地走る雷鳴 / 鑑定士リオナ
近いはずの城門は、砂埃に霞んでいて、まだ遠く感じる。リオナは叩きつけられる風に辟易しながら、ゴーグルを必死に取り出した。ガドッカの小脇に荷物のように抱えられているのに不満はあるが、怪物の雪崩から逃がしてもらっている手前、文句は言えない。
歯車が猛然と唸り、不安定に吹き上がる蒸気、そして異常な発熱がじわじわとリオナの脇から伝わってくる。いつもは無駄に多弁なガドッカすらで無言だ。砂埃を巻き上げながら、馬のごとき速さを出しているせいだろう。かなり無茶をしているのは肌でわかった。
彼の体は機械だ。石畳すら砕く脚力もある。重い鋼鉄の肉体ではあるが、それでも一度速度が出れば止まらず進む力となる。しかし、発熱と足への負担がギリギリと異音をかき鳴らしている。
痛みはあるのだろうか、そう思った時だった。
「すまぬ!」
「えっ、おあッ!」
突然の声と大きな揺れ、そして浮遊感。ガドッカの体が何かに引っかかったのか、跳ねたのだ。手に持っていたゴーグルがぼろっと落ちていく。拾い上げられないのは、分かっている、それでもリオナはつい振り返ってしまう。
カラリと落ちたゴーグルは、流れるように視界から下がっていく。そして、巨大な鳥の足に踏みつぶされた。
緑色の瞳に映ったのは、カチカチとクチバシを鳴らす派手な鳥だ。赤と黄色の混じった羽を持ち、異常に発達した足のかぎ爪が黒々と光っていた。遥か後ろには立ち上る砂煙。まだ距離はあるはずなのに、抜け出てきた。相当、俊敏な魔獣なのだろう。
巨鳥は、何かを探るように血走った目をぎょろぎょろと回している。怒り狂っている、いや興奮しているというべきなのか。判然としないが、ぞわぞわとした不安と共に瞳が合う。リオナにできるのは引きつった笑いを返すことぐらいだった。
それが癪に触ったのだろうか、明らかに巨鳥はこちらを敵と見なしていた。大地を蹴って、羽を広げた。巨大な影が二人の上にかかった。跳躍、いや滑空だ。
かぎ爪が、リオナの柔らかい肉へ目掛けて、振り下ろされる。
「なんとぉッ!」
庇うように横に跳ねると、右肩でそのかぎ爪を受ける。ぎぢぃっ、という異音と共に火花が散り、わずかに鋼鉄の体が削がれていく。そのまま、爪を食い込ませた巨鳥。みしりと言うのはかぎ爪ではなく、ガドッカの肉体の方だ。
振り払おうにも、あちらを振り回すほどの力はない。揺さぶられるままにガドッカの体勢がずるりと押し出され、地へと崩れる。
抱えられていたリオナの全身にふわりとした嫌な感覚が、走り抜けた。下には石畳、上には鋼鉄で出来たガドッカ。そして彼を押しつぶそうとする巨鳥の禍々しい瞳が笑っているように見えた。
「リオナ殿、受け身をッ!」
吠えるように言うと、かき回すようにリオナを荒野の方へと放り投げた。強くなる浮遊感に、恐怖を押さえ込みながら、左手で地面を叩くと肩から滑り込むように転がった。それでも衝撃で息が詰まり、肩は熱くなった。きっとすぐに熱は痛みへと変わるだろう。
その前に、立ち上がらなくては。
苦しさを思考で押さえ込むと、リオナはよろりと地面に手を突いた。革手袋は破け、薄皮がべろりと剥げて、血がじわじわ浮かび上がっている。けれど、それだけで済んでいる。
それでも目の前がじんわりと歪み始めた。全身に似たような傷があるだろう。だが、涙を浮かべている暇はなかった。リオナは戦士ではないが、冒険者だった。
「無事かッ!」
巨鳥ともつれ合うガドッカがこちらに声を上げた。リオナを話して自由になった左手でクチバシを押さえ込みながら、猛然と蒸気を噴いていた。
「平気ッ!」
肩が痛み始めるまえに、丸薬を口に含む。ウィードが作ってくれた痛み止めだ。体力増強の効果もある魔女の薬は、飲み込むと魔力が広がり、じんわり体を温めてくれた。
「その意気やよし、しばし待たれよッ!」
言うと同時に、右の手首を文字通り一転させて巨鳥へと鉄棒を叩き込んだ。通常の人間ではあり得ない関節の動きに、巨鳥は悲鳴を上げてガドッカから離れた。負傷はないが、大分警戒しているようだ。
くわっとクチバシを開き、翼をぶわっ広げ、威嚇の声を上げた巨鳥。その声に応じて、魔力が圧縮されて、熱量がまとめられた光球が生まれた。生来、呪術を修得している怪物なのだろう。光珠は遊びのない真っ直ぐな動きで、う゛っと短く耳に着く音共にガドッカに向かう。
「雷神ザオウよッ! 拙僧に偉大なる御力を貸し与え給えッ!!」
鉄棒に雷光が走る。
ただ、それだけで光の球体は反れていく。神から与えられた力が魔力をねじ曲げたのが、リオナの瞳にはくっきりと見えた。機械の体は、神の力によって与えられたもの故に、異常な程、その力を増幅させているのだ。聖遺物そのものか、動く神殿がいるようなものだった。
「弱気ッ! 慣れない技で崩せるものかッ!」
ぴゅうっと軽く蒸気を吐いてから、鉄棒をヒュンヒュンと回す。まとわりついた雷が光の軌跡を描いていく。
俊敏さとその剛力で戦っていただろう巨鳥が、わざわざ呪術を使う。それは恐れからだろう。いくら叩いても肉に辿りつくこともない、自身と同等の以上の力を持つなにか。距離を取りたいのも分からない話ではないが、ことガドッカが相手では不利だった。
それを悟った巨鳥は自身の強みを生かすべく、もう一度、滑空の構えを取る。しかし、判断が遅かった。
体勢を変えた途端、轟音が響いた。猛然とした踏み込みが、巨鳥の頭を襲っていた。リオナの目には捕らえられないほどの速さだ。
ガドッカの足は石畳にずっしりと突き刺さっている。
振るわれて雷光を失った鉄棒の切っ先には、首から上が吹き飛んた巨鳥がいた。轟音の余韻、消えた後、数度、よろめき、そうしてからあっさりと崩れて倒れていった。
一度だけ、蒸気を吹き上げてガドッカは足を石畳から引き上げた。そしてゆったりとした足取りで静かにリオナに近付いた。
既に、日は大きく傾き、赤くにじんでいる。風も冷たく、傷に染みる。ゆっくりと夜が近付いてきていた。
それでも背後から近付いてくる地鳴りの勢いは衰えていないようだった
「急ぎましょう、か」
「そう、ですな」
独白のような、ぼんやりとした受け答えをするしかなかった。
寒々とした城門に目を向ければ、冒険者や常備兵達がざわざわと動き回っているのが小さく見えた。指揮を取っているのは、誰だろう。思考が今はいらない方へ向いていく。
「リオナ殿ッ!」
「ご、ごめん、いこう」
軋んだ声が現実に引き戻す。痛み止めが効き始めてぼんやりとし始めた頭を大きく振るうと、リオナは一歩、踏み出した。背にかかる赤々とした太陽の光が、二人を血に濡れたように照らし、どこまでも影を伸ばしていた。




