彷徨う悪意 / 盗剣士ダスイー
素早く慣れた道を一気に下った。半刻もかけず、すでに五階層を見渡している。通い慣れた下水路を、いつもと違う順路で進んでいた。警戒を怠らずダスイーは気を張っている。後ろの二人の足音だけが反響していた。
“知見の宝玉”のおかげで、かつてグリセル達が開拓した順路がよく理解できる。だが、再構築で何が変化しているか、分からない。グリセルはそれにやられたのだ。
「ダスイー、それじゃ、持たないよ」
自分では分からない疲労を指摘されて、振り向く。ウィードが困ったような顔でこちらを見ている。その後ろにはぴっちりとした革鎧をまとったオリエルがいる。松明を持ち、剣を腰に差している。少し落ち着かない様子なのは荷物になるため、盾は置いてきたせいだろう。自身のカタナを止めるような、盾さばきは惜しかったが、仕方ない。
ダスイーは気を取り直し、ふんっと鼻息を荒くて顔を前に向けた。
自身の持つ松明の灯りが頼りなく照らしている。あたりにはもっと強い光源である“ウィル・オー・ウィスプ”が等間隔で並んでいて、不気味な青白い光をまき散らしている。
「わぁっている、ちょいと落ちつかねぇだけだ。こんなトコ通るなんて思ってなかったからよぉ」
「まあ“たまり場”通るなんて正気じゃないわね、普通」
“たまり場”とは文字通り、この“ウィル・オー・ウィスプ”がふよふよと浮き続ける通路だ。わずかに横道に逸れれば、あの電光の塊が殺意を持って突進してくる。その上、もっとも奥にいっても何もない。ただ壁がのっぺりと待っているだけだった。
かつての探索で、うんざりとした記憶がダスイーには刻まれている。おそらくウィードもそうだ。
「ここが最速で着くんだからしゃあねぇわな」
時折、そんな記憶を呼び起こすように、ゆらりゆらりと光が揺れる。奴らの呪術である“好奇心”だ。うっかりと近寄ってしまう、という単純きわまりないものだ。油断していなければ、誘惑されるものではない。しかし、一度この呪いにかかれば、奴らの“たまり場”に入ってしまい、無数の電光球に焼き尽くされることだろう。
実際、それでダスイーは一度、死んだこともある。嫌な思い出を押し込むと歩を進める。
「っと右によっておけ。バネの罠だ」
「バネですか。発動するとどうなるんでしょうか」
「あン。んー、じゃあ見せてやろう、左に寄れ」
そういって隊列を動かすと遠方をじっと見た。
遠くからたったったっと軽い音。足音に見合わないほど重量のある猪のような魔獣がこちらに向かってきた。左に移ったダスイー達目掛けて突撃してきた。若い個体だし、下水には似合わない。再構築で出てきた怪物だろう。
「ダスイー殿っ!?」
「平気だっつーの、見てろ」
剣を抜いていたオリエルを片手で制し、魔獣の好きにさせる。
魔獣はそのままの勢いで突進、とは成らなかった。ダスイーから五歩は離れた所で、びょんっという間の抜けた音とも突然姿を消した。
遅れて肉の潰れる音が響いた。真横の壁に叩きつけられた猪の魔獣がいた。絶命しているようだ。
五歩進んだ所の床は、バネを伸ばして、斜めに浮き上がっている。ぐよんぐよんと揺らす姿は玩具のようで、場違いな感じがした。
「こんな風に横っ飛びにふっとんで、壁に叩きつけられる。大概はあんな風にそこで首折って死ぬ。生きててもウィルどもに焼かれて死ぬな。一度発動するとなんつーか間抜けだけど、怖ぇーぞ」
「経験者は語るわね」
「うっせぇ」
後ろへ向けて悪態を付くが、ウィードの表情は動かず、オリエルに微笑まれた。
届くことのない呪いの言葉を心中で上げながら、進む。緊張は薄くなったが、別の方向で落ち着かない。格好付かねぇなあ、とぼやきながら進んでいく。
“ウィル・オー・ウィスプ”の青白い光がパチパチと小さな音を立てて、行く先ら照らした。自然と会話が途切れ、右、左とダスイーが罠を避けるための指示だけが続く。
短いはずの距離をゆっくりと歩み続けた。
その通路がとうとう終わる。前には壁があるだけだ。ダスイーは腰に納めた小袋から、乳白色の宝玉を取り出した。
そしてその中の知識を再び、ゆっくりと引き出していく。
「こいつによれば、だ。この辺りに仕掛けがあるらしいぜ」
そう言って、しばらく握りしめると、またしまい込んだ。
屈んで、下から壁に振れた。宝玉の知識によれば壁を押すだけでいいが、再構築で変わっている可能性がある。念のため、ダスイーは調べ直していく。端からずらすように叩き続けると音が違う。そこをカチリと押し込んだ。
ずずっと分厚い壁が横にずれる。
中には大きな部屋があり、部屋すべてに不可思議な紋様が描かれている。
全員が入ったのを確認するかのように壁がまた閉じた。
「すごいわね。この部屋、魔力の塊よ。ここすべてが魔法陣なの! ああ、こんな所に気が付かなったとは私も抜けているわね」
「俺もだ。前回はまったく気付かなかったぜぇ。しかし、よぉ。こいつは二十階層直行のテレポーターだ、あんとき気付いてたら全滅だわなあ」
テレポーター、空間転移の魔術を刻んだ魔法陣や罠のことだ。ダスイーも彼自身が知る限り、似たような、小規模の部屋はある。うまくいけばショートカットとして使えるが、最悪は怪物の群れや再構築された罠の真ん中、あるいは壁の中だ。不測の事態が多すぎて能動的には使わない。
必要性がない限り、転移装置には手を出さない主義だった。
呪術師はすぅっと紋様にふれた。転移嫌いであるウィードは脂汗をかいている。
「んん、リオナちゃんがいれば、もう少し詳しくわかっただろうけど、今回は使ってみるしかないわね」
「そうですね。戻ったら是非、聞いてみましょう。リオナ殿も喜ぶはずです」
「そうかぁ? 毎回、陽光騎士団の奴らが使っているんだから調査なんていらねぇだろぉ」
「君には後で、ゆっくり話が必要だね。今はいこう、やるよ」
自身の苦痛を振り払うように会話を区切る。ウィードはゆっくりと魔力を流し込む。魔力のわずかな流れを鍵として発動のための大きな流れに変わっていく。
素人でも見える魔力の光、ぼうっとした白い光が全体を包むとぽっと視界が真っ暗になった。
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暗い。
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長い一瞬の後、ガンガンする頭と共にダスイーの意識が戻る。
視界が開けてきたと同時に、辺りを見渡す。同じような光景が広がっているが、戸になっていた壁はきちんとした扉に変わっている。宝玉の知識によれば二十階層にある隠し扉の中だ。転移には成功したようだ。
「あーあー、私はウィード、ウィード、ウィード。バルーシャ・ウィリオーンでもある」
ウィードは悪癖をぶつぶつと繰り替えしていた。転移において肉体と魂が交換される事故が多発していた時代もあるらしい。彼女は昔からそれを異様に恐れていた。最初こそ、いっしょに震えていたダスイーだが、いい加減慣れた。
「またか、いい加減にしろよぉー、気味わりぃー」
「うるさい、うるさい、うるさい。君は知識がないからそう言えるんだ」
「どんなだよ」
「語るよ、語っちゃうよ、語り尽くすよ」
恐怖のためか普段より高揚した様子のウィードにさっさと背を向ける。あれは駄目だ、しばらく別人だ。
どうしようと、疑問の視線を向けてくるオリエルに短く答える。
「ほっとく。いや駄目だ、時間がねぇな。しゃあねぇ暴力だ」
「賢明ですね」
珍しく共感したオリエルは、ぺちぺちとウィードの頬を叩く。優しいなあ、と横目で見つつ、ダスイーは床に耳を押し付けて、辺りを探った。
大きな足音、そして悲鳴のようなものが聞こえては遠ざかっていく。
「“巨像”でもいるのか? あとは人型多数、と」
一つの足音は大きく響くものだ。岩石や鋼鉄で全身ができた魔術で動かされる人形、ゴーレムの一種である“巨像”に近い。だが、どことなく違和感があった。
あとの人型は武装した人間型生物だろう。冒険者か、迷宮の中に召喚された亜人達の可能性がある。とりあえず、顔面人ならば靴を履いていないので、別の種族なのは確定だ。
トロル、ドワーフにはしては軽いし、エルフ、ノーム、ゴブリンにしては重い。尻尾を引きずる音はない。故にリザードマンやドラゴニュートはいない。羽音は聞こえないので大型のフェアリー種も除外だ。オーク、人間のどちらかだろう。魔術によって造られた人型生物というのもある。だが、そこまでいくと、もはや考慮しきれない。
「ま、これ以上、考えるだけ、無駄だな」
そう切り捨てて立ち上がる。視線を感じて振り向くと、やっと落ち着いたウィードがこちらを恨めしく見ていた。迫力がある表情だった。さすがに呪術師だと、からかいの言葉も入れたいが、際限がなくなるのでやめた。ここは迷宮なのだ。
「落ち着いたか、いくぞ」
「分かった。けど、覚えてろよ、君達」
「すみません……でも帰りもあるんですよ」
その指摘に押し黙ったウィード。ため息の後、ダスイーは声を上げた。
「言うな。心配は後だ。んで、なんか外にでかいのと、人型の集団がいるぜぇ。通り過ぎてったがよぉ、警戒しとけ」
さすがに、彼女達の切り替えは早かった。頬を引き締め頷くと、扉を開くダスイーに静かに続いてくる。
扉を開くと長く、暗い闇がどこまでも続いているように見えた。




