深淵再び / 盜剣士ダスイー
薄闇の中に松明を掲げ、ダスイーが進んでいく。廃道のように乱れた石畳を踏みしめ、乱れのない一定の歩幅を刻んでいく、
今はいつもの革鎧、いつものカタナを腰に差し、しっかりと投げナイフや短剣、食料などの消耗品を補充している。少しばかり体は鈍く感じるが、それでも今はその重さが心地よい。
少しだけ、振り返る。太陽騎士団の館が、遠くの闇にぽっかり浮かんでいるのが見えた。かなり二十一階層の奥まで進んだらしい。満足げにふんっと鼻を鳴らす。休息からしばらく立っているが、気合は十二分、体にも疲労は残っていない。
そのまま、視線を後ろに続く二人に向ける。
一人は怪異、管理人を自称する異形だ。あの霧の人型が音もなく、すぅっと滑るように動いている。気配は薄く、羽虫の群れにも似ていた。
そしてその後ろに一人、鎧姿がある。魔獣カトブレパスの革鎧、その上にずっしりとした鎖帷子を纏っている。さらに武神イーデン・ゴルナの経典が縫いつけられた貫頭衣で胴を覆い、右腕には板金で出来た大仰な籠手、左腕には鋼鉄できた凧盾を手首に通してしっかりと握っていた。兜は面が開く形のもので、鉄格子のような面はその上に置かれている。
無論、そこから覗く顔はオリエル・コークスグルトだ。灰色の髪こそ兜の奥に押し込められてるが、その青い瞳は真っ直ぐに前を見ている。 友人の姿を重ねそうになるのを、少しだけずらしてから、ダスイーは前へと向き直る。
冒険者達は隠密行動より、生存のために重装備を選んだ。逃亡よりも分厚い装甲でオリエルの強みを生かした方が、損耗が少ない。
そう判断して、太陽の館から出立した。一刻は立ったろうか。
怪異の力添えのせいか、この階層では目立った妨害は無かった。時折、頭ばかりが以上に大きい歪な人影が、体を揺らしているぐらいだ。それも、霧の怪異が視線を向けるだけで、すうっと後ろに下がっていく。
一応、魔物避けにはなってんのなぁ、とぼやきながら大股で進む。
“知識の宝珠”からの情報からすれば、この階層で警戒すべきは怪物達だ。それがなければただの起伏の少ない直線の道だけが続いていく、はずだった。
「おっと、待て」
先の闇が深くなっていた。ダスイーは視線を巡らして、松明を高く掲げる。真っ黒いひび割れが、大地を穿ち、そこに暗黒を作り上げている。
「断崖、いや亀裂か?」
「下の階層が広がったせい、でしょうか」
がしゃりと音を立てて、横にオリエルが立った。腰に下げていた松明を取り出すと、ダスイーから火を貰って放り投げた。
火はあっさりと断崖の下に落ち、底にある石畳で煌々と灯りを発している。下では風溜まりが出来ているようで、ごろごろと火が回り回っていた。
「楔と縄、で足りるかねぇ」
ウィードが居れば、茨の呪術で楽々と降りられたのだが。いない人間を頼ることはできない、とダスイーは無駄な思考を切り払う。
オリエルの方を見る。重装備を見るに、ここで一度、鎧を外して移動するしかない。青い瞳は仕方ないと、ダスイーに頷いた。
「おお、おっと、ワタクシの出番ですかな」
にやっと霧が赤く裂けて、下限の月のように割れる。怪異は無造作に跳ぶと、その崖を滑り降りる。何も言う暇もない。
「はぁ?」
「お゛う゛?」
戸惑う二人を置いてきぼりに、怪異は底に降り立った。断崖を引きずった後ろには、石工が組み上げたような階段がしっかりと組み上がっていた。
そして、下で怪異は手を振った。火に照らされた黒い靄が散っては消えていく。
そして、戸惑っていたダスイーより早く、オリエルはじゃらりと鎖帷子を慣らしながら、ゆっくりと階段を下りていく。
「平気、そうですね」
「調査する前に行くなって。まあ、いいけどよぉー」
軽く文句を付けながら、するりとオリエルの後ろにつく。階段はかなり頑強なもので、安定した姿勢のまま、急斜面を降りていった。
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階層を下れば、さすがに荒野と薄闇は消えていた。進んでいくと、この階層は、どうにも城の中のようだ。石で組み上げられた壁がずしりと辺りを囲っている。銀の燭台が等間隔で並び、蝋燭からはゆらりと青い火が瞬いていた。時折、配された鎧戸はがっちりと締め上げられている。
華美にして、なんとも神経質な造りだった。元々、この空間を支配していた者でも残っているのだろうか? 白い宝玉を握って確かめる。太陽騎士団が蓄えた知識にもその疑問に答えるものはない。
「面倒くせぇなぁー」
「そうなのですか、素直な作りの城だと思うのですか。洞窟と違って歩き安いですし」
ダスイーの一人言めいた呻きにオリエルが答える。
「四方、全部、人工物だろぉー、罠が隠しやすいしよぉー。おまけに城だぜ? 敵には移動だの攻撃だのしづらく出来てんだよぉー」
「ああ、螺旋階段とかはそうですねぇ」
時計回りになっている螺旋階段は、昇る側、つまり必ず右手が壁になる。となれば右手に握った武器が扱いづらいのは道理である。
「ですが、左手や盾で戦えるように鍛錬していれば、何の障害にもなりませんよ」
「そーいう、結論を出すのは、おめーらぐらいだ」
下の歯を剥いて、息をふしゅう、と漏らすと前に向き直る。
松明は念のために消さず、進む。時間はあるようで、ない。地上まであの悪魔がいつ上に着くのか、死者の軍勢は先行しているのか、悪魔の後陣にいるのか。
疑念と不安は、ある。
ダスイーはそれを振り切るように足を速めた。それに、オリエルと霧の怪異が続く。
この階層の作りはほとんど変わっていないようで、ダスイーは蓄えられた知識の通り進む。実感がないのに、予知できるというのは、なんというか楽なようだが、どこか気持ちが悪い。理解して身に付いた知識と、一読しただけの情報では大分、差があるからだろう。
それに構造がわずかに変わっていたら迷うだろうし、別の罠が配置されているかもしれない。思った以上の時間をかけて、ダスイーは慎重に城を進んでいく。
足下から伝わる冷気に、舌打ちを混ぜながら、淡々と“知っていた”罠をいくつか回避して、通り抜ける。
ここの罠は石畳に連動するように設置されているらしい。ある場所を踏めば発動するものばかりで、ある意味、楽が出来る。壁の隙間から、毒針や錆びた槍が放たれる殺傷性の高いものや、おなじみの落とし穴、大音量が出て怪物を呼び寄せるだの、回りくどいものまで博物館めいて設置されている。
地味に追加の罠もしっかり召喚されていて、なんとも性格が悪い階層だ。通路の大きさもまばらで、今はやたら狭くなっており、今は人が一人ギリギリ通れるほどだ。
「だぁああ、もう、そこもだ、避けろ」
指を差して、何度目か数えるのも億劫な石畳に設置された罠を踏み越えるように言う。すさまじく単調だが、これはこれで精神が参る。
罠の方も陰湿だった。
踏めば前後に石壁が落ちてくる。解除までに、時間がかかるだろう。いや、発動すればもう元に戻せないものかもしれない。
そうして閉じこめた上で毒の大気や大量の水を流し込まれ、が 怪物達は“悪魔”が通り抜けたせいか、いない。それだけは楽できるのだが、それでも不満を漏らさずに言えようか。
ふんっと強い鼻息と共に、それを跳び越える。
「なんというか、確かにしつこいですね」
さすがに、うんざりとした声でオリエルは続く。体勢を崩さないように、慎重に壁に手をつける。小さく、かちりと音が鳴った。
「あ゛」
「げッ」
下ばかり見ていたのは、失策だった。油断、慢心、疲労、蛇の瞳。言い訳は出来るが、起こったことは戻せない。
オリエルがゆっくりと離した壁の石はかっちりと奥まで移動している。そして、動く間もなく、石壁がお互いを削る耳障りな音を立てて落ちてきた。お互いの呆けた顔を最後に、分断された。
ぞっと汗を垂らすダスイーの耳に、強烈な音が叩きつけられる。
響いていたのは銅鑼か何かだろう。警告音の罠が連動していたのだ、と薄ら寒い事実がダスイーの体を走る。
同時に近付いて着るのは軽快な金属音だ。おそらく鎧を纏った何かが集団で此方へ向かってきている。
目にじりっと神経を集中させて、石壁に囲まれた四方を見る。
どこかに、解除できる、ものがないか。
焦る頭の中で、視線を回していくが、そんなものはない。どこか、管理している場所からでないと開かない形の罠だ。
降り注いだ石の隙間から、ゆっくりと黒い霧がもわもわと立ち上る。あの、怪異だ。人型に戻ろうと体をもぞもぞさせながら、短く言う。
「重い、毒の気が、中で」
さっと青くなるダスイー。ウィードはいない。解毒剤が効くか、どうかは不明。こんなところで、止まる、馬鹿、そんな。
思考は長くは無かった。だが、短くもない。
その間に金属音の群れは狭い通路に既に集まっていた。
中身のない鎧が軽い音を立てて走り込んでくる。剣と盾を握り、付与された騎士風の剣術を使う人造の怪物。ゴーレムの一種とされている、“動く鎧”だ。
いつものように舌打ちと共に抜刀するが、顔は青いままだった。どう戦う、どうすれば助けられる、自問と後悔をのせたまま、ダスイーは鈍る刃を握りしめるしかなかった。




