第四章 最初の配達
翌朝、ギルドの会議室に四人の人間が集まっていた。
ギルドマスターのガルド。新入りの誠司。そして、残り二人の配達員。
一人は中年の女性で、名をセレナといった。短い茶髪に、日焼けした肌。手足は筋肉質で、いかにも働き者という印象だ。もう一人は若い男性で、名はマルコ。昨夜飛び込んできた青年だ。金髪に青い目、線の細い体格。見た目は頼りないが、目には強い意志が宿っている。
「状況を整理しよう」
ガルドが地図を広げた。
王都を中心に、周辺地域が描かれている。東西南北に街道が伸びていて、それぞれの先に集落や都市がある。
「魔王軍は、東の街道を封鎖した」
ガルドは東の街道に赤い線を引いた。
「これにより、東方面との物流が完全に止まった。東の集落からの届け物は入ってこないし、こちらから東へ届けることもできない」
「それだけじゃないわ」
セレナが口を開いた。
「南の街道も、滞留魔が大量発生して通行不能になっている。昨日の偵察で確認した」
「北は?」
「北はまだ安全だ。だが、時間の問題だろう」
マルコが暗い顔で言った。
誠司は地図を見つめた。
王都への物流ルートが、次々と封鎖されている。このままでは、届け物は届かなくなり、滞留魔は増え続け、やがて王都自体が滅びる。
「打開策は?」
誠司は聞いた。
「ない」
ガルドが首を横に振った。
「魔王軍と正面からぶつかる戦力は、我々にはない。騎士団に頼るしかないが、彼らは王宮の防衛で手一杯だ。配送ギルドに割く余力はない」
「じゃあ、どうする」
「できることをやるしかない」
ガルドは地図の中央、王都の周辺を指差した。
「王都内と、近郊の安全地帯への配達は続ける。それだけでも、滞留魔の発生を抑えることができる」
「焼け石に水だ」
誠司は言った。
「王都だけ守っても、周辺が滅びたら意味がない。根本的な解決にならない」
「分かっている。だが——」
「東の街道を突破する」
誠司の言葉に、全員が固まった。
「何だと?」
「魔王軍が封鎖しているなら、突破する。届け物を持って、東の集落に行く」
「馬鹿な。軍隊を相手に、配達員一人で何ができる」
「届けることはできる」
誠司は立ち上がった。
「俺たちは戦士じゃない。配達員だ。敵を倒す必要はない。届け物を届ければいい」
「だが——」
「昨日、森で滞留魔に襲われた。あの時、俺は戦わなかった。逃げながら、届け物を守った。それで、届けることができた」
誠司は地図を見つめた。
「魔王軍も同じだ。戦う必要はない。避けて、逃げて、それでも届ける。それが配達員の仕事だ」
沈黙が流れた。
やがて、セレナが口を開いた。
「無謀だわ」
「分かっている」
「でも——やってみる価値はあるかもしれない」
セレナは立ち上がった。
「私も行くわ。一人より二人の方が、成功率は上がる」
「俺も行きます」
マルコも立ち上がった。
「配達員として、逃げてばかりはいられない」
ガルドは三人を見回した。
長い沈黙の後、彼は溜息をついた。
「分かった。だが、無理はするな。危険と判断したら、即座に撤退しろ」
「了解」
誠司は頷いた。
「では、準備を始めよう。東への届け物を、すべて持っていく」
準備には半日かかった。
東方面への届け物は、合計で四十七個。大きなものから小さなものまで、様々な種類がある。誠司はそれらを一つずつ確認しながら、積み込みの順序を決めていった。
「何をしているの?」
セレナが近づいてきた。
「逆順積載だ」
誠司は説明した。
「最後に届ける荷物を一番奥に、最初に届ける荷物を手前に積む。これで、配達先で荷物を探す時間がなくなる」
「聞いたことない技術ね」
「俺の世界——いや、俺が昔いた場所で使っていた」
セレナは興味深そうに見つめていた。
「あなた、不思議な人ね。ガルドさんが言ってた。『滞留魔から逃げ切り、時間通りに届け、配完の祝福を起こした』って。そんなこと、私たちでも難しいのに」
「ただの配達だ。特別なことじゃない」
「特別よ」
セレナは真剣な顔で言った。
「この三年間、配完の祝福は一度も起きなかった。届け物は届かず、滞留魔は増え続け、ギルドの仲間は次々と辞めていった。私たちは、ただ現状を維持することしかできなかった」
彼女は誠司を見つめた。
「あなたが来て、初めて祝福が起きた。それは——希望よ」
希望。
その言葉が、誠司の胸に響いた。
日本で配達員をしていた時、そんな言葉を聞いたことはなかった。届いて当たり前、届かなければクレーム。感謝されることなど、ほとんどなかった。
「俺は——」
言葉が詰まった。
何を言えばいいか、分からなかった。
「準備できました!」
マルコの声が聞こえた。
誠司は顔を上げた。
「行こう」
東の街道は、王都から半日の距離だった。
三人は荷物を背負い、早朝に出発した。誠司が先頭を歩き、セレナが中央、マルコが最後尾。お互いの距離を保ちながら、警戒しつつ進んでいく。
午前中は、特に問題なく進めた。
街道は整備されていて、歩きやすい。ところどころに休憩所があり、井戸や東屋が設けられている。だが、人の気配はない。魔王軍の封鎖を恐れて、誰も通らないのだろう。
「静かすぎるわ」
セレナが呟いた。
「昔は、この街道は商人で賑わっていた。荷馬車が行き交い、露店が並び、旅人たちの笑い声が聞こえた。それが今は——」
「取り戻す」
誠司は言った。
「届け物を届ければ、少しずつ取り戻せる」
セレナは何も言わなかった。だが、その目には——ほんの少しの希望が宿っていた。
異変が起きたのは、午後になってからだった。
街道の前方に、黒い影が見えた。
「止まれ」
誠司は手を上げた。
三人は木の陰に身を隠し、前方を観察する。
黒い影——それは、兵士の一団だった。二十人ほど。黒い鎧を身につけ、槍や剣で武装している。彼らは街道を塞ぐように陣取っていて、通行人をチェックしている。
「魔王軍だ」
マルコが息を呑んだ。
「検問を張っている。あれを突破しないと、先に進めない」
誠司は考えた。
正面から行けば、確実に捕まる。武装した配達員ではないとはいえ、通してもらえるとは思えない。かといって、迂回路を探す時間はない。届け物には、時間指定のものも含まれている。
「別のルートはあるか?」
「この先は山岳地帯よ」
セレナが地図を広げた。
「街道以外に道はない。あるとしたら——山を直接越えるしかない」
「山を越える?」
「危険だわ。道なき道を行くことになる。滞留魔の巣窟になっている可能性もある」
誠司は山を見上げた。
険しい山肌。岩場が多く、木々が密生している。あの中を、四十七個の荷物を背負って進むのは困難だろう。
だが——
「行ける」
誠司は言った。
「道がなくても、届け先への最短ルートは分かる。『完全記憶地図』のスキルがある」
「本当に?」
「昨日の森で試した。一度見た地形は忘れない。あの山の形、岩の配置、木々の密度。全部記憶している。そこから最適なルートを割り出せる」
セレナとマルコは顔を見合わせた。
「信じてくれ」
誠司は言った。
「俺は五年間、毎日二百個以上の荷物を届けてきた。どんな状況でも、必ず届ける方法を見つけてきた。今回も——必ず届ける」
沈黙。
やがて、セレナが頷いた。
「分かったわ。あなたを信じる」
「俺も信じます」
マルコも頷いた。
誠司は山を見上げた。
「行くぞ」
山越えは、想像以上に過酷だった。
道がない。当たり前だ、誰も通らないのだから。誠司は岩場を登り、藪をかき分け、谷を渡りながら進んでいった。後ろからセレナとマルコがついてくる。
「こっちだ」
誠司は方向を指示した。
頭の中に、地図が浮かんでいる。山の形状、傾斜、障害物の位置。それらを瞬時に処理し、最適なルートを導き出す。『完全記憶地図』のスキルが、フル稼働している。
だが、途中で問題が発生した。
「止まれ」
誠司は手を上げた。
前方に、黒い霧が漂っている。
滞留魔だ。
「ここにも……」
マルコが呟いた。
「迂回する」
誠司は言った。
「あの滞留魔を避けて、北側から回り込む。時間はかかるが——」
「待って」
セレナが止めた。
「あの滞留魔——動きが変だわ」
誠司は目を凝らした。
確かに、滞留魔の動きが不規則だ。普通なら一定のパターンで蠢いているはずなのに、今は何かを探すように、あちこちに触手を伸ばしている。
「何かを感知している……?」
「まさか——私たちを?」
その瞬間、滞留魔がこちらを向いた。
いや、「向いた」という表現は正しくない。目も顔もない存在が、それでも確実に三人の存在を察知した。黒い霧が膨張し、触手が伸びてくる。
「逃げろ!」
誠司は叫んだ。
三人は走り出した。
だが、滞留魔は速い。触手が地面を這い、木々の間を縫い、三人を追いかけてくる。このままでは——
「こっちだ!」
誠司は急に方向を変えた。
「どこへ——」
「いいから、ついてこい!」
誠司の頭の中で、地図が高速で更新されている。地形、障害物、滞留魔の移動速度。すべてを計算に入れて、最適な逃走ルートを導き出す。
「あそこだ!」
誠司は岩場を指差した。
大きな岩が積み重なっていて、その間に狭い隙間がある。人間なら通れるが、滞留魔の霧体では入れない——はずだ。
三人は岩場に飛び込んだ。
誠司が先頭、セレナ、マルコの順で隙間を通り抜ける。背後で、滞留魔が岩にぶつかる音がした。触手が隙間に入ろうとするが、岩に阻まれて進めない。
「助かった……」
マルコが息を吐いた。
だが、安心するのは早かった。
岩場を抜けた先に——別の滞留魔がいた。
「嘘だろ……」
誠司は絶句した。
前方から、黒い霧が迫ってくる。後方からも、岩を回り込んで別の滞留魔が近づいている。挟み撃ちだ。
「どうする……」
セレナの声が震えていた。
誠司は考えた。
逃げ道はない。戦う力もない。このままでは——
その時だった。
「届け物——」
誠司は呟いた。
ガルドの言葉を思い出す。「滞留魔の核には、届けられなかった届け物がある。それを本来の届け先に届ければ、滞留魔は浄化される」。
もしかしたら——
誠司は前方の滞留魔をじっと見つめた。
『時間厳守』のスキルを発動する。時間の流れが遅くなり、滞留魔の動きが鮮明に見える。その中心に——何かがある。
「見える……」
黒い霧の奥に、小さな光が見えた。それは包みのような形をしていて、弱々しく脈動している。
届けられなかった届け物。
あれが、この滞留魔の核だ。
「分かった」
誠司は鞄から、一つの届け物を取り出した。
「何をする気——」
「賭けだ」
誠司は言った。
「もし外れたら、逃げろ」
そう言って、誠司は滞留魔に向かって走り出した。
「待って——!」
セレナの声が後ろで聞こえた。だが、誠司は止まらなかった。
滞留魔が触手を伸ばしてくる。だが、『時間厳守』のスキルで、その動きは読める。ギリギリで避け、さらに奥へ進む。
核が、目の前にある。
誠司は手を伸ばした。
包みに触れる。すると——
閃光が走った。
誠司の意識が、別の場所に飛ばされる。
気がつくと、誠司は見知らぬ部屋に立っていた。
木造の小さな家。窓から差し込む光。机の上には、便箋と封筒が置かれている。
そして——一人の老婆が、その前に座っていた。
「あの人に、届けないと……」
老婆は呟いた。
「孫に、手紙を……最後の手紙を……」
その手は震えていて、ペンを握ることもままならない。
「でも、届かない……配達員が、来ない……届けて、くれない……」
涙が、老婆の頬を伝った。
「届けて……お願い……」
誠司は理解した。
これが、この滞留魔の正体だ。
届けられなかった手紙。老婆が孫に送ろうとして、最後まで届けられなかった手紙。その無念が、滞留魔となって蠢いている。
「届ける」
誠司は言った。
「俺が届ける」
老婆が顔を上げた。
「本当に……?」
「本当だ。俺は配達勇者だ。どんな届け物も、必ず届ける」
老婆の顔に、安堵が広がった。
「ありがとう……ありがとう……」
その言葉と共に、視界が白く染まった。
気がつくと、誠司は山の中に立っていた。
滞留魔は——消えていた。
黒い霧が晴れ、その場所には小さな包みだけが残されている。手に取ると、それは古びた封筒だった。宛名は「サラへ」。
「これが……」
「誠司! 無事なの!?」
セレナが駆け寄ってきた。
「何があったの? 突然、滞留魔が消えて——」
「届けた」
誠司は言った。
「滞留魔の核にあった届け物を、届けた。正確には——届けることを約束した」
「約束……?」
「この手紙を、サラという人物に届ける。それで、この滞留魔は浄化された」
セレナは呆然としていた。
「そんなこと……できるの……?」
「できた」
誠司は手紙を鞄にしまった。
「サラへの手紙は、今の四十七個に追加だ。必ず届ける」
後方の滞留魔も、いつの間にか消えていた。誠司が一体を浄化したことで、連鎖的に弱まったのかもしれない。
「行くぞ」
誠司は歩き出した。
「まだ届け物が、山ほどある」




