靴、その行方。
2012/05/28 改稿
「おい」頭を掻きながらサッカー部の日比野がこっちに来る。「どういうことだよ、靴を忘れたって」
「しょうがないじゃないか。忘れちゃったんだもん」苦笑しながら僕が言う。
実を言うと、ちゃんと昨日まで靴はあった。では何故靴が無くなってしまったか。
僕には家に帰るとすぐに、鞄や学ランなどをリビングに散乱させてしまう癖がある。まったくだらしない癖だとは思うのだが、やめられないのだから仕方がない。そして僕はいつも通り、それをしてしまった。それをしていなければ今、僕は彼に怒られていなかったはずだ。
玄関を抜け、すぐに風呂へ向かった。その日は部活で汗を流していたため、シャワーだけでも浴びたかった。適当に汗を流し風呂から出る。下着だけを身に着けリビングへ行ってみると、犬小屋の扉が開いている。リビングを見ると、教科書やらシャーペンやらがちらかっている。瞬きを三度ほどする。何も変わっていない。風呂に入る前とは比べ物にならないほど荒れている。ちょっと待て、僕はこんなに汚してはいないはずだ。嫌な予感しかしなかった。
ふと、犬小屋に愛犬のベンがいないことに気がついた。きっと、鍵が緩んでいて出てしまったのだろう。となると、何故鞄が漁られているかも納得できる。ベンが漁ったのだ。理由はよくわからないが。僕は鞄から出た教科書や筆箱の中のペンなどを、鞄の中へ仕舞っていく。
すると、僕はあることに気がついた。
「靴は、どこだ?」
教科書やペンはちゃんとあった。だが、靴だけが無かった。
「ベン?」ベンのことを呼ぶ。すると、台所の方からフローリングと肉球の擦れる音が聞こえた。
僕は小走りで風呂場へと向かう。そこにはやはりベンがいた。だが、僕の予想を超えたことが起きていた。
ベンが、靴を食べていたのだ。しかも、両脚共、だ。
ボロボロになった紐、もぎ取れそうな爪先の部分。僕はこう思った。
何故、体育祭前日にこういうことが起きるんだ。
――というのが、靴が無くなった経緯だ。
さすがに、昨日の一連の話を日比野に言えるほど僕には勇気というものが無い。
「じゃあ、誰かから借りてくれよ。今回のリレーで陸上部のお前は要なんだからさ」無茶なことを彼は平然と言った。どれだけリレーで優勝したいんだよ、お前は。
「そんな無茶言われても……」
どうしようか。日比野は、無理矢理にでも誰かから借りさせるつもりだ。そんなリレーに力を入れなくても、と心の中で溜息をつく。
「陸上部のやつから借りれないのかよ」彼の眉間に皺が寄っている。
「サイズのこととかその靴に履きなれてないってことがあるから、下手したら普通の運動靴とかの方が早いよ」そうだそうだ、無茶言うんじゃねえ。僕の中の聴衆が内心でそう言う。
「じゃあ、運動靴を出してくれよ」苛々としているのか、声が刺々しい。そんなに怒る事か?
「三組の近藤に貸しちゃったよ。僕、リレー以外出ないからさ」ちょうど数分前のことだった。何とタイミングが悪い。
彼は腕を組んで、顔に怒りを浮かべる。お前はどこの金剛力士像だよ、と心の中で苦笑する。
「じゃあ、近藤から取り返して来いよ。急遽必要になったからって」
「無理だよ。もうそろそろ種目だから、近藤」
「種目って……」日比野が絶句している。
「ああ。四百メートル。必ず一位になりたいから、って言って僕に運動靴を貸りに来たんだよ」何故一位になりたいかは教えてくれなかったが。お小遣いとかが上がるのだろうか、と色々考えてみる。
「何でお前に借りたんだよ。他に使わない奴いるだろうが」クラス対抗リレーを何だと思っているんだ、と日比野が言った。いや、ただの種目ですよ、と僕は心の中で反論する。
「僕が陸上部に所属してるからだって。脚の速い奴が履いている靴だから、自分の脚も少し速くなるとか思ったんじゃない?」確か近藤はテニス部だったはずだ。そこまで脚は遅くないはずなのに、とその靴の話を持ちかけられた時に僕は不思議に思った。
ノイズ音が入り、放送部員の声がここまで届く。「四百メートル走に出る生徒は、各自準備を始めてください」そんな放送を入れてもきっと大半がストレッチとかをしないはずだ。というか、大半が何をすればいいかわからなくて路頭に迷っているんだろうな。陸上部らしくそんなことを思った。
「とにかく、走れる靴を誰かに借りとけよ!」彼は校庭へ走っていく。
「何処へ行くんだよ、日比野」
「俺、四百メートル走が種目だから」
颯爽と日比野は自分の席へと帰って行った。きっと、水分補給とかだろう。僕は胸を撫で下ろす。やっと金剛力士像から解放された。
だがこのまま靴を借りないままリレーの時間になってしまうと、僕がクラス対抗リレー馬鹿に怒られてしまう。ただでさえ面倒くさいのに、これ以上面倒くさくなるだなんて僕には耐えられない。
僕はしょうがなく、陸上部の部室へと向かうことにする。
さて、部室は開いているだろうか?