忌むべき誘い / 呪術師ウィード
放心している女盗賊に湯冷ましを飲ませる。ゆっくりと口に含ませて、落ち着かせた。食べ物も用意しようか、と問うが彼女は首を振った。それでもウィードは無理にでも食べさせようと、薄いスープを作りはじめた。
「悪いが」
じっと女の方を見上げていたダスイーが重々しく口を開いた。火を囲んでいた他の面々も視線が自然とそちらへ向く。
わずかにダスイーの視線が乱れ、また女へ向かった。
「何があった?」
臆病な、問いかけだった。貴方なら理解しているでしょう、と割り込みたくなる。
盗賊の瞳が震える。そのまま、静かに、澄んだ声を出した。
「みんな、死んだの。陽光騎士団は全滅、グリセルも、ルヴックも、アーデ、ゴルガン、フェス」
女の声が擦れていく。涙が流れていった。ダスイーは乱暴に、石畳に座り込む。放心しているようで、迷宮の上ばかり見ていた。
オリエルもリオナも声を出さない。出せないでいた。グリセルという男が死ぬ、ということは考えられないものだった。
運命に選ばれたものがいるとすれば、彼だっただろう。いつだって、グリセルは上手くやっていた。世渡りが上手いわけではないが、彼には人を惹きつけ、運を味方にすることができた。そういうものだと思っていた。
グリセル・コークスグルトは英雄であると、選ばれたものである。そして、不死身だと無意識に思い込んでいたのだろう。
すでに、予想していたことだが、受け止めるとなると耐えられなかった。
煮えていくスープを眺めていくことしかできない。
「なんだなんだ、皆の衆、暗いではないか」
蒸気をぷしゅうと吹き上げて、ガドッカが銅鑼声を響かせて立ち上がる。唯一、グリセルと接点がない。とはいえ、この阿呆は本当に空気を読まない。いつもなら、このポンコツを殴り倒すところだが、今はその気力がなかった。
「おい、娘、お主らが全滅したのは何階層だ」
我慢できず、杖を握りしめた。だが、それは意外にもオリエルが止めた。強い力でウィードを押さえ込む。オリエルは兄の死に耐えているのか、表情は冷たく止まっている。だが、青く澄んだ瞳は活力を失った様子はない。
女盗賊が落ち着くのを皆で静かに待った。
「三十階層、外みたいな扉があってそこで」
「ほうほう、発見された中では最深部か。さすが陽光騎士団であるなあ」
「そこで再構築で召喚が起こって、それで、みんな。鎧の化け物に、ああ」
気力のない声を打ち消すように蒸気を吹き上げた。機械で出来た神官は、よぉしっと気合の言葉を叫ぶ。
「なんだなんだ。死んだら蘇生させればいいではないか、ここでウジウジしてても仕方なかろう。娘よ、この機械神官ガドッカと仲間達に任せておれ」
「正気か、おまえの腕でいけば死ぬぞ」
「行く前から勝負を決めてはいけない、神は言った、挑戦しないものに栄光はない」
ダスイーの言葉にもこのポンコツの精神はゆるがない。機械なのに根性論であるのはザオウの迷惑な特色だ。
だが、その無謀な言葉は盗賊の瞳にわずかな生気を引き戻した。
「できる、の」
「ここな御仁、ダスイー殿は、専門家なのだ。心配はいらんぞ、娘よ」
無謀な、自信に満ちた言葉が部屋を走った。
顔を伏せるダスイーにリオナが短く、声をかけた。
「兄さん、行ってもいいよ」
「だがよぉー」
「それで、納得、できるの」
じぃっと、ダスイーとリオナは見つめ合った。火の揺らめきに二人の影がゆらゆらと動く。視線を互いの緑眼から離さない。
おそらく兄妹は無言で意思をぶつけ合っている。残念ながら、結果は見えていた。こういう時、根負けするのはいつもダスイーだ。
長く息を吐き、彼は立ち上がる。そして拳を合わせた。
「ハッ、しゃあねぇなあ、やるか」
「本気なの、三十階層よ。私たちの限界は二十一階層だったじゃない」
「そりゃあ馬鹿だと思うぜぇ、情報もなにも無しにそこまでいくのはよぉ」
こちらの戸惑いの声も打ち消す不自然な大声をあげる。ダスイーは不敵な顔を作って、親指で盗賊の女を差した。
「だが、三十階層までいった奴の情報を使えば、楽できる。かなわねえ化けモンでも避けて進めばいい」
「なんでも、話すから、グリセルを」
そう言って起きあがろうとするをダスイーは押さえて寝かせる。
「わぁーているよ、やるから落ち着け」
「地図があるの、鎧を見て、隠しがあるから」
女の言葉にオリエルが黒い革鎧を手に取った。ぱんぱんと叩いて荷物入れを探すと何かが転がって落ちた。乳白色の宝玉で、石畳で傷付くこともない。まだ探し回るオリエルをリオナが押しとどめる。そして、宝玉を掴んで、じぃっと見る。
「やっぱり魔法の品ね。記録の宝珠だけど微妙に違うわね、迷宮攻略のために地図用に特化してる感じかしら。この年式と紋章があるし、迷宮直産じゃない。地上の職人が作ったものね。
うーん、魔力の波長から見ると制作者は人間じゃないわねぇ。トロルかドワーフ、んー、結構、遊びがあるしノームかしら。とすると発動の鍵は……」
考え込み鑑定するリオナ。何故、波長で制作者が分かるか、ウィードには理解が苦しむが、彼女の才覚だろう。
「所有者になること、よ。貸して」
だんだんと意識もはっきりしてきたらしい。明確な口調でそう言うと盗賊は息を吐いた。言われるがままにリオナは宝玉を手渡すと、ダスイーの横に立った。
「“知見の宝玉”アルグズィノーよ、ラーハ・ヴエイはその所有権をダスイーに譲るわ」
そう言って宝玉を手渡す。ラーハといった女からすぅっと乳白色の魔力が流れていくのが見えた。そして、ダスイーへと届くと、染みこむように消えていった。
「これでいいわ。だいたい分かる、でしょう」
「なるほど、便利なモンだなぁ。知らんことも、知っているみてえに頭に入ってくる」
ふんふんと虚空に向かって頷くダスイー。彼はそのまま思考を続ける。
「うっし、やるぞ、ウィード。あー、リオナ、ガドッカ、オリエル、おまえらはこのねーちゃん連れて、一度帰れ。あと、食料置いてけ」
「なんと! 拙僧を置いていくと!」
カンカンと怒りの蒸気を吹き上げて、ガドッカは唸る。
「今回はよぉ、隠密行動が必要なんだぜぇ。おまえさんは、鉄の塊。脱ぐのは無理だろーが。それにラーハをこのままにはしておけねぇよなぁ」
「ぐ、ぬ」
珍しくダスイーが人を言いくるめたなあ、とウィードは無駄な感慨耽った。とはいえ、あの二人は納得するだろうか。
じっとリオナはダスイーを見ていた、思案が瞳に浮かんでいる。
「私は、ガドッカさんが地上に着けるように補助すればいいのね」
「そーいうこった、話が早くて助かるぜぇ」
意外にもリオナは問題ないらしい。だが、どこかしら、狙いがあるらしくダスイーへの視線を外さない。
「ダスイー殿、私も行きます」
「ダメだ。素人を奥に連れて行けるか」
普段の間延びした口調を投げ捨てて、きっぱりと断ち切った。
「なんと、ダスイー殿、オリエル殿は連れて行くべきです。兄上の危機に立ち上がれねば、末代までの恥となりますぞ!」
大声が蒸気の吹き上げる音ともに響いたが、ダスイーは首を振った。
「成功率を少しでも上げたいものね」
「そうだ、場慣れしている俺とウィードだけでいく」
意外にもダスイーの援護をするリオナ。
オリエルは震えて、顔を伏せた。彼女自身は今すぐにでも駆け出したいのだろう。先程まで死の衝撃に耐えていた瞳が、今は揺れていた。武勇という力を身につけた彼女にとって、自身の無力こそつらいのかも知れない。
「じゃあ、オリエルさんは連れて行くべきよ」
「あァン、なんだってぇ」
会話の横面を叩かれて、チンピラのような戻るダスイー。リオナはしっかりと準備していたように、言葉を続ける。
「まず、前衛、後衛の二人だけだと後ろからの襲撃に対処できないよね」
「なんとかする」
「後、死体はおそらく五人よ。兄さんだけじゃ連れてこれない。重要部位持ったとしても誰か一人は引っ張るので手一杯になる」
「ぐ、む」
「それで、グリセルさん以外は見捨てる、って選択肢が取れないでしょ、兄さんの場合」
「うっ、ご。いや荷物持ちならガドッカの方が」
「隠密だって自分でいったじゃない」
「いや、なら、オリエルだってなあ、鎧じゃねえか。あんな鎧で奥までいけるとは」
言葉に詰まり続けるダスイー。言いたいことはあるようだが、リオナのラッシュにはまるで敵わない。
そして、押し込むようにオリエルが参入した。
「脱ぎますよ」
「鎧もなしに奥までいけるかよ」
「借ります。問題ないですよね」
先程まで叩いていた革鎧を持って立ち上がり、ラーハに頼む。彼女はゆっくりと頷いた。ダスイーは頭をかいて思案してから、ゆっくりと口を開く。
「なあ、お前まで死なせちまったら、グリセルになんて言えばいいんだ」
「貴方まで死なせてしまったら、兄になんと言えばいいんですか」
準備していたようにさらりと言ってのけた。どこまでも真っ直ぐな青い瞳に、緑眼を揺らしてダスイーはたじろいだ。そのまま、もごもごと言葉にならない言葉を喉に溜め込んでいる。
勝負は付いている。早く負けを認めて貰いたいのだけど、とため息を吐いた。仕方なしに、ウィードはダスイーに止めを刺しに行く。
「私は連れてことに賛成。守ってくれる人がいれば安心だし」
「おいおい、おいおいおい。マジかよぉ」
「昔、君に護衛された時の話する?」
ウィードは頭巾を下ろして首を見せた。目に付くのは変色した首の皮膚、火傷の痕だ。たまらず、ダスイーは腰を落として両手を大きく広げた。
「がぁ、くそ、卑怯モンが」
「無視できるぐらい図太くなればいいのよ、半端に繊細なんだから」
口元を押さえながら、少しだけ申し訳なそうにダスイーに笑いかける。
「うっせ」
ダスイーはいじけたように荷物の準備に取りかかる。皆もそれに倣ってそれぞれの荷物を持ち上げた。
「食料と水は救出組になるべく移しておいて」
そう指示してから、ウィードはラーハの体調を確認した。良くはないが、地上までなら持つだろう。その後、神殿にいけば、なんとでもなる。神官長の祈りならば、失われた体力までも引き戻すことができるだろう。
ラーハは弱々しく、手を伸ばす。
「グリセルを、みんなをお願い」
「大丈夫、任せて。貴方はゆっくりと体を治すことを考えなさい」
その手を暖めるように包む。不安に揺れているラーハの体温はまだ低かった。
「何か、食べましょうか。そろそろ煮えたはず」
自身の不安を打ち消すように鍋の方に振り返る。いつの間にか吹きこぼれたスープが滴って、火を弱めていた。




