事件発生
究助は車を路肩に寄せ、勇ましく降り立った。赤色のインナーが眩しく見える。やって来るであろう窃盗団を迎え撃つ気満々の表情だ。後部座席から這々の体で転がり出る綴には気づいていない。法定速度、本当に守っていただろうか?
「奴らは身軽だ。車じゃ小回りが利かない。走っていくぜ」
「は、はひ……へ? この暑さの中……? と、というか、なんで僕は連れてこられたんですか?」
「そりゃお前……この町に来る道中、事務所の前を通りかかるわけだし。なんとな……人手は多い方がいいだろうと思って」
「そ、そんな理由!? 役に立ちませんよ僕なんて! っていうか今、なんとなくって言おうとした!」
「まあ……いないよりマシかなって……」
「酷い!」
「まあまあ。アイス奢ってやるから」
「し……仕方ないですね……」
アイスなんて高価な嗜好品を出されては、致し方ない。「ちょろ……」と究助が呟いたようだが、気のせいだろう。
そんな、切ない口論をしていると、遠くから大きな声が山彦のように届いてきた。
「──待てー……」
うっすらとだが、怒声だと分かる。2人がそっちを見た瞬間、その影は颯爽と現れる。
パーティグッズのピエロの面で顔を隠し、気取ったマントを靡かせる。ステッカーの貼られたアタッシュケースを手に持っている。
いかにもな風貌の影は、ガードレールを飛び越え、停止中の車の間を抜けていった。
「究助さん、あれって……サ……」
「サ……サザ……」
「ン?」
「クロス!」
「来てるじゃないですか!?」
綴たちの前に現れたのは、まさに逃走中の窃盗団だ。
「クソッ! 思ったより早いじゃねぇか! 追うぞハチミツ、全速力で走れ!」
そう言う究助はさながら闘牛のような勢いで地面を蹴った。
「速っ!?」
陸上でもやっていたのだろうか。究助は綺麗なフォームでピエロ仮面を追い始めた。
障害物を無視して軽やかに逃げるピエロ仮面。速度だけなら勝るとも劣らない究助。2人の追走劇に、綴は到底叶うとは思えなかった。探偵は体を動かす仕事だ。カフェのバイトにしてもそう。しかしその程度では追いつける気がしない。
ピエロ仮面は、パルクールの動きでポストに飛び乗る。高所から見下ろし、手招きのサインで究助を挑発した。
「ま……待てゴラぁー!」
上空をヘリコプターが飛行している。窃盗団を追跡するため、警察のヘリコプターが出動しているようだ。空撮もしているのだろう。彼らの逃走ルートはあれで分かる。実行犯は3人いて、その他のメンバーは逃走のサポートをするとのことだが、今もこの戸担町のどこかで走り回っているのだろうか。
綴は角を曲がる2人を見送るしかなかった。彼らのスタミナとスピードに追いつける気が微塵もしない。アイスで出たやる気も、猛暑で霧散する。疲労と困惑の混じったため息が出た。
究助が消えた角を曲がり、一応、追ってみる。
当然だが、もう彼らの姿はない。
5分か、10分か。2人が見えなくなって何分経ったか、よく分からない。暑さのせいかやや朦朧とした頭は、時間の感覚をおぼろげにする。
「……ん?」
気のせいだろうか。道の先から人の声が聞こえた気がした。さっきの警官の怒声を彷彿とさせるが、雰囲気は違う。
「──誰かー……」
「どこから声が……」
「誰かー! 来てくれー!」
声が大きくなるにつれ、それが助けを求めるものだと分かる。
「え、え?」驚くが、立ち止まっていられない雰囲気だ。「いったいなにが……? 窃盗団がなにかしたのかな……?」
住宅街に入っていく。私道に足音を響かせ、声の方向へ、角を曲がる。すると、見るからにパニックになっている男がいた。丸眼鏡をかけ、髪型は癖だらけの無造作ヘア。服装はクールビズな、会社員らしい格好だ。年齢は30代くらいだろうか。
相当な出来事が起こったのか、錯乱している。
「なにかあったんですか!?」
「こ、こここ、ここ! ここ見て!」
男は声を詰まらせながら、眼前の家の窓を指差した。綴に、中を覗いてくれと言っているようだった。覗いたら魂を抜かれる、なんてあるわけないが、躊躇ってしまう恐怖があった。
意を決して、窓の前に立つ。カーテンがかすかに隙間を作っていて、中の様子が分かる。
「……へ?」
──その中には、信じがたい光景が広がっていた。まるでドラマの映像が、窓越しに再生されているようだった。
「こ……これ……人が……!」
人が──首を吊っていた。
ブラブラとロープは揺れ、吊られた人は、かすかに痙攣していた。
「く、首吊り……!」
綴は必死に、冷静になろうとする。すべきことを考える。通報、いや、急げばまだ間に合うかもしれない。優先すべきは……。
窓に鍵はかかっていない。力を込めて窓を動かそうとするのだが。
「あ、あれ。う、動かない」
再度鍵を確認するが、見間違いではなく、開いている。窓枠が歪んでいるのかもしれない。ぴったり埋まってしまっているかのように、ガラスは動かない。かろうじて紙が差し込める程度の隙間が開いた。
「あの! 玄関は……」
「鍵がかかってます!」男は嘆く。
「き……緊急事態です! ごめんなさい!」
綴は謝りながら、肘を使って窓ガラスを破壊した。2、3度繰り返して破片も壊し、身体を部屋の中に潜り込ませた。男も後に続く。
窓越しに見たはずだが、目の前で改めて揺れ動く身体を見て、血の気が引いた。ロープは梁に結びつき、揺れに合わせてギシギシと軋む。さっきまでは痙攣していたのが、今は、硬直している。これではもう、すでに……。
「手伝ってください! 下ろします!」
「あ、は……はい!」
横にはスツールが置かれていた。綴はそれに上ってロープを梁から外した。わずかな望みをかけてロープを解く。
しかし、手遅れだ。
「あ……ああ……て、照井さん……」
綴はスマホを取り出し、通報する。おそらく、駆けつけるのに時間はかからないだろう。なにしろ、今日はそこら中に警察がいるのだから。
「どうして……?」
綴の慟哭に、誰も応えない。
目を背けたくなる。しかし嘆いてもいられない。到着する警察のために、状況を把握しようとする。
遺体を観察するには、少し心の準備が必要だった。3ヶ月前に墜落死体を見た、といっても、慣れるわけはない。気持ちを落ち着かせるためにも、遺体の前に部屋を一望する。
「時間は……13時をちょっと過ぎてるな」壁掛け時計を確認する。
床には高級な絨毯が敷かれ、壁の一角には本棚が、天井近くまでそびえ立っていた。奥にある木製の机は大きく、顔が映り込みそうなほど磨かれている。机の前には椅子があり、部屋の隅には観葉植物、その隣にはサイドテーブルと、どれも瀟洒なインテリアだ。
知識も縁もないが……この部屋はきっと、お高い。
「ん?」
この部屋の出入り口は、綴たちが入ってきた窓を除けば、ドアが1つあるのみだ。他に窓はなく、ダクトなどの外に繋がる開口部もない。
ドアには、シリンダー錠が取り付けられていた。シリンダー錠、よく見られるタイプの錠で、鍵穴に鍵を差し込み、回して施錠するように出来ている錠のことだ。つまみは部屋の内側で、鍵穴は外側にある。
まさかと思い、探してみると、机の上に鍵が置いてある。デジャブだ。
合鍵があるかは分からないが、なければ、外からではなく、内側からつまみを回して鍵を閉めたことになる。
窓は歪みのせいで開かない。となると、この部屋は……。
「密室だ」
窓から射し込む日に、舞う埃が輝いて見えた。机は磨かれているが、本棚やサイドテーブル、観葉植物の葉などには埃が積もっていた。隅々まで掃除をする人ではないらしい。
さて──部屋の住人だ。気はまったく進まないが、いよいよ遺体を注視する。
紫雲のように検視ができたら良いのだが、残念ながら経験も知識もない。首の周りに赤い痕が付いていて、これがロープの痕ということくらいは分かるが、それくらいだ。顔はうっ血していて薄紅色だ。
「わ、分からない……」
悔しいが、覚悟を決めて遺体を見たところで、明らかになったことは少ない。そこで、首の横に解かれて落ちているロープを見た。2mくらいある。首吊りと絞殺の違いはすぐ分かると聞いたことがあるが、綴には見分けが付かない。
次に、ロープを梁から外すときにも使ったスツールを調べる。木製で、四角の座面から4本の脚が真っ直ぐ伸びている。さきほど動かしたとき、軽かった。横に置かれていたことから、首吊りにもこれを使ったのだろうと推測できた。足場に使い、首吊りをいざ決行というときに蹴っ飛ばした、といったところだろうか。
それにしても、スツールか。
綴はなにか引っかかりを感じて、しげしげと眺める。
そう思ってからあることに気づいた。この部屋には立派な椅子がある。机に合わせた、重厚感と高級感のある椅子だ。だが何故、足場に小さなスツールを使ったのだろうか。
最後に、部屋の入口に立って、全体を視界に収める。争った形跡はない。綴が割ったガラスが散乱しているくらいだ。
綴は現場の状況をメモしていく。最後に、自分の考えを書き足した。
《自殺の可能性が高い》
遺体から目を背け、隅で蹲っている男に視線を向けた。男は遺体を見ないようにしている。床を見つめながらガタガタ震えていた。
「あの……少しいいですか? あなたはさっき、この方の名前を呼んでましたよね。『照井さん』でしたっけ。あなたは、お知り合いですか?」
「……ぼ、僕、僕は天野春雨。鬼灯新聞社の編集者だ。……そこに倒れているのは照井明良。フリーのジャーナリスト」
「なるほど。今日は打ち合わせとかですか?」
「そ、そのとおり……うう」天野はえずく。
「だ、大丈夫で──」
「あ、ごめん。ちょっと吐く……」
「え!?」
言うが早いか、天野は立ち上がり、トイレに向かった。場所も知っているようで、迷いがない。綴は彼の背中を慌てて追いかける。廊下の途中で窓を発見する。鍵は開いていた。
「大丈夫……じゃないですよね」綴は天野の背中をさする。
「ぐ……グロは駄目なんだよ。おぼえっ……」
「グロっていうか……」
「人が死ぬニュースとか、本当にムリ……。
もうずっと、芸能人の不倫とかばっかでいいんだから……」
「それはそれで嫌ですよ……!」
吐くものすべて出した天野はへたり込む。
「うう……照井さんは、絶対に自殺なんかする人じゃないんだよ」
「……それ、本当ですか」
「うん……そういう人じゃないってのもあるけど。今日は打ち合わせなんだよ? ネタもあったみたいだし。なのに自殺なんておかしいだろ?」
「確かに、変ですね」
「打ち合わせの時間になって、インターホンを鳴らした。でも反応がなかった。あの部屋で寝てるのかって思って、外に出て窓を覗いたんだ……そ、そうしたら……」
「首吊りを目撃しちゃったんですね……」
「そ、そう。後は、君も知ってのとおり……おぇえっ」
「わ! べ、便器で吐きましょう!」
メモに書いた自殺の文字に「他殺の可能性?」と注釈を入れた。他殺の場合、この現場は意味不明なものに変貌する。
「玄関の近くに、誰かいましたか?」
「い、いないよ。でもなんか、町は騒がしいね。パトカーのサイレンが響いてる……」
サザンクロスの件で、戸担町は大混乱の様相だ。
「グロはムリ……頼むから、今からでも無かったことにしてくれぇ……!
照井さんが薬物吸ってたとか、そういう系のスクープにしてくれぇ……!」
「だから、そっちでも嫌ですって! ……照井さんの予定とか、どこかに書き残してたりしないですかね?」
「あ、あの人、予定はきっちりメモするタイプだから……きっとノートに書き残してるよ……」
「そうなんですね。親近感……そのノートはどこに?」
「サイドテーブルの1番下の抽斗、鍵が付いてるんだけど……おぶぇっ」
「あぁ……」
そのとき、インターホンが場にそぐわない暢気な音を奏でる。
「警察の者です。通報を受けたのですがぁ」
「あ……警察の方が来たようです。天野さんはここにいてください」
「う、分かった……」
便器にしがみつく天野を放置し、玄関まで走った。
玄関を開けて、まるで家主のように警官を迎える。
「こっちです、あそこの部屋……って、え?」
玄関口に立つ警官、彼の胸元のバッジを見て、綴は目を丸くする。三日月のバッジは、もうトラウマになりそうだ。
「おやぁ? あなたはここの家の方でしょうか?」
「……いえ、その……」
男の目は鋭く、値踏みするかのような眼差しだ。冷淡で、まとわりつくような喋り方をする。ぬるりと右手を動かし、自らに向ける。
「特殊異能力犯罪対策班、警部補の……山犬と……申します」




