第十三章 黒田の過去
魔王軍の本拠地——暗黒城。
その一室で、黒田は一人、窓の外を見つめていた。
「軍師様」
扉が開き、兵士が入ってきた。
「報告です。配達勇者は、西の集落への配達を完了させました」
「そうか」
「追撃しますか?」
「必要ない。今回は見逃す」
兵士は怪訝な顔をした。
「なぜですか? 今なら——」
「俺の考えに口を挟むな」
黒田の声が冷たく響いた。兵士は慌てて頭を下げ、退室した。
一人になった黒田は、再び窓の外を見た。
遠くに、小さな集落が見える。そこでは今、配完の祝福が発生しているはずだ。神崎が届けた届け物が、誰かを幸せにしているはずだ。
「届けるか……」
黒田は呟いた。
その言葉には——かすかな苦味が混じっていた。
黒田には、かつて夢があった。
配達員になりたかった。
子供の頃、家に届け物が届くたびに、母親が笑顔になるのを見ていた。誕生日のプレゼント、遠くに住む親戚からの手紙、通販で注文した品物。届け物が届くたびに、家の中が少しだけ明るくなった。
その笑顔を作っているのは、配達員だ。
黒田は、自分もそういう仕事がしたいと思った。人を笑顔にする仕事。届けることで、誰かを幸せにする仕事。
だから、物流会社に入った。
最初は順調だった。真面目に働き、効率を追求し、誰よりも多くの荷物を届けた。上司からも評価され、同僚からも尊敬された。
だが、現実は——厳しかった。
どれだけ届けても、感謝されることは少なかった。届いて当たり前。届かなければクレーム。五分遅れれば「二度と使わない」と言われ、完璧に届けても何の反応もない。
それでも、黒田は走り続けた。
いつか報われると信じて。いつか認められると信じて。
だが——報われなかった。
管理職に昇進した時、黒田は初めて「上からの景色」を見た。そこにあったのは、数字だけだった。配達完了率、クレーム発生率、人件費、利益率。人間は数字でしか測られない。届けることの意味など、誰も考えていない。
黒田は——壊れた。
自分が信じていたものが、幻想だと知った。届けることに意味はない。数字を達成することだけが、この世界で生き残る方法だ。
だから、部下を追い詰めた。
数字を達成させるために。自分が上から言われたことを、そのまま下に流した。「お前の代わりなんていくらでもいる」——それは、上から黒田が言われた言葉だった。
そして——過労で死んだ。
深夜の営業所で、一人で残業をしていた時だった。胸が苦しくなり、意識が遠のいて——気がついたら、この世界にいた。
女神など現れなかった。
黒田が目を覚ましたのは、魔王軍の兵営だった。彼らは黒田を「異世界からの来訪者」として歓迎し、その能力を買って軍師の地位を与えた。
黒田は——選んだ。
届ける側ではなく、止める側を。
「俺は、もう届けない」
そう誓った。
「この世界では、俺が止める。届け物など、届かせない」
それが、黒田の復讐だった。
かつて自分を苦しめた「届けること」への、歪んだ復讐。
だが——神崎が現れた。
あの男は、黒田がかつて追い詰めた部下の一人。過労で死ぬまで、黒田の下で働いていた男。
その男が、この世界で「配達勇者」と呼ばれている。
届け物を届け、配完の祝福を起こし、人々を笑顔にしている。
「なぜだ……」
黒田は呟いた。
「なぜ、お前は届け続けられる。なぜ、お前は——」
言葉が途切れた。
黒田の心の奥底で、何かが疼いていた。
それは——かつて、黒田自身が持っていたもの。
届けたいという、気持ち。
人を笑顔にしたいという、願い。
「……馬鹿な」
黒田は首を横に振った。
「今更、そんなものは——」
だが、疼きは消えなかった。
神崎の顔を見るたびに、疼きは強くなっていた。
「俺は……」
黒田は窓から目を逸らした。
「俺は、もう——」
その言葉は、最後まで言えなかった。




