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鋼の声で歌って  作者: 五部 臨
鋼の声で歌って
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圧倒する顕現 / 女騎士オリエル




「慎重にいけ、足下だけは気をつけろ、そして慣れろ」


 大雑把に断言する男の声に、オリエルは頷いた。

 扉を開けた先は鍾乳洞のように岩が垂れ下がっていた。足下もよく湿っていて滑りそうだ。鍾乳洞と違うのは、道が人工物のように整理されているところだろう。よく見れば、石と石の継ぎ目が壁にはある。城や砦で使われる石組みの通路に無理矢理、鍾乳洞を張り付けたらこうなるだろう。

 迷宮とはいえ、世界の外、混沌に浮かぶ、滅んでしまった旧世界の一部だ。元々は人の住む場所でもあったはず。どんなものが住んでいた場所なのだろう。


 たわいのない思考を巡らせながら、二人に続く。十字路や、丁字路、行き止まりに見せかけた幻影の壁を何度か通り抜けた。迷宮の住人と遭遇することもあったが、相手から避けてくるので特筆することもない。

 イモリに似た亜人達は壁を這い、天井までさっと逃げ出し、こちらに警戒する。決して手は出してこない。


「あいつらはほっとけ、手を出さなきゃあ、いいだけだ。家に入らなきゃ、問題ねえんだ。人に寄っては、取引だってできるから、まー、覚えとけ」


 そう言ってダスイーは闇と湿気の路を灯火で開く。足取りにも余裕を持って進んでいる。

 オリエルも警戒は怠らないように付いていった。後ろを直接見ているわけではない。単純な足音、殺気が発する特有の臭い、肉体とは別にある霊感、それらをまとめて後ろに張っている。オリエルが闘技場での闇討ちに対抗するため身につけた技術だ。しかし、違和感が強い。


「なんというか、気配はあれど、出てこないですね。何かを怖がっている?」

「確かに、おかしいわね。以前はもっとごつい怪物ばかりだったのに、いやに静かね」

「避けてるのもあるが、やっぱ“巨像”もどきのせいじゃあねぇーか? この辺で、デカブツは河熊か、トゲじいぐらいだしよぉー」

「トゲじいじゃ、分からないだろう。彼はここの階層に住んでるマンティコアだ。ライオンの体、サソリの尻尾、飛竜の翼、老人の頭を持つ怪物だよ。マンティコアは魔術も使うから注意してくれ」


 ふんふん、とオリエルは解説にうなづく。闘技場で戦わなかったカードだ。警戒して悪いことではないだろう。


「まあ、ボケてなければ敵対はしないはずだよ。実際、彼は友好的だったし」


 懐かしそうな声、ウィードはきっと微笑んでいる。かつて兄とダスイーと組んで、この階層までやってきたことを思い出しているのだろう。


「兄さんか」


 ぽつりと、届くことのない声が迷宮に浮かんだ。

 死んだといっても動揺がオリエルには無かった。実感が付いてこない。以前にあったのが数年前、グリセルが家から出て行く時だった。尊敬すべき兄だった。なんでもできる、と通称された自由な男だった。武勇も並ではなかった。ただの剣で鉄をも断ち、振るうだけで魔術をはじき飛ばした。

 優しく明るいが、どことなく遠くばかり見ていたような気がする。

 いつか手の届かないところにいくのだろう。それが、悔しく、寂しかった。その気持ちも摩耗してしまったのだろうか。

 細かく付いた顔の傷を撫でて逡巡する。ぞわっと、その傷がうずいた。振り向けば、遠くから足音と影。僅かに吹く風には殺気の臭いが乗っている。


「後ろ、何か来てます。速いですね、このままだと追いつかれます」

「っと、よく分かったなぁ。うっし、こっちの路にこい。やり過ごすぞ」


 ダスイーが少し意外そうな声を上げて、横道の一つに逸れた。兜なしならこの程度はできるのだ、少し自慢げに胸を張って続く。こちらをじいっと見ていたダスイーは、何故か焦ったように目を逸らす。

 疑問が浮かんだが、近くに寄ってきた戦の臭いにさっと剣を抜き、姿勢を整える。


「いつものでいい?」


 ダスイーの横に立つウィードが壁に触れながら問う。彼はうなづくと、オリエルに静かにしてろと小声でいう。是非もない。


「我は見る、汝の姿。故にある、汝の姿。映せ」


 ウィードが暗い黄色の光をうっすらとまとう。う゛ぁん、と虫の羽ばたきような音共に、横道と通路を塞ぐように壁が現れた。しかし、それも一瞬でみるみると色が薄くなり、消え去る。


「幻影だ、事前に“ない”って知っていると消えちゃまうけどよぉー。外では壁があるように見えるはずだぜぇー」


 ぼそぼそとダスイーが告げた。ウィードの方は集中しているようで、一言も発していない。じぃっと前方を見ている。

 自分では見えない防御壁は大変、不安だ。


 足音が近付いてきた。

 息を呑む。話に聞いた“巨像”もどきだろうか、ゆっくりとした重い音も混じっている。回避しなければ、まずい。ここで消耗するわけにはいかない。


 通り抜けたのはオークの集団、数は十五人ほどだ。豚鬼とも呼ばれる彼らは、友好的ではない人型種族の代表である。例外はあるが、考慮する必要は今はない。彼らは人の首や頭蓋で出来た装飾品をじゃらじゃらと身につけている。


 彼らの後ろを巨大な影が追う。一応は人型だが、やはり異形だった。広い通路を狭苦しく動かす巨体。それは板金鎧のような外皮で覆われている。両腕も長すぎて、ほうきのように地面に付いていた。それを前足のように使いながら、ずんずんとその巨躯を進めている。

 目の位置は分からないが、頭部にはやたら生々しい赤い口がにぃいっと剥かれている。そこから鋭い歯の列が見えた。

 目の前に来た怪物に、顔の傷が痛む。じわっと広がった背中の汗が止まらない。圧迫されたように息がつまる。近寄れば近寄るほど、格の違いというものを感じる。殺気の臭いが強く、むせそうになるのを片手で押さえた。魂魄が震えるように、どこか体の芯のところが冷えていく。


 怪物は幸いこちらには気が付いていないようだ。あっさりと前を通り抜けていく。

 本気になれば追いつけそうだが、それはしないようだ。長い間走らせて疲労でも狙っているのだろうか。えげつない狩りのようだ。


 完全に立ち去るのを確認してから、ウィードが呪術を解いた。三人はやっと息をついた。


「この、階層はあんなに危険なのですか?」


 オリエルは圧迫感を思い出しながら問う。きっと青白い顔をしているだろう。久方ぶりの明確な恐怖があった。

 力なく、ウィードは首を振る。その横でダスイーは目を閉じて少し考え込んでいた。

 迷宮を走るわずかな風だけが、耳を揺らした。


 静かだった闇の中からオークの悲鳴が聞こえてくる。岩の特性のせいか、いやに反響した。遠くにいるはずなのに、彼らの流す血が臭ってくる気がした。

 オリエルは何度も、オークと戦ったことがある。彼らは決して弱くはない。近眼であることを除けば、戦闘においては人間より優れているだろう。鼻が利き、耳も良い。大概の場合、蛮族ではあるが、野獣ではない。そして成人のほとんどは戦士の修練を積んでいる。外で戦った顔面人とは違う。


 オークの悲鳴が途絶えた。それは、あまりにも短いものだ。追いつめられ、疲労していたとはいえ、十五人の戦士団が、だ。先程の怪物がどのようなものか、理解できた。


「避けられなかったら、やばかった。二人とも助かったよ」


 素直な口調で神妙にいうダスイー。彼なりの敬意だろう。こちらも真っ直ぐに受け取り、うなづいた。ウィードはへえー、気の抜けた声を上げる。珍しそうにそれを見ていたので、ダスイーに睨まれた。


「移動するぜぇ。あれを避ける順路だから遠回りになるが、いいよなぁ」


 是非もない。ウィードと共に了承すると、ダスイーは再び、暗い闇の中へ灯火を掲げた。





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