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森魔女  作者: 黒いたち
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若草色の騎士

 厩舎(きゅうしゃ)の端に、滅多に使われない広い馬房(ばぼう)がある。

 数にして八。

 そのうちの六が埋まり、物珍しさから、いつもより人が多い。


 堂々たる体躯を、惜しげもなく衆目(しゅうもく)(さら)し、静かに寝そべるのは国獣(こくじゅう)に指定されている竜だ。

 世話をするのは、専門的な知識を持つドラゴン・ブリーダーであり、竜と共に滞在する彼らは国賓(こくひん)として扱われる。しかし大概(たいがい)が森に住む無骨(ぶこつ)な男のために、賓客(ひんきゃく)に足る部屋が用意されていようとも、彼らは竜と共に寝起きする。

 それを知る竜騎士団の隊員は、厩舎に一番近い部屋を準備して、彼らに提供している。

 竜の生態を熟知(じゅくち)するドラゴン・ブリーダーとの会話は尽きることはなく、友人と呼べるまでに時間は掛からなかった。


「竜騎士団だ、通してくれ」

 竜を一目見ようと関係の無い者で溢れる厩舎(きゅうしゃ)を、リュードはすり抜けるように歩く。

 ただでさえ狭い通路が、人の熱気で息苦しい。

 不機嫌な顔を隠そうともしないリュードに、周囲は露骨に嫌悪を示す。

「ただの小隊が、偉そうに」

「てめぇらに乗られる竜が、哀れで泣けてくるぜ」

「お貴族様(きぞくさま)の遊びは、金がかかるな」

 ヒソヒソと陰口がたたかれるが、この狭い空間で耳に入れるなという方が無理だ。


 隊長を除き、隊員が十名以上の場合には本隊(ほんたい)、未満で小隊(しょうたい)という呼称がつく。

 王立騎士団の第二小隊――通称、竜騎士団の隊員は五名である。

 小隊は必ずどこかの本隊に属するので、竜騎士団は第一本隊の一小隊に過ぎない。

 しかしそれは形式上のことであり、実質上は本隊と同様の扱いを受けている。

 その証に、王立騎士団には第二本隊という部隊が存在せず、第一本隊の次は第三本隊となる。

 特別扱いをよく思わない者も多いために、彼らは常にやっかみに(さら)される。


 竜に乗れる隊員とは、幼い頃から乗竜訓練をすることができるほどの私財を持つ貴族の集まりだ。

 貴族に嫁ぐ女性というのは総じて美人であり、その息子が見目麗しいのは当然の結果だ。(ねた)みや(ひが)みが集まってしまうのも仕方ない。

 そして彼らは投げつけられる野卑(やひ)を、慣れたように涼しい顔で受け流す。

 その態度がまた周囲を逆なでし「お貴族様」という悪名が横行する結果となった。


 リュードの後ろを、アーリーは肩を縮こませながら歩く。

 色素が薄く、白髪(はくはつ)灰白色(かいはくしょく)の瞳を持つ彼は、好奇の視線を集めやすい。

 その上、この場にいる騎士は紺色の活動服を着ているのに対し、リュードは白を基調とした王立騎士団の制服――活動服に対し正装と呼ばれるもの――であり、アーリーは乳白色の神官服だ。長衣を着ていないために黒いズボン姿ではあったが、余りに目立つ二人組となってしまった。


 リュードに気付いた竜が、ゆっくりと(まぶた)を上げ、その隣に腰掛けて目を瞑っていた男が目線をよこす。

 よく日に焼けた彫りの深い顔に、無精髭(ぶしょうひげ)を生やしている、がっしりとした体躯の男だった。

 他に二人いるはずだが、人の多さに辟易(へきえき)して、何処かに雲隠れをしているのだろう。人間よりも竜と過ごす時間の方が圧倒的に多い彼らは、大勢の野次馬と接することに慣れていない。


 リュードが目配せをし、それに男が目線で(こた)える。

 それだけで充分だった。

「行くぞ、アーリー」

 その早業(はやわざ)茫然(ぼうぜん)としていたアーリーは慌てて後に続く。

 二人が馬房に入ろうとした時、後方で(ざわ)めきが起きた。

 



 人垣(ひとがき)が二つに割れる。


 その間を当然のような顔で闊歩(かっぽ)するのは、並外れた美貌(びぼう)を持つ長身の青年だった。

 少しも癖の無い金の髪を腰まで伸ばし、女性と見紛(みまご)うばかりに整った顔立ちを誇るように胸を張っている。

 長い金の睫毛(まつげ)(ふち)どられた涼しげな碧眼(へきがん)優美(ゆうび)に細めながら、洗練された動作でリュード達に接近する。

 その後ろに控えるのは、屈強な男が二人。

 いずれも王立騎士団の活動服を着ているが、剣をたずさえ、不穏な空気を発している。


 彼らを認めたリュードが、心底嫌そうな顔をする。ついでに舌打ちまでして、青年に向き合った。

「見学なら後にしろ、マグノリア・ルーベル」

「やぁ、リュード・トレイル。めにつる、という言葉を知っているか」

「あぁ? わざわざ掃き溜めにまでご苦労なことだな」

「獣臭くてかなわないよ」

 マグノリアは、左の手の平を上に向ける。

 控えた男の一人が、その上に書類を乗せた。

「リュード・トレイル、召喚状発令に(ともな)い、貴殿の身柄を拘束する」

 マグノリアはよく通る声で書面を読み上げる。

 控えた男に書類を返すと、面白そうにリュードを見やる。

「しばらくの間に、ずいぶん大層なご身分となったな。いつから王命(おうめい)を曲げる不忠(ふちゅう)(やから)に成り下がったのか、よかったら聞かせてもらえない?」

 尊大(そんだい)に構えたマグノリアは、優雅に微笑んだ。


 突如(とつじょ)現れた異彩を放つ集団に、周囲の視線が集まる。

 興味本位で成り行きを見守る大勢の人間を見渡し、マグノリアは薄く笑う。

大罪人だいざいにんを、私情で見逃したそうだね。竜騎士団は、大罪人を筆頭に謀反むほんを企てていると、もっぱらの噂だ」

下世話げせわな噂の、真相を確認しにきたのか。よほど、暇らしいな」

「火のないところに、煙はたたない。現に、王立裁判所は、君をご指名だ」

「底意地の悪い言動は相変わらずだな。被疑者ひぎしゃとしてならば、罪名を読み上げてはどうだ?」

 

 嫌悪を含んだ笑顔で顔を付き合わせる二人の後ろで、アーリーは首をひねる。

 リュードの言い方では、王立裁判所からの召喚状しょうかんじょうは、悪い知らせではないように聞こえる。

 アーリーなど、王立裁判所と聞いただけで、軽く身震いしたというのに。

「どういう意味です?」

 アーリーにそでを引かれたリュードは、片眉を上げてため息をついた。

「あいつの持っている召喚状は、証人としてのものだ。俺は、大罪人・・・の容疑を固めるための、証人として呼ばれるだけだ」

 アーリーは、露骨に安堵あんどの表情を浮かべる。

「それを伝えに来ただけ……それが、あの人の仕事なんですね」

「そうだな」 

 頷き、肯定こうていを示したリュードは、マグノリアに向かってわらう。

「俺が、ミライ隊長の冤罪えんざいを証明するところを、見届けるお仕事だ」


 マグノリアに、無表情で進言する男がいた。

 まるで密約を交わすように、耳元で何事かを(ささや)く。

 それに対し、マグノリアは小さく頷く。

「さて……厩舎きゅうしゃにいる時点で、逃亡を目論んでいることが確定したわけだが、何か言い残すことは?」

「逃げるわけがなかろう。ミライ隊長の潔白を、おおやけに証明する、絶好の機会だ」

 それを聞いたマグノリアが、かぶりを降る。

 その表情は、聞き分けのない子供に対するような、あきれを含んだものであった。

「我々は、逃亡を阻止する過程で抵抗に合い、やむなく剣を抜く。はかの下から、どうやって証言する気だ」

 血色の良い唇を舐め上げ、マグノリアが嬉々として抜刀する。

 背後に控えていた男達も、次々に剣を抜いた。


 言い掛かりでしかないマグノリアの態度に、アーリーは絶句する。

 竜騎士団の隊員が、竜の居る厩舎に、来ないわけがない。

 なぜ、リュードまでしいす必要がある。

 問答無用に、口封じをする訳とは。

 リュードが証言台しょうげんだいに上がってしまうと、ミライの無罪性が高まるのか。

 そもそも、なぜ今になって裁判を開く。

 秘密裏にミライを始末しようとしていたのに、おおやけで断罪する意味は何だ。

 

 アーリーは、次々に湧き上がる考えをまとめようとするが、抜刀した男達の殺気にされ、中断する。

 刃物を向けられることに慣れておらず、体が後ずさった。

 

 丸腰な上に、武道の心得も無い。

 ここで自分が盾になり、リュードを逃がすべきなのか。

 不慮の事態に備え、聖水はリュードにも一本持たせている。

 神官でもないリュードが行ったところで、ミライのドッグタグに加護を付与ふよすることはできない。

 だが、たどりつかなければ、元も子も無い。

 聖水さえあれば、その場でも、できることがあるかもしれない。

 森魔女もりまじょが、何とかしてくれるかもしれない。 

 ミライの元にたどりつく確率は、リュードの方が圧倒的に高い。

 竜を駆る技術、身を守る方法、突発的な事態への対応力。

 そのどれもがリュードには有り、アーリーには無い。


 アーリーは、この状況で考えられる最適な策(・・・・)に、覚悟を決める。

 リュードに伝えようと、隣りを見たアーリーは、動きを止めた。


 正装せいそうに身を包んだ、まだ線の細い少年は、背筋を綺麗に伸ばしていた。

 張り詰めた緊張感を持ちながら、落ち着き払った、その様子。

 よく似た衣装を、見たことがある。

 アーリーの胸に、記憶の中から、蘇る声があった。


 ―― 来てくれたのか。


 嬉しそうな、笑顔。

 正礼装せいれいそうの、少年。

 浴びる陽光。

 暗群青の、その瞳の奥に宿す感情は――


「……ミライ」


 ―― 俺は、死ぬのが、怖い。


「そうですよね」

 命の危機に瀕して、ようやくその気持ちが理解できた。

 何ができるかわからない。

 何もできないかもしれない。

 根拠も自信も無い、ただの思いつきでしかない。


 それでも。


 行かなくてはならないのだ。

 アーリーが、ミライの元に。

 あの日、助けることができなかった。

 助けてもらった恩を、未だ、返してはいない。


 ここで、大人しく殺されてやることだけは、できない。


 リュードと、目が合う。

 彼は、わずかに動かしたあごで、竜を指した。

 力強い若草色の瞳は、この場を何とかしてみせるという自信に溢れていた。

 アーリーは、目で頷く。

 リュードは、任せておけと言わんばかりに、抜刀ばっとうした。




 身構えた男達の前で、リュードは斜めに刃を払う。

 柄をすべらせ逆手さかてにし、頭上で振り回す。

 体重移動に合わせて、柄を回転させ、刃を正面で止める。

 カチリ、と柄が鳴る。

 剣先から順に夕陽があたり、鈍い煌きが幻想的な雰囲気を与えた。

 

 突然の剣舞(けんぶ)に、マグノリアは目を見張る。

「……余興(よきょう)かい? 挑発にしては、美しい」

 リュードのすぐ背後にいたアーリーは、間近で旋回する刃に、度肝を抜かれる。

 激しく脈打つ心臓を落ち着かせようとして、リュードのさやに添えた左手が、不自然な形になっていることに気付く。

「観客が多いからな」

 リュードは、斜めにした体を盾に、アーリーだけに見えるよう、後ろ手に(こぶし)を開く。

 そこには、銀の鎖に繋がった、二枚の銀のプレートがあった。


 神官の職に就く者として、それを見紛みまごうことはない。

 騎士の拝命式の際に、神官が加護を付与して授ける、認識票(ドッグタグだ。

 竜に騎乗する際に必須の――身につけていなければ、竜が拒むため――竜騎士にとって、命の次に大切だといわれている。


 アーリーは、慌てて自分の体でそれを隠す。

 周囲に怯えたように見えるようにリュードの背にしがみつくと、震える手で、彼のドッグタグを受け取った。

 ―― どうか、無事で。

「……離れていろ、アーリー」

 交差する思いは一瞬で、お互いの身を案じた手が離れる。

 受け渡しが完了したことを確認して、リュードはアーリーの体を後方へと押す。

 アーリーはわざと不安気な表情を作り、彼から下がった。


 今にも斬り合いが起こりそうな切迫した状況に、周囲の緊張が高まる。

 その隙に、アーリーは少しずつ後退していく。

 大勢の視線は、対峙(たいじ)する男達に注がれ、単純な男が多いことに感謝しながら、アーリーは人ごみの中に体を(まぎ)れさせた。


 完全に人ごみを抜け出し、見物人が居なくなった竜の前に辿り着く。

 後ろで大きな歓声が起き、甲高い金属音が混じる。

 思わず振り返るが、見えるのは大勢の背中だけだ。

 こちらを見ている者はおらず、人の壁は、うまい具合にアーリーの姿を隠していた。

 リュードの思惑どおりであろう展開に、アーリーは助けられていることを痛感する。

 

 ドラゴン・ブリーダーの男は、こちらの意図をはかり、目線で竜を示した。

 青い竜にはすでに鞍が置かれており、アーリーは怖々こわごわと近寄る。

「よろしく……お願いします」

 竜が鋭い視線をアーリーに向け、次いで手中のドッグタグに向ける。

 アーリーは慌ててリュードのドッグタグを首に掛けると、促されるままに、(あぶみ)に足を置いた。

 初心者のアーリーに、男は手を貸す。

 呼吸を合わせ、飛び跳ねるように騎乗した。

 いきなり高くなった視界に、僅かながらの恐怖と爽快感を感じた。


「着ろ」

 薄着のアーリーに、厚手の上着が投げられる。

 動物の皮で作られ、防寒性・機能性に優れた上着は、上空で凍えぬために必要だ。

 危なっかしく受け取めたアーリーが素直に上着に袖を通す間に、男は鞍から伸びた命綱を、アーリーのベルトに手早く固定していく。

 接続用の金属のリングは小さな長方形だ。開閉するための小さな部品が付いており、それは指で押して半回転させると開き、手を離すと閉まるように出来ている。


 上着の前を閉め、少し長い(そで)を上げて、アーリーは無口な男に向き合った。

「あの、操縦したことは、無いんですけど」

 (あき)れられることを覚悟で小声で告げると、男は承知したように頷いた。

「念じろ」

 低く腹に響く声であった。

 その渋さは説得力を持ち、アーリーは頷くと竜の手綱(たずな)を力いっぱい握り締めた。

 ―― 君が昼間に訪れた場所。森魔女と、ミライのところへ。

 すると、竜が頷いたように見え、アーリーは目をしばたいた。


 光合成を好む竜のために、広い馬房には屋根が無い。

 足の鎖はすでに外され、(いまし)めを解かれた竜が大きく羽ばたく。

 巻き起こる風圧にようやく周囲が気付いた時には、すでに国獣は大空に駆け上がっていた。






「……離れていろ、アーリー」

 アーリーにドッグタグを渡し、リュードはアーリーの体を後方へと押す。

 アーリーは、不安気な表情で、後ろへと下がっていく。

 その表情が演技だと分かるのは、長年の付き合いからか。

 多少、大袈裟おおげさにも見えるが、マグノリア達が気にしている様子はない。

 この状況で、演技をする図太さがあるのなら、心配はいらないだろう。

 これからリュードがすべきことは、アーリーが飛び立つまで、マグノリア達の注意を自分に引きつけておくことだ。

 派手に立ち回ることは得意ではないが、それが牽制けんせいに繋がることを、リュードは知っていた。

 リュードが恐れるのは、目の前の敵よりも、周囲が敵と化すことであった。

 

 マグノリアの前に出た男は二人。

 厩舎きゅうしゃの通路は、剣を交えるにしてはせまい。

 前後の間合いをとる男達は、列をついているようだ。

 リュードにとっては、好都合であった。

 敵が何人いようとも、一人ずつしか攻撃してこなければ、勝算しょうさんは高い。


 明らかな殺意を持って、繰り出される斬撃ざんげきを、リュードは軽々といなす。

 正面から受け止めるのではなく、剣同士をこするように滑らせるだけで、相手は勝手にたたらを踏む。

 要は、相手の力の方向を変えるだけだ。


 男がバランスを崩した隙をねらい、リュードは小回りのきく体で、相手の懐に滑り込む。

 驚愕した男が、体を引く。

 無防備に上がるあごを、リュードはひじで強打する。

 男の頭が揺れた。

 続けざまに、みぞおちをひざで打ち、おまけとばかりに回し蹴りを決める。

 男の手から剣が落下し、地響きを立てて、巨体が地に伏した。

 小柄なリュードが、大柄な男を倒す光景は、周囲に強烈なインパクトをあたえた。


「竜騎士団が、なぜ強いか、知っているか?」

 リュードは、剣柄をもてあそぶように回す。

 剣舞けんぶの続きか、風を切る音が、その速度を物語る。

 不穏な色を宿した瞳で、リュードは彼ら・・を見渡す。

「貴様らが、訓練のたびに本気で殺しに来るからだ。その礼をしてやろう。案ずるな、俺は義理深い。騎士たるもの、やはりそうでなくては、なあ?」

 演技がかったセリフにもかかわらず、人垣が後退したのは、心当たりのある者が多すぎた結果だ。

 リュードは、首尾良く牽制けんせいが出来たことに口角こうかくを上げ、次の男に向かって疾走した。


 放たれる殺気の中に怒気どきを嗅ぎ、リュードは薄く笑う。

 この程度で冷静さを失うとは、見掛け倒しもいいところだ。

 振り下ろされた刃は、力任せの単調な動きで、それは男の頭の出来を表しているかのようだ。

 それでなくとも体が大きい者は動きも大きく、敵に読まれやすいために注意が必要だというのに。

 マグノリアの指導不足か、訓練で別の目的・・・・に囚われすぎたためか。

 どちらにしろ、彼らの怠惰たいだが顕著に現れた事例であった。

 ―― ミライ隊長では、ありえないことだ。

 こんな初歩的な事も知らずに、有事の際にどう働くつもりだろうか。

 軽く体を引き、最低限の動きだけで剣先を(かわ)すと、男が驚愕して目を見張った。

 ―― いっそ、哀れだな。

 大柄な男と、真っ向から対峙たいじする気など、はなから無い。

 軽く足をかけると、男は無様によろめいた。

 ―― 己を知らずに、勝てる戦いなどあるか。

 もしあればそれは偶然の産物であり、その上に培われた自信は(おご)り以外の何物でもない。 


 ふいに、風が起きた。


 足元の砂埃すなぼこりが流れ、ざわめきが起きると同時に、目をふさぐほどの暴風が吹き荒れる。

 馬具や農具、わらなどが、人にぶつかり、物にひっかかりながら、壁まで飛ばされていく。

 広い馬房には屋根が無い。

 しかし飛び立つには狭く、周りの屋根板が数本、へし折られて落下する。

 屋根板ではさまたげにもならないほどの威力を持つのは、固いうろこに、骨ばった大きな翼。

 手網たずなを付けた一頭の竜が、夕陽をいっぱいに受け、きらびやかに大空に舞い上がった。



 

 どよめく群衆の中で、リュードだけがよどみなく行動する。

 間抜けにも、男は竜に気を取られたままだ。

 リュードは素早くその脇をすり抜けた。

 視界をかすめる新緑の影に、男が慌てて振り返る。

 その無防備な腹に向けて、リュードは強烈な後ろ蹴りを放つ。

 受身を取る間もなく、男はごった返す観衆の中に突っ込むように倒れた。

   

 リュードが履く騎乗用ブーツは、靴底ソールに鉄がませてある。

 頑丈で壊れにくいために、荒っぽい用途にも適した作りともいえる。

 小柄なリュードは素早さに長けており、勢いを付加することで、強烈な一打を放つことができる。

 これもひとえに、武具が使用できない状況での訓練で、身を守るために、死に物狂いで特訓を重ねた結果であった。


 身震いするほどの殺気に、リュードは反射的に剣をかざす。

 低い打撃音が反響した。

 重い一打に、かかとと地面が摩擦まさつを起こす。

「よく、受け止めたね」

 受け止めたのではない。

 たまたま、攻撃が当たった場所に、剣があった。

 右手が弾かれた方向に、運良く左手があり、それで耐え切れた。

 マグノリアの碧眼が、間近に迫る。

「死角から、飛び込んだのに」

 リュードは、嫌な笑みを浮かべるマグノリアを睨み返す。

 まさか、間合いに入っているとは、思わなかった。

 上背も体格もまさる相手が、全力で突っ込んでくれば、体重の軽いリュードがこらえきれるはずがない。

 奥歯を食いしばり、刃を押し返す。

 力では敵わないはずが、マグノリアはあっさりと体を引いた。 

「健闘賞」

 リュードは飛び退き、間合いを取る。 

 今頃、手がしびれてきた。


 マグノリア・ルーベルは、凶人きょうじんだ。

 人を斬りつけることに、快楽を抱く。

 ルーベル公爵家には、血生臭い噂がある。

 マグノリアは、家に、お気に入りの人形・・をおいているらしい。

 ルーベル公爵家が慈善事業に力を入れているのは有名な話であり、孤児院をいくつも経営し、身寄りのない子供達の後継人に名乗りをあげている。

 経費として計上されるのは金額であり、人数ではない。

 孤児自ら、孤児院を抜け出すこともあるために、全体数を正確に把握するのは困難だ。


「軍人は、頑丈だから」

 マグノリアが、碧眼をぎらつかせ、荒い息を吐く。

 欲望を剥き出しにした顔は、獲物を前にした、爬虫類はちゅうるいのようだ。 

「試すには、ちょうどいい」

「いっ……」

 リュードの右腕に、ひっかいたような痛みが走った。

 見ると、二の腕の生地に、スッパリと切れ目が入っている。

 マグノリアが、不審な動きをした様子はない。

 すぐに背後の気配を探るが、殺気も、敵の気配も感じられない。

 さきほど倒れた男たちが、再び戦闘に参加するまでには、もうしばらくの猶予があるようだ。

 離れた場所から投擲とうてきされたとするには、短刀の類が落ちた音がしなかった。


―― ますます、解せない。


 これはまるで。


「かまいたち」

 マグノリアの言葉に、リュードはハッとする。

 何かの気配に身構えるが、左腿ひだりももが、見えない鋭利な刃で切られた。

 さきほどより深い傷に、体がよろめく。

 右足に力を入れて持ちこたえると、剣の柄を強く握りしめた。

 マグノリアは、高見の見物よろしく、こちらをニヤニヤと観察している。

 警戒の網目をやすやすとくぐる、見えない脅威の正体とは。

 リュードは、マグノリアを注意深く観察する。

 マグノリアは『試す』と言った。

 何かをしているのは、確かだ。

「ヒントをあげよう」

 マグノリアが、リュードの顔へと、指を突きつける。

 そこにはまる太い指輪に、リュードは釘づけになる。

 複雑な文様にかたどられ、中央には大きな宝石――いや、魔石。

「……魔導具」

 いにしえの時代の文献を、読んだことがある。 

 魔力を増幅し、具現化させ、武器とする古代兵器。

 そのどれもが装飾品のようであると伝えられている。

 知識と現物が合致し、これが、という思いと、混在する大きな疑問があった。

―― なぜ、こいつが所持している。

「ほら、左のこめかみ」

 その声に、とっさに我に返る。

 反射的に左のこめかみをかばうが、右目・・に熱い痛みが走る。

「ああ、君から見たら、右だ」

「……う……」

 ボタボタとあごを伝う液体の色は朱。

「だいぶ、男前になってきたね」

 目を弓なりに細めたマグノリアの前で、リュードは奥歯をかみしめた。


 リュードの呼吸が、浅く、荒くなっていく。 

 幾度か体感するうちに、風の気配をつかめるようになってきた。

 それでも、全ては避けきれない。

 それはリュードの腕や足、脇腹を撫でるように浅く切っていく。

 致命傷に至っていないのは、リュードの力量ではなく、マグノリアがそうしているからだ。

 

 マグノリアは、魔導具を使う合間に、気まぐれにリュードに攻撃を仕掛ける。 

 右目が開かず、距離感をつかむのに難儀しているリュードを、あざわらうかのように切り刻んでいく。

 その様子は、獲物を追い詰めて遊ぶ、肉食獣のようだ。

 動くたびに血が流れ、リュードの動きが、だんだんと鈍ってくる。

 最早もはやたやすく拘束できるはずなのに、マグノリアは嬉々として剣を振るい続ける。

 いたぶっていたぶって、気が済んだら殺すつもりなのだろう。

 観衆の中には、マグノリアのえげつなさに眉をしかめ、足早に立ち去る者が出てきた。


「命乞いは、まだ?」

 ついに、片膝が地に付いたリュードに、マグノリアは切っ先を向ける。

 一振り、首に当てれば、リュードは息絶えるだろう。

 それでもリュードは、屈するわけにはいかない。

 ここまでくると、もはや、意地だ。

 意地でも、死ぬわけにはいかない。

 意地でも、証言台に立ち、ミライ隊長の冤罪を証明してやる。

 リュードは、かすむ目を瞬き、左目だけでマグノリアを睨む。

 絶対優位のマグノリアは、醜悪な狂喜を見せた。


 マグノリアの殺意が暴発した。

 前触れを感じとれなかったリュードは、反応が遅れる。

 剣が弾き飛ばされ、肉を断つ音が耳に残る。

 地面に激しく叩き付けられ、転がる頭部に、絶叫が重なり――その亡骸と、リュードは目が合った。

「私の邪魔をするな!!」

 倒れる巨体は、マグノリアの部下だったもの。

 いまだ痙攣する体の断面を、マグノリアは踏み潰す。

 繰り返す粘着質な音の合間に、マグノリアの罵声が飛ぶ。

 マグノリアの注意が、リュードから離れた、そのまたとない機会。


 リュードが地を蹴る。


 マグノリアが振り返る。


 こぶしを握るリュードを見て、マグノリアがわらう。

「かまいたち」

 その風を避けることなく、リュードは全力でマグノリアに突っ込んだ。




 噴出する蒸気に、マグノリアは我に返る。

 なぜか手には、濡れた感触。

 水のような液体が、魔導具の上で蒸発していく。


 リュードのこぶしを受け止め、首筋に手刀を叩き込んだ。

 横に吹っ飛ぶ体に、風の刃をめりこませようとして――破裂音がしたのを、思い出す。


 横向きに倒れたリュードがうめき、しぶとく起き上がろうとしているのを、マグノリアはやけに遠目に見る。

 立ち上がろうとして、座り込んでいたことに気付く。

 さきほどまで立っていた場所を見て、背中に痛みと硬い感触を感じ、マグノリアはようやく自分が壁まで吹き飛ばされたことを知った。


 ―― 何が、起こった。


 リュードが、うように、落ちた剣に手を伸ばす。

 震える手で柄を握り、刃先を地面に突き立て、杖のようにして膝を立てた。

 

「マグノリア様」

 部下が、すぐそばまで来ていた。

 脇に手を差し入れ、マグノリアを起こそうとするが、彼が立てないと知ると、慎重に床に戻す。

「折れていますね」

 部下の言葉を聞いているうちに、頭がだんだんとはっきりしてきた。

「とどめを刺しても、よろしいでしょうか」

 苦いものを含んだ声に、怒りにまかせて一人を葬り去ったことを思い出す。

 この状態のマグノリアが、何かできるわけがない。

 律儀なのか、小心なのか、部下の本心がわからぬまま、マグノリアは再びリュードへと目を転じる。

 リュードの周りには、何かの欠片が散乱していた。

 青くきらめく、小さな欠片。

「あれは……聖水か」

「そのようですね」

「竜で逃げた神官が居たな」

「アーリー・ノーザンです」

 マグノリアは笑いがこみ上げてきた。

 魔導具の存在を知っていたわけではあるまい。

 偶然に所持していた聖水で、賭けに出たか。

 その結果、リュードは賭けに勝ち、マグノリアは負けた。

「拘束しろ」

「御意」

 マグノリアの見ている前で、血反吐を吐いたリュードが、気を失った。

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