望まれぬ剣舞 / 鑑定士リオナ
兄の帰りは遅かった。
外では日が中天を過ぎている。腹時計もよくよく鳴るし、たまったものではない。宿の食堂に漂う定食の残り香が涎を溜めてしまうのをリオナは塩コーヒーで押し流した。
朝からカウンターから離れたテーブルに居座っていた。ぐだぐだと頭を木の板に押し付けて、積み上げられたガラクタの山を見上げる。兄が迷宮の中で回収したものだ。結構な量であるが問題はない。このテーブルを使用する権利はすでに買ってあるからだ。
短いあくびの後、ゆっくりと伸びをする。顔をパンっと叩いてから、リオナはそのガラクタの中から古びた本を取り出し、めくった。
古臭い本で品質はよくない。そのためにパルプ紙の端々は破けていた。内容も一般的な薬学を簡単にまとめたもので、状態が良ければ、まあ悪くない値段のものだろう。
「んー、傷物だしー、自分達で使った方がマシかなー、保留と」
保留入れと決めている手前に置いた袋に納める。その横には売却用の袋もある。
そうして次のガラクタに手を付けていく。鞘に収まった短剣をじろじろと眺めてから、引き抜こうとするが動かない。ふんっと力を込めると僅かに抜けて赤錆が散る。
「こっちに来るまでに錆びたのかしら。んー鉄屑。ゴミ屋行きね」
座った席の下にあるずた袋に放り込む。
そうして次々とガラクタを取っては、眺めて、分類していく。空腹を紛らわせるための塩コーヒーをちびりちびりと飲みながら、その作業を続けていく。
「鑑定、お疲れさん」
カップの中身が半分ぐらいになった頃に、待ち人は来た。
「遅ーいっ!」
「悪い悪い……あー、親父さん、定食二人前で! あとお茶を二杯、砂糖とミルク! マシマシで」
待ち人はテキトウな謝罪の後、どっかりと座り込んだ。腰に吊していたサーベルが、がしゃりと鳴った。
あいよー、と店の奥で声がしたのを聞き流し、そして不肖の兄、ダスイーをじっとりと睨む。当人は気にした様子もなく、疲れ切った顔で椅子に体を預けていた。
「何かあったのかと思った。今日は昼前に帰るっていってたじゃない」
「まあ何かあっても、“御守り”でひとっ飛びのはずだけどよー」
頭をくしゃりとかく。リオナと同じ色の黒髪で、ツルツルと光を弾いている。やはり同じ作りの緑眼は疲れで少し淀んでいるようだ。
「神殿で今日の“お客さん”預けてきた後なんだがよー。前の依頼人になあ、待ち伏せされて絡まれた」
「あちゃー、大丈夫だった?」
自分の頭をぺちんと叩いて、兄に問う。
「あーっ、割とやばかったな。デカブツもいたし。ま、神殿に戻ってから撒いた。今頃、あの辺りでまだ見張りでもしているぜぇ」
ヒヒッと性悪そうに笑う。こちらとしては気が休まるものではない。
遺体を回収しても皆生き返るわけではない。放置されて腐敗が進んでいたり、そもそもの損壊が酷い遺体は埋葬せざるを得ない。動く死体であるアンデッドと化した者は解呪の奇跡をしない限り蘇ることはない。またどんなに大枚叩いても、状態がどんなに良くても、当人の運が悪ければ蘇ることはできない。こればかりは、どうしようもないのだ。
そもそも死という逃げられない運命から、助け出されること自体、希有であり奇跡なのだ。蘇るのを当然と考えるのはある種の傲慢であり、迷宮と死を舐めているとしか言い様がない。
浅い階層を、数度しか潜ったことないリオナですら、そう思うのだから兄は案外煮えくりかえっているかもしれない。
「最悪、こいつを割ればよかったしなぁ」
腰から房飾りのついた宝玉を取り出してコトンと置く。神殿で生み出される奇跡の品“帰還石”だ。宝玉のトウモロコシめいた黄色は設定された神殿が豊穣神“畑の男”のものだからだろう。使う意思さえあれば、“帰還石”は砕け散り、所持者を神殿へと一瞬で空間転移させる。貴重なものであるが“畑の男”と懇意にしているダスイーには託されていた。
「街中で使うのは馬鹿らしいがよぉー」
自信を持って言う兄は、懐かしそうに目を細めた。ドアノブとか空の牛乳缶とかしょうもないものを無意味に盗んで家に持ち帰ったり、湿気た煙草を集めて、ぼや騒ぎを起こしたり、人の家の前にパンパンに膨らませた蛙を何匹も並べてみたり。そんな悪童だった兄が、故郷である街の逃げ道を知らないわけがない。
「それもそうね」
引きつった笑いを浮かべながらリオナは答えた。尻ぬぐいは懇意にしてくれている神官とリオナの仕事になっていたからだ。
なんで怒ってるんだろうときょとんする兄に、昔の話題を切り込もうとした。
だが、それは閉ざされた。
すっと兄の表情が変わる。宿の出入り口に目を向けて立ち上がると、離れたカウンター席にまた座った。
ガランと宿の戸が開け放たれた。ぬっと現れたのは数人の武装した男達だった。冒険者らしいが荒んだ雰囲気を纏っている。
兄の座ったカウンター席にどかどかと集まってきた。
「いいご身分だな、死体漁りごときがよお」
「こそこそ逃げ回りやがって! あ゛あ゛ッ!?」
血走った目で睨むのは大剣を持った巨漢だ。先程の話に出てきた以前の依頼人達だろうか。
「這いつくばって死体探すのが取り柄のくせによお、人並みに座ってんじゃねぇよ」
横の男が椅子に蹴りを入れて無理矢理に兄を立たせた。
怯えた視線をリオナは送るが、ダスイーは目を伏せて、関わりを断つ。黙っていろと言わんばかりの態度だ。兄への怒りと立ち上がれない自分への情けなさが胸に詰まる。
「おまえが、おまえが彼女を」
ぞっとするほど青い顔した男が腰に手を当てた。握った短剣が鞘を振るわせている。いつ抜くか分かったものではない。
連中は彼を焚きつけるような口調でダスイーを攻め続ける。淀んだ油のような笑いを浮かべていた。
「こいつも可哀想だよなー。お前がちゃんと拾ってきてくれたら、“生き返れた”のに」
「片腕を亡くしたまま、土の下なんだぜ、ずっとだ」
かちゃかちゃと男の短剣が鳴った。僅かに刃が見え始める。
兄は無言を貫いている。反論こそしないがじっと彼らを見返していた。
「おめーよ、確か陽光騎士グリセルの仲間だったよなあ」
「見捨てられて死体漁りになったってな」
兄の拳が僅かに軋んだ。無表情に固めた顔がさらに強く固まった、それにも気付かず彼らは罵倒を続けた。
「それですら、まともにできやしねぇやつが、人並みに生きているなんてよぉ、不公平だよなあ」
外から見えないように一人が小突いた。籠手で覆われた拳は十分な武器であり、兄は苦痛の呻きと共によろめいて倒れた。
待っていたように大男が蹴りを入れた。丸太で吹き飛ばされたようにごろごろと転がる。
それでも素早く立ち上がり、息を整えた。やはりちらりとリオナの方に視線を向けた。
兄が逃げないのは自分のためだろう。“妹”であるリオナの情報まで調べられているかもしれない。こうして、普段使う冒険者の宿まで突き止められたのだから身内の情報まで抜かれているだろう。街中で乱闘は御法度である。腰の辺りを何度も叩く。いつも“帰還石”を吊してある辺りだった。
逃げろ、ということなのだろう。“帰還石”を掴もうとぐっと手を伸ばす。手をこまねいて見ているよりは、神殿から人を呼んだ方がいい。
だが、その考えは途切れた。
「出て行けよ、街からよ。てめぇの面をココで晒すんじゃねぇ」
その言葉にリオナから、あっという声が漏れた。目の血走った冒険者達がこちらを一瞬見た。その瞬間に冒険者が一人、吹き飛んでいた。彼は轟音と共にテーブルに強かに背中を打ち付けて動かなくなった。ひゅうっとダスイーは息を吐いた。掌で思い切り、顎を叩いたようだ。兄はぼきぼきと指を鳴らして、引きつったような顔をした。その笑ったような怒りの表情にリオナは頭を抱えた。
「おい、テメェ、なんだって? 余所もんがよぉーッ!」
どうしよう、アレ。それを呟くのがリオナの限界だった。この街、アルディフから出て行け。その言葉は兄とって怒りの着火点になる。
「カワイソーだと思って黙ってりゃあ、いい気になりやがって。ああ? 仲間も拾えなかった連中がッ!」
冒険者達にぴしりっと緊張が走った。濁った目にずっしりとした殺意がのる。彼らは得物を各々構えていった。
兄は狼のように笑い、その殺気に応える。ふっと息を吐いてから腰のサーベルに手を当てて、腰を落とす。抜刀の構えだ。
その構えを取った時、空気が変わった。サーベルの護拳が鈍い金色に光る。揺れていたダスイーの表情は静かな水面のように落ち着いている。冷たい風が吹いたような感覚が肌の上を滑る。男達は思わず、一歩、下がった。
柄の拵えこそサーベルだが、鞘に収められているのはカタナと呼ばれるものの刀身だ。母方の祖父がこの使い手であったらしく、柄を直して兄が受け継いだものだ。もちろん、その使い方ごと、だ。
兄は相手の動きを待った。
彼らはわずかに間合いを詰めようと動くが、その度にダスイーは微細な足の動きでそれに対応する。
じりじりと照る日が窓から差して、彼らの影に濃淡を作る。
金属が揺れる光と僅かな足音がいやに目立った。
遠くで、カラスが鳴く。呻くような、細く重い声だ。
「う、うわあああ!」
先に一線を越えたのは、重圧と挑発に耐えられなかったのは、最初に短剣に手をかけていた男だった。経験の浅さか、兄の罵倒が効いたのか。
体当たりするように短剣を押し込もうとする。
刹那、視線に群青の光が瞬いた。
ダスイーは床を軋ませるように、踏み込んだ。短剣めがけてカタナを抜き打つ。すくい上げるような斬撃は短剣の刀身を断つ。受け止めるのでもなく、叩き落とすのでもなく、断ち切っている。硝子を砕くような不愉快な音が鋭く響いた。断たれた刀身がひゅんっと上へ跳び上がった。
動揺も許さないまま、そのままカタナを大きく上へ掲げ、短剣の男に柄を振り下ろす。首を強かに打つと、青い顔がさらに真っ青になり崩れ落ちるように倒れた。
同時にカウンター席でストンっと軽い音。短剣の刀身が刺さっている。分厚い刃の断面がテラテラと光った。
「で? 続けるか?」
うっすらと青い光を纏った刀身を突きつけるように構える。刀身は陽炎のように光を揺らめかせた。闘気。生命力に指向性を持たせた破壊エネルギーへと変換する技術だ。短剣の、鉄の刃を切り裂いたのはカタナではない。カタナを媒介にして圧縮された、この青白い闘気だ。
「サ、サムライなんて聞いてねぇぞ!」
サムライ。扱いづらいカタナを主に使うものをまとめてそう呼んでしまう。しかし、真の使い手は闘気を使う。切断というカタナの持つ力を闘気の指向性とする。
優れた拳法家ならば闘気を素手に乗せて、その打撃力を強化することもできるだろう。しかし、それは自分の肉体だからこそれできることだ。こうして武具に闘気をまとわせるのはことができるのは、ごく限られた達人だけだ。
「ちっ、ただの闘気使いじゃねぇか、ビビるんじゃねぇッ!」
浮き足だった冒険者を叱咤するのはやはり巨漢だ。リーダー格なのだろうが、統率も出来ていない。やはり臨時で集まった烏合の衆のようだ。
巨漢は一歩前に出て、大剣を真っ直ぐ構える。ただの剣としても中々の業物だが、魔法で強化されているらしく、魔法文字が剣の腹にびっしりと刻まれている。
「いいねぇ、斬りごたえがあるねぇー」
兄の口は軽いが、どっしりとした足運びに乱れはない。突きつけるような構えのまま、ゆっくりと動く。兄の狙いはおそらく籠手狙いか、それをフェイントにしての突きだろう。さすがに魔剣とこの巨漢相手に先程の芸当をする気はないようだ。
ギィッと扉が開く音、客であろう小柄な騎士が、がしゃんと鎧を揺らし戸惑ったように固まった。
先に動いたのはどちらだったろうか。
騎士の侵入を合図に踏み込みの音が二つ響いた。ほぼ同じタイミングの踏み込み。兄はやはり籠手狙い、素早い剣閃が右腕のあるべき場所めがけて素早く振られる。
リオナは飛び散る鮮血と肉を予想して目をぎゅっと閉じた。
しかし、響いたのは鋼の音だ。目を開けば、カタナは大剣の握りを打ち付けただけだ。兄の行動を読んでいた巨漢は左手だけで剣を振るっていた。右手は僅かに剣の後ろにある。左手の力だけで踏み込んだ兄のカタナを跳ね上げると固めた拳を顔面目掛けて突き出す。
ヒュッ、と兄は息を吐きながら後ろに跳ぶ。拳は避けたものの不自然な体勢となったダスイーを狙って、再び両手で握った大剣で追撃をかける巨漢。
重い剣が兄の横をいくつも通り過ぎる。のらりくらりとした僅かな動きで避け、あるいはカタナの軽い突きで相手の攻撃をためらわせる。動きが小さいのは隙を減らしているためだが、体力と神経は大きく削がれる。狭い店の中では一気に跳んで逃げることはできない。
巨漢は捕らえられないのに業を煮やしたような大振り、いやまたフェイントだ。刀身そのものを握って、小回りのきくように振るう。意趣返しとばかり籠手狙いだ。
ダスイーはそれに、敢えて踏み込む。狙うのは胴、青い闘気をカタナに収束させ横凪ぎに振るう。巨漢に比べれば大振りではあるが、刃の軽さと日々の修練には自信があるのだろう。相手からの籠手狙いよりも、巨漢を寸断する方が速い、という判断だった。
その間に何かがパッと飛び込んだ。先程、入店した騎士だ。鈍色の残像を残して踏み込んでいる。踏み込みと共に放った叫びが、岩と鋼を擦ったように低く鋭く残った。
素晴らしい動きだが、それは無謀だ。
ダスイーのカタナは闘気で強化されたものだし、巨漢が握り方を変えたといっても大剣の重さは変わらない。
互いに武器をすぐに止められるものでもない。脳漿と内臓を吹き出し、血をまき散らした騎士の死が容易に予想された。
実際、振るっていた二人の瞳も揺れ、そう思っていたのではないだろうか。
だが鳴ったのは二つの金属音だけだ。辺りには火花が散り、僅かに鉄片が舞う。ただそれだけだ。
一瞬で兄のカタナは騎士の持った盾に柄から跳ね上げられ、巨漢が振るった剣は、右の手に握った長剣で受け止める。
「そこまでにしておけッ!」
外からの響く声。
よく知るそれにダスイーとリオナはぎょっとした。
「ヴィ、ヴィンズ神官長、なんで!」
怒り肩のままずんずんと歩いてくる司祭服の老人を見て、巨漢の取り巻きが悲鳴を上げた。復活の奇跡を担う高位の神官が、場末の宿にやってくるなど予想にはなかったのだろう。そんな予想をできればただの予知だ。
「餓鬼共! 何をしておるかッ!」
追い立てるように近づいてくる老人の迫力に、戦々恐々として体を寄せ合うよう固まる冒険者達。
大きく口を開ける老人だったが、僅かな間の後、苦々しく怒気を納めた。
「……今回は不問とする。しかし、な。次はないッ! 去れッ!」
その大声にワッと冒険者達は外へと消えていく。巨漢だけは一瞥するように兄を睨んだが、それでも素直に従った。
疲労に汗を噴き出させながら、兄は助かった、と呻きながらカタナを鞘にしまう。
待っていたのは老人の拳だった。
老躯を思わせない頑健な拳固は頭部を揺さぶった。
「馬鹿が! 阿呆なことするんじゃあない」
「じじい、んなこといってもよぉー、挑発したんはアイツらだぜぇー。だってよぉー」
ふんっと鼻息を荒くした神官長は、頭を押さえる兄を無視して口を開く。
「おまえに客だ」
「客?」
兄妹の声がぴたりと会った。目を向けたのは先程飛び込んできた騎士だ。
騎士は兜を外し、一礼する。肩まで広がったのは灰色の髪は、滑らかに磨かれた石のようだ。そして、兄を見るのは青く澄んだ瞳。騎士はグリセルに良く似ていた。背丈は少し低く、顔の作りが柔らかい。
だが、目はきりりっと前を向き、その柔らかさを奪っている。
「兄グリセルがいつもお世話になっております。妹のオリエル・コークスグルトです」
ダスイーは呆けた様子で、おんなだ、と呟いた。