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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
鋼の声で歌って
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雨に集う / 盜剣士ダスイー

 黒い視界がさぁっと色づいた。

 突然、十字路に立っていたダスイーは、気が付くと同時によろめき倒れ、尻餅を付いた。悪態と共に見上げれば、天から暖かな雨が降っていた。体に力が戻ってくるのを感じる。かすり傷や筋肉の軋みすらも癒えていくのが分かる。

 その慈雨の中、けらけらと黒い霧が笑い声を上げていた。人の形を放棄したそれは、数多の乱杭歯を浮かばせている。その中心には眼球が浮かんでいるが見えた。


 ぞぞぞっと背骨を這うような悪寒が、生命の危機を告げる。

 “霧の怪異”そして“管理人”だったもの、魔神ポルドゥはどうも悪鬼悪霊の類であったようだ。


 跳ねるように立ち上がると、カタナの柄に手をかける。闘気を込めた一閃ならば、名を得ているならば、この悪鬼とて断ち切れるだろう。

 引き抜こうとする寸前に力強い腕に押しとどめられた。オリエルだ。


「おい、離せ、やべぇぞ、コイツは」

「いや、落ち着いてくださいよ。まだ彼は味方みたいです。ほら、周りを見てください」


 押しとどめる女騎士の腕に従って、悪鬼から目を離さず視界を回した。

 見慣れた街の看板、茶葉の倉庫に続く裏通り、十字路から三軒先には自身の生家が見て取れる。


「アルディフ?」


 故郷の街を口にした。しかし、それにしては、静か過ぎた。裏通りと言ってもスラムというわけではない。商家が立ち並んでいる、その裏手だ。


「マ、何が遭ったかは予想できるでしょうッ! この忌々しい雨、アイツの下っ端の仕業。嗚呼、まったく解放されたというのに」


 がちがちと歯を慣らし、瞳をぎろぎろと回す。怪物そのものであるが、態度は人の形であった時と変わらないようだった。


「それでは、義理は果たしました。感謝は結構。代わりに、我が名、ポルドゥを広めて貰えると助かりますよ。それでは、武運を」


 一方的に言い切ると、悪鬼は霧の体が十字路の真ん中で溶けるように消えていた。すべては幻だったようだが、アルディフの街にいるという事実は消えない。


 生家に飾られた看板がぎいっと揺れる。色あせた茶葉のレリーフがぽとりぽとりと雫を落としていた。店の裏手は兄妹の遊び場だった。母が生きていた頃は、階段に座り込んで焼き菓子と一緒にまだ紅色をしていた茶を飲んだ。舌で覚えなさい、と有無言わせず微笑む母と渋いだけに感じた紅茶の味。今となっては、記憶も霞んでしまっていた。顔はもう見えない。ただ長い黒髪だけが焼き付いている。

 もし瞳を閉じたならば微笑む母が見える気がした。今なら、顔形も、瞳の奥に写る優しさも思い出せたかもしれない。

 優しい雨が頭から滴ると、するりと瞳には入り込んだ。痛みがなくても、それは瞳を閉じる理由には十分だった。


 それでもダスイーは生家から視線を外し、カタナの柄を握り締めた。


「急ぐぞ、神殿だ。じじいが無茶してるに違いねぇ」


 そう言ってオリエルの答えを聞かぬまま、ダスイーは動き出す。

 赤銅竜との戦いで背に受けた癒しの雨、それで街を覆っているのだ。ヴィンズ神官長、そしてその下に付く神官達が相当の負荷がかかっている。そしてその理由も予想が出来る。生命の雨を降らせているのは不死の穢れが現れているに違いなかった。


「もう、敵は来ているのですね」


 手に持った兜を握りしめるとオリエルは目を伏せた。敵がなんなのか理解しているからだろう。ダスイーは敢えて足を速める。


 人通りの無くなったせいだろう、いつもなら時間がかかる大神殿までの道がとても近く感じた。

 門をくぐると、ざわめきがやっと雨音をすり抜けて聞こえてきる。戸惑いと恐怖が混じった女や子供の声、布の擦れるようなうっすらとした嘆きが辺りにたゆたっている。

 雨具を目深に被り避難している人々、それに混じって冒険者や兵士達がいた。彼らは人々を誘導しながらも、不安げな表情を隠しきれずいた。勇猛の代名詞たる“鉄の瞳”のオーク達ですらも、陰鬱な顔を隠していない。

 怒号混じりに人々を追い立てるものも居て、混乱は隠せていない。ダスイーが大きな舌打ちと同時に、怒号を上げた大柄な冒険者に近寄った。


「やめろ」

「あ゛んッ」


 雨具の影から見覚えのある巨漢が見えた。送り返した大剣使いだ。


「またおまえかよ」


 どちらともなく同じ悪態をつく。険悪な沈黙が雨の中にじりじりと淀む。


「まあまあ、お世話になかったお方にそれはないでしょう」


 横からひょこりと現れたのは糸目の男だ。人好きする声でするりと二人の間に潜り込んだ。あの時、巨漢に背負われていた男だった。


「あ゛ッ、氷雪の、邪魔すんなよ」


 そう言いながらも巨漢は一歩下がった。この単細胞を扱えるというのは、中々の人物なのだろうか。ダスイーは自分のことを棚に上げながら、合わせて引く。

 糸目の男はへらりと笑うと、頭を掻いた


「いやぁ、ほんと助かりました。ダスイーさん、オリエルさん」

「いえ、当然のことをしたまでのこと」

「おおお、なんたる気概、これぞ真の騎士道か」


 糸目の男はぺちりと自分の頭を細い棒で叩く。オリエルもどことなく気恥ずかしそうに笑っていた。それに毒気を抜かれたダスイーが、長い息を吐いた。

 巨漢も同じらしく、ぶつぶつ言いながら離れる。だがくるりと振り返って、一点を差した。


「おまえんとこの連中は、訓練場の天幕にいる。チビ助んとこ、早くいってやれ」

「おう」


 礼を言わず、答えるとダスイーはそちらに向かい始めた。それに騒がしく鎧の足音が付いてくる。市民を分けて進む。武装した冒険者ともなれば、普通の市民は達は自分達から避けてくれた。期待と諦めの視線を後ろに、二人はずんずんと進んだ。

 馬車の轍で削れた石畳に雨水が流れていた。それをひょいと越えれば、大神殿の市場から外れた一角がある。


 訓練場だ。訓練用の器具は端にどかされていて、神殿に入りきらなかった冒険者達が各々、天幕を広げていた。


 その中で雨に濡れるまま休んでいる人影があった。

 相変わらず顔色の悪い魔女、ウィードは目を瞑り、何かを想うように静かに深呼吸をしていた。魔力が循環させているようで、淡く枯れたような黄色い光が広がっては縮んでいった。

 その横ではリオナが茫洋と空を仰いでいる。疲れ切った瞳は、普段ならダスイーに絶対に見せてくれないものだった。

 無理ばっかりかけてしまった。


「まったくよぉ」


 言葉に出来たのはそれだけだ。妹に向けて息を吐く。それにぴくりと反応したリオナは必死に笑顔を張りながら、近寄ってきた。喉の奥を必死に動かして、何か言おうとするが、それは呻きにしかならなかった。


「ごめんなぁ、遅くなっちまった」


 そう言って、ダスイーはかがみ込むとリオナを静かに抱き締めた。笑顔は、くしゃりと崩れた。呻きはわぁわぁと大きな泣き声へと変わった。ダスイーは静かにその背中を撫でてやった。

 何年ぶりかに抱き締めた妹の体は小さくて、折れそうなほど儚く感じた。ダスイーは、情けねーなあ、と泣かせてしまった自分を嘲った。涙は引くまで、と盜剣士は静かに雨に打たれることにした。


 オリエルは頑張って、とばかり親指を立てる。そして、意外な程に音を出さず、するりと天幕を開いた。中では、ガドッカが砕けた左腕をなんとか付けようと、四苦八苦していた。こちらを見ると、薬缶めいたあの蒸気をぴゅうっと吹いたが、天幕に布が下ろされてすぐにその姿は見えなくなった。

 ウィードを見れば、微笑みながらリオナが泣きやむのを静かに待っている。茨の魔女は助け船を出さないようだ。

 ただ、口だけを動かして、声を出さず、おかえりなさい、と言う。


「ただいま」

「お゛、お゛っ、がえり、なざい」


 リオナが鼻水と涙に塗れた声で、言葉をぐしゃぐしゃと出して啼いた。そして小さな体から出せる全力でぎゅうっと抱き返してくる。

 ダスイーは邪魔な剣帯を外した。カタナが、からりと落ちたが気にせずに妹を腕に抱く。帰ってきたのだ。武器を少し置くぐらい許されるはずだ。今は仲間もいるのだから。ダスイーは一人ごちる。

 魔女が見守る中、静かにリオナに寄り添った。そのまま、彼女が泣き疲れて、眠るまでダスイーは慈雨に打たれ続けた。





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