冷たい、うごめき / 女騎士オリエル
迷宮を進んでいく。先程から息が重くなるほどの気配を感じ続ける。その不幸中の幸いか、あの怪物の位置がなんとなく分かった。闇の中、いくつもの石壁に隔たれているのに濃厚な悪意が分かる。あんなものがこの世にあっていいのだろうか。
張り付いた岩は湿っているのに、喉は乾いていく。つばを飲み誤魔化しながら、ダスイーの後ろを歩き続けていく。時折、視界の隅をちょろちょろするイモリ人間も戸惑ったように動き回ったり、怯えていたりする。
その様子をちらりと見ていると、ウィードとうっかりとぶつかりそうなる。立ち止まったようだ。いけない、注意力まで落ちているようだ。
隊列の前方は壁が途切れて、広い空間がある。そこには澄んだ水が薄く広がっていた。
「うし、渡るぞ。ついてこい、浅瀬なら問題ねぇだろ」
「やっぱり、か。面倒だなあ」
文句を一つ漏らすウィード。長衣の裾をまくり上げて、ベルトに挟み込む。水場では濡れてしまい、その後の動きを阻害するのを防ぐためだ。
隊列が止まったのはいい機会だ。オリエルは水袋を取り出して温く、強い酒を流し込む。喉を酒精が通り、多少の気付けにはなった。
ふぅっと一息つく頃には、ウィードの準備も終わった。
足には意外なことにしっかりとした革のブーツを履いている。服と顔色の性で痩せたような印象があったが、足の筋肉も綺麗によくついている。これなら、戦士でも通じるだろう。
視線に気が付いたウィードが、戸惑ったようにこちらを見た。
「え、何だい」
「ああ、いや、綺麗だなと」
「お゛う゛」
二人は微妙な顔をして、蛙の潰れたような声を上げた。んんん、と疑問しか浮かべられない。何を不思議がっているのだろうと、オリエルは口を開く。
「いい筋肉の付き方だと思うのですが。結構走り込んでいるようですし」
「ああ、うん、君がどういう奴かよく分かった」
「コークスグルトってこんな奴ばっかなんだなあ」
長いため息の後、呆れたダスイーが浅瀬へと足を伸ばした。続くウィードの後に付きながら、解せないと心中でつぶやいた。
足を浸すとすぅっと冷たい水の感覚が広がった。疲労によって火照った足には有り難い。ぴったりとした革鎧のおかげで濡れることもない。水音と足下をさらに気にしながら、ゆっくりと進む。
「ここらには、襲ってくる奴はもういねぇはすだ。ちっと気ィ休めてもいいぜぇー」
「ほう、何故ですか、再構築の後だというのに」
「主がいるからよぉー、追っ払うんだよ」
そういうダスイーの横を魚がすぃっと通り抜けた。鯉のようだが、頭部は人間の頭蓋骨がはまっている。瞳には暗い光を浮かべているが、灯火を嫌ったようで、すぐにどこかへ去ってしまった。
確かに危険性はないようだが、不気味だ。
「さっきも言っていた、トゲじいって呼んでいるマンティコアがこの辺りの主でね。たまに河熊や他の怪物も出てくるけど、彼が縄張りにしているから近くで召喚されても片付けてしまうんだ」
「そういうこった。じぃさんがいりゃあ、他の怪物も寄ってこねぇしなあ。マンティコアも他に召喚されたって聞かねぇーしなぁ」
水と闇に意識を裂いているが、足取りは軽い。友好的なマンティコアのこともあるだろうが、先程の怪物から感じる重圧が遠くなったおかげだろう。浅瀬をずんずんと行くダスイーに必死に食らいつく。さすがに、浅瀬をこれだけ長く歩き回った経験はない。
「うっし、そろそろ、か」
きょろりと水場を眺めて、またダスイーは真っ直ぐ進んだ。すると、ぽつりと浅瀬が途切れて、再び通路が広がっている場所がある。とうとう対岸についたのだろうか。ここが一番滑りやすい。慎重に足をあげて上がる。ひやりとするが無事、乗り越えた。
そのまま、水で足跡を残していく。十字路があったが警戒だけして、曲がらなかった。
「おぅーい、じぃさん、おッ、あ゛?」
先頭を行くダスイーが奇妙な声を上げた。
視線の先には不気味な石像がぽつんと置いてある。先程話題になったマンティコアと呼ばれる怪物の像だろう。苦痛に歪む老人の顔があり、獅子のものである腕は妙な方向にひしゃげている。サソリの尾は先端がひしゃげていた。
「なに、これ」
ぼうっとつぶやくウィード。視線を揺らして、近寄っていく。石像の下にわずかな気配があった。長い蛇の尾がぬぅっと伸びている。それが、さっと消えたと思うと軽い、鳥のような足音共に影が跳んだ。
その姿が瞳に映る一瞬、ダスイーから青い光が弾ける。なによりも速く、抜刀したダスイーが切り捨てていた。
カタナを抜くために手放しただろう、松明が軽い音ともに床を叩いた。僅かに遅れて飛び出して来たものがびしゃりといやな音を立てて床に落ちた。
上下に分かれたそれは、じたじたと壊れた玩具のように肉を動かしたあと、動かなくなった。
「コカトリス? もっと奥にいる怪物じゃなかったの?」
鶏の肉体に蛇の尾を持つ怪鳥の名だった。その爪や嘴に接触すると石になるという。ウィードは腰を落とし、それを調べる。頭は既に潰されていて、嘴はひしゃげている。両断された体はしゅうしゅうと音を立てて灰へと変わりつつあった。
「ならこっちはやっぱ、じぃさん、か」
カタナを握ったまま、ダスイーが悼むように石像に触れた。
単純な強さとしては、マンティコアに劣るが、それでも十分危険な怪物だ。あのマンティコアの像は、ふいを突かれて石化された本物なのだろう。
いや、それにしてもおかしい。頭が潰されたコカトリスが何故、先程まで動いていたのだろう。頭が取れた鶏がしばらく動き回ったという話はあるが、それにしてもあれほど活動的に、人を襲えるだろうか。
なにより、マンティコアの傷だ。このコカトリスは小型だ。力もおそらく鶏とそう変わらないだろう。何がそうさせたのか。
思考をぐるりと回していたが、断ち切るように顔に微細な痛みを感じた。何かが来ているのだろう。振り返り、剣を引き抜く。
引きずるような足音がした。十字路の右手から何かが近付いてくる。ダスイーが横に並んで、両方を確認した。
「人型、五。鶏、あーコカトリスは多数・・・・・・灯りなし。どうする幻でやり過ごすか?」
「駄目だ、おそらくこちらに気付いているんだろう? それでは幻は効かない」
ちらりと石像になったマンティコアを見て、ウィードは続けた。
「少し厳しいわね。トゲじぃがやられているぐらいだし」
「だろう、な。ここでなるべく、始末する。適当に削ったらケツまくるぞ」
「コカトリスは、私が止めます」
「お願い。ダスイー、こちらはいつも通り、茨の呪術かけるから」
「頼む、援護すっから準備してくれ」
十字路の先を見ながら、ダスイーは頷いた。オリエルとしては呪法については聞きたいところだが、話ている時間はない。簡単な打ち合わせを済ませて、得物を構える。気付かれている、と判断したのだろう。ダスイーが先程落とした松明から火を移し、新しい松明に火を付ける。それを無造作に通路目掛けて放り投げた。
炎が敵をくっきりと敵の一団を闇から解きはなった。
先頭には首を上下逆さへと曲げた革鎧、その後ろには錆び付いた鎖帷子を着た戦士達が歩いてくる。各々得物を握り、濁った液体を滴らせたままだが、気にした様子もない。明らかに腐敗が進んだ、死体だった。
それに続くのはコカトリス達だ。無言のまま、ちょろちょろと近付いてくる。眼窩から目玉をぽろりと落とすもの、翼がひしゃげているもの、足を無くして蛇の尾だけで這いずるものまでいる。
「負の生命力で動く死者、アンデッドですか」
オリエルの声に呼応するように無言だった死者達が低く、重い声で唸った。




