封じられた終焉 / 盜剣士ダスイー
白骨で造られた神殿を二人は進む。一人は静かに、もう一人は鋼の擦れる音を響かせながら、着実に足を動かしていく。
しかし、神殿であるというのに、かつて勇壮であったろう異形の神々、その写し身は無惨にもガラクタと成り果てていた。
入念に、怒り猛り、狂うように砕かれた神の像は奥へ向かえば向かうほど増えている。それらは、もはや鉛の欠片でしかない。時折、砕かれた鉛が鈍い痛みを保って、足裏からその存在を示すだけだ。
神々の遺骸を蹴りながら、揺れる灯火を頼りに進めば、神殿の最深部へと至った。奇怪な文字が乱雑に刻まれた巨大な石碑が立ち並び、円形の空間を造っている。その中枢には台座があり、一振りの剣が鞘に収められたまま、物寂しく飾られている。
ただそれだけの空間。だが、それがこの迷宮の、終着点だった。
しかし、ダスイーには辿り着いたという感慨は浮かばなかった。それはきっとここはまだ通過点だと知っているからだ。
辺りをいままでと同じように警戒して見渡す。太陽騎士団との争いの跡もない。“悪魔”ほど、巨大なものがここに居たのなら辺りを破壊してもおかしくない。しかし、そういった形跡もない。造られた迷宮では埃も付かない。だから、推測でしかないが、あの“悪魔”はこの最深部には入れなかったようだ。
「早く、名前を、探しましょう。トロール語は読めますか」
錆び付いた女の声にダスイーは小さく首を振った。彼女の視線は石碑に注がれている。そもそも、それがトロール語だと分からないダスイーにはお手上げだった。
「簡単な会話しか知らん。さすがに知り合いにゃあ、いなくてなあ」
「そうですか、では碑文は私が」
さすがに邪魔な兜を外して、その下にある布を解いた。ぶわりと灰色の髪が跳ね上がる。天に向かって癖が付いてしまったそれを見せてしまい、オリエルは困ったように笑う。
ダスイーは気が抜けたように力なく笑い返した。
「助かる。詳しいのか」
「ええ、剣闘士仲間にトロールの方々が居ましたから」
頭を押さえながらも、オリエルが自信を持って、にっと笑う。ダスイーは静かに頼んだ、とだけ答えると自分ができる調査を始めた。
やはり目に付くのは台座と剣だ。ここまで来て罠というのもないだろう。思考はそう言っていたが、ダスイーはすでに体に染みついた行動のまま、慎重に見渡していく。
やはり罠の類はなさそうだ。あるのは見たままの情報と、台座には擦れた文字がかすかに残っていることぐらいだろうか。
現代でも使われる言葉で“終わり”とだけ印されている。ここが迷宮の終点なのだ、そんなもの印されていても、なんの得にもならない。
「そりゃあ、まあ、そーだろうけどよぉー」
もっと他にないのかと、虚空に文句を付けながら、視線を剣に戻した。
罠はないが、万が一、剣が呪われているということもある。とはいえ、別段嫌な気配はない。回りに視線をぐるりと向けてから、その剣を取った。
重い。まるで大剣を握っているかのようだ。
それでもダスイーは静かに持ち上げると鞘から引き抜いた。
黄金色の刀身。鋳造されたであろうそれは、肉厚だ。材質は銅と錫の合金、すなわち加工された青銅の類だろう。相当古い品であるというのに、錆びて緑青が浮くこともない。物体保存の呪いか、祝福が掛けられているに違いない。
その黄金色の刀身には血抜きに合わせて、複雑な紋様が輝いている。なんらかの魔力が動いているのだろうが、ダスイーに理解できるものではなかった。
しかし、それは緩やかに光を放つと、辺りを太陽のような暖かな光で覆って見せた。ダスイーがほうっと声を上げる。
呼応するように石碑が羽虫が唸るような音を上げる。そして一部の文字を明滅させた。
「死亡の管理? クルラザラ、いやクラナゾル? 鎧は、私達の、異なる?」
たどたどしくその文面をダスイーは読んだ。オリエルがふうむっと息をつき、それに割り込む。
「死の司、カラナザール、我らが鎧に封じられし異形の神とあります」
その名を呼んだ時、ビュッとオリエルの頬が裂けた。かつて受けた裂傷の痕がぱっくりと開いている。なんの前触れもない呪いの権限、傷を開く邪神の呪詛が降りかかった。さすがのオリエルも頬を押さえて、顔を歪ませた。
「合っているようですね、悪寒が、よく似ていました」
「しゃべるな、ほれ」
ダスイーは顔をしかめながら、彼女に近寄るとその頬に白い布を宛がった。押さえてろ、と短く言う。そしてもやもやと嫌になる気分を押さえ込む。
「とりあえず、こいつはクラナゾル、と呼ぶぞ」
ダスイーは自身に呪いが降りかからないことを、確認するように声を大きくする。骨のと石の神殿で彼の声だけがしばらく反響した。それだけであることを確認すると剣の光を辿っていく。
「これはトロールの歴史ですか、大戦紀のもののようですが」
「それは、いいから、名前だけ拾ってくれ、あの霧の奴」
オリエルの声を振り払う。自分の声が焦燥に震えているのが、感じられた。
体重と同じ金塊に変わる、この石碑の情報も、今のダスイーには価値がない。とっと“管理人”に代価を払い、あの“悪魔”クラナゾルを止めるのが先だ。
「ポルドゥ、でしょうか。異界の魔神、四辻より染み出るもの。封じること敵わず、放逐」
ぱきりと何処かから音がした。またオリエルに呪いがかかったのかと、ダスイーは見るが変わった様子はない。しかし、ぱきりとまた音が鳴った。そして、ざざざ、ぞぞぞ、と何かが吹きすさび、唸る。
そして、割れた。
真っ二つに裂けた石碑から、道中で見た混沌が盛り上がる。有機物と無機物が混成し、蠢いている。しかし、それは上から注ぐよりは激しく脈打つ混沌に飲まれて落ちた。
上を仰げば、あるべき天井はなくひび割れた迷宮からは泥のような混沌がゆっくりと垂れ落ちてくる。
崩壊。
穴を空けすぎたせいだろうか。いや、管理人が管理を放棄したからか。
逃げる算段。いや無理だ、上るというのに、天から濁流が注いでいる。“霧の怪異”は名前を知った。どこからか聞いていた、聞こえたならば、ダスイー達を助ける算段も必要性もないのだろう。
むしろ自身の名を知るものを――?
「契約は為された」
答えのように声が波打った。音があった虚空から黒い霧が現れた。混沌が骨の神殿を埋めていく。その上、霧は逃げ場なく広がる。
盜剣士の闘気も、女騎士の剣も構えることができない。すでに深い黒にすべてが包まれていた。動けるはずの体が動かない。全身が泥の中に沈んだ。
「私の好きにしましょうカッ!」
そのまま、ダスイーの意識は霞へと消えていった。




