捜査
直方体のガラスケースがある。中はよく見えないが、貴金属が入っているようだ。
隣にいる人物の髪が揺れた。その人物は不思議がり、揺れた髪のあたりに触れ、周囲を見渡す。しかしなにも見つからない。次の瞬間、どこからか石が飛んできて、ガラスケースを割った。破片が飛び散り、人々は腰を抜かす。
一瞬の出来事だ。ケースの中にあった貴金属は浮き上がり、まるで掃除機に吸い込まれるゴミのように、割れたガラスの隙間に向けて飛んでいった。近くの人が咄嗟に手を伸ばすが、貴金属の輝きには届かない。
──宝石店の監視カメラに残されていた映像が終わる。高度に編集された動画のようだが、無編集だ。
これが、窃盗団の手口とされている。
「──それ、究助からか」
監察医の弟子、廃谷紫雲はハンドルを切りながら、後部座席の綴に訊ねた。
「はい。今朝、送られてきました。サザンクロスの窃盗を映した映像です。お願いしたら送ってくれました」
「……どうでもいいが、そろそろ着くぞ」
「あ、了解です!」
紫雲の運転する車で、綴は戸担町、被害者の照井宅に到着した。
「……面倒くせえ……」
「すみません。究助さんは窃盗団事件の方で忙しくて」
「俺は忙しくないってか。まあ……用があったから、別にいいがよ……」
紫雲は白衣を羽織る。それがなければ、とても医者とは思えないファッションだ。
特能が玄関に立っている。椿の推測通り、まだ捜査を続けているようだ。
「……特能が見張ってるが、俺の後ろについて来ればお前も入れる」
「監察医の人は特能もOKにするんですね」
「そりゃあな。俺たちがいなきゃどうしようもない」
紫雲の言う通り、特能の見張りは紫雲と綴を素通りさせる。綴の顔も知らないようだ。
改めて見渡すと、やはり照井宅は住宅街に収まってはいるものの、内装は豪奢な味わいがある。
廊下を抜け、奥の現場に入る。この部屋の用途は書斎のようだ。
現場の部屋は、遺体がない以外は、当日とほとんど変化がない。
「俺は俺で検証を進める。お前は勝手にやってろ」
「は、はい」
紫雲は鞄の中からなにか出しながら続ける。
「……それで、どこを調べるつもりなんだ」
「え?」
勝手にやってろ、と言った側から気にかけている。
「えーっと、そうだ。紫雲さんにまず聞きたくて。被害者……照井さんの死因は本当に首吊り……つまり縊死なんですか? 絞殺などではなく?」
縊死と絞殺の違いは専門家が見れば一目瞭然だ。首吊り偽装があるのなら違和感は明白なはず。
「間違いなく縊死だ。ちなみに、死亡推定時刻は13時3分……お前と天野が窓から覗いた時間だな」
「やっぱり、あのとき……」
あと少し早く駆けつけていたら、助けられていたかもしれない。そう思うと悔やみきれない。
「お前が気に病む必要も、意味もない。首吊りってのは案外、すぐに意識を失って、そのまま死に至る。お前が見たときには痙攣してたんだろ。もう手遅れだったはずだ」
なら良かった、とはならないが、いくらか気分は楽になる。
「山犬……あの嫌味メガネ。アイツは俺が検分しているとき、しきりに他殺の可能性を聞いてきやがったな。あー、思い出しただけで苛々する」
「やっぱり……」他殺の線で捜査を進めようとしているのだ。
「アイツは 匂いを気にしていた。あの現場にはまだ新しい、この家の住人とは別の匂いがあると言っていた」
「山犬さんの《嗅覚》の異能力ですね」
紫雲は折りたたみの椅子を取り出していた。
「天野さんのものではないんですね?」
「どうやら違う。しかも匂いの残滓から、まだ新しめの匂いだと分かったらしい。ちなみに、被害者に同居人や家族はいない。謎の客人がいたかもしれないんだ」
「……気になりますね」
「気になると言えば、検視の結果、照井は睡眠薬を服用していた」
「自殺に睡眠薬は付きものですけど……首吊りに睡眠薬ですか。変な取り合わせですね」
「そうだな……だが、俺に推理なんか期待するなよ。考えるのはお前の仕事だ」
「は、はい。分かりました」
窓を調べる。綴が壊したガラスは当然そのままだ。肝心の開閉だが、やっぱり開かない。かろうじて、わずかな隙間だけ生まれる。それでも小指すら入らず、爪の先が入るくらいの隙間だ。
錠にも特に不自然な傷などもない。
あの日、首吊り遺体の足下にあったスツールは、部屋の片隅に追いやられていた。使用者もいなくなり、使い道のないインテリアに成り下がってしまった。
観察していると、脚の1つに、ぐるりと糸で囲んだような、細い傷があるのを発見した。これがずっと前から付いている傷なのか判断が付かない。
「紫雲さん、当日の話なんですけど……」
綴は窓と椅子の調査を終えて振り返る。
折りたたみ椅子が立っていた。
そしてその上では。
──紫雲が首を吊っていた。
「──っわああぁああ!?」
衝撃的な光景を目の当たりにし、腰を抜かす。
「……なんだよ、大きな声を出すな」
「えええぇえ!?」
紫雲は吊られたまま、回転して綴を見た。
「なんっ、なななな、なにやってんですか!?」
「検証だが?」
「どうやってるんですかそれ!?」
「ジョークグッズのロープだ。首吊っても全然苦しくない」
「ブラックなジョークすぎますって……!」
紫雲はロープを解いて床に降りた。椅子に腰を落ち着けて、へたり込んだままの綴を見下ろした。
「……で? なにか訊きたいのか」
まだ動悸は治まらないが、紫雲は待ってくれないだろう。
「あの……山犬さんたちは窓やドアを調べていました?」
「合鍵がないこと、ドアを閉めたとき隙間があること、鍵自体は至って普通の錠であること……そういうのは調べていた」
それを聞き、綴はドアノブを確かめた。よく顔を近づけ目を皿にして、つぶさに調べ尽くした。
サムターン、錠のつまみを囲むような細い傷が付いている。
おや、と綴は訝る。この傷は、スツールの脚についていた傷と似ていないだろうか。目に焼き付けてすぐ確認しに戻ると、案の定、2つの傷は似通っていた。
「……もし他殺で犯人がいるとして、この家からどう出たんだ?」
「この部屋から出た方法ははっきりしませんが、家から出るのは簡単ですよ。廊下の窓から外に出ればいいんですから。僕は特能が来る前に、廊下の窓の鍵が開いていることを確認済みです」
密室なのは現場の部屋だけで、家自体は密室ではない。
「それもそうだな」
「いえ……もしかしたら、部屋を密室にするのも、そう難しいことじゃないかもしれません」
ぱっと考えただけだが、古典的な方法で、この謎は解決できそうだ。
「マジかよ?」
しかし、大きな問題は未だ解決できていない。
仮に他殺だとすれば、犯人は被害者をロープで括った後、この家から外に出た。綴たちが窓を覗いたとき、被害者はまだ痙攣していたため……犯人は家を出たばかりということになる。近くに人の気配があっただろうか?
いや、綴が玄関の近くに人がいたか、と天野に訊ねると彼は、「いない」と答えた。
天野が犯人という可能性もあり得るが、彼が犯人なら、あの場で助けを求めていたのはおかしい。犯人ならアリバイを作るため、とっくに移動しているはずだ。
「……それで、紫雲さんはなにをしてるんですか? 趣味の悪い首吊りなんて……」
「好きでやってるわけじゃねぇよ」
「好きでとは思ってないですよ……」
「お前、首吊りを目撃して、すぐにロープを解いたんだよな?」
「は、はい」
紫雲は難しい問題を解くように眉根を寄せる。
「自分で確認してみたが、おかしいな。それにしては、うっ血があるんだよ」
「うっ血?」
首が絞まり、血液の流れが滞っている状態ということだが、それがどうしたのだろうか。
「詳しく教えてもぴんと来ないだろうから簡単に言うと」と、助かる前置きをした。「首吊りってのは、あまりうっ血は見られない。蒼白の表情で死ぬ」
「そうなんですか? でも被害者はうっ血していると?」
「ああ。考えられる可能性は2つ。1つは首吊りじゃなかった可能性。だがお前ともう1人が首吊りの現場を見ているし、索条痕からも首吊りであることは間違いない。つまりもう1つの可能性だ。それは、ゆっくりと首が絞まっていた可能性」
「か、簡単に言われてもぴんと来ないです」
「要するに、椅子を蹴って吊られれば、一気に首が絞まってうっ血は起こらない。だが、完全に窒息せず、じわじわと首を絞められ続けていれば、顔にうっ血の色が見られるってことだ」
「被害者はじわじわ首を絞められていた……?」
けれど首吊りなのは確かで……?
「それから、俺の持ってきた椅子だが、このスツールの高さとほぼ一致する。それで立ってみたところ、ギリギリの高さだ」
「なにがギリギリ……あっ、首にロープを括って、足が座面に届くギリギリってことですか」
「ああ……足場を蹴らなくても、これじゃ苦しかっただろうな。この部屋にもともとあった椅子だが……あれじゃ逆に、高すぎて首にロープの高さが合わない。だからスツールを別の部屋から持ってきたんだろうと推測できる」
ギリギリの高さだった。だから、被害者はじわじわと首が絞まって、うっ血していた……?
「……被害者は睡眠薬を服用していた……」
綴は俯き気味だった顔を上げる。
「なんか閃いたみたいだな?」紫雲は鼻で笑う。
「は、はい。でも、いったい誰が……」
ふと、玄関の方が騒がしくなる。紫雲が顎で行って見てこいと促す。部屋から出ておそるおそる玄関に向かうと、入口を見張る特能と何者かが言い争っていた。
「どうして僕が入れないんだ!」
「あ、天野さん!」
グロ苦手の編集者、天野春雨が現場を訪れていた。
「おお、君か!」天野は綴に気づくと手を挙げる。「まったく困ったもんだよ、せっかく僕がとっておきの情報を教えてやろうと思ったのに、取り付く島もないんだからさ」
「とっておきの情報?」
特能を挟んで大声で会話する。
「抽斗の暗証番号だよ。その中に、照井さんのノートがあるって言っただろ?」
「予定が書いてあるって言ってた奴ですね」
「予定もだけど、もしかしたら遺書とかあるかもしれない!」
「遺書! 確かに、自殺なら遺書とかあっても不思議じゃないのか……」
「正直あの人が自殺するとはまったく思えないけど、もし本当に自殺なら、そこに秘密があると思うんだ! 大切な物はぜんぶその抽斗に仕舞うからね!」
「分かりました。こちらで調べてみます! 暗証番号を教えてください!」
「4649! ヨロシクだね!」
「絶対変えた方がいいと思います!」
適当に合わせても開いた可能性があったな、と複雑な感想を抱く。ともあれ、メモするまでもなく記憶した綴は、部屋に戻って抽斗を開けた。
赤い表紙のノートが一冊、抽斗に収まっていた。慎重に取り出し、1ページ目から順にめくっていく。なにかの記事の切り抜きが貼ってあったり、メモが雑然と書かれていたり、非常にジャーナリズム溢れたノートだったが、どこにも遺書らしきものはなかった。
最新のページを開く。小さく予定が刻まれていた。
《13:00 天野春雨編集》
「事件当日、アイツと打ち合わせがあったんだったな。その予定か」紫雲が横から覗き込む。
「ネタ帳兼、予定表ってところでしょうか」
13時に天野が訪れ、インターフォンを押しても応答がなかったため、裏に回り込んだ。そして首吊りを発見したという流れだ。
そしてその文の上には、別の予定らしきものが書かれている。
《12:00 サザンクロス窃盗団》
「これは……?」
《そのサザンクロス、窃盗団だけど……首吊り事件とは関係ないの?》
昨晩の椿の台詞がまざまざと蘇る。
──関係がある、と答えざるを得ない。




