捜査その2
追い出されはしたが、特に再入場が禁止されているわけでもない。究助を先頭に、404号室に戻った。妻崎含む特能は見張りを残して消えていた。
「……下手に荒らされちゃ困るからよ。良かったっちゃ良かったんだが……なーんにも変わってねぇ! 特能の奴ら、なにしてたんだよ!?」
「雑談でもしてたんじゃないですかね……」
「究極的にカスだな!」
綴は部屋中を改めて見渡す。
調べる暇がなかったが、相変わらず嫌な臭いがする。源流はどこだろう?
「そうだ、ハチミツ。さっき下にアイツが来てた。すぐ上ってくるぜ」
「え、アイツって誰ですか?」
「味方だよ。ちょっと鼻につくけどな」
「──悪かったな。鼻について」
特能たちとは正反対の登場だ。音もなく、いつの間にかドアに寄りかかっていた。
「あ、あなたは?」
「おう! 来たな、紫雲!」
紫雲、と呼ばれた彼は、まず刑事には見えなかった。名前がそうだからというわけではないだろうが、紫を基調としたダーク系の服装をしている。リングがいくつも指にはまっていた。
色白で端正な顔立ちをしていて、つい見入ってしまう。
「ハチミツ。こいつは廃谷紫雲。俺と同じ高校の同級生で、天才監察医だ」
「監察医って……」
綴は自分の知識を呼び起こす。
監察医とは、簡単に言えば死者専門の医者だ。事件性のある遺体を診て、時には解剖を行い、死因などを明らかにする。警察と協力するが、あくまで医者だ。けれど、医者としてかなりの経験を積まないと監察医にはなれないはずだが。紫雲は究助と同じ、20代半ばくらいの年齢に見える。
紫雲は気怠げに口を開く。
「そこのアホの言葉は信じるな。俺はただの医者。ただ、監察医の師匠に連れてこられてるだけだ……」
「いやでも、お前が天才だからだろ? 師匠さん言ってたぜ。『アイツは優秀な監察医になる。だから今から経験を積ませている……』ってよ」
「……俺はもうちょっと基礎を学びたいんだがな……」
紫雲は白衣を広げて羽織った。白衣を着たところで、見た目の軽薄さは薄まらない。
「廃谷さん」
「待て……お前、誰だ?」
「あ、えっと、八見綴です。あー……探偵、です」
「……探偵」
とても胡乱な目で睨まれた。ただし、敵意は感じない。元々、目つきが悪いだけなのかもしれない。
「ハチミツ、ね……俺は紫雲でいい」
「は、はい。紫雲さん……」
「あれ? ってか俺のことは最初から究助さん呼びだったよな……?」究助が訝る。
「舐められてんじゃねぇの」紫雲はニヤリと笑った。
「あ、あはは……そんなことはないですよ……」
「それで? なんの用だ?」
「あ」綴は咳払いして意識を切り替えた。「紫雲さんは下の遺体もすでに確認したんですか?」
「ああ。酷い有様だな。師匠も今、診てる」
「ベランダから転落したわけですが、なにか不自然な点などは……」
紫雲は答えない。代わりに、鼻をひくつかせて、部屋を歩き回る。綴は黙って彼の動向を窺った。
やがて紫雲は半開きのドアを開ける。トイレとバスルームがあった。そして、酷い臭いの正体もそこにある。
「……吐瀉物だ。なるほどな」
「被害者、尾割さんが吐いたんですね……?」
「他にいない。確認したいんだが……被害者は、間違いなく転落死だよな?」
意味深長な発言だ。
「それを明らかにすんのがお前の仕事じゃねぇのかよ?」
「うるさい。お前らの口から聞きたいんだよ」
「僕が見ました。ベランダから落ちて、地面に叩きつけられて亡くなった一部始終を……」
「なら話が早いな。奇妙なんだよ。被害者は墜落時の外傷の他に、目や肛門から血を流していた」
「あぁ……? どういうことだ?」
転落した際、鼻や口から血を出すというのは分かる。目から、というのも想像しにくいことだが、理解はできる。だが肛門から、というのは謎だ。
「ま、まさか……」
「究助さん、なにか分かりました?」
「被害者は酷い痔だったのか……?」
「……」
もちろん、違う。
綴はメモに紫雲の言葉と、それから自分の考えを書き記していく。
学校での勉強と同じだ。黒板や先生の話を聞いただけでは覚えられないし、理解も難しい。ノートに要点を書き記すことで、頭に良く入る。綴にとって、情報の整理は板書のようなものだ。
なにか見逃した手がかりはないかと、部屋中をしらみつぶしに見て回る。現場を荒らさないように気をつけながら、ベッドの下を覗いたとき、ある物が目に入った。
「? これ……注射器?」
空の注射器が、隠れるように転がっていた。中身こそ空だが、針には使用した形跡がある。
「究助さん。注射器が見つかりました」
「マジ?」
「被害者は糖尿病だったな」紫雲は即座に反応する。「インスリン注射かもしれないな。貸してくれ」
綴は紫雲に注射器を渡す。紫雲は手に取り、灯りにかざしたり回してみたりして、丹念に調べていた。
「……ほんの少し、液体が付着しているな。下に戻って調べてみよう」
「インスリン注射ってなんですか?」
「糖尿病はインスリンというホルモンが、上手く働かなくなることで起こる病気だ。足りなくなったインスリンを補充するために、糖尿病患者はインスリン注射を行って治療する。自己注射、つまり自分の手で注射することが許可されている。おそらく被害者はこれを常用していたんだろうが……気になる」
「なにがですか?」
「……10分だ。すべてとはいかないが、簡単になら10分で明らかにする」
「10分!」
「言ったろ? コイツ、天才だからよ」
なぜか究助が得意げにする。そして紫雲の肩をバシバシ叩いた。
「痛ぇよアホが……」
「ざまあみろ特能! なにが異能力を使った捜査だ! 俺ら捜査一課と監察医の、昔ながらの地道な捜査が究極的に良いんだよ!」
究助は相当、特能に対して鬱憤が溜まっているようだ。実際、異能力犯罪のプロフェッショナルを気取っていて、この杜撰な捜査では物申したくなる気持ちも分かる。
「甘い」
紫雲はきっぱり言い切る。冷淡な声色に、部屋の温度が下がったようだった。
「な、なにがだよ」
「この注射器がなんであれ、難解なのは被害者の身体だ。外傷があったと言ったな? それ以外に、目立つ点はないんだよ」
なにも? 綴はその言葉に引っかかりを覚える。
「頭蓋骨陥没。頸椎骨折。酷い外傷。頭から落ちた転落死。俺がさっき言った肛門からの出血は妙だが、それ以外はなにもないんだ」
「あ、争った形跡とか、なし?」
「なし、だ」
「待てよ紫雲。目立つ点はないって、目立たないもんがあんじゃねぇか?」
「アホのくせに良いところに気がつくな」
「アホは余計じゃボケ!」
「腕や脚にわずかな擦過傷がある。要するに擦り傷だが、これはこの部屋に来て分かった。この荒れ具合、テーブルとかにぶつかって出来たんだろうな。だが、争った形跡とは思えないくらいに些細な傷だ。これがなにを示すのか、俺にはさっぱりだ」
「ぐ……天才なんだから推理しろよ!」
「アホが……俺は医者だ。そういうのを考えるのは俺の仕事じゃない」
そう言うと紫雲は流し目で綴を見た。お前の仕事だろ、と言われている気がして、つい視線を逸らしてしまう。気怠げな紫雲の目は、綴にとって少々威圧的に映る。
「とにかく、それだけだ。一旦、こいつを調べに下に行く。お前らは?」
「……俺たちも一旦戻るぜ」
紫雲のおかげで遺体の状況が分かった。
しかし明らかになった謎よりも、不確かな謎の方が増えた。あの部屋に残された吐瀉物。被害者の原因不明の出血。注射器の液体。被害者が転落したのは誰かの手によるものなのか、不慮の事故なのか、それすら完全に分かっていない。




