届かぬ黄金 / 剣英ダスイー
いつ見ても体が震え、喉が痛む。この光景が過去と知っていても、ダスイーから痛みが消えることはない。頭の奥に警告の声がぐるぐると回る。
赤銅の竜がいた。岩の塊が組み合ったような分厚い肉体の上に、鱗が赤く鈍い光を反射している。翼のあるべき所はこんもりと瘤が膨れあがっていた。そして瞳は矢のような銀色で冷たく人間達を射抜いている。尻尾は苛立ちのままと石畳を叩いては砕いている。
赤銅竜の周囲には、ぎぃぎぃと鳴くリザードマンが群れている。手には槍を持ち、旗にはこの竜を模した紋章が荒々しくも力強く描かれている。
ここは一階層、迷宮の入り口だ。そこは元々は巨大な城にあっただろう広間だった。なぜか窓の外から差す煌々と輝くのは夜空だ。不自然な程、月光が強く輝いている。これは幻覚の類だ。
この荘厳な廃墟にあっても、赤銅竜は不似合いな程、強力な存在だ。本来ならば、もっと深い層にいるはずだ。
赤銅竜とリザードマンの一団はこの迷宮の深層から自力で昇ってきた。少なくとも二十一階層よりは深くからだ。
彼らは竜に従って地上を目指し、外に出るつもりだった。だが、出すわけにもいかない。他のリザードマンと違い、人類、いや、現在ある文明との協調性、融和性はまるでないようだった。地上にいるリザードマン達ならば文化が違うで済むだろう。しかし、竜に率いられた彼らはその様子はない。
何度、交渉を持ちかけても、彼らが神と崇める竜の意思のみを尊重していた。荒々しい災害そのもの、暴力の体現者としての相が色濃く出ている竜の意思を。となれば、相対は避けられないだった。この層より先は外だ。おそらく竜とリザードマンはその軍勢を維持するために街を襲い、収奪する。竜の本能がそうさせるに違いなかった。
リザードマン達は執拗に冒険者達に突き掛かった。
「シャアッ」
「うるせえ、蜥蜴野郎ッ!」
叫びと共に喉の痛みがいっそう強くなる。ダスイーはあえぎながら、カタナを振っては切り捨てた。相手の胴を断ち切る感触も、自分の動きですらも他人のように感じる。夢の証明だった。過去のダスイーは疲労がたまり、動きも判断も悪い。
だが、横にはグリセルがいた。
ダスイーは槍をかいくぐり、必死に青い刃で切り払う。それを幾度も幾度も繰り返す。足がもつれ、闘気が消えそうになるなるのを耐えながら、声でなく血で叫びながら、カタナを振るう。
相手もやられるばかりではない。鞭のようにしなる尻尾が下からすくうようにダスイーに振るう。だが、横から伸びた大盾によって受け流される。ダスイーの動きを助けるように大盾構え、長剣を振るいグリセルが死角を守ってくれている。グリセルは今と違って着ている鎖帷子がじゃらじゃらと揺れていて、兜は簡単な鉢金だけだった。
そのグリセルに向けて槍を振るうリザードマン。槍は簡単に鎖帷子を抜ける。ダスイーは咄嗟にナイフを投げつけた。鱗を抜いて肩に突き刺さり、一瞬止まった所をグリセルが切り伏せた。しかし、こちらと違ってまったく消耗の様子がない。余計なお世話だったろうか。
「助かったよ」
「お互い様だろ」
にっと礼を言うグリセルに軽く返答する。
周囲にもかき集められた冒険者達が必死に武器を振るっている。しかし、竜の爪牙がその数を確実に減らしていた。
記憶はあやふやで、彼らの血と臓物、人間の悲鳴がやけに鮮明に思い出された。
皆、腕利きというわけではない。二年以上前の頃だ。ダスイーも当時はまだ中堅程度の腕しかない。他の冒険者達にしても、この迷宮に集まった食い詰めものが中心だ。素人より動きは良いが、その程度だ。
ある者は尻尾に引っかけられて、槍で突かれて死ぬ。ある者は槍を防いだところを牙で喉を食い破られる。またある者は竜の爪に引き裂かれ、四散する。そうして死ぬ度に後方に引っ張られて、ごろりと転がされた。
「偉大なる収穫者よ、蛙の皿より慈悲を注ぎください」
朗々とした祈りの声が響く。“畑の男”の神官長ヴィンズだ。彼が祈った神の加護により、虚空より雨がわっと降り注ぐ。雨に叩かれると冒険者達の傷が癒え、気力がほんの少し戻ってくる。死んだ者達に雨が当たると淡い緑に輝いた。致命傷が埋まり、気管に詰まった血を吐いた。命が戻り蘇っていた。
よろよろと立ち上がりながら戦線に戻った。竜の爪のように肉塊に変える程の損傷がなければ、神の加護は即座に蘇生することができる。冒険者を再び戦わせることができる。
竜は苛立ったように尻尾で大地を叩き、ヴィンズをにらみ据える。
だが、神官長は一歩も引かず祈りを捧げている。服は大地を象徴する黄色だ。腕には実った貝殻の形をした宝石の数珠を持っている。“畑の男”の祭具であり、実りの力、また水源の象徴である“蛙の皿”だ。このアルディフの危難に際して、ヴィンズが神より直々に賜った品だという。
伝承によれば蛙の皿とは命の源であり、泉と雲の象徴だ。かつて“蛙の王”が一人で押さえ込んでいたものを“畑の男”が知恵を持って拝借したものだという。これから雲を作り出し、雨を降らせた。そうしてひび割れて死んでいた大地に命をもたらしたというのが“畑の男”におかける古き創造の神話だ。
その写し身である祭具“蛙の皿”は祈りの度に淡い緑色に輝く。そして蘇った人数に合わせて宝石を砕いていった。この祭具と高位の神官であるヴィンズの祈りを代価にして、神の加護により即座に蘇生と治癒が可能だった。
神話の体現を行うヴィンズの存在感は竜にも負けてはいない。竜が一声上げて、爪を振るい人を殺す。それに神官長が祈りの声上げると、死より冒険者が立ち上がる。竜の殺気と人の祈りがぶつかり合い、間には渦のような乱戦が起きていた。
冒険者はひたすらに立ち上がり、リザードマンを押していた。小集団ごとに前線の維持と攻めを行っている。
まだ成り立ての集団はせいぜい前線の維持が最大の功績だ。しかし、一部の中堅以上の冒険者集団は息のあった戦い方をする。グリセルとダスイーのように普段組んでいるのだろう。
竜の正面に立ち、神官長を守るよう立っているのは“鉄の瞳”と名乗るオークで構成された戦士団だ。巨躯で持って建材のような長く重い鉄の槍を振るい、リザードマン達が近付く前に打ち倒していく。
左手では魔術師を守り、それを魔術を砲台のように使って殲滅するのは“嵐の王”だ。魔術師は遠方にある魔術の学校で優秀な成績を収めたものらしい。
そして、右手にいるダスイー達、二人で一騎当千と当時は思っていた。その二人を前衛にして援護するのは“アルウ遊撃隊”だ。彼らは投石紐を使い、鉛の弾丸を絶やすことなく投げ続けて、相手を近寄せず倒す。ノームのアルウを中心に、ラットマン、ゴブリンなど小柄な異種族で構成されている。
ダスイー達も含めて目立つのは特にこの四組だろう。
一見、敵の数が減るばかりで、こちらが有利のように思える。だが、祭具“蛙の皿”の宝石の数はみるみるうちに減っていく。このままでは治癒の力は消え去るだろう。例えヴィンズ神官長であっても、即座の蘇生はできなくなる。
「命の雫、血の一欠片、我が鼓動は彼の鼓動とせよ」
周囲ではウィードや呪術師達が同じ呪術をヴィンズに掛けている。本来は病人に掛ける生命力や魔力を共有し、負担を軽減する呪いだ。ヴィンズの負担を少しでも減らそうという試みだった。それでも、じり貧だった。均衡はいつ崩れるのだろう。
竜はそれを狙ったのだろう。咆哮一つで竜の前にいたリザードマン達は横へと飛び退いた。ヴィンズ神官長と真正面に赤銅竜が立つ、大きな口を開いた。その喉の奥には灼熱の塊がゆっくりと渦を巻いている。溶岩そのものようなドロドロとした“竜の吐息”が放たれる。
強烈な光がパッと開き、偽物の夜を煌々と焼いた。
美しい橙色をした溶岩が散弾となって降り注ぐ。神官長の護衛に立っていた“鉄の瞳”は、避けられない。足を踏ん張り耐えようとするが、膝を突き、倒れ伏した。直撃して即死できたものはまだ幸運だ。オークの生命力持つ強いせいで、張り付いた溶岩にのたうち、苦痛の声を上げている。
あの溶岩が再び神官長へと放たれれば、もう蘇生はない。不安が広がり、焦りと恐怖が場を支配していた。皆、足がすくんでいた。
その間にリザードマン達が神官長へと殺到する。
「前ッ!」
ウィードの叫びが場を揺さぶった。彼女も溶岩の余波を受けて、右肩に黒く固まった溶岩が張り付いていた。ダスイーとグリセルはハッと正気に戻ると、同じように動いた“嵐の王”と他の冒険者達と共に正面に立つ。
リザードマンに押し込まれそうになる中、守りをグリセルに任せて、ダスイーはがむしゃらにカタナを振るう。
打ち合う中、二人は必死に刃を盛り返していく。
しかし、“嵐の王”は急な移動に前衛と後衛、互いの援護が間に合わない。その上、慣れない冒険者達と隊列がかち合い、本来の動きができていない。
あのままでは後衛にいた魔術師に、牙や槍が届いてしまう。混乱のまますり抜けてくる一体のリザードマン。魔術の威力を削ぐのは彼らにとって重要だった。これを機会に討ち取りにきていたのだろう。
おそらく普段は守られている故に、恐れが彼は判断を誤まらせた。自分と他人の命を天秤にかけて、あっさりと自分を取ってしまった。
「契約を為せ、氷原の王よ、荒ぶる力をここに顕せ」
魔術師はそのまま不安に流されて雹を放ち、味方ごと炸裂させる。護身のため魔術、“雹の嵐”というものらしい。自身の周囲に雹の弾丸をまき散らす無差別の近接魔術だ。白い魔力の光と共に、大量の氷の打撃が、そこで戦っていたものすべてに襲いかかる。
「馬鹿ッ!」
ダスイーは雹をいくつか斬り払うが限界がある。間に入ったグリセルの盾が悲鳴を上げて、掠めて爆ぜた雹の欠片がダスイーの胸を叩いた。幸い鎧で止まったが、衝撃が息が詰まった。倒れそうになるのを必死に足で押しとどめた。
ダスイーと違い直撃を受けた彼の仲間とリザードマンは全身に穴を開けて、のたうっている。鈍い悲鳴が、嫌に響いていた。
「ははッ、契約を――」
再度、魔術を放とうとそこから動かずに魔術師が魔力を編み始めていた。彼自身混乱しているらしい。威力は高いようで、白い魔力が収束していくのが見て取れる。成功すれば確かに竜にも届くだろう。
しかし、それはあまりにも不用意だった。彼を守る味方はすでにいない。元々、魔術を警戒していたリザードマン達から数本の槍が投げつけられて、悲鳴すら上げずに、あっさりと事切れた。
「ひでぇこった」
だが、これで両者の戦力に大きな穴が出来た。
「行こう」
「おうよ」
短く、端的に。それだけの受け答えだった。過去のダスイー達は自身の腕に賭けて、竜へ切り込むために、穴へと跳び込んだ。
穴を埋めに来たリザードマンを切り捨てる。頭を横薙ぎに抉り、邪魔しようとする方に蹴り飛ばした。体力さえ続けば、刃が鈍らないのが闘気の良いところだ。動きは多少鈍っても問題はない。
横では同じように、グリセルが別のリザードマンを斬り倒した。喉を一閃。ただの長剣で、鮮やかな切り口。いつ見ても化け物だ。
その手口を見ても、自らの主人を守ろうと動くリザードマン達だが、鉛玉がその意思を挫く。戦場をよく見ていた“アルウ遊撃隊”が、こちらの動きに合わせてくれたのだ。しかし、礼を言う時間はない。
「右、行くよ」
「ん、じゃ左で」
短く確認すると竜に向かって同時に踏み込む。ダスイーは左に跳び、グリセルは右手に位置を取った。盾をかざした戦い方だ。
こちらの戦いを見ていたのだろうダスイーを警戒して、竜は爪を振るい攻撃を繰り返す。赤銅竜にとっては軽く、牽制のような攻撃だが、人間は掠めただけで死ぬ。必死に踏み込んだ足の方向を必死に変えて、横に跳ぶ。そして倒れていく体を、側転の要領でぐるりと回して立ち上がる。
咄嗟に避けたが追撃があれば、おかしくない。死が連想が止まらない。先程まで感じられなかった汗が嫌に臭った。
竜の気を引くようにグリセルがガンガンと盾を叩く。金属の不愉快な音色に竜はあっさりとそちらを向き、爪を振るう。
それに対して、グリセルは手首に向けて盾を叩きつける。ミシミシと鋼の盾が悲鳴を上げる。しかし、石畳を凹ませながらグリセルは竜の腕をはじき飛ばした。
「ッ良し」
一瞬、竜の動きが止まったのを確認して、ダスイーは踏み込む。尻尾による攻撃はあるだろうが、切り払えばいい。闘気を宿したカタナに断てぬものなどない。これだけには自信があった。
竜がこちらを見た。やはり尻尾が来るだろう。一瞬、奴は歯を剥いた。それが笑ったような気がした。
狙いは変わらずこちらだった、のか。
恐怖が脊髄を走る。しかし、もう動きは止まらない。
地面すれすれに尻尾が振るわれた。ガラガラという硬い物が擦れる音が響く。目の前に現れたのは赤銅竜の尻尾、そしてダスイーへと注ぐ石の雨だ。赤銅竜の尻尾は先程から砕いていた石畳の破片を掬っていたのだ。苛立ちのあまりの八つ当たりではなかった。布石だった。しかし、竜にしては姑息だと場違いな感想が浮かぶ。
どうする。
その自問より早く、尻尾を切り付けたがその後が思い付かない。石の雨は全身を叩き、革鎧を貫く。腹に小さな石がいくつも刺さる。頭蓋を掠めて、血が溢れた。右目が目蓋ごと潰れさて、まったく見えない。
かろうじて断ち切った尻尾と共に、どさりと崩れる。ダスイーの体は動かない。衝撃で仰向けに倒れたままだ。息が詰まる。痛い。立ち上がることもできない。
対して竜は全く動じていない。尻尾は必要経費だとばかり、赤銅竜は悠然と爪を振りあげた。
だが、それは竜の顔面めがけて投げられた鉄板によって止められた。鼻を強かに打たれて竜は視線を向けた。グリセルが盾を投げつけたのだ。
盾を持たず、両手で剣を握る。それは初めて見るグリセルの構えだった。普段は両手で武器は振るわない。彼の役割は味方を守ることだったからだ。
恐れもなく、ただ真っ直ぐと青く澄んだ瞳が竜を見据えている。
「僕の友達に、手を出すな」
そう言いきると、赤銅竜に向けて踏み込むと剣を振るった。相変わらず速い。しかし、どこからしらの違和感が脳に入る。
次の瞬間、黄金の光が爆ぜた。光が消えると、振り上げていたはずの竜の腕が無くなっいた。肩口だけ残っていて、ぐちゃぐちゃに砕けて、血を吹き上げている。
苦痛の呻きが迷宮を揺らす。リザードマンも、冒険者達も、神官長ですらも止まっていた。目を疑い、心を疑い、現実を疑う。しかし、何度見ても竜の腕は砕け散っていた。肩口から高温の血を吐き出して、辺りに熱気を漏らしていた。
驚くこともなく、黄金に輝く剣を構えるグリセル。ダスイーには分かった。闘気だ。自身が使う技術を、教えてもいないのに、グリセルは使っていた。
悲鳴のように溶岩を吐き出す赤銅竜、無作為にダスイーに降り注ぐ。それをグリセルは闘気の剣を切り払った。一瞬、黄金の光が伸びて広がり、溶岩すらあっさりと消し去るのを見た。
ダスイー自身の左目が揺れた。怒りか、憧れか、寂しさか。すでに、自分では届かぬ高見へとグリセルは昇っていた。
あれだけの技だ、すでに出来ていたのかもしれない。気を使って隠していたのだろうか。友達を傷つけないために。それとも、この土壇場で目覚めたというのだろうか。
結論は知らない。問うこともできなかった。
血とは別に、肉体の力が抜けていくような気がした。現実にあった回想とはきっと別の感覚だ。今の、夢を見ている自分の思いなのだろう。無力感、虚脱感にうっすらとした嫉妬が溶けて消える。
グリセルは黄金の刃を真っ直ぐと構え直す。赤銅竜は怯えた声を上げて、最大の溶岩を圧縮し、こちらへ一気に放った。
黄金の剣をぎゅうっと握る。グリセルの闘気は周囲の空間を揺らし、たわませた。そのまま気合の声と上げて、剣を振り下ろした。
剣閃に乗って伸びた闘気が竜に向かう。すっと何かがずれた小さな音がした。
そのあと、永い、一瞬の静寂が体感として残った。ダスイーの中で世界が止まったように感じる。伸びた剣閃が空間を裂く様がずっと瞳に写り続ける。
音が戻った。
轟音と共に、溶岩の吐息ごと竜の肉体が切り裂かれた。竜は自身を構成する灼熱の血が溢れ、体内から流れ落ち、周囲に炎を上げていた。竜は目を閉じることもできずに、その生命を終えていた。
記憶の中のダスイーは他の者達と共に呆然としていた。ただただグリセルの後ろ姿を見ていることしかできない。黄金に輝く刃を握る、貴公子然としたグリセル。ただ一閃で、赤銅竜を打ち倒す男。
神話を見たようだった。
近くに駆け寄ってくるグリセル。しかし、この遠くにいってしまった友人は直視出来そうもない。ダスイーは目を瞑るとそのまま、意識を投げ捨てていった。




