったじゃないか」
「厄介ごとばっかでなぁ」
軽く言いながら革手袋は外した。そして、掌を何度か握っては離す。そして、こちらに目を向けると、そっちは? とだけ聞いてくる。
「みんな無事。でもグリセルが、ね」
「そうかあ」
ダスイーが間延びした声を上げた。死霊騎士となった親友の姿はすでに彼に刻まれているのだろう。しかし、今ここで怒りを吹き上げるほどの体力は残っていないようだ。
ウィードは木箱の上に置かれたランタンをなんとなしに見た。かつて天幕やこの木箱と共にダスイーの家から持ち寄った品だ。最初期の冒険の時、持っていったものだ。三人でこの弱い灯りを頼りに迷宮の一階層を四苦八苦して進んだものだった。
思い出に沈み込そうになるのを抑えると、ウィードは立ち上がった。視線の先は積み上がったいつくもの木箱だ。中身はすべてダスイー、そしてウィードが溜め込んだ迷宮の品である。すべて、ウィード達が共用している倉庫から、なんとかかき集めてきたのだ。
「さ、装備を――」
ぴしゃぴしゃと、外で音が鳴った。ダスイーは跳ねるように立ち上がると腰に手をかけた。しかし、剣帯を外したままなので、なんとも格好がつかない。
ウィードは苦笑しながら、杖を片手に立ち上がる。
「はいはい、落ち着きなさい、こんな所に来るなんて彼らしかいない」
天幕をさっと割って小さな影が滑り込んだ。ウィードの胸目掛けて跳び上がってきたのを、彼女は拳一つで叩き落とす。
その影はくるりと空中で一転して、無意味かつ無駄に華麗に着地した。それは小さな女だった。深紅を基調とした、びらびらとした華美な服装、背負った長筒はマスケットと呼ばれる形だ。確か、発掘された機工で、生命エネルギーを弾丸に変えるという。
背丈はダスイーの腰ほどだが、成人である。それを主張するように女はぴっちりとした服から、弾けんばかりの胸を張り、言い切った。
「そう僕さ!」
「だから誰だよ……」
小人、ノームの女にダスイーが力なく言った。ウィードもよれた声でそれに答える。
「これがアルウよ、“アルウ遊撃隊”の長」
「え゛ー、これがぁ?」
ダスイーは嫌そうな声を跳ね上げた。無理もない。“太陽騎士団”“鉄の瞳”と並ぶ冒険者集団の長、赤銅竜討伐の功労者がこんなノリだとは思うまい。
「そうさ! 初めまして、なんかサムライっぽい人。そして、お久しぶりだね、森の魔女さん。今日こそ僕とお茶しない?」
キャッキャッと動き回る女を、のっそりと現れた影が押しやった。血と錆びの臭いがする巨躯、鍛えられた肉体とそれを覆う鋼の鎧。冷然とした瞳は鉄の色をしている。彼は低く、それでいてよく通る声を出した。
「アルウ。やはり、お前だと話が進まん」
オークの戦士団、“鉄の瞳”の団長ギーロだ。雨避けの外套をのっそりと外し、腰からとても似合わない可愛らしいバスケットを差し出した。
「神殿からの配給だ、食べておけ」
「お、おう。助かる」
ダスイーは困惑したまま、それを受け取る。
彼がそっと開けてみて見れば白パンに具材を挟んだものだ。玉蜀黍の粒と挽肉を甘辛く炒めたものに菜が添えてある。ダスイーも大分空腹だったのだろう。取り出すと木箱に座って、ぱくついた。
「それで、わざわざ差し入れしに来たわけじゃないでしょ?」
ダスイーを尻目にウィードは息を吐いた。オークはああ、と静かに頷いた。
「夜明けと共に、雨は止ませる」
「そう、ヴィンズ神官長も限界なのね」
「そうだ。“蛙の皿”を蘇生のため、残すことを考えれば、それが最良だ」
神器たる“蛙の皿”の消耗をギーロは淡々と言い切った。赤銅竜、そしてこの雨を降らすための力、いくつ宝石が砕けたかわからないだろう。
夜食を片手にダスイーが茫洋と返す。
「蘇生、か」
「そうだ。だからこそ、おまえらに依頼だ」
アルウが真面目に説明するオークの前に躍り出る。ひらりと深紅を揺らしながら、豊かな胸を張った。
「いいかい? 僕らが偵察してきたんだけどね、敵のアンデッド達は雨の前で待機中、いつだって突入できる準備をしている。まあ、ぶっちゃけ怪物のアンデッドならなんとかできるのさ。
――賢者の末裔たる我らノームにかかればね」
賢者すなわち魔道を極めた者、それを祖としているノームらしくアルウは傲然といい放った。ギーロはふんっと鼻を鳴らし、低く声を上げた。
「問題はふたつある。“悪魔”、死の司クラナゾルをどうするか。真の名は聞いてはいるが、奴を世界に解き放つべきか、するとしてもいつ行うか、だな」
「ま、さすがに臨機応変だろうけどねぇ、コイツばかりはなんとも言えないよ。ご本尊と戦ったなんて、もう記録じゃなくて伝説かホラ話類だからねぇ」
肩をすくめて大仰に首を振るアルウ。ダスイーはふて腐れながらその様子を眺めていた。確かに実際見ていない彼女達には説得力が薄いのかもしれない。喉が枯れるほど圧迫が、竜の気配とは全く違う、粘るような重さを知らない。
だからといって未知に油断しないのは、長く不可解な迷宮と戦ってきたからだろう。
ウィードはダスイーが爆発する前に言葉をつむぐ。
「そうでしょうね。とはいえ、迷宮に縛られる程度の霊格なら、人間でも十分、手の届く範囲よ。ガラハム・イーナンが縛った存在だもの。永き刻を生きようが、彼だって所詮、ヒトだもの」
「そう言い切るのは、森の魔女、君ぐらいさ」
アルウがあでやかな唇を抑えて、楽しげに笑う。おまえのことは知っているぞ、という含みのある笑い方だった。
「で、もうひとつってーのは、“太陽騎士団”だよなぁ」
バスケットの中身を食べきったダスイーが詰まらなそうに話を引き戻す。そも“悪魔”はあの姿すら本物でないのだから、対策しようがない。彼は割り切っているのだろう。
「ああ、お前達に頼みたいのはそれだ。いいか、今のアルディフには決戦戦力たる“太陽騎士団”がいない。
より、正確に言えば、光の英雄ともいうべきグリセル・コークスグルトが」
「竜殺しの英雄、太陽の剣を振る者、グリセル。それが敵方っていうのはいただけないのさ。さあ、君の出番さ、サムライっぽい人。やることはいつもと同じさ」
にぃっと笑うアルウ。ダスイーは波長がまったく合わないらしく、嫌そうに下がった。似た経験でもあるのか、渋面が張り付いている。
それを察したのはオークだった。ギーロは大仰に体を前に出すとアルウを押しのけた。
「頼む。ダスイー、我らが雑兵を相手をする。その間に、死霊騎士と化したグリセル・コークスグルトを討ってくれ。そして、彼を即座に蘇生し、戦力を補填する」
竜の上で踊るような馬鹿みたいな話だった。だが、ウィードもダスイーも、そしてきっとオリエルも答えは同じだろう。
「いいだろう。元々その予定だ、やるぞ、ウィード」
「もちろんだとも」
死体を持ってきて蘇生させる。ダスイーが何千と繰り返してきたことだ。迷い無い答えにギーロはやっと笑う。
「了解した、では明朝」
「ちょっと待て」
ダスイーはそう言って、木箱を持ち上げると一つ差し出した。彼がすっと開けるとルーンの刻まれた魔石の類がみっちりと詰まっている。一つ一つの力は小さく簡単な魔術が込められているだけのようだ。投げつければその力を解放する型だろう。
「正直、売れねぇクズ石だが、ないよかマシだろ、あんたらで使ってくれ」
「矢弾のかわりとしては十分か」
「なにこれ傷ものばっかじゃん、ほんとキミ、いい加減だねぇ」
「うっせぇ」
その量に感心したような呆れたような声を上げるアルウ。低層ばかりグルグルと回り続けるようなことをしなければこの量にはならない。
「ま、貰った分の仕事はさせて貰うよ」
「では明朝。頼むぞ、カタナの」
ギーロが木箱を持ち上げて一礼した。外套を被り、彼らは雨の中に消えていった。
ウィードは長く息を吐く。
ダスイーは剣帯をしっかりと腰に吊すと、首を軽く回した。
「さ、とっと開けるぞ。こっちもそれなりに、使わなきゃなぁ」
「持ってきたの、私なんだけどなあ」
疲れ果てたリオナと半壊したガドッカしかいなかったため、ウィード一人だけで運び込んだのである。
まあいいさ、苦笑いしながら、森の魔女は木箱をのんびりと開き始めた。いつも通り終わればいい。そんな夢想だけを、静かに残しながら。




