せめて、鼓膜を潰せたら / 女騎士オリエル
力任せに突撃してくるアンデッド・オーク。オリエルにとって戦いやすく、そして倒しづらい相手だ。
鉈を薙ぎ払うだけの、単純で早い攻撃。それをすっと後ろに下がって避ける。そして着地と同時に腰を落とし、全身をバネにして勢いよく盾を叩きつける。
ぎしぃっと腕に伝わる鈍い音、装飾の人骨が砕け散り、肉に刺さる。
盾の衝撃でたたらを踏んだ死者に目掛けて、握り込んだ柄頭で殴りつける。みしみしっと頭蓋が砕け、そのまま頭ごと砕け散った。
頭を失ったアンデッド・オークは、苦痛の様子を見せない。しかし、ただただ力任せに鉈を振るう。
刃をくぐり抜け、鉈を持っていた腕を切り捨てる。がしゃんと音を立てて、鉈と腕が転がった。落下した腕はぴくりとも動かなくなった。
危険性が低くなったことを確認してから、一度、下がる。
体を振り回すオークと這いずるアンデッド・オーク。両者とも人ならば致命傷を受けているだろうに、まだ動き回る。しぶとい、だがもうそれだけだ。
ぎちぎちと歯をかみ合わせ、体の力を集める。剣を高く掲げて、単純な、ただただ速く重い一刀を準備する。足に張った力を一気に放つ。そして、闘技場で枯れきって低くなった声で叫び、振り下ろす。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」
ごうっと落ちた片刃剣が首から、背骨ごと切り裂いた。鈍い音とも左右に死者の肉体が分かれた。手応え、あり。さすがに背骨ごと断ち切られたアンデッドは、くたりと動かなくなる。ぶしゅっと不自然に心臓が裂けて、血が広がった。
「っと、こういうことですかね」
一人、納得して次の敵へ向かう。はいずり回っていたアンデッド・オークは腕の筋肉で無理矢理、体当たりするように跳び上がる。そのまま張り付こうとする死者を剣で、頭を叩いてたたき落とす。
素早く這い上がろうとするオークを無造作に突き刺した。位置は心臓。やはり不自然に血が弾けて、一声呻くと死体へと戻った。理由は分からないが、心臓が核になっているのだろう。
これで戦えるが、今はそれをする時ではない。
「撤収ッ!」
それを確認してウィードが叫ぶ。振り向いて後ろを確認すると背には狐目の男を背負っていた。
まだ残っていた“豆の兵士”が突撃していた。ダスイーはそれに合わせて走ってくる。
無様な抵抗に、悪魔は赤口を開けて嘲笑うような声を上げた。ビリビリと迷宮を振るわせた。“豆の兵士”はウィードの指示通り、無心に悪魔を叩いている。しかし、動じた様子はまったくない。叩きつけられた松明に打撲も火傷を受けない。ただただ楽しげに歯を剥いた。
オリエルはウィードが巨漢達を引き連れながら元来た道を下がっていく様子を横目で見ながら、ダスイーを待つ。
「先、行けッ!」
「断るッ!」
叫ぶダスイーに短く答えると、悪魔を睨む。それは三日月のように口の端を上げると、指をぐるりと回し、円を描く。赤黒い魔力が走るダスイーの前に現れた。
ゆっくりと立ち上がるのは、やはりアンデッド・オークだ。虫も寄りつかない腐った内臓をさらけ出しながら、両手にそれぞれ剣を掲げている。そのまま、粗雑で素早い振り下ろしがダスイーに向かった。
彼は思わず跳んで避ける。意外な豪剣でダスイーがたたら踏む。次に来るのは、逆手による横薙ぎの剣だ。アンデッドとは思えないほど、うまい二刀流だ。剣が二つあることに振り回されていない。
ダスイーは転がって、これを避ける。そのまま、片手を軸に逆立ちするように体を回してぐるっと立ち上がる。軽業のような動きだ。
それを追撃するアンデッド・オーク。
「邪魔だッ!」
横に体を半歩ずらして避け、敵に合わせてダスイーは切り上げた。澄んだ金属音の後に、群青の光が爆発する。オークは青い光に覆われるとがっくりと元の死体に戻った。闘気が失われてしまったが、気にせずに走り込むダスイー。
悪魔の楽しげな声に冷や汗が出る。だが、ダスイーはあと少しで自分の横につくだろう。その直前に、笑い声がぴたりと止んだ。
じぃっと瞳もないのに、悪魔がこちらを睨んだのが分かった。思わず跳んで振り返るダスイー、カタナに闘気をまとわせて構えた。オリエルも横につく。
笑うのを止めた後、少し思考した後に、そいつは腕を回して、自身の前に赤黒い円を描いた。床を広く覆ったそれは五つの影を浮かび上がらせた。
うち四人はドワーフ鋼を使った板金鎧をまとった騎士姿だ。腹には顔の付いた太陽があしらわれた黄金のバックル。後ろに控える燃え立つような紅玉の埋め込まれた杖を持つ魔術師らしき男がいた。銀糸の衣服や外套を着ているが、ボロ切れのようにくたびれていた。
「なんだよ、これ」
呆然とするダスイー。口を開き、目を揺らしている。あれだけ強く固められた闘気すら散らし、青い光が消えていく。それを見て、逆にオリエルは気を張った。こんな無防備をダスイーが晒すのは明らかに異常だ。
召喚された者達をよく観察する。
先頭の騎士は構えから見てオリエルと同じ地方出身だろう。足さばきから見て手練れだ。他の三人は戦い方は違いそうだが、かなりの腕前である。そして、その後ろに魔術師がいる。強さは計れない。どちらにしろオリエルには魔術には対処しきれない。
そして、ダスイーに一瞬遅れて、オリエルもびっしりと汗を吹く。自身の顔色が青白く変わるのが分かった。隊の構成、構えと足さばきに対する既視感。そして太陽のバックル。陽光騎士団、兄グリセルに違いなかった。
それに満足げに笑うと悪魔は、指をくいっと動かした。
すると砕けた木の破片を踏む音が聞こえた。休憩室だった場所からぴしゃぴしゅと湿った足音が続く。よろよろと冒険者達がこちらに向かって来た。既に死んでいたはずの彼らには、虫一匹もついていない。
統率は取れていないようで、ひどく無様に転がるように部屋から溢れようとしていた。
怒りがカッと昇るのを感じながら、剣と盾を構え続ける。
これの討伐は今は不可能だと思うと同時に、斬りかかりたい衝動が浮かぶ。あの笑い声のせいだろうか。しかし、無理だ。
今はこうして遊ばれている状況に甘んじる。生き残らなければならない。
「下がりましょうッ!」
オリエルのひび割れたような叫び声に、悪魔が見せつけるようにせせら笑う。死者達も合わせて笑った。腐りかけた声帯による低く醜い声が耳朶を叩く。怒りに火がつきそうだった。兄への冒涜と、自身への嘲りに、すぐにでも刃を向けたくなる。
からんと“豆の兵士”が崩れ落ちるのが見えた。ウィードが集中を解いた。もう時間稼ぎは入らないのだろうか。
「オリエルッ! ダスイーをッ!」
「ッ! はい」
後ろから揺さぶるように杖を掲げたウィードがいた。
剣を乱雑に鞘に戻し、未だに放心したままのダスイーを片手で引きずってオリエルは駆けた。
「城を守れ、我が茨、永久の安息を覆すな」
ウィードの両手からざぁっと広がっていく青々とした茨。逃亡のため呪術は壁となって悪魔達の姿を隠した。
その様子を確認もせず、ウィードも二人を引きずって進む。
「グリセル」
横では呆けたままダスイーはそう、つぶやいている。何故か、その愕然としたつぶやきが嫌らしい笑い声より強くオリエルの耳に残った。




