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森魔女  作者: 黒いたち
1/5

紅い魔女と暗紺青の騎士

 世界有数の大陸、ミドアーシアはいくつかの島と国から成り立っている。


 大陸の八割以上を森林が占め、多彩な環境がもたらす恩恵をいっぱいに受けた多種多様な動植物は、独自の進化を遂げている。

 それらを専門的に研究し、生態系を調査したり、学名をつけたり、味見をしたりする職業があった。

 彼らは、人が足を踏み入れるのが困難な、森の奥の更に奥に住居を構えるため、必然的に世間との関わりは薄い。

 その不確かで不明瞭ふめいりょうな存在ゆえ、彼らはこう称された。


 森魔女、と。




「イタチの新種かしら」

 ぴぎゃ、ぷぎゃ、と威嚇いかくする小動物を見下ろし、少女はこぶしを口元に当てた。

 あどけなさが残る顔に、大人びた紅玉こうぎょくの瞳が鋭い。

 そよ風が、彼女の赤い髪を撫で上げていく。

 肩口で切り揃えられた毛先が、生成きなりの服をパタパタとはたいた。

 

 小鳥のさえずりが心地よい昼下がり。

 仕掛けた罠に食料が掛かっていないかと見に来たところ、縦穴式の、比較的簡略な罠に小さな長い獣が落ちていた。

 灰色の毛並みは穴の中に居ても、いくばくかの光に反射して、いかにも撫で心地が良さそうにつやめく。

 細い、ともすれば胴体より長い尾が二本、いずれも密集した短い毛に覆われている。本来はホワホワとしているだろう二本が、今は残念なことにビッシリと逆立っていた。


 噛み付かんばかりの勢いで唸る生き物を、彼女はくまなく眺める。

 脳内に収めた事典を検索するが、しっぽが二本もある動物は、今のところ愛玩動物あいがんどうぶつの代名詞の「ニャンコ」以外に、発見されていないはずだ。

 こくり、と彼女の小さな喉が鳴り、肉薄にくはくの唇が笑みを刻んだ。

「これは是非ともしょくしたいわね」

「その前に是非とも王立研究所に届け出てくれ、ナツメ」

 隣からの涼しげな声音に、そういえば王立研究所からの使者を連れていたのだったと思い出す。

 出鼻をくじかれ、睨むように頭二つ分高い彼を見上げると、生真面目きまじめそうな暗群青あんぐんじょうの瞳が少しだけ困ったように細められていた。




 使者ししゃとは、月に一度、決まった時刻に訪問しては、溜まった論文や生態系調査・観察結果・レシピ集などを定められた対価と引換えに回収していく。言わば、王立研究所の下請けだ。

 何せ、人里離れた森の奥の更に奥に住まう森魔女だ。

 一般人には荷が重く、大概たいがいは森に詳しい地元の木こりや、山岳ガイドが副業として請け負う。

 以前は気の良い老人が訪ねてきていたが、無理をして新種の巨大タイガーの検体けんたいを担ぎあげた際、ギックリと腰を痛めて、全治三ヶ月だそうだ。


 すぐに代わりを遣わすとのことだったが、待てど暮せど一向に来る気配がない。

 それに加えて、近頃は生態系せいたいけい)の変化がめざましく、ただでさえ大量の書類や検体が集まってしまう。

 地下の保管倉庫からあふれだした物が、いよいよリビングまで埋め尽くそうかと言うさなかに、ようやく王立研究所からの返事が届いた。

 謝罪の一言もなく事務的に『手配ミス』とだけ告げる横柄な態度に、罪も無き伝書鳥の首を締めかけたことはそう古い記憶ではない。


 それではお互いのためにこちらから離反りはん致しましょう、とまるで離縁状りえんじょうのように突き返してやれば、焦った王国側が有名な高級菓子店の包みを持って現れた。

 竜に乗った王立騎士団の小隊はタイプの違う男前揃いだったが、彼女の心はいささかも動かなかった。


 御年十三歳。


 早熟な同世代は恋におしゃれに大忙しだが、彼女は世間に疎い森魔女である。

 竜を連れた、佩刀はいとうしている大人、六人を相手に、

「こんなにたくさんの竜が居たら周囲の動物が逃げちゃうでしょ! あなた達は謝りに来たの? それとも腹いせに嫌がらせをしに来たのかしら?」

 まだ幼さの残る声音で叱りつけ、細い腰に手を当て、長いため息をついた。


 王都からは馬で片道三日の距離だが、攻撃的な害獣の存在が確認されているため、彼らの交通手段は決して突拍子のないものではない。

 溜まりに溜まった文書や検体を運搬するのに、もはや馬車では乗り切らないこともわかっている。

 竜は森にしか住めないため、繁殖・調教を請け負うドラゴンブリーダーからわざわざレンタルせざるを得ず、六頭も準備するのは相当な手間と経費がかかっているはずだ。

 一人の森魔女のためにここまでするのは破格の対応だ。


 それでも、見目麗しい者をわざと集めた王国側のあざとさが、彼女の心を逆なでするのだ。


 確かに。

 確かに母は、端正な顔立ちの男性に目がなかった。

 よく考えてみれば祖母も。


 二人そろって美男子漫遊に出かけたきり帰ってこないのは、想定の範囲内だ。

 

 一番良識のある自分が森魔女を継いでいくのだと誓ったあの日から、何ら心の迷いは生じていない。


 大声を出したことでわずかながらに気が晴れ、屋敷を占領していた荷物が無くなることを思えば、多少の不都合には目をつぶることにした。

 機敏な動きで次々と物を運びだす六人の騎士のおかげで、わずか寸刻で半年ぶりの床を見ることができた。

 積み残しの有無を確認し、騎士たちは早々に荷造りを終える。

 したたる汗にも爽やかな印象が宿やどるのは、ひとえに彼らが若くて容姿に優れているからか。

 城下街の婦女子が見れば黄色い歓声が飛びそうな光景も、ナツメの関心を引くことは無かった。


 考えを巡らせるのは、契約のこと。


 王国は、こちらを欲している。

 それがいにしえの代から続く血筋をおもんばかってのことではなく、森魔女と呼ばれるもう一つの所以ゆえん――魔力が桁違いに高いものが大多数を占め、契約破棄は即座に王国の脅威となりうる、恐怖からくることだとしても。



「取引の継続にあたり、条件が三つあるわ」

 ナツメが口を開くと、目上の者に対するように、騎士達は膝をついた。

「一つ、定期訪問の日時は厳守すること」

 等間隔に並ぶ大人の群れが滑稽に見えた。低頭されるような身分になった覚えはない。

「二つ、交通手段は徒歩か馬であること。竜なんてもってのか」

 場違いなのは自分の方かと、皮肉に口元を歪める。

 こんな小娘一人に、どこまで献身するよう申し付けられているのか興味を引かれた。

 それとも、別の目的があっての来訪か。

 どちらにしろ、決定権は自分にある。

「三つめ。報酬は今までの三倍よ」

 これには従順だった騎士たちも色めき立った。

 分不相応の要求だという自覚はある。それに対する当然の反発も想定済だが、王国側の思惑おもわくを見極める必要があるのだ。


 森魔女には対価分の義務が付きまとう。

 おおやけにされていないそれは、隣国との緊張が高まった時に発令される。

 上限額を言い含められていないところを見ると、今はまだ必要ないということか。


 いささか楽観的に判断し騎士を一瞥いちべつすると、不穏な空気が流れている。

 露骨に嫌悪の表情を出している者まで居た。

 内実を知らぬ者からすれば、世間知らずの恥知らずといったところか。

 そう思われることに何の感傷もないし、騎士たちの初任教育がなっていないのをとがめるほど、王国に期待はしていない。


 想定の範囲内だと冷静に見渡すと、一人だけ熟考している騎士がいた。

 確か、最初に膝をついた男だ。皆をまとめるような素振りを幾度か見かけたので、おそらく彼が隊長であろう。

 ありがちの口汚いげきや威圧的な命令が飛ばないのは、皆が似たりよったりの年かさのせいか。

 隊長職に付くには年若だが、即興の使節団しせつだんに限れば妥当なのだろう。おおよそが少年の域を脱していないのに対し、彼は青年に見えた。


 つかつかと青年の前に歩を進めると、気づいた彼が視線を上げる。

 快とも不快とも取れない、穏やかな瞳だった。

 まるで水の底のような、深く静かな青。

 軽い既視感きしかんが気に掛かり、次いで山側の森にある湖に思い至った。


 多少の風では色味を変えず、深淵しんえんは透明度が高い水質を持ってしても見えぬほど深い。

 屋敷ほどの大きさしかないのに不思議だと母に聞いた覚えがある。

 森魔女の涙を吸って出来たのよ、と答えた母は、どこか懐かしむような表情をしていた。


 深淵に酷似する双眸そうぼうは、今しがたもまっすぐとこちらを見返している。

 興味本位で覗き込むと、驚いたように彼の瞳孔が一回り大きく開き、暗紺青の濃密な艶がナツメを捉えた。


 その瞬間、ナツメの心に唐突に何かが突き抜けた。

 激情を制御できない寸暇すんかに、露見した狂気に乗っ取られそうになる。

 それはひどく甘い響きを持ち、彼女をトロリと満たしていく。


―― 見たい。この瞳が荒れ狂うのを。我を忘れる程の、怒りに支配される様を。


 ゾクゾクと背筋を駆け上がる初めての感覚に、ナツメの口の端はつり上がった。

 湖底を揺るがすには、嵐を起こせばいい。

「あなたの考えを聞くわ」

 綺麗に笑ってみせると、眼前の騎士は頭を垂れた。その青い目が見えぬのが惜しい。

「それほどまでに、王国にお怒りですか」

「ないがしろにされて怒らないほど大人じゃないの」

「できる限りのことはさせていただくつもりです」

「だ・か・ら、値上げしろっつってんのよ」

 わずらわしいはずの問答もんどうが愉快でしかたない。

 自分の口から発せられる言葉は、彼の本性を確かめようとしているかのようだ。

不躾ぶしつけなお伺いをご容赦ください。なにゆえ、そのような大金がご入用でしょうか」

 活路かつろを見出そうとする問いに、生真面目ねぇ、と心中でつぶやくが、それは落胆ではない。 しかしながら、湧き出る思情はどれも褒められたものではない。


 どう答えてやろうか、ナツメは思案する。

 見限りの冷笑か、騎士団の酷評か。

 蔑む相手からの見下しには憤るだろうか。

 違う、彼はこちらを蔑んではいない。

 礼を尽くす相手への対応としては背徳的だ。

 それでも、困らせてやりたい。


 らしくない。母にも祖母にも執着しなかったのに、なぜこれほどまでに心惹かれるのか。


 それ以上に――怒った顔が見たい。


 我ながらひねくれていると自笑するが、止める気はない。

「大金? 誰の基準で物を言っているのかしら」

 これには答えがない。言葉の続きを待っているようだ。

 多少の挑発には乗るつもりがないのか、バカがつくほど実直なのか。


 ナツメは降参するようにため息をついた。

 どうやら、長期戦になるらしい。

 彼を手に入れるための算段をはじめる。

 こういった希少な逸材を簡単に帰すつもりはない。

「雨漏りするの。納屋も崩れ落ちそうだし、曲がった煙突や折れた軒先にも困っているわ。古くて住みにくいから、いっそのこと建て直そうかと思って」

 純粋に不便さを並べる少女に見えるように、可愛らしく小首をかしげる。

 本当に気性が素直なだけならば必ず乗ってくるはずだ。

 そこを、捉える。

「それとも、あなたが直してくれるの?」

 周囲には冗談に聞こえるように、ナツメはわざと無邪気に笑った。

 真面目な青年が上げた顔には、決意の色が浮かんでいた。


 チェックメイト。


「分かりました。私が直します」

「ミライ隊長」

「本気ですか」

「一度騎士本部に戻るべきかと」

「そこまでされなくとも」


 周囲の騎士たちは我慢ならないといった様子で、口々に彼に意見する。

 背に受けた非難を気にも止めず、彼はナツメから目を逸らさなかった。


 強い意思を宿した瞳は、その青をより一層深くする。

 甘美な色彩にざわめく心をぎょしながら、ナツメは目を細めた。

「騎士に二言は無いわね。直すと言った以上、直るまで帰さないわよ」

「心得ております」

 真摯な態度を崩さぬ騎士に、不当な質問を投げかける。

「死ぬまで帰れなかったら?」


 やや間を空け、彼は控え目に笑った。


「それまでには修繕できるよう、努力する所存です」


 誠実な返答に、ナツメの胸中は晴れた。


「値上げは撤回するわ」


 利き手を胸に当てる騎士の礼をとり、立ち上がった彼は朗らかな笑顔だった。

 腰に下げた銀色の剣が重い金属音を立てるが、事も無げに軽くさばくと同胞に向き直り声を張る。

「私はしばらくこちらの修繕に従事する。軍令法規第二十四項に従い、これより王立騎士団第二小隊の指揮権はリュード副隊長に移行する」

 ナツメは、自分に向いていた周囲の憤りが彼に向くのを感じた。

 仲間割れを期待したが、皆悔しそうに唇を噛むだけで彼を罵る者はない。

 思ったより彼の人望は厚いらしい。

「王都までの道のりは険しい。皆で協力し合い、彼を助けてやってくれ。リュード副隊長においては、その統率力を遺憾なく発揮してほしい」

 個々の目を見て話す彼に、固い意思を感じたのだろう。一人、また一人と落ち着きを取り戻し、騎士の顔で挙手の礼を取る。


 そんな中、リュードと呼ばれた新緑の髪をした細身の騎士だけが冷たい目をしていた。

 腕を組み、傍観者のような態度で、当事者は口を開く。

「ミライ隊長。お言葉ですが、隊長の現状は死亡・負傷・行方不明もしくはそれに準ずる重大な事象のいずれにも当てはまりません。よって、受諾じゅだく致しかねます」

 リュードはキッパリと宣言し、ミライの斜め後ろに立つナツメに目をやる。

 憎悪を含んだ若草色わかくさいろの瞳には、さげすみの色がありありと浮かんでいた。

「尊厳なる王立騎士団は軽微な脅迫には屈せず。清廉せいれんな仕法で要請されればいかがか」

 もっとも、と続け、不機嫌なオーラを隠そうともせず無遠慮にナツメに近づいていく。

「俺が忠義する国府は、色魔女を庇護し続けるほど愚かではないがな」


 その距離が二馬身を切ったところで、ミライが立ちはだかった。

 まるでナツメを守るような体勢に、リュードの片眉が上がる。

「リュード、何事もなく契約を締結させることが我々の任務だろう。波風をたててどうする」

 諭すような口調にも、リュードは喰ってかかる。

「ミライ隊長、貴方の高潔な人格に惹かれ志願したが、人が良すぎるのが貴方の欠点だ。むざむざ詐欺師の餌食になるおつもりか」

「森魔女は国の賓客ひんきゃくに値する。彼女の意思は尊重されるべきだ」

「国の問題は国が取り組むべきです。貴方が責任を負う必要はない。王立騎士団第二小隊の隊長として、貴重な御身であることをご自覚ください」

「私より、彼女の存在は何物にも代え難い」

 不遜ふそんな態度にも、ミライの声音は柔らかい。

 気に入らないと吐き捨てたリュードは、声を荒げた。

「職務を放棄されるのか、こんなにも簡単に! ……そのような方だとは存じ上げませんでした。俺の目は節穴だったということか」

 屈折した笑みを向けられたミライが、動じることはなかった。

「リュード、お前が後任になってくれるほど心強いことはない。お前だからこそ、俺は安心して離任を選択できた」

 グッと言葉に詰まったリュードの、頬に朱がはしる。

 何度か口を開こうとし、諦めたように肩の力が抜ける。

 頼りなげな表情を一瞬だけ垣間見せたが、すぐに理知的な顔に戻る。

 握りしめた拳がゆっくりと解かれ、彼は凛然と騎士の礼を取った。




「いいか、俺達が引き揚げるのはお前に従うからじゃない。ミライ隊長のご指示だからだ」

 わざわざ「お前」と「ミライ隊長」を強調して、リュードは竜の鞍上からナツメを睨む。

 右手には騎乗した竜の手綱が、左手にはミライが乗ってきた竜の手綱が握られている。

 彼が竜乗りの名手だと知ったのは、暴れる竜を事も無げに制御したからだ。

 その技量は認めるが、あれだけ心酔している隊長の代理の重圧にも負けずに、減らず口をたたく図太い神経の方に感心してしまう。

「ミライ隊長、苦渋のご決断をされた胸中をお察し申し上げます。貴方の代理を完遂させたのち、すぐにご助力に向かいます。それまでご辛抱を」

 リュードは労わるような眼差しをミライに向けた後、竜首を転じた。

 残りの竜がそれに続く。

 大気を揺るがし、次々と飛び立つ様は圧巻だった。

 背に大量の荷物を積んでいるため少々不格好な影像だったが、馬より二回りはでかい竜がみるみる小さくなっていくのは、その速さを想像させて胸を躍らせるものがあった。

「……最後まで不愉快な奴ね」

 言葉に反し笑みがこぼれているのは、壮大な幕間を見た爽快感からか。

 ナツメが見つめるその先で、王都に向けて翻した翼が陽光を反射して白く瞬いた。

「申し訳ありません、ナツメ様」

 その隣で和やかな笑みをたたえ、ミライは蒼天を見守る。

「ナツメでいいわ。敬語も要らない」

 くるりと背を向け、屋敷に向かって歩く。

 六騎の竜影は、既に人の目には映らないほど遠かった。




 付いて行ってもいいか、と聞かれたのは、森へ探査たんさに行くとミライに告げた時だった。

 すぐに作業に取り掛かるものだと思い込んでいたナツメは、しばし面食らう。

 探査はただの口実で、森をぶらつきながら今後の対策を考えるつもりだったので、一瞬、言葉に詰まった。

「邪魔にならないようにするよ」

 ナツメの態度を誤解してか、ミライが柔らかく付け加える。

「すいぶんのんびりなのね」

 適当な受け答えをしながら、ナツメは脳内をせわしなく働かせた。


 相手の性格をもっと理解してからの方が事が運びやすいだろう。

 何に重点を置いた生き方をしているのか。

 何を心の拠り所にしているのか。

 何を基準に物事を判断するのか。

 ―― 何に怒りを感じるのか。

 

 そこまで考えてから、はたと気づく。

 怒りに燃える青を目にしたらきっと興味を無くすはず。

 放り出すにしても、屋敷の雨漏りには閉口していたから、それが直ってからの方がいいに決まっている。

 そういえば去年は薪ストーブの煙突掃除をしなかった。

 隔年で必要な屋敷の防腐剤塗料も塗っていない。

 少々の追加ならば、修繕の一環として通るだろう。

 何しろ相手は幼気いたいけな少女だ。

 ナツメは上がりそうになる口元に、こぶしをあててごまかした。


―― せっかくの労働力を無駄にするのは惜しい。


 現時点ではそちらの比重が大きかった。

 結論が出たところでミライに向き合う。

「ミライ、あなたは荷物持ちよ。ついでに夕食の材料も狩りなさい」

 自分より大柄な大人に命令するのは、変な昂揚感があった。

 偉そうに胸をそらせると、急に視界が暗くなった。

「――ンわ!」

 素っ頓狂な声が出てバランスが崩れ、何とかたたらを踏んで地面に踏みとどまろうとする間も、頭がぐらぐらと揺れて動作がさまたげられる。

 不意に圧力が消えて、視界に明かりが戻ってきた。

 眩しさと想定外の事態に、ナツメは激しく目をしばたかせた。

 赤い地毛の一房が視界に入り、ナツメは自分が撫でられたことに気づく。

 驚きで荒い息をするナツメを見て、ミライは笑んだ。


 悪戯いたずらを企む少年のように。


 表情の意味をはかねてナツメが更に瞠目したところで、ミライはナツメを追い越して森に向かう。

「ちょ……待ちなさい!」

 なぜ自分が彼の背を追わなくてはならないのか。

 これではまるで彼が主導権を握っているみたいではないか。

 そんなはずはない。彼は私の策略にはまったからここに残った。それ以外の理由が――

「あったとしても、潰してやるわ」

 歩幅の広いミライに追いつく寸前、ナツメは小さく呟いた。


 吸い込む空気には青葉の匂いが混じり、若い枝葉は太陽を捕まえようと天を目指す。

 差し込む木漏れ日はやわらかく、新緑の季節は総じて森を穏やかに見せた。

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