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異能力探偵ハチミツ  作者: 春山ルイ
異能力犯罪
2/13

事件発生

 季節は初夏、歩き出した頃は涼しさを感じていたが、20分もすると背中に汗をかいてきた。午後の3時で、まだ日は高い。

 アイ・ノウのパンは決まったベーカリーから直接仕入れている。マスターからの頼みで、綴が徒歩で出向くことになった。自転車で行った方がいいのだろうが、道幅が狭く、徒歩の方が安全だ。


 道の向かいから、目を惹く男が歩いてくる。ワイシャツ姿で、真っ赤なインナーが目立つ。髪はモジャモジャで、風に揺れていた。男は綴とすれ違いざま、ちらりと目を向けてきた。


「なぁあんた、その右腕、どうした?」


 嫌な予感がしたのだが、的中した。男が立ち止まり、声をかけてきた。


「あ……これは、その」


 綴は初夏にも拘わらず長袖を着ている。シャツの右袖から、包帯が覗いていた。男はそれを目ざとく気に留めたのだ。


「アレか? 『俺の右腕が疼く』ってヤツ」


「患ってるわけじゃなくて……」


 別に中二の頃に患いがちな病というわけではない。だが怪我をしているわけでもない。


「僕の異能力で、怪我しないように、つまり保護のために包帯を巻いているんです」


 速記といえば、普通は文字を簡略化したりして書く技術のことだ。異能力の《速記》はそれとは異なり、純粋に、一般人の数倍の速度で文字を書く能力なのだ。


 それがなにを意味するか? 腕や手を保護しないままだと、紙との摩擦で、右手の側面が焼けてしまうのだ。それほどの速度だ。


「お? あんた異能力者なのかよ。あ、バッジあんな」


 てっきり、バッジにも気づいて声をかけたのだと思ったが、それは自意識過剰だったらしい。


「怪我してるわけじゃなくて良かったぜ! ははは!」


 男が向かっていた方角から、声が届く。


「おい究助(きゅうすけ)! なにしてんだ早くこっち来い!」


「お……ヤベぇ。行かなきゃな」


 ヤベぇと言いながらも焦っている様子はない。仕事中の雰囲気だが、なんの仕事をしているのか謎だ。


「そんじゃな! 右腕疼かせんなよー!」


「患ってるわけじゃないです……」




 ベーカリーで食パンを購入する。ここのベーカリーの製造は特別で、味は格別だ。知る人ぞ知る、というやつかもしれない。毎朝ここのパンでも飽きないだろうと思う。ベーカリー特有の、幸福の成分を詰め込んだような、パンの香りが外に広がっている。


 紙袋を抱えて外に出る。

 すると店の前で女性にぶつかりそうになった。


 慌てて横に避けた拍子に、女性のはためくコートの内側に、今日2度目のそれを発見した。椿の発言が蘇る。《現代の日本では、1000人に1人が異能力者。多くはないけど、極めて少ないわけでもない》とはいえ、珍しい。


「あれ? すいません、あなた……」


 相手も綴のバッジが目に留まったようだ。仲間を見つけた喜びか、彼女の表情はぱっと明るくなる。


「異能力者の方ですか?」


「あ、はい……あなたも……」


「わあ! あ、いきなり失礼しましたっ。わたし葉島(はじま)と申します」


 葉島は勢いよく頭を下げる。ただ謝るだけで、彼女の顔は泣きそうになる。ころころ変わって、まるで紙芝居だ。


 彼女は30代くらいだろうか。瞳は優しく、温和な声色から、優しげなお姉さんといった雰囲気を感じ取る。胸には小さなコサージュが、生花のような瑞々しさで輝いていた。


「葉島さんもここのパンを?」


「ええ! 利用者様に美味しいパンをと思いまして!」


「利用者様?」


「わたし、そこのマンションで──」葉島が手を差し出した先には5階建てのマンションが。「ホームヘルパーの仕事をしてまして。利用者様はちょっと頑固なお爺ちゃんなんですけど、わたしが異能力者でも気にせずに接してくださるんです! 頑張ってお世話をしなくちゃ!」


「それは……素敵ですね……!」


 心の底からそう思った。出会って少ししか経っていないが、勝手に仲間意識を抱いていた。同じ仲間の異能力者がけなげに頑張っている姿を、素直に喜ばしく思う。


「……あれ、その右手、もしかして怪我してるんですか!?」


「え! あ、いや、違くて……」


「大変!」


 2度目だ。訂正する暇も与えられず、葉島は半ばパニックになったように、綴の包帯を取り外していく。


「ちょ……いやいや!」なんだか、恥ずかしい。それにくすぐったい。「葉島さん! 怪我じゃなくて……」


「ほら! 火傷してるじゃないですか!」


「え?」


 言われてみれば、そのとおりだ。数日前にうっかりつけてしまった火傷の痕だ。とはいえよくあることで、もはや傷としてカウントすらしていない。すっかり忘れていた。


「こんなの、別に……」


「大丈夫です、任せてください!」


「任せ……?」


 困惑している綴をよそに、葉島は火傷に手を当てる。その瞬間、火傷痕は、水たまりに波紋が広がるように歪み始めた。


「え……え!? な、なんですか!?」


「動かないで」


 瞬く間に、歪みは消え去り、その後にはなにもかも、綺麗さっぱりなくなった。

 火傷の痕が消えたのだ。


「えぇーっ!?」綴の声は裏返る。「こ……これ、葉島さんの……異能力ですか!? き、傷が、消えちゃいましたよ!?」


 葉島は目を細め、得意げに鼻を鳴らした。少女のような振る舞いだ。


「はい。わたしはこんな感じで、傷を治せるんです!」


「す……凄い! もしかして、体内の異常とかも?」


「流石に腫瘍とかは無理ですが、傷なら体内でも!」


「こんなの、医者からしたら夢みたいな能力じゃないですか……!」


「あはは……とは言っても、実はそんなに便利じゃないです。治すというよりは、元に戻す感じなんで……こういう火傷した肌とかなら簡単なんですけど、もっと酷い火傷みたいな、大きな欠損は怪我する前の写真を見ないと戻せないんです……」


「それでも凄いですよ! こんな僕なんかのために……ありがとうございます!」 


「ふふ……」 



 それから少し談笑をしていると、思い出したように葉島は目を見開く。


「あ……い、いつまでもお引き留めしてすみません! こ、こんなお節介までして……」


「い、いえいえ! お話しできて嬉しかったです!」綴はブンブンと頭を横に振る。「僕の方こそいつまでも……」


「そんな……あ、そういえばまだお名前訊いてませんでしたね! 訊いてもよろしいですか……?」


「八見綴です。えっと、あっちの方向にあるカフェ、アイ・ノウでバイトをしています……」


 綴は頭を垂れ、心なしかへつらうような姿勢で名乗る。ついでにカフェの宣伝も欠かさない。


「あら! そうなんですね。バイトということは、学生さん?」


「ああその……た」


 つい言い淀む。正直に名乗るたびに、気恥ずかしさを覚えるのだ。


「探偵、やってるんです……しょ、諸事情で……」


「探偵さん!? す、凄いですね……」


「凄くなんか……ないです。カフェでバイトを始める前、探偵事務所でバイトしてたんですけど。ある日、所長が借金を残して消えちゃって……僕が代わりに事務所を続けていくしかなくなって……」


「続けていくしかないって、別に義務とかはないんじゃ……」


「……黒スーツの怖い人たちが……逃がしてくれそうもなくってぇ……」


「……」


 葉島は口をあんぐりと開けたまま、二の句が継げなくなっていた。ついさっき凄いと言ったが、同じことが言えるだろうか?



「……ん?」



「──ぁあ……」


 ふと、遠くからうめき声が聞こえた。


 気のせいかと思いつつその方向に視線を向ける。それは葉島が仕事をしているというマンションの方角だ。



「──え?」


 綴は自分の見たものが信じられなかった。



 ──マンションの4階、ベランダから、人が落ちようとしていた。



 老人だ。老爺が手すりにしがみつきながら、独りでにゆっくり、外側に身体を滑らせていく。


「あっ──」


 なんの意味もないのに手を伸ばす。

 無情にも、老人の身体は止まることなく……。


「あっ……うわああああっ──」


 悲鳴を発し、頭から地上へ、重力に導かれるまま墜落していった。



 地鳴りのような低く激しい音が、あたりに響き渡った。


「えっ……え?」


 そっちを見ていなかった葉島も、ただならぬ怪音に振り返る。そしてなにが起こったか。誰が落ちたのか把握すると、わなわなと震えだした。


「なっ……な、なんで……どうして……?」


 綴は呆然としている。まさか、悪夢か。いつから眠っていたのだろう? ついさっきまで、現実の世界で過ごしていたはずなのに……。


「ああっ……あ、ああ……お、尾割(おわり)さんがっ……そんなっ……!」


 墜落した老人は、葉島が介護している人物だった。

 そんな情報も、綴の耳を素通りする。


 目の前で──人が、死んだ。


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