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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
鋼の声で歌って
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そして、卓を囲む / 盜剣士ダスイー


 食堂は僅かに暗くなっていた。灯を店員が付けて回ると、煙が細く立ち上った。

 古い油の異臭が鼻を突き、ああ、もう夕方かとダスイーはぼんやりと思考を回す。慣れていないらしいオリエルは顔をしかめている。


 オリエルを押し付けていった神官長は既にいないが、食事代だけ先払いしてくれた。それは悪くないのだが、それ以外はよくない。


「連れて行けつーがよ、冒険者なんざぁ、なるもんじゃあない。やめておけ」


 鑑定に使っていたテーブルに頬杖を付きながら、ようやくダスイーは声を上げた。

 横に座ったリオナと共に並んでいる料理にぼちぼちと口を付けながら、ヴィンズ神官長のことを思い出す。


“出来れば止めろ、出来なければ仲間として探索に連れていけ”


 神官長はコークスグルト家とも繋がりがある。おそらく家からの連絡でも来て、こちらで受け入れた。そして、この女はあの頑迷な神官長の説得も突破したのだろう。そして神官長の準備した最後の保険が現役冒険者であり、兄の友人であるダスイーの説得なのだ。


 面倒な、と息を吐き、また一口。今日の定食は塩漬けした肉で味を付けた季節の野菜の炒めものと、平焼きのパンだ。この硬いパンをほぐすためのスープはいつもの塩と玉葱スープである。食べ飽きたなあ、と思いながらもよく噛んで飢えた胃に滑り込ませる。


「実力が足りぬとでも?」


 正面に座ったオリエルが不満そうにのぞき込んできた。彼女だけ食事は頼まず、茶をちびちび飲んでいた。

 青い目にじいっと見られると気恥ずかしく、ひょいと顔を背けた。ぷっと笑った妹を睨みながら、ダスイーは答えた。


「ちげーよ。冒険者つー職業を勧めないだけだ」


 不安定な収入もそうだが、死がありふれた職業だ。特に深淵のような迷宮をずっと潜るような冒険者にとっては非常に近い。死体ですら帰ってくるかも分からない仕事だ。気楽にうなづくわけにもいかない。


「それは理解しています」

「いいか、んな、一言で人の生死にが――」

「私は、騎士になるつもりです。その志を持った時に、覚悟の上です」


 石を摺り合わせたような声でオリエルは声をさえぎった。

 人の、話を、聞け! 殴りたくなる衝動を抑えつつ、食事を渋面で続ける。夏野菜の苦みがそれをさらに促進した。

 頭を押さえ、乳茶を飲む。少量の水と長毛大山羊の乳で煮出した紅茶に、大量の砂糖と香辛料を入れたもので、臭いが美味い。ダスイーにとっては最高の嗜好品である。


「私は賛成よ、どうせ言っても聞かないんだし、連れて行ってみれば?」


 同じく乳茶をすすりながら、リオナが突いてきた。


「おい、どーいうつもりだぁ?」

「長々と話しているより、実践よ、実践」


 答えながら、指をくるりと回す。


「それに、一人でやるより専門の前衛がいた方が兄さんも楽でしょ?」

「そうでしょう」


 にっと笑い、ガシャンと金属で覆われた二の腕を上げる。しっかりとした鉄の合金で身につけている重量はかなりのものだ。


「だが、な」

「それにさ、兄さんだけで潜るのも厳しいんじゃないの、今日みたいなことが次にあったら、怖いし」


 ぐ、む、とうなり声を上げたダスイー。降参とばかり手をあげた。


「分かった分かった、好きにしろ」

「では、先達としてご指導よろしくお願いします」


 降って湧いた面倒ごとに遠い目をしながら、ダスイーはパンをちぎってスープに付けた。


「分かった分かった、仕事は明後日な。それまでに、面子、集めてくっから」


 硬いパンをはみながら、動けそうな知り合いを数人、記憶から引き出していく。


「あ、それなら、久々に私もいく」

「はあ、マジかよ」

「だって、今は街で一人の方が危ないし」

「あーまー、そうだよなあー」


 もはや諦めたように承認すると、ダスイーは塩スープの底を匙で掬った。しょっぱい。


「それで、オリエルさんはなんで冒険者に? やっぱりお兄さんが心配なの?」


 柔らかい声で、ざっくりとリオナは切り込んでいく。


「いえ、私には私の目標があります。いち、戦士として立ち、武勲によってコークスグルトの家を建て直すつもりです」


 コークスグルト家はかつて伯爵位も持っていたが、政争に敗れ、その位ですら売りに出したほどだ。今は資産こそ残っているが、領地はない。その資産も生き残った家族が口に糊する程度だと聞いている。

 乳茶を飲み干すと、ダスイーはできるだけ突き放すような声を出した。


「ハッ、命張るほどのことかね」

「私には重要です」


 オリエルは間髪いれず切り返えし、青い目でにらむ。

 チッと舌打ちするが、言葉を続けることもできず、黙々と食事を続ける。しばらく他の卓で騒いでいる冒険者の声が遠くに聞こえた。

 いつの間にか入ってきた蛾が油の灯火にフラフラと舞った。それも火に当てられたせいか、寿命だったのか、蛾はゆっくりと床に落ちた。バタバタとしばらく羽を動かしていたが、すぐに動かなくなった。


「あ、あのさ、オリエルさん」


 沈黙を破ろうとしたのだろう、リオナの絞り出した声に二人は耳を傾けた。


「あー、ほら、明後日、潜るじゃない? それならオリエルさんは迷宮について、どれくらい知っているかなあ、って」

「知識を試すというわけですか、いいでしょう」

「そういうつもりじゃないんだけど。ほら情報とか認識とかのすり合わせ、大事でしょ?」

「む、そうですね。軽率な発言でした」


 威圧感をしぼませている間は、普通の女だ。ぼんやりと眺めて感想を浮かべる。ダスイーはそのまま、間延びした口調で割り込む。


「んじゃあ、まずは迷宮っつーのはどういうもんで作られているか、からだな」

「召喚魔術の奥義と聞いています。外界から“喚び寄せる”ことで迷宮を構成すると。すなわち迷宮とはこの世界ができる前の産物を継ぎ合わせたものだと」

「そう、この世界の外にある混沌。崩壊した数多の旧世界から再構成するって意味では、今ある世界、その原初の形に近いわ」


 また指をくるりと回す。リオナは知識に自信があるのだろう、胸を張って続ける。


「この世界はそうして出来た継ぎ接ぎなのは、誰でも知っているよね」


 オリエルは生真面目に頷いて、言葉を返す。


「ええ、例えばこの街アルディフが属するノエンの地は湿度はひどいですが、暖かく冬も穏やかだ。ですが、ノエンから西に少しいけば荒野と林が断続的に混じり合うゲイラン。東へいけば四季が存在し、海の一部を持つトヨノです。北には沼と墓地しかないダルア、南は荒々しい山々だけが連なるベイラ山脈です」


 水を一口含み、喉を湿らすとオリエルはこすれた岩のような声を続けた。


「旅をすれば分かりますが、境界線を越えると一変しますね。雲や自然の流動も区切ったように変わってしまう。そう、地域ごとに環境は完結しています。

 そして、かつては別の地域とは歴史も文化も、民族や種族も皆、最初は完全に断絶していた、と聞いていおります」

「まあ、そんなとこか。んでよぉー、迷宮の中つーのは地形や物が階層や部屋、区画ごとに無茶苦茶に混じっていたりするわけだ。まぁー、俺は“鎧の迷宮”しか知らねぇーけど」


 ダスイーは食器を端にまとめると、腰に吊した物入れを逆さにした。

 ガラガラと石や貨幣が散らばる。石には文字が刻んである物や単純に宝石の原石らしきものが混じっている。

 ぴきっと、リオナは顔を強張らせて、額を抑えた。


「あのさあ、兄さん、戦利品は細かく分けて管理してよ。いつも言っているでしょ?」


 文字の書かれた石を拾い、じろじろと見る。


「あーあー、やっぱり傷付いているじゃない」

「悪ぃ悪ぃ、ついなぁー」


 じっと睨まれるのを笑って誤魔化すと、ダスイーは話を戻した。


「今回はよぉ、仕事があったんで軽いもんしか取れなかったが、こんなんが迷宮で見つかる。まあ、定期的に外から召喚されているわけだな。おかしいだろ? 自分の知識を守るための迷宮に定期的に宝物が出てくるなんてよお?

 それに奥にいけば奥に行くほど価値があるもんが出るらしいがなあ。おかしいだろ。冒険者に潜ってくださいって言っているよーなもんだぜ」

「確かにそれは疑問でしたが、私が聞く限り皆さん迷宮ってそういうものだとしか答えてくれませんでした。私もそこで考えが止まってしまって……」


 自身の知識が欠けていたことに、しゅんとうなだれる。耳を垂らした大型犬のようだ。ダスイーは笑いそうになるのを、鼻息で誤魔化した。


「迷宮っていうのは単に魔術師の保管庫ってわけじゃねー、奴らにとっても人工の鉱山みたいなもんだ。めぼしいもんがありゃ、取っていくのさ。まあ、俺らの拾っているのはそのおこぼれってとこかね。

 もちろん一番奥にゃあ、魔術師のご自慢の宝があるだろうが、な」

「それで、冒険者の戦利品で、なんとか経済を回しているのがアルディフの街なのよね。だから領主様から無税の特権を頂けるし」


 随分遅れて空になった食器をダスイーの方に寄せながら、そう続ける妹。既知の内容だろうが、オリエルは神妙に聞いている。

 その辺りはあいつの妹らしいと、気持ちを和らげた。

 そして、ふう、と息を吐く。


「ってもよぉ、いいことばっかじゃねえ。なあ、お宝や迷宮の素材はどうやって、引っ張り出してくるか、分かるかぁ」

「ガラハム・イーナンが召喚している、のではないのか?」

「そりゃあそうだが、その召喚に使う力はどっから来ているかっつーことだ」


 ダスイーは卓を指先でこんこんと叩いてから続ける。


「大地から井戸みてえに魔力を吸い上げているんだと。そうやって、魔力を失った土地は植物は枯れちまうし、それを食う生き物も減る。最後には不毛の土地になるわけだ」


 リオナは乳茶をすっと持ち上げて、兄の言葉を付け足した。


「“鎧の迷宮”のある辺り、元々は紅茶の産地なの。でも茶葉の質は毎年毎年下がっていてね。乳茶みたいな飲み方じゃないと、全然おいしくないのよね」

「今年もひどい出来だったよなあ」


 思わずしみじみと遠い目をするダスイー。元から自分とて元からチンピラ、ゴロツキの類似品だったわけではない。代々続く茶葉の商人であり、父母の代まではまともに店を構えていたのだ。


「まあ、茶は一例だ。もしこれが鉱山なら鉱石が取れなくなるし、湖の中に出来たんなら水が腐り始める」

「だから、召喚された迷宮を突破し、破壊した者達に多額の懸賞金や破格の名誉を準備しているわけなのよ」


 ふんふん、と頷くオリエル。


「ならば、尚更、迷宮を踏破しなければなりません」

「名誉のために、か。ハッ」

「何か、嘲られる要素がありますか」


 ぎぃっと視線を合わせる。にらみ合いが続く横からリオナは、乳茶を飲み干した。


「ごめんなさい、うちの兄さんの負けず嫌いなの」

「あ゛、何ぃ」

「ふふん、オリエルさん、すごい強いでしょ。だから嫉妬ね」


 何故か自慢げな妹の様子にケッ、と顔を背ける。

 確かに、二人の動きを止めた。強さは認めざるをえない。

 視線を向けるとオリエルは頬をかいて、ほんの少しだけうれしそうに妹を見ていた。その顔にはよく見れば微細な傷がある。白く僅かに盛り上がったそれは、打ち合いで欠けた刃や鎧の破片が刺さった傷痕だ。


 どこかで実戦を積んできたのだろう。肌と対照的に綺麗に磨かれた合金の鎧が灯火を反射して明々と輝いている。

 質はかなり良い。コークスグルトの家は聞いていた経済状況では買えるものではない。彼女の努力の証、だろうか。

 問いかけようとして、ダスイーは口を開き、そして閉じた。正解だとすれば、彼女を認めるようでなんとなく腹が立つ。

 女達から目を伏せると、追加注文する酒とつまみをじっくりと思案することにした。




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