恐怖の女子水泳部 その1
ストーリーよりもダジャレと小ネタとギャグを重視したコメディです。作者が古い人間のためギャグが若干古めなのはお許しください。
物語は中編として既に完成していますが、ネタを補強することで短い長編くらいになるかもしれません。
気がつくと、あたしは、保健室のベッドの上にいました。
「大丈夫? ミコちゃん、目が覚めた?」
あたしの親友、古神真理――通称マリちゃんが、ベッドの傍らから、あたしのこと、心配そうに見つめています。
あたしは、自分がなぜ保健室で寝てたのかということが、全然わかっていなかったし、それに、まだ頭がぼうっとして、目の前に霞がかかったようだったけど、取り敢えずマリちゃんを安心させなきゃと思って、こう言いました。
「マリちゃん、その尋ね方は少しおかしいわよ。『大丈夫?』と聞かれて、あたしがその質問に対して何らかの回答を示した場合、その事実は、即座にあたしが現在目覚めていることを意味するわ。とすると、あたしに対して『大丈夫?』って尋ねた後で、『目が覚めた?』って聞くのは、全くの無駄ってもんじゃないかしら」
「……どうやら大丈夫みたいね」
「あら、あたしの答えも聞かないで、どうしてあたしが大丈夫だってわかるの?」
「その屁理屈聞いてりゃわかるわよ」
「あっ、そう。ホント?」
そう言いつつ、あたしはマリちゃんの表情を窺いました。今ではすっかり、マリちゃんの表情から、険しさが消えています。あたしの方も、話してるうちにどうやら調子が戻ってきたみたいで、もう、大丈夫なふりをする必要もなくなりました。
「ところでさ、マリちゃん。あたし、どうしてこんなところで寝てるのかな?」
「覚えてないの?」
「うん」
「ミコちゃん、あんた、今、学年中の笑い者よ。だって、プールで泳ぎながら眠っちゃったんだもん」
「やだっ! ホントに?」
背筋に冷たいものが走ります。
「ホントよ。それもね、1年生全員の目の前でよ」
「聞かせて! あたし、プールに入ってからのこと、全然覚えてないんだ。――あたし、どんなふうだった?」
「あんたの泳ぎ、物凄く速かったわよ。あれは男子のクロールよりも断然速かったわ。そいでね、あんた、ダントツのトップだったのに、ゴール寸前でいきなり手足の動きがぴたっ、と止まっちゃったのよ。みんな、びっくりしたなんてもんじゃなかったわ。心臓マヒで死んだのかと思ったもん。先生方なんか全員真っ青よ。あの人達のことだから、マスコミに、学校側の事前の健康チェックの不備を批判されるんじゃないかとか、下手すると訴訟沙汰にもなりかねないぞとか、考えてたんだろうけどね」
「まあ、そんなところだわね」
先生方の顔を一人一人思い浮かべながら、あたしは、相槌を打ちました。
「んでね、慌てて引き上げてみたらね、あんた、幸せそうにすやすや寝てたのよ。みんないっぺんに気が緩んで大笑いしちゃった。でも、種目が、背泳ぎでなかったら、あんた、呼吸できなくてマジに窒息死してたかもよ。――ああ、そうそうミコちゃん、あんた、1位だったわ。途中で寝ちゃっても、惰性でトップのまんまゴールインできるんだから、あんたって、やっぱ凄いよね」
マリちゃんが早口でまくし立てた言葉の内容から、あたしは、自分の身の上に起きたことを、だいたい理解することができました。そして、その時あたしは、心の中でこう叫んでいたんです。橘風太のバッカヤロー!
あたしの名前は神懸美子。ミコちゃんで通っています。私立聖バーナード学園高等部の1年生で、んでもって、部活動はまだどこにも所属していません。血液型はB型で、誕生日は3月5日です。
あたしは、学校ではかなり有名な存在だと思います。容姿端麗にして、テストは常に満点。その上スポーツも万能で、他にも学校生活において必要とされるありとあらゆる分野で、常時学年ナンバーワンの実力を発揮するスーパーレディ。――それがあたしです。
いいえ、正確にいうと、あたしが学校で演じている神懸美子です。でも、みんなそれが本当のあたしだと信じています。
けど、実は違うんですよね。本当のあたしは、たった一つだけ、常人にない能力を持っているんだけど、その他は、容姿端麗以外に何の取柄もないような、ごく平凡な女の子なんですよ。つまり、そのたった一つの特別な能力こそが、スーパーレディ・神懸美子を造り出す秘密の力ってわけです。
ぶっちゃけると、あたしは、霊媒師ってやつなんです。それも、とっても特殊なタイプ。
あたしは、降霊術によって呼び出した霊を自分に憑依させて、その霊にあたしの精神の代理をしてもらうことができるんですよ。
その際、知能や技能などのあらゆる能力は、その霊が自分に対して持っている認識通りのものに概ね変わります。どういうことかというと、霊に憑依されたあたしは、姿形以外は、その人物の属性をそっくり受け継ぐんです。まあ、運動能力なんかは、華奢なあたしの身体では再現しきれない場合もありますけどね。
ただし、降霊できるのはどういうわけか生霊だけで、死者の霊はダメです。ちょっと使い勝手が悪いですね。
で、憑依されている間、あたしがどうなっちゃってるのかというと、魂というか意識は、何だかよくわからない霊界みたいな場所へ飛んでいってます。だから憑依された自分がどう行動し、何を経験したかってことについては、あたしにはさっぱりわかりません。
けど、憑依した生霊はあたしの記憶の影響を受けていて、自分が神懸美子であると認識し、あたしがやるべきことをちゃんとやってくれます。しかも、その時の記憶は、元の肉体に戻ったらきれいさっぱり消滅してしまうんで、後腐れ一切なし。
ま、一長一短ありますが、基本的にとっても便利な能力です。
なのに。あーあ。失敗なんて、ここしばらくなかったのになあ。――思わず溜息が漏れてしまいます。
「さ、ミコちゃん。帰ろう」
マリちゃんが、あたしの説明の終了を待ち構えていたようなタイミングで言ってきました。
「え、ホームルームは?」
「そんなのとっくに終わっちゃったわよ」
「え、そうなの? なんか変わったことあった?」
「ミコちゃんの容体についてちょっと説明があって、なんかみんなウケてて、後は別に、いつも通りじゃなかったかな」
「ウケてて、って……」
思わず絶句。一応、気を取り直した振りをして、平然とした表情を作ってはいますが、心の中はまだまだ穏やかではありません。
失敗の原因はもうわかりました。順を追って説明しますね。
今日は午後から、1学年の水泳大会がありました。クラス別の対抗戦なんですけど、うちのクラスの女子に、背泳ぎできるのがいなくて、そこで、スポーツ万能という肩書を背負ってるあたしが、選手として選ばれたんです。でも、あたしって、本当はカナヅチなんですよ。それで、やっぱり、今回も降霊術、使うことになりました。
ところが、困ったことに、あたし、背泳ぎがうまい人、1人も知らないんです。オリンピックのメダリストなら名前ぐらいは知ってるけど、ある程度近い距離にいてくれないと、降霊は無理なんですね。
それで、あたし、切羽詰まっちゃって、テストの時にいつもご厄介になってる、橘君を降霊することにしました。
橘風太――通称「心のしもべ1号」。彼の凄いところは、なにをやらせてもトップレベルだってことです。勉強は、あたしに次いで2番。あたしに憑依して全問正解の答案を書き上げた後、我に返ってからの僅かな時間で自分の答案をほとんど仕上げてしまうという、天才君です。1度解いた問題をもう1回書き込むだけだといっても、やっぱり相当に大変だと思うんですよ。スポーツも万能で、ほぼ全ての男子運動部から勧誘を受けていると聞きました。あたしのスポーツテストの結果が抜群なのも、彼のおかげです。
だからこそ、今回も「困った時の橘頼み」でいいんじゃないかと思ったのが運の尽き。
失敗の原因はたった1つ。この橘君を降霊前にどこかに1人で閉じ込めておかなかったことです。霊体の抜けた肉体は文字通り魂の抜けた虚脱状態になるんですが、強い刺激を受けると、憑依した霊が我に返って元の身体に戻っちゃうんですよね。うっかりしてました。学年全員がプールサイドに勢ぞろいしてるんだから、心が抜け落ちた橘君が誰かに強く揺さぶられる可能性を当然考慮しておくべきだったのに。
でもって、こういう降霊術の異常終了の時は、決まって霊体のバトンタッチがうまくいかないんですよ。察するに、プールの中であたしの身体、魂のない状態がしばらく続いたんじゃないかな。それがプールサイドの人達には眠ったように見えたと。
まあ、見通しが甘かったと素直に認めましょう。うん。認める。済んだことは仕方ないし、橘君を恨むのはお門違い。んでもやっぱり。――橘風太のバッカヤロー!
というわけで後悔と反省の念にどっぷりと浸かりながら帰るとしますか。
今日のあたしん家は、あたしが夕食当番なんですよね。だから急がなきゃ。いつもは当然の如く母さんが夕食を作るんですが、今年からあたしの厚意で、週に1回だけは必ず、母さんに休息日をあげることにしたんです。親孝行でしょ。実は無理やり押しつけられ──なんてことはないですよ。厚意です。親孝行です。ホントです。
もっとも、実際に作ってるのはあたしじゃなくて、あたしに憑依した「心のしもべ2号」なんですけどね。肉体だけは間違いなくちゃんと休ませてあげてるわけだし、勘弁してねって感じ。「あらあんた、腕を上げたわね。あたしの味付けにそっくり」なんて面と向かって食卓で言われると、ちょっと申し訳ない気もしますが。
「ミコちゃん、ちっとも動こうとしないわね。帰らないの?」
唐突にマリちゃんがせっついてきました。
「あ、ごめん。考え事してた」
ま、こんなとこでウダウダ考えてても仕方がないですね。さっさと帰り支度しましょう。どうせこれから邪魔が幾つも入って帰宅時刻が遅れるのは見えてるんですけど。
うちの学校は、課外クラブが32もあるんですが、そのうち31の部から、あたしは強く誘われてます。男子部までがマネージャーになってくれって、もうしつこいしつこい。夏休みがすぐそこまで迫っているというのに、未だに放課後、必ずどこかの部の人達に絡まれちゃいます。勿論、最終的には何とか勧誘の連中を振り切って帰ってこられますけど、結構厳しい日課です。ホント鬱陶しいったらありゃしない。
あたし、部には入れないんです。長い部活動の時間、ずっと降霊術を使い続けるなんて無理ですから。いつか絶対にボロが出ます。かといって、マネージャーもやりたくありません。他人に尽くされるのは滅法好きですけど、尽くすのはちょっと。
「そういや、言い忘れてたけど、女子水泳部の連中が、さっきから、とんでもないカッコで、あんたを捜し回ってるって話よ」
急に眉を顰めてマリちゃんが言います。
「え! じょ、女子水泳部が!」
あたしは絶句しました。
女子水泳部は、今まであたしを勧誘してこなかった唯一の部です。
女子水泳部は、変わった部が多いうちの学校の中でも、極端に異常な部として知られています。なんでも、2年ほど前、校史に残るほどの究極の変態が4人集まって創部したものだそうで、その際、学校の公認をもらうために、大勢の罪もない生徒が、無理やりサクラの部員として狩り集められたと聞きました。
とにかく、その変態達の圧倒的な異常ぶりと、目的のためには手段を選ばない卑劣さが半ば伝説みたいになって、目下女子水泳部は、全校生徒の恐怖の的となっています。
例えば、家庭科の調理実習の現場に押し入ってきて、水の火あぶりは許さん、と言ってお湯を全部捨ててしまったとか、書道の時間の後、筆を洗っていた人を、水を汚すな、と言って殴ったりとか、乱暴な奇行を挙げればきりがありません。
天下無敵のこのあたしですら、今、ふと女子水泳部のことを思い浮かべただけで、突然ひどい悪寒に襲われ、くしゃみと鼻水が止まらず……。
あれ? これって風邪だわ。よく考えたら、あたし今、素っ裸でした。水着のまま眠っちゃったはずだから、保健室でベッドに寝かされる際に脱がされたみたい。
それはともかくとして、地獄の変態集団・女子水泳部の連中に付け回されないでいられるだけでも、九死に一生を得たようなものだったんです。どの部も喉から手が出るほど欲しがっているこのあたしに見向きもしないってのも、あの連中の異常さのゆえだろうと思って、その点、ほっとしていたのに、その連中が、今さらあたしに何の用があるというんでしょう。
「凄いくしゃみしてたけど、大丈夫?」
「大丈夫よ」
「そ。よかった。だったら、あの連中に見つからないうちに、さっさと帰ろ」
マリちゃんがさっきからやたらと「帰ろう」を連発していた理由が、ようやく呑み込めました。あたしも同感です。──でもねえ……。
「そうしたいのはやまやまなんだけどね」
あたしは、ベッドと掛布団の間から片足を高く突き出して、膝から先をぶらんぶらんしてみせました。
「あら、ミコちゃん、ハダカ? ――そうか。そういえば、服と内履き、更衣室に置きっ放しだったわ。待ってて。取ってきたげるから」
「サンキュー。――あ、ついでに保健の先生呼んできて。帰るって報告しなきゃ」
「先生、3時から出張だって。勝手に帰ればいいわよ」
「あっ、そう」
「んじゃ、行ってくるね」
マリちゃんは、ぱたぱたと軽い足取りで保健室を出ていきました。
んじゃ、あたしは、マリちゃんが戻ってくるまで、ボーッとしてましょう。
続く