VS妻崎
「おうおう貴様らッ!」
妻崎だ。しゃがれた声を吐き散らす。
彼は凛子を逮捕する気満々のようで、捜査を続けている究助たちに苛立ってる。
「いい加減に捜査を終えてもらおうか!? 犯人はこの女だッ! この女が被害者を念動力で浮かせて落としたんだッ!」
凛子はさっきよりも泣いている。もう、涙で顔面がぐしゃぐしゃだ。
「違うんですぅ! 殺してません! わ、わわわ、わたしはこのマンションに住んでなんかないし、異能力者でもないんですぅ!」
「嘘つけぇッ!」
錯乱して、意味のない嘘まで吐いている。このままでは余計なことを言って容疑が固まってしまいそうだ。
「そうだ! あ、あなた様の靴、いや鎖! その鎖を舐めさせっ」
「キモいやめろッ! あ、ちょっと舐めやがったこいつッ!?」
そこへ、綴が立ちはだかった。
「待ってください!」
「ハチミツ!」
「……おい、なんだ、このちっこいガキは?」
「う……身長低いけど、19歳です……」
「年齢なんざどうでもいいッ! この俺様の前に立ちやがって、何者だッ!?」
……前に出てしまったことを、後悔していた。周囲から注目が集まっている。凛子の濡れた、縋るような眼差しが突き刺さる。逆に妻崎の、殺意にも似た視線が、足を震えさせる。
しかし、逃げたくない。
ただ異能力者というだけで、他の人とは違うというだけで、殺人犯にされる人がいる。そんなこと、とても許せるものじゃない。
「ぼ……僕は、八見綴。た、探偵です!」
「探偵ぃぃー……? はッ! 探偵!?」
ぎゃははと、妻崎の邪悪な笑い声が現場に響く。
「笑わせるじゃねぇか! ガキのママゴトなら別んとこでやれッ! この妻崎様の前でやってんじゃねぇ!」
「──り、凛子さんは、犯人じゃありません」
妻崎の笑みが消える。
次の瞬間、彼の両袖から黒の鎖が、藪から飛び出す蛇のように伸びてきた。
「うわっ!?」
「ハチミツ!」究助が走り、綴の前に出た。「テメェ!」
妻崎は静かに、怒りの籠もった声で言う。
「──この女が犯人じゃないだと? なにを根拠に言ってんだ?」
綴は息を吐く。ほんの少しの深呼吸で収まる鼓動じゃない。それでも、立ち向かう。
「……あなたは、凛子さんの異能力を把握していませんよね?」
「あ……?」
「《浮かせられる物の重量は約30㎏》ってことを、あなたは知らない」
「さんじゅっきろ……?」
「いくら体重の軽いお爺さんの被害者でも、30kg未満ということはありません」
「……あッ!?」
今更になって自分の手抜かりに気づいたようだが、もう遅い。
「つまり、凛子さんの念動力に、尾割さんの体を持ち上げるほどの力はないんですよ」
「なんだとおおッ!?」
妻崎の顔が青ざめる。彼の感情を表すかのように、黒い鎖が激しくうねっていた。
「マジで究極的なアホだぜ! ちゃんと捜査しろっての!」勝ち誇ったように究助が笑う。
「だ……だがッ! これならどうだ!」
妻崎は鎖を操り、近くに転がっていた石を拾い上げた。なかなか器用な扱い方ができるようだ。
「この女は被害者を寝かせて、台かなにかに置いたんだッ! そして浮かせたのは……その台だッ!」
「……ああ? 台が軽くても、その上に被害者が乗ってるんなら30kg以上……」
「どうかなぁ? 台1つだけ動かすんなら、できるかもしれねぇッ!」
「あ……あ? ど、どうなんだそれ?」
妻崎の反論は微妙なところだったが、困ったことに、異能力はこの世の道理を超えている。理屈が通用しないことだって往々にしてあるのだ。
しかし──。
「いえ。それはバツです!」
綴は、右手に持ったペンを振り上げ、宙に×を書いた。
「……ハチミツ、それ、なんだ?」
「あ、す、すみません。昔、家庭教師のバイトをしてたとき、癖になっちゃって……」
「俺が生徒だったら、そんな指摘の仕方する奴、嫌だな……」
「……だから、クビになったんだと思います……」
「おらッ! 関係ねぇ話してんじゃねぇ! なにがバツだ!?」
「えっと、台の上に被害者を横たわらせた状態で台を動かせるか、それは本人に試して貰わないと分かりませんが、もっとも、この場でやってもらっても事実か演技か見抜けません。
ですが、簡単です。被害者は落とされる直前、意識がありました。黙って台に乗せられたままとは思えません」
「ぐッ!?」
「それに、そんな台があれば僕らも目に留めますが、発見していません」
「ぐぐッ!?」
「そもそもの話ですが、彼女の能力は半径2mが能力の効果距離なんです。ジーコさんの推理では、ドアを隔てて被害者を移動させたとのことですが、ドアの手前からベランダまで10mほどはありました。距離が届きません」
「ぐぐぐうぅッ!」
「つまり……少なくとも凛子さんの念動力で、被害者を殺害することは不可能なんです!」
「ぐああああッ!?」
黒い鎖が舞い、やがて力が抜けたように、地に落ちた。死んだ蛇のようだった。
「やったじゃねぇかハチミツ! やっぱ名探偵だお前は!」
「きゅ、究助さん……痛いです、背中叩かないで……」
だが喜んでばかりもいられない。
『少なくとも』と言ったのは、あくまで凛子の異能力では不可能、と明らかになっただけだからだ。誰が殺したのか、そもそも殺されたのか。それはまだ判明していないのだ。
「アレを、やるしかないか……」
綴は覚悟を決めた。
ポケットにいつも忍ばせている、大量のメモ帳を左手で全部持ち出した。それから右手でペンを握る。
おそらく、材料は出揃っている。後は、整理してまとめるだけだ。
***
綴の右腕には包帯が巻かれている。
これは速記で手が擦れて火傷しないように防護するためだ。
綴の持つメモ帳とペンは特注品だ。
これは速記の速度に普通の紙とペンでは耐えられないからだ。
包帯をしなくても、加減をすれば手は火傷しないし、紙とペンが使い物にならなくなることはない。
加減しないときがあるとすれば──。
「究助さん。すみません」
「あ? なんだよ」
「……しばらくの間、僕に話しかけないでください。ほんの1、2分だけ……」
「別にいいが……って、おい!?」
綴は地面に膝をつき、たくさんのメモ帳を広げた。白紙のメモと、事件のことをまとめたメモだ。
「……僕は名探偵じゃないです。僕は全然、頭が良くない。突然の閃きや、名推理なんかに期待しないでください。できることは、皆さんの発言をすべて記録して、可能性を片っ端から潰していくことだけ」
「いや、俺はそれすらできねぇ……ってかマジでなにするつもりだよ!? そんな散らかして……」
「かの有名な名探偵は言いました。すべての不可能を除去して、最後に残った可能性は、どれだけ奇妙であっても真実である、と。僕はこれから、不可能を片っ端から除去していきます」
「どういう──」
綴はペンを掲げ、閃光のように振るった。
「はっ……ハチミツ、お前……!?」
究助は目を丸くする。いや、その場の誰もがその光景に驚いた。
音を置き去りにしているのではという速度で、地面に置かれたメモ帳に文字を書き連ねているのだ。丁寧な字で、端から几帳面に。コピー機よりも速く、正確だ。しかし傍目には、魔法のように見えていることだろう。綴の手が通過した場所から、文字が浮き上がってくるのだから。
すべて書いて整理する。それが、綴の推理方法だ。
──可能性を並べる。
すぐ捨ててしまえるような可能性も、書く。整理する。
『本当に念動力には不可能なのか?』
──不可能だ。《念動力》の耐荷重が30㎏、射程が2mである以上、不可能なことに疑いようがない。
『凛子は犯人ではないのか?』
──犯人ではない。ドアには鍵がかけられていた。ただの住人である彼女に、部屋の出入りはできない。
すでに考えた可能性を、改めて吟味し、捨て去る。
普通の人間なら時間がかかる作業も、綴にとっては数秒で終わらせられる。
今まで書いたメモも見る。自分の発言、考えを含んだ、関係者の発言が書き漏らしなく残されている。
《見間違いじゃないと思います。誰かが突き落としたりとか、まったく確認できませんでした。背後に誰もいなかったんです》
《さきほど、部屋に行かれましたよね? なにか、怪しい物など落ちてたりは……》
《被害者は墜落時の外傷の他に、目や肛門から血を流していた》
こうして整理していけば、あのとき抱いた違和感の正体も分かった。
紫雲の、あの証言。
《頭蓋骨陥没。頸椎骨折。酷い外傷。頭から落ちた転落死。俺がさっき言った肛門からの出血は妙だが、それ以外はなにもないんだ》
決定的な違和感だ。辻褄が合わない。
「ハチミツ……お前……」
実は、究助は凛子の能力について、機関に問い合わせたとき。ついでに綴の異能力も調べていた。強引に付き合わせて、勝手に頼っていたものの、刑事である以上、いくら無関係そうでも事件関係者を盲目的に信じるわけにはいかなかったのだ。
『八見綴、能力名は《速記》』
電話の相手は淡泊な声で告げる。
『能力者は、利き手で文字を書く際、常人の数倍の速度で書くことが可能。シンプルな能力です。複雑なことなどなにもない。ただ、特筆すべき点が1つ。
……一時的に、文字を書く速度と、思考する速度を同期させることが可能らしいです』
同期? それはどういうことかと訊ねると、相手は答えた。
『そのままです。文字を書くのと同じ速度で、思考する。その人にとっては、周りの時間がゆっくりに感じるんでしょうね』
──究助はそのことを思い返し、納得した。同時に、恐ろしくなる。目の前で地面に向かい、メモを書いているこの男は今、常人の何倍もの速度で推理しているのだ。
「……なにが名探偵じゃない、だ。究極的に天職じゃねぇかよ!」
綴は最後の文字を書き上げる。
包帯は焼き焦げ、振り上げたペンはミシミシと音を立て、ゆっくり崩壊していった。
「は、ハチミツ……うおわぁっ!?」
驚くのも当然だ。
顔を上げた綴は鼻血をダラダラ流し、目は明らかに朦朧としているのだから。
「血! 拭け拭け!」
「きゅ……きゅーすけさん?」
「死ぬのかお前は!?」
「す、すいませ……僕、これやると脳がフワフワしちゃって……数日に1回しかできないんですよぉ……」
「わ、分かったから喋んな!」
綴がふらふらと立ち上がる。一部始終を見ていた妻崎は呆気にとられていたが、やがて我慢の限界を迎えた。
「茶番は終わりだッ!」
綴は鼻血を拭く。なかなか止まらなくて、顔も服も血塗れだ。
「いいか!? お前が言ったのはこの女の能力じゃ犯行は不可能だということ! だがそれ以外のことはなにも分かってないッ!」
「……いえ。分かりましたよ。真犯人と、被害者を殺害したトリックが」
妻崎の血管がピクピクとうごめく。
「──だったら……答えてみろ! 探偵ぃ!」
鎖の先端は綴に向く。
武器を構えるように、綴は新しいペンを取り出し、鎖に相対させる。
「この俺たちに……《特能》に楯突こうってんなら、言ってみろよッ!」
綴は怒号に身をすくませる。それでもすぐ持ち直す。
能力の反動で震えていた脚も、徐々に収まってきた。
彼の眼は、相手をしっかり見据え、力強い光を湛えていた。
「誰が、この! 《異能力犯罪》を起こしたってんだよ!?」
呼吸を整える。
「……分かりました」
「あ!?」
「答えますよ。犯人は──」
綴のペンの先を、その人物に向けた。
「──あなただ」




