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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
鋼の声で歌って
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人界の縁 / 機神官ガドッカ




 砂埃が街道を洗うように舞い上がり、そしてまた汚していった。

 とにかく今日は風が強い。関節部がギシギシと鳴っていて、良くない塩梅だ。ガドッカは何度目かになる気の抜けた煙を頭から噴き上げた。白い煙は直ぐさま、高く青い空に溶けて消えた。太陽はすでに中天より下り、大地へと傾いている。

 ぎしりという首を文字通り一転させて、辺りを見渡す。

 どこまでも澄んだ快晴の空に重々しいアルディフの石壁が見えた。かつて、迷宮にいた赤銅竜が上階まで昇ってきたことから、作られたものだ。対怪物用の投石機が物々しく並んでいて、長い影を遠くまで伸ばしている。

 まったく、空には雲一つないというのに。またガドッカが蒸気を吹き上げるが、雲になることはなく、散り散りになった。


「……カさん、ガドッカさん、おーいおーい、ガドッカさぁーん、聞いてるぅ?」

「おおうっと。あい、すまん」


 ぎしりと鳴る首を下へと傾けた。共に歩くのはリオナという黒髪の少女だ。くるりとした瞳は緑色で、不満げにこちらを見上げていた。


「危ないですよ、そういうの。疲れているなら、言ってくださいよぉー」

「ややや、面目ない。少し呆っと、な。あまりに何もないのでなあ」


 何もない。わざわざ風の荒ぶ街道をこうして歩いているのは、街周辺の見回りのためである。上階から弱い怪物が出てきては街の近くの、貧弱な田畑や街道を旅する人を襲うことがごく希にあるためだ。見回りの依頼はおそらく、念のため、用心のため、といった意味合いが大きいだろう。

 神殿に登録した冒険者が定期的に行うもので、本来なら依頼料は安い。わざわざ歩き回る労力よりは、真面目に迷宮の上階にでも踏み行った方がいいだろう。もっとも神殿からの圧力で、ほとんど義務のようになってしまっている。やはり蘇生できる相手には逆らえるものではない。


「まあ、この辺りは別になぁーんにもないけどねぇ」


 退屈そうにふわぁっと開いた口を、リオナもぼんやりと押さえた。実際、暇である。

 陽光騎士団の女盗賊、ラーハを神殿に送り届けた後、手持ちぶさただった二人は押し付けられるように、神殿から見回りの依頼を受けさせられた。

 おそらく陽光騎士団の末期について、口を噤め、ということなのだろう。こんな依頼だというのに、報酬の額が二桁は違った。

 話して広める気は二人にはなかったのだが、貰えるならそれはそれで良い。そろそろ体も替え時だったガドッカにとっても有り難いことだった。


「あとちょっと、油足りないんじゃないですか、なんかこう、音が」

「ぬぅ、やはりか」


 肉体がもどかしく軋む。機械神の奇跡で補填しているとはいえ、激しい動きが多い故だろうか、歯車達の様子がおかしい。いや、何かにざわめいてるのだろうか。


「しばし、待たれい」


 手に持った長棒をドンと街道、脇の地面に突き刺すとその近くにある大岩に座り込む。何人も座り込んだらしい大岩は尻の形につるりと削られていた。横長であるためか、あと数人は座っても問題なさそうだ。

 ガドッカは腰元から愛用の油差しを取り出すと、膝関節に吹きかけた。無論、市販の食用油などではなく、わざわざ機械神の奇跡によって精製したものである。ごま油や獣油は変化に弱く、戦闘に使う体には使いたくない。

 とはいえ、ガドッカの位階では授けられる油も少量だ。慎重に、ゆっくりと吹きかけていく。だが、うまくない。指関節も、古い蝶番のように重いのである。

 もどかしくなったガドッカの腕から、ぼろりっと油差しが落ちた。


「大丈夫? 手伝おっか?」


 そう言われた時には、すでにリオナは油差しを拾い、土を払っていた。ばっさばっさと粗雑な風が彼女の髪を吹きさらした。

 世話焼きな性分はダスイーばかりに向けられると思っていたが、どうにも元々こういう娘だったらしい。やって貰ったほうが確かに具合がいいが、女人に体を預けるというのはどうにも気恥ずかしい。


「あいや、拙僧は」

「ほらほら、まずは足出して」


 そういってリオナはぐいぐいと足を引く。重い鋼鉄の足は物理的に動くことはないが、こうなっては負けるしかない。


「あいや、すまぬ」

「いいの、いいの。お互い様でしょ」


 足首から順にちょいちょいと油を差すリオナ。中々、うまい。普段から鑑定した武器や防具の簡単な整備をしているせいだろう。

 差してくれた順に関節を動かして油を馴染ませながら、茫洋と蒸気を吐く。空だけ見れば実に太平。しかし、あたりに生えた雑草も力なくしなっている。まだ夏枯れには速いだろうに。土地が弱い証拠だろう。


「ダスイー殿は今頃どこまで潜ったろうなぁ」

「んー、そろそろ、十二階層ってところじゃないかしら」


 両足を終えて、腕に取りかかろうという言うとき、ぽつりと言葉を漏らす。リオナも考えていたのだろう、直ぐさま答えが返ってきた。


「まあ、いつもより気合入っているから、ね。もっと速いでしょうけど」

「ふむ、親友の危機ともなれば、気力も無限に湧くというものだ。案外もう着いているのでは、ないかな!」

「さすがに気力で動き続けるのは、ガドッカさんだけ、だよ」


 経験から来るであろうリオナのげんなりとした言葉。それにガドッカは楽しげにぽっぽっぽっと蒸気を吐く。


「あ、うん。すごいとは思うけど、割と褒めてないよ」

「ハハハハッ! なぁに照れずともよい、もっと褒めるがいい」


 カラカラと笑うガドッカに、しょうがないなあといいながら、リオナは微笑む。それに長い蒸気を、ぷふぅと吹く。ま、小難しい顔をしているよりはよかろう。

 柔らかくなった顔を見ながら、油の差された関節をゆっくりと動かしていく。


「ふぅ、おしまい」

「あい、すまぬ」


 首まできっちりと差し終えると、ぎしりと鳴る音は大分少なくなった。油差しを受け取りしまう。そして、一度、立ち上がり、体全体をぐるりと動かし、そしてドカッとまた座った。軋みはなく、心地よい金属の音だけが鳴っている。


「良し。うーむ、これは礼をせねばなッ!」

「いや、いいってばぁー」

「なぁに、遠慮などなさるな」


 ガドッカは微妙な顔をするリオナにも気付かず、ごそりと懐から小さな包みを取り出した。開けば、砂糖をまぶした揚げパンが二つある。屋台で買ったもので、ガドッカの小さな楽しみである。


「ささ、おひとつ」

「あ、うん、ありがと」


 革手袋を脱いでから、つまみ上げて口に放るリオナ。さくりと音を立てながら、揚げパンを一口。ガドッカもならって、腹にある補給口をがちゃんと開けると放り込んだ。じっとりとした甘さを感じながら、締めると腹は唸りだし、柔らかなパンをいくつもの破片に砕き奥へ奥へと送り込んだ。


「ん、やはり、うまい」

「だねぇ。ジャンナさんとこの屋台でしょ、久々に食べたなあ」


 そう言いながら、懐かしそうに目を細めているリオナ。


「ここでね、屋台の物とかたまに食べたんだ。兄さんとウィードさん、あとグリセルさんと一緒にさぁ。ここの見回りの決まりみたいなものでねぇ、いつも誰かが何か持ち寄ってたの」

「ほほう。良いですな、参考までに」

「水飴とか串焼きとか、まあ普通かなあ。あとでお店まで案内しよっか」

「水飴となッ! 是非にッ!」


 ぴゅっと息を吹き上げて、ガドッカは楽しげに答える。甘味は良いものだ。


「今はちょっとね、人気で売り切れが多くてね」

「水飴が?」

「そ、ただの水飴が。グリセルさんが通い詰めているっていったら、大人気になっちゃって。おばちゃん一人で回しているお店だから、たくさん作ってていうのも難しいしね」


 リオナは苦笑いと共に言う。グリセルという看板が一人歩きしていく様を彼女は見ていたらしい。

 ガドッカはがしゃりと音を立てて立ち上がる。


「ならば、後でグリセル殿に譲っていただこう、それで解決だな」


 兜になった頭の奥で鏡となった瞳をきゅるりと回す。反射した太陽が赤色に輝いた。

 リオナはそれに、にぃっと笑う。


「そうねっ! 次に会ったらそうしましょ」


 すとんとリオナは岩から降りる。革手袋をぎゅっとはめ直した。ゆるりと足を進めようとして、はたっと立ち止まった。

 何か見つけたようで、日差しを隠すように手を額に当てた。


「なんだろ、蝙蝠?」

「ほう、昼飛ぶ蝙蝠とは、怪物ですかな」


 視界に望遠鏡、そして遮光硝子を落としてから、そちらを見る。太陽の光に紛れて、何かがいる。黒い何かだ。見えるのは翼と伸びた首と尻尾。


「なんかこう、紋章で見たような……」

「まあ、木っ端でしょうぞ、ここは一つ、拙僧も弓の腕でも披露し……」


 近付いてくる尻尾には、鈎のような針がある。そして首は角のある蛇のもの。足はただ二つだが、分厚いかぎ爪が見えた。


「おお? あれに見えるは、飛竜ッ! まったく大物ッ! いやあ、僥倖、僥倖。大きな“ぼうなす”が出ますぞ」

「ちょっとちょっと、ガドッカさん、ワイバーンって十階層に一匹だけ出てくる主よッ? なんでそんなのが……」


 響くような大地の唸る音を聞きながら、ガドッカは答える。


「心配無用ッ! なぁに地鳴りまでしてきましたな。いやあ、まったく生きのいい、イッ?」


 遮光硝子を外して、地に視線を戻す。土煙が折り重なっていた。走り狂うのは地を蹴る巨鳥、八本足のオオトカゲ、一つ目巨人の大物だけが見えた。他は砂埃で覗けないが、なにやら判然としない影がずらりと並んでいる。ちょっとした軍隊より数は大いに違いない。


「怪物の、群れ、いや雪崩よッ!」

「ハハハッ! これは“ぼうなす”とは成らんなッ! リオナ殿、失礼するッ!」


 リオナの悲鳴にヤケ気味に笑いながら、大きく汽笛をひとつ鳴らすガドッカ。ぐわんっとリオナを左腕一本で抱え込むと、右腕に鉄棒を握る。


「え、ちょ」

「いざ、転進ッ! 舌を噛まぬようになッ!」


 何が起こっているかは理解できない。すべきことは、迫ってくる土煙から逃げ去ることだけだ。

 足のバネと歯車を使って全力で体を跳ね上げて、ガドッカは足を猛然と動かした。街道の石畳を文字通り砕いて進んでいく。

 良い具合である。油を差して貰えて実に良かった。

 腕の中のリオナ、その体温がガドッカの走りを更に速めていった

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