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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
鋼の声で歌って
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英雄の帰還 / 機神官ガドッカ

 夜はすでに重く帳を掛けていた、闇が押し込まれた風がぎゅうぎゅうと吹く。防壁の上に並んだ、かがり火は激しく揺れて、リオナの瞳を乱雑に照らす。緑色に輝くそれには、怪物共がぞらりと写り込んでいた。

 土煙と闇の中にあるというのに、どういうことだろう。

 疑問を押し込みながら、ガドッカは城門に設置された大型の機械弓を握る。今はその時ではない。ただ、リオナの声を静かに待った。


「狂乱している、一つ目巨人が、前方、百歩先、オオトカゲがその横でじぐざぐに動いて……」


 彼女は肩を押さえながら、ヴィンズ神官長に向かって敵情をぽつりぽつりと告げた。言葉の一つ一つがどことなく虚ろなのは痛み止めのせいだろうか。あるいは、鑑定の情報が大きすぎて、思考そのものに負担がかかっているためかもしれない。賢者が狂う理由はそのためだと、ウィードから聞いたような気がする。

 そんなリオナを支えるようにヴィンズ神官長が横に立ち、彼女の声を静かに聞いていた。


「やれ、一つ目狙い、前に百歩だ」

「あい分かった」


 老人の冷えた声に従い解き放つ。闇の中へと太い矢が、ヒュウと跳び込んだ。ガドッカに見えるのはそれまでだ。命中の確認もせず、ひたすらにぐるぐると機械弓の弦を巻き上げた。


「器用な、ものだな」


 重い声が横からやってきた。大型弓の矢束を抱えたオークがガドッカの横に付き、すぐさまその束を解く。鳥の羽で飾られた立派な風体で、本来なら指揮官として立ち回るはずの男だった。

 解かれた束から矢を番えながら、ガドッカはその男に問うた。


「ギーロ殿か、何用で?」

「なに、少し、おちついた、から、な」


 兜を開けば、顔からはびっしょりと汗を垂らしている。近くに備えてある水樽に頭を突っ込んでガフガフと貪った。文化人気取りの激しい、この傭兵隊長も疲労には打ち勝てなかったようだ。


 ちらりと辺りを見る。

 “鉄の瞳”のオーク達が城門を昇ろうとやってきた足の速い凶鳥の群れに向けて、に岩や煮立った油を落としていた。むごく甲高い悲鳴がおんおんと響いている。効果は覿面だが、油も岩もすでに少なく、オーク達は熱に浮かされたように足取りが危うい。


「矢が足らねぇぞッ!」


 悲鳴のような怒号がそこかしこから聞こえる。遠方からやって来る人食い鬼や蜥蜴人やらの群れには、冒険者や警備兵達がひっきりなしに弓や投擲紐を番え、それぞれ矢だの石だのをバラバラと撃っている。タイミングが合っておらず、あまり効果的とはいえないだろうが、それでも異様に密集している怪物達に撃てば当たっているらしい。だが、手持ちの矢も石も、みな数えるほどだ。そもそもこの数を相手するためには作られていない。

 怪物達の侵攻は矢の少なくなった左翼に集中しつつあった。左の見張り塔には複数の魔術師や呪術師が配置されているようで、時折、雷光や火炎が闇を照らしては消えていった。

 それでも多少、進度が遅くなっただけで、怪物の群れは無策のまま猛然と城門へと続いてくる。動かなくなった遺骸や、のたうち回っている生者を足場にして、狂乱のまま進んでいる。


 一息ついたギーロが、がしゃんと面頬を閉じてから、神妙に声を上げた。


「おかしいと思わんか、機械の」

「うむ、死にに来たようにしか見えぬ」


 もう三割は削っているはずである。狂乱しているとしても、その時間はすでに一刻近い。いかな狂戦士であっても、そのような長時間の狂乱は肉体の疲労と精神の摩耗に耐えられるものではない。


「違う、なんだろう、怯えているみたい」


 リオナの茫洋とした呟きにガドッカは視線だけをそちらにガチリと向ける。

 少女は真っ直ぐ、煌々と緑眼を輝かせている。映っているのは恐狼の群れだ。牛馬のごとき巨躯を誇り、跳躍すれば城門も軽々と乗り越える力の持ち主だ。近寄られれば街への被害は確実ともいえる強大な怪物。しかし、狼達にはやはり戦意ではなく恐怖の相が浮かんでいる。

 その後ろから群れが飲まれるように潰れた。さらに狂乱した様子の異形が真っ直ぐ向かってきた。

 そいつは、ぶくぶくと膨れた巨大な肉塊の上にちょこんと女の上半身が張り付いていた。下にはどろりと溶けた象のような足が伸びて居ている。腹の肉は裂けるように開いていて、

そこからは真っ青な色をした宝玉がいくつも並ぶ。

 見たこともない異形は、キィィィィっと腹の肉を振るわせながら、宝玉をぶるぶると動かすと、冷たく青い光が放たれた。見張り塔に向けて一直線に伸びた光は、周囲を振動させた後、強く輝き、消え去った。魔術師達のいた見張り塔は抉られたように“消滅”しているようで、乳歯が抜けるように、城門の外へバランスを崩して落ちていった。

 間延びした一瞬の後、岩の砕ける低い音が辺りを覆った。


「存在消滅ッ!? 禁じ手じゃないか」

「違う、分解だッ!」

「どっちにしろ、同じだろッ!」


 混乱のざわめきが、疲労の中に潜り込んだ。逃げの姿勢がじわりと冒険者達に広がっていく。


 ガドッカは言葉もなく、番えていた大石弓を構えて、直ぐさま放った。鉄の杭が放たれるが、腹の肉を振るわせるだけで、直撃することもなく、鉄杭は分解された。


「化け物めッ!」


 こちらを見て腹の肉を振るわせる異形。ガドッカは悪態を付きながらも、素早くその場から離れる。彼がいた場所が真っ青な光に包まれて一瞬だけ、震えて城門の一部を抉って消えた。これはまずい。

 次の矢を装填しながら、異形を睨む。上半身だけの女には、やはり戦意が薄かった。追い立てられるように、あるいは縋るように、こちらに向かってくる。その横を脇目も、仲間の死も無視して恐狼達がすり抜けていった。

 恐狼も、あの異形すらも逃げているに過ぎないようだった。


 何から? “陽光騎士団”を討った悪魔か? この異形が怯えるようなものだというのか?


 思考は次の瞬間、異形から生えていた、女の上半身と共に消し飛んだ。金の光が爆ぜて、肉塊がごろごろと転がりながら、力なく倒れていく。あまりにもあっけない、終わりだった。


「なっ」

「どうした、機械の?」


 オークの声には答えずにガドッカは咄嗟に瞳に望遠鏡を下ろしてはめ込むと、そちらを見た。

 不鮮明にざらつく視界、その薄暗い闇の中に黄金の光がわずかに揺らめいてる。それは逃げまどう狼の群れに力強く踏み込んだ。一閃、また一閃と狼の首が手早く断ち切られる。

 顔の付いた太陽のバックルと板金鎧、そして銀糸の外套。赤黒く薄汚れて、所々ひしゃげているものの、それは全滅したはずの“陽光騎士団”のものだ。

 動きはただただ速く、そして鋭い。しかし、随分と力任せだとガドッカは自身を棚に上げて独りごちる。


「機械のッ! 答えろッ!」


 苛立ったギーロの声に、ギシギシと喉を振るわせて答えた。


「“陽光騎士団”がいる、戦っている」

「ぬ?」


 ギーロも既に知っていたようで、戸惑ったように固まった。


「どういうことだ、ザオウの落とし子よ?」


 割り込むように、ヴィンズがガドッカに問う。死んでいるはずだったものが生きている。誤報に振り回されたという疑念と、実際ラーハという傷病者を見た説得力がヴィンズ神官長の中で走り回っているのだろう。


「どうも、こうも」


 蒸気を吹く。できるだけ長くタービンを回して、ガドッカは思考を安定させようとした。しかし、それをかき消すような歓声が上がった。


「“陽光騎士団”だッ!」

「やったぜ、助かたッ!」

「よっしゃッ、押し返せッ! 獲物を横取りされる前にッ!」


 かき消すようにガヤガヤと活気と希望に満ちた声が城門中からあふれた。彼らにも耳や眼がいいものがいるらしいが、奇妙なことにばらばらの方向をさしている。

 視線に沿えば丁度、この魔物の雪崩を囲むように“陽光騎士団”がいるようだった。ガドッカには何か、故郷で見た光景を思い出させた。機械の体に成る前に、村の高台で見た光景だ。


「まるで追い込み漁だな」

「ふんっ、まあ、なんにせよ、奴らが戻ってきたなら問題は――」


 ギーロは安心感から肩を落とすが、ガドッカは油断無く大石弓を構え続ける。傷付いた盗賊の女、ラーハのことを知っていたからだ。


「駄目ッ! あの人を止めてッ!」

「鑑定屋ッ!? なにをッ!?」


 叫ぶリオナの瞳をガチリとのぞき込めば、“陽光騎士団”の一人がほの暗い黄色の光を放ちながら、歩き回っているのが見える。ガドッカは瞳越しに死臭を理解した。鑑定に使われる瞳は存在がなんであるかを見抜いていた。

 瞳の中で、殺した恐狼の横を黄色い光をまき散らしながら騎士が通り抜ける。すると、遺骸がぶるりと震えた。そして、黄色い光をうっすらとまとい、狼だった肉体はゆっくりと立ち上がった。血はだらりと垂れ、喉の肉はぼとりと落ちた。だが、肉片はびたびたとナメクジのようにのたうち回っている


「不死者ッ! それも死霊騎士かッ!」


 悲鳴のように叫ぶと、視界をぐるりと回す。落とした望遠鏡に騎士を捕らえると、番えていた大石弓を構えて、鋼鉄の腕をゆっくりと調整する。三つ数えたのちにガドッカは静かに引き金を引いた。

 金属で出来た弦が弾け、空気を鋭く鳴らす。解き放たれた太矢は杭そのもので、決して人類に向けるべきものではない。しかし、死霊騎士とは上位のアンデッドだ。心の臓を潰さぬ限り、次の夜には黄泉がえり続ける化け物だ。そして殺した生物を配下のアンデッドとして行使することが出来る。ガドッカの神官として知識が告げている。

 焦燥まま放った矢はガドッカにとっても意外なほど正確に心臓へと向かう。矢にあわせて視線を、望遠越しに向ければ、死霊騎士は冷たい刃のようにガドッカを見返していた。

 無表情にそれは腕を動かす。銀の光が走るとただ、からんと無造作に鉄の杭が裂かれて転がった。


「ぬうっ! 斬鉄ッ!?」


 決まりだった。騙りではない。こんな業を見たのはガドッカとてただ一度、赤銅竜との戦いでしかなかった。


「できるのは一人きり。あの人は」


 リオナは熱に浮かされたように、肩を押さえて言葉を放った。


「グリセル・コークスグルト……」


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