第十五章 答え
魔王軍の支配地域に入ったのは、出発から三日目のことだった。
空気が変わった。
それは比喩ではなく、文字通りの変化だった。王都の周辺では澄んでいた空気が、ここでは重く、淀んでいる。土の色も違う。黒ずんでいて、生気がない。木々の葉は枯れかけていて、鳥の鳴き声も聞こえない。
滞留魔の影響だ。
届け物が届かなくなった土地は、こうして少しずつ死んでいく。
誠司は周囲を警戒しながら、前進を続けた。
少年の手紙は、懐に入っている。母親の居場所は分からないが、リナから教わった方法を使えば、手がかりを見つけられるかもしれない。
「届け物は、届け先を知っている」
リナの言葉を思い出す。
「想いが込められた届け物は、届け先に引き寄せられる性質がある。集中すれば、その方向を感じ取れるんです」
誠司は立ち止まり、手紙を取り出した。
目を閉じて、集中する。
最初は何も感じなかった。だが、意識を研ぎ澄ませていくと——かすかに、何かを感じた。引力のようなもの。手紙が、ある方向に引っ張られている感覚。
北西——。
「そっちか」
誠司は北西に向かって歩き始めた。
道中、何度か滞留魔に遭遇した。
小さなものは避けて通り、中程度のものは『時間厳守』のスキルで振り切った。だが、大きなものに遭遇した時は——戦うしかなかった。
「くそ……」
黒い霧が、四方から迫ってくる。触手が地面を這い、誠司を追いかけてくる。逃げ道がない。
誠司は手紙を胸に抱いた。
「届ける。絶対に、届ける」
その瞬間——体の中から、光が溢れた。
配完の祝福——ではない。何か別のもの。手紙に込められた少年の想いが、誠司に力を与えている。
「届けたい」
少年の声が、頭の中で響いた。
「お母さんに、届けたい。俺は生きてるって。待ってるって。伝えたい」
誠司は——走った。
滞留魔の隙間を縫って、全力で走る。触手が追いかけてくるが、届かない。少年の想いが、誠司を守っている。
黒い霧を抜けた。
振り返ると、滞留魔はそれ以上追ってこなかった。まるで、見えない壁に阻まれているかのように。
「届け物の力、か……」
誠司は手紙を見つめた。
この世界では、届け物には力がある。想いが込められた届け物は、届け先に向かって進む力を持つ。そして、その力は——滞留魔をも退ける。
「届けることに、意味がある」
誠司は呟いた。
「この世界では、確かに——意味がある」
母親を見つけたのは、五日目のことだった。
廃墟となった村の、崩れかけた家の中。鎖で繋がれて、動けない状態。だが、生きていた。
「誰……?」
女性が、掠れた声で言った。
「配達員だ。届け物がある」
誠司は手紙を差し出した。
「息子さんからだ」
女性の目が、大きく見開かれた。
「息子……? トーマが……?」
「ああ。トーマという名前だったか。彼は無事だ。王都で、お前を待っている」
女性は震える手で手紙を受け取った。
封を開け、中の便箋を取り出す。そこには、子供らしい字で——
「お母さん、ぼくはげんきです。まいにち、お母さんがかえってくるのをまっています。ぜったいにかえってきてね。ぼくはまっています。いつまでも、まっています」
女性は——泣いた。
声を上げて、子供のように泣いた。
その瞬間、配完の祝福が発生した。
温かい光が、女性を包む。鎖が——砕けた。滞留魔の力で作られていた鎖が、配完の祝福によって浄化された。
「自由だ」
誠司は言った。
「一緒に帰ろう。息子が待っている」
女性は涙を拭いて、頷いた。
「ありがとう……ありがとう……」
王都に戻ったのは、出発から十日後だった。
ギルドの前で、少年——トーマが待っていた。
「お母さん……!」
「トーマ……!」
母子が、抱き合った。
その姿を見ながら、誠司は思った。
届けることに、意味がある。
感謝されるかどうかは関係ない。見返りがあるかどうかも関係ない。届けることそのものに、意味がある。
黒田は言った。「届け物なんて、届かなくていい」と。
だが、それは違う。
届け物が届くことで、誰かが救われる。想いが届くことで、絆が繋がる。この世界では——届けることが、世界を救う。
「届けることに意味がないなら——俺は意味を作る」
誠司は呟いた。
それが、誠司の答えだった。
ギルドに戻ると、仲間たちが待っていた。
「誠司!」
リナが飛びついてきた。
「無事だったんですね! 心配したんですよ!」
「ああ。心配かけたな」
「本当に無茶するんだから……」
レオンが近づいてきた。
「配達は、完了したのか」
「ああ。完了した」
「そうか」
レオンは——笑った。
「さすがは配達勇者だな」
誠司は苦笑した。
「その呼び方、やめてくれ」
「なぜだ。事実だろう」
「恥ずかしいんだよ」
仲間たちが笑った。
その笑い声を聞きながら、誠司は思った。
ここに、自分の居場所がある。
日本では、こんな仲間はいなかった。一人で荷物を運び、一人でクレームに耐え、一人で疲弊していった。
だが、ここでは違う。
仲間がいる。一緒に届ける仲間がいる。
「誠司」
ガルドが近づいてきた。
「報告がある」
「何だ」
「女神ディリバリアから、啓示があった」
誠司の表情が引き締まった。
「啓示?」
「ああ。世界を救う鍵について——だ」




