用済みですって? それはこちらのセリフです
アーデルハイトの婚約者ハンネスは、不服そうな態度でそっぽを向いて紅茶を飲んでいた。
ハンネスはこの面倒な時間をさっさと終わらせたいと考えている様子で、苛立たしげに膝を忙しなくゆすっている。
庭園のガゼボに差し込む温かな陽光すら、うっとおしく感じている様子だった。
「……」
「……」
二人の間には会話の一つもない。
ただ重たい沈黙が居座っている。
アーデルハイトは、ハンネスがそんな様子でも、しばらく考えてから少し笑みを浮かべて問いかけた。
「……忙しない様子ですけれど、なにか急ぐ用事でもあるのかしら?」
視界に映った、小刻みに揺らされている膝は少し煩わしく、つい話題にした。
するとハンネスは、途端にアーデルハイトに鋭い視線を向けて、あざ笑うように首をかしげて笑みを浮かべながら言った。
「さぁ? 特に何があるというわけでもないが、俺たちはお前らと違って、先祖の運が良くなかったものでな、常にあれこれと考えることがあるんだ」
皮肉に笑ってハンネスは続ける。
「特に、領地の境にある魔石鉱山のことについて、こちらが散々譲歩してやっているにもかかわらず利権にしがみついて離さないどこぞの貴族のせいで常に気がたっているんだ」
「……」
「ったく、それにしても本当にがめつい。三つもあるんだ、一つぐらい融通を聞かせたって良いだろ。そう思わないか?」
問いかけられて、アーデルハイトは黙った。
その鉱山の権利にしがみついて離さない貴族というのはアーデルハイトたち、アイヒベルガー伯爵家のことである。
揉めているというわけではない。
ただ、かねてから、差があった。
隣の領地であるハンネスの実家ブラームス伯爵家とアイヒベルガー伯爵家には稼ぎに大きな差がある。
それは、土地の豊かさももちろんのことだが、アイヒベルガー伯爵家の領内には、三つの魔石の鉱山があった。
それらは、アイヒベルガー伯爵家に莫大な資産をもたらしているし、アーデルハイトたちの暮らしを豊かにしてくれる。
しかし隣のブラームス伯爵家の領地は、言ってしまうと豊かさも、とりえもない平凡――にも及ばない領地である。
ブラームス伯爵家は土地を持っていながらも、勤めに出ている親類も多く存在している。
どちらがいいということではないと思う。
けれども、そんな折、ブラームス伯爵家から猛烈なアピールがあって隣り合った二つの領地の娘アーデルハイトと息子ハンネスは婚約をするに至った。
ただ、その婚約には、思惑がある。
「俺たちだって、こんなにもアイヒベルガー伯爵家に良くしてやっているのに、未だに信頼の一つもしないなんて、お前たちはずいぶんと警戒しているらしい」
「……」
「臆病というか、ひねているというか……なぁ?」
責めるようにハンネスは言う。
ブラームス伯爵家は婚約をして、しばらくののちに少しずつ要求を明らかにしていった。
それはブラームス伯爵家の領地から一番近い境付近にある、今最も魔石の取れている調子のいい鉱山の管理や権利を主張してきた。
ブラームス伯爵家の狙いはたった一つ、それを手に入れること。
だからハンネスは、嫌な態度を取りながらも、アーデルハイトと月に一回は顔を合わせて、対面を取り繕う。
そしてハンネスとブラームス伯爵家は、今か今かといろいろな理屈をこねて、鉱山の権利を狙っている。
アーデルハイトの両親の前では青年を演じて、実家のためにも、これからの二つの領地の未来のためにも、と言葉を重ねる。
大きな資産を生む権利なのだからそれだけ扱いが大変だ。だからこそこれから縁をつないでやっていくのだから任せてほしいというのがブラームス伯爵家の言い分だ。
「お前が喋り始めたんだろ、黙るなよ。これだから女ってやつはつまらない、頭が悪くて理性もない。所詮は、家同士をつなぐ道具でしかない」
「そのように思われるんですのね」
「違わないだろ、なんだそのきどった物言いは」
アーデルハイトの返しにハンネスは、更に声を低くしていった。
たしかに、女性という物はただの道具だと考える人もいるし、アーデルナイトの言葉など、男のハンネスの態度や言葉を直接見るより信用がないものと考えるのも理解できる。
現に婚約は今でも継続していてハンネスがこんな態度を取っているにもかかわらず、将来的には共同の権利となる可能性が大きい。
今も管理を少し委託し、多少の権利が譲渡されている。
「……」
「はぁあ、こんなことじゃなければ、俺だってもっと愛嬌のある妻が欲しかったさ。お前みたいな奴なんてお呼びじゃない、良いから黙っててくれ」
アーデルハイトはなにを言っても無駄だとわかっているので口を閉ざす。
するとハンネスは、最後にそう言ってまた重たい沈黙がずっしりと居座って窮屈な時間が流れたのだった。
アーデルハイトは領地と王都を行き来することが多く、そのたびに馬車に揺られて腰が痛いのである。
しかし、この目で確かめなければ何事も始まらない。
王都にいて、書類上だけで何事も取引するのは性に合わないのだ。
そういうわけで、今日は件の領地の鉱山へとやってきた。
アイヒベルガー伯爵家は魔石を多く採掘し、更にはその魔石の加工も生業にしている。
古くから多くの魔石を扱うことができるアイヒベルガー伯爵家は、積み重ねた歴史と技術があり、それを求めている多くの魔法使いと契約をしている。
そんな中でも一番懇意にしていて、また土の魔法を持っているラウレンツという魔法使いがアーデルハイトのそばにいた。
ラウレンツと採掘場の中にまで入って視察を終えて、アイヒベルガー伯爵家の小さな別邸に戻ると彼は言った。
「うーん……そうだね。見立て通りなら、近いうちに変動が起こると思う」
彼は難しい顔をして、ペンを動かすけれど、描かれているものがなにを表しているかはよくわからない。
しかし変動が起きるということだけはわかるし、今回の視察の理由はそれである。
アーデルハイトは深く頷いてラウレンツに言った。
「ええ、そろそろ周期的にも、間違いないと思いますわ。父も母も同じように言っていましたもの」
「ああ、良かったよ。それにしても面白いよね、君達の領地は、こうして地の底から与えられる神々の恩恵を間近で感じることができるんだから」
ラウレンツはこくこくと紅茶を飲んで瞳をキラキラと輝かせた。
「神秘ってやつかな。アーデルハイトもすごいと思うでしょ?」
問いかけられて、アーデルハイトは少しだけ首をかしげて小さく笑みを浮かべる。
「……わたくしとしては、そういうものという認識しかないのだけれど」
「なんだぁ、それじゃあロマンがないじゃないか」
「ロマン、ですの」
「ああそうだよ。男なんて誰しもロマンに夢中なものさ。冷静に物事を見られる女性と違ってね」
ラウレンツは少し自嘲するように笑って、更にペンで何かを書いたが相変わらずどこのどういう絵なのかはよくわからない。
けれども、男と女、たしかに二つの性別の間には違いがあるとアーデルハイトも思う。
ハンネスが言っていた言葉が脳裏をよぎった。
女は頭が悪くて理性がなくて、所詮は使われる側。
たしかに誰もアーデルハイトに初めからなにも期待してはいなかった。
「……そうですわね。男と女は違いますわね」
「うんうん」
「でも、ロマンを持った女性がいてもいい、とわたくしは思うけれど」
「……」
それでもアーデルハイトは、世間から決められた方の中に納まって、誰かに使われるだけの規格内の道具でいたいとは思わない。
ラウレンツはアーデルハイトの物憂げな表情と言葉を聞いて、キョトンとしてから、うーんととても渋い顔をして悩んだ。
なんだかアーデルハイトが思いつめて、重要そうなことを言っていると察知したらしい。
けれどラウレンツはいくら考えても良い答えが思い浮かばなかったらしく、ものすごく顔にしわをよせて皺皺になったあと言った。
「…………南の方に行って、古代遺跡探検でもしてみる?」
「なぜ?」
「え、やぁ、その、ロマン、感じたいのかと思って」
問い返すとラウレンツは言い訳のようにそう言って、それから「俺はそれもきっと楽しいと思う」と続けた。
その瞳はまったく嘘を言っている様子もなく、ラウレンツは女性がロマンを持つことにまったく違和感も忌避感も抱いていないようだった。
父も母もそうだった。
アーデルハイトが口を出しても、真剣に聞いてくれた。
領地の皆もそうだ、アーデルハイトが採掘場にやってくることを始めは驚いていたけれど、今では馴染んだ顔であいさつしてくれる。
「ええ、ふっふふっ、ラウレンツ」
「う、うん?」
「ありがとう」
「?? ……どういたしまして?」
だからやはり、ハンネスの言葉だけが世間の意見ではないのだ。
強い言葉を使われるとついつい、心に深く刻まれる。しかし、それはほんの一部の意見である。
もっと世界は広がっているし、それだけではない部分が絡んでくる。
そういう物だろう。もちろん、領地経営だって、すぐに収益をあげられるかどうか、それだけではないのである。
変動と呼ばれる大きな事象が起こった。
それは、地震によく似たものであり予期していたこととはいえ、建物が崩れたり地形が変わったりとある程度の被害が出た。
そしてそれを逆手にとってブラームス伯爵家は勝手にアイヒベルガーの領地への人員を増やし、復興を手伝うと申し出た。
その行為はもちろん、危険性を含んでいた。
まったく関係のない貴族同士でやったら戦争に発展するレベルのものである。
しかし、彼らの意図はきちんと両親に伝わり、その申し出を受け入れることになった。
そしてその結果としてブラームス伯爵家の望む大きな権利をアイヒベルガー伯爵家は譲渡することにした。
彼らの動きは素早く、即座に契約を結んで、数日後。
婚約解消を申し込んできた。
ブラームス伯爵家は様々な理由をあげたが、そこかしこに金を積んで証拠をでっち上げてアーデルハイトたちにつきつけた。
そんなブラームス伯爵家に両親は、慰謝料を払うつもりはないが、一定以上の金額をよこすのならば争うつもりはない。
そう告げた。
それでももちろん、ブラームス伯爵家に渡した権利は帰ってこない。
二つの領地のこれからのため、という言葉を信じていた父と母は落ち込んだけれども、時は過ぎる。
婚約解消の書類にサインするために、アーデルハイトはハンネスと向き合った。
彼は、アーデルハイトと今まで接してきた中で見せなかったぐらい上機嫌で鼻歌でも歌いだしそうな様子だった。
そんな彼に、問いかけた。
「心は、痛まないのかしら」
「……っははは、負け惜しみか?」
「いいえ、ただの疑問ですわ」
書類にサインをしつつハンネスに問いかける。
すると彼は、今日ばかりはアーデルハイトにふっと笑みを浮かべて笑いかけて、嬉しそうな声で続ける。
「じゃあ聞くが、お前はミルクを出さなくなった牛をいつまでも飼い続けるのか?」
「……」
「果汁を絞った果実はもういらないだろ? つまりは、そういうことだ」
例えまで出してハンネスは自慢げだった。
「つまりは、用済み、お前らは、もういらない、俺たちは必要なものを手に入れた」
「……」
「おっと、世の中は弱肉強食だろ。甘い言葉に騙されたお前らが悪いんだ。俺らはなにも強要なんてしていない。恨むならお人よしの両親を恨むんだな」
ハンネスはそうして、アーデルハイトに同情的ともいえる視線を向けた。
その言葉にアーデルハイトは、少しだけ微笑んだ。
それから書類のサインをすべて終えてからハンネスに言う。
「そうですのね。用済みですか」
「ああ」
「ふふっ、ねぇ、ハンネス。それはこちらのセリフですわ」
「は?」
「いいえ、なんでもありません。どうぞ、ご自由に」
そうしてアーデルハイトはハンネスに書類を手渡した。
ハンネスはアーデルハイトの言葉にはまったく腑に落ちていない様子だったが、怪訝な表情をしたまま、去っていく。
アーデルハイトの言葉は、負け惜しみか、将又現状がなにも把握できていないか、どちらかだと思ったのだろう。
しかしなにも間違っていない。
ただの事実である。
ある時、アーデルハイトが王都へとやってきている時、侍女がアーデルハイトに突然の来客を告げた。
ハンネスが直接アーデルハイトに会うためにやってきたらしく、父は難しい顔をした。
「社交界でもブラームス伯爵家と接触を絶っていたからね、こういうことになるだろうとは思ていたよ」
せっかく休日でゆっくりと過ごそうと決めていた日なのにとアーデルハイトは少しうんざりした気持ちになった。
しかし父も母も真剣だった。
「そうね。アーデルハイトは気にしなくていいのよ。あの人たちのしたことは自業自得なのだから」
「その通りだ。私たちが毅然とした対応をする、だから君はここで大人しくしていて」
どうやら両親は、アーデルハイトを守らなければとすぐに気持ちを切り替えて己を奮い立たせているらしい。
しかし、アーデルハイトはうんざりしているけれども、怯えてなんかいない。
むしろ休日のオフの日である今日でなければアーデルハイトは喜び勇んでハンネスと面会していただろう。
そういう気質である。
未だに、咄嗟に両親はそうして自分たちが何とかしなければと行動を起こすが、彼らよりもアーデルハイトの方がよっぽど向いているのだ。
それをアーデルハイトは知っている。
だからこそ立ち上がった。
「いいえ、わたくしに会いたがっているというのなら、会いましょう? せっかくの機会ですもの。女の子だからといって、守られて愛でられるだけが嬉しいことではありませんの」
赤い髪をさらりと後ろになびかせて、友人とお茶会に行くときのように、侍女を引き連れて出入り口へと向かう。
「ああ、それから騎士を二、三人配置してくださいませ。あとはお父さま、お母さまお二人こそ、ここで大人しくしていてください」
「……」
「……」
「いけませんか?」
ぽかんとする両親に問いかけると二人はハッとして、「そんなことないわっ、が、頑張って!」「いつでも私たちがついているからね!」と応援した。
いったいなにを頑張れと言われているのかよくわからない。
もう終わった出来事であり、今更どうにもならないことなのだ。
今からやることはただの、アーデルハイトの憂さ晴らしである。
良心には何か別のことに見えているらしいが、それについては特に言及せずにハンネスを通した応接室へと向かったのだった。
アーデルハイトはたっぷりと、無駄話でもしようかと思っていた。
世間話とか、最近の流行とか、そういうハンネスには関係のない話でもした後に、しびれを切らした彼が話を切り出してくるのを待とうかと考えていた。
しかしハンネスは想像よりも切羽詰まった様子で、アーデルハイドのことを寝不足の瞳でギラギラと見つめていて、一目見ただけでその心労がすぐに察せる。
「お前が、なにかしたんだろ」
そして腰かけて紅茶を飲むとハンネスは問いかけた。
まるで、連続殺人の犯人でも見つけたかのような口調だった。
ハンネスがわざわざアーデルハイトを指名したのは、きっと最後に会った時のセリフが原因だろうと思う。
そこからハンネスは、必死に頭を回して、アーデルハイトが原因だとたどり着いた。
それは正しいことであるし、事の指揮官はアーデルハイトで間違いない。
けれども、ハンネスは利発な探偵なんかではない。頭のいい人間はそもそも、あんな裏切り行為などしないのだから。
「そう、見えますか?」
けれども、このやり取りはなんだか楽しく、アーデルハイトは少し自慢げに問いかけた。
ハンネスはカッとなって拳を振り上げ、テーブルを強くたたく。
小さくテーブルが揺れて「とぼけるな!」と怒鳴った。
「……」
「あの時の言葉、覚えてるぞ! お前が何かしたんだろ! クソッだってこんなタイミングでっふざけるなよ、どうしてくれるんだ!」
「……」
「家では俺が責められてるんだぞ! こうなる前は父も母も俺のことを支持してたっていうのに!!」
「……」
「こんなことが、あってたまるか! なにをしたんだよ!!」
ハンネスは矢継ぎ早に問いかける。
それをアーデルハイトはソファの肘掛けに腕を置いて頬杖をついて見つめていた。
そんなふうに感情的に話をするつもりなどないのだ。
アーデルハイトは、責められる立場なんかじゃない。
ハンネスに乞われて教えてあげこそすれ、問いただされる謂れはないのだ。だから顔を青くして涙まで浮かべる彼をただ見つめていた。
「なにが悪かったっていうんだ! ほんの少し俺たちにうまみがあったっていいはずだろう? 隣の領地なんだ、地続きの同じ民が暮らす土地なんだ! 俺たちだってお前らみたく、のうのうとしているだけで国からも一目置かれる存在になれるはずだろ!」
「……」
(……あら、のうのうとしているだけなんて心外ですわね)
「それなのにこんなっ、どうしろって言うんだよ……ふざけんなよ。おい、アーデルハイト」
「……」
「お前が何かしたんだろ」
「……」
「おいって!!」
「……」
そうして、声をかけられてもアーデルハイトは、ハンネスのことを平坦な瞳で見つめていた。
今までと同じように、退屈な視線だった。
ハンネスは次第にイラついて、膝を小刻みに揺らして、問いかけを続ける。
しばらくすると、歯を食いしばってわめいてみたり、睨みつけてみたり。
いろいろとしたけれど最終的には、その虚勢すら失う。
本当に追い詰められて後がないハンネスは、やっとぐっと手に爪を食い込ませて、縋るようにこちらを見つめて言う。
「……お前が何かしたんだろ。それなら、助けてくれ、頼む。謝りたい……」
そうやってふさわしいセリフを吐いた。
そのセリフにアーデルハイトは満足して口を開いた。
「知りたいかしら。まぁ、言うまでもないレベルのお話ですけれど」
「あ、ああっ!」
アーデルハイトが言うとハンネスは、希望を見つけたかのように表情を明るくした。
そんな彼にアーデルハイトは小さく微笑んで話し始めた。
「まず、第一に……お父さまとお母さま、そしてわたくしも、あなた方の思惑になんてとっくに気が付いていましたわ」
「……」
「あなた方が、権利をかすめ取って裏切ろうとしていることぐらい、わかっていた」
「な、なら、初めから何故それを指摘しなかったんだ!」
「それはね、父と母はそれでもそうなるまではわからない、実際にブラームス伯爵家の経済状況が上向けば治安の向上につながる、だからこそ信じる価値はある。そう希望を持っていたから、途中で気が付いてうまくやっていける可能性を信じていたから」
「……そんなの綺麗ごとだろ」
「ええ、でも、筋は通ってる。両親は優しい人たちなのよ。うまくいったらよかった。そして気が付く余地もたしかにありましたわ」
そしてうまくやれたなら、どちらにとっても利益があった。
ブラームス伯爵家は鉱山の権利を手に入れただろうし、彼らの土地の治安が良くなれば地続きのアイヒベルガーの土地も必然として良くなっていく。
問題が起これば助け合うことだって、やぶさかではなかった。
「その優しさを受けてなお、あなた方は人の善意を裏切った。自分たちだけが賢いと信じ込んで、弱肉強食などと言い放ち、侮辱した」
「っでも、だからと言って魔石が急に取れなくなるのとは別のことじゃないのか!」
ブラームス伯爵家の罪を口にすると、問題はそこではないとばかりにハンネスは、自分たちが困っている状況について口にする。
しかしそれらは繋がっているのだ。そうせかさなくてもきちんと説明するつもりである。
アーデルハイトは少しため息をついて彼に言う。
「別のことなんかじゃありませんわ。繋がっていますのよ、きちんと」
「どこがだよ!」
「だからね、うまくいったらよかった。けれども、父と母の信じたい気持ちを尊重するためには、うまくいかない可能性も同時に許容する必要があったそうでしょう?」
「あ、ああ」
「それを許容するために、婚約をしてから時間をかけて権利を小出しにした」
「……」
「それは、時間を稼ぐためだった、次の変動が間近に迫るその時まで、引き伸ばすためだった」
「変動……?」
ハンネスはすぐに権利を渡さないことについて、がめついだとか、しがみついているだとか、そういうふうに言ってすぐに信頼してくれないことに腹を立てていたけれど。
しかし、そうではなかった。
「あなた方がどのように昔の資料を保存しているか知りませんけれど、わたくしたちはあれらの鉱山を管理するために、古くからの資料が山ほどありますわ」
「……」
「その中には、魔石鉱山特有の変動についても記載がある。地の底に流れる魔力の脈が百年単位で大きく移動することがある。わたくしたちの領地には三つの鉱山があって百年単位でよく取れる場所が変わりますの。その時には、地震のような揺れが起こるのよ」
「…………」
「それを、察知するために懇意にしている魔法使いと視察を重ねていましたわ。そして、やっと待ち望んだそれが起こった」
ハンネスの顔はみるみると青ざめていく。
「もちろん、あなた方の持つ鉱山は無価値ではありませんわ。三百年後ぐらいにはまた美しい大ぶりの魔石が取れる素晴らしい採掘場になりますもの」
ブラームス伯爵家が裏切らなかったらそれをきちんと説明するつもりだった。
支え合うために魔石加工の技術を共有して、共同で魔法使いに対するビジネスを拡大していくという展望だったのだ。
一つの鉱山の権利を担保にしてお互いに結婚で交流を深めて、それが理想の姿だった。
「だから、わたくしはただタイミングを見計らっただけ。何をしたというわけではありませんわ」
ブラームス伯爵家は勝手に自滅して機会を失った、そういう話である。
そう纏めようと考えてから、はたと、もう一つアーデルハイトのやったことを思い出した。
それがブラームス伯爵家にとって一番大きな打撃を与えているのだろうことも。
「ああ、でも。裏切られて割をくうだけでは不平等ですもの。一つ細工をしましたの」
「……なんだよ……」
「今年付近に変動が起こることは予測されていましたわ。だから昨年は魔石を売らずにとっておいて、今年はたんまり売りさばいたわ。王族への献納金の査定官には驚かれるぐらいだった」
あの時の査定官の顔を思い出してくすくすと笑う。
査定官は言った、これでは前年に比べてこの鉱山の所有者の献納金の額は類を見ない金額になると。献納金の支払いというのは前年の収益によって査定官によって算出されるものだ、つまり来年――と言ってももうすぐそこだが、彼らは莫大な献納金の支払いがまっている。
もちろん、順調に魔石が取れれば少しの間で支払いが終わる金額だ。
けれども、領地になんのとりえもない、ただ権利を手に入れたブラームス伯爵家がそんな金額を払えるなどとは到底考えられない。
「っ……」
「変動の後の塵のような魔石でどうにかなるものではないでしょう?」
「く、くそぉ……」
「わたくしたちは、裏切られてむしろ好都合だったのよ。用済み、あなたはわたくしたちをそう言った」
ハンネスは震える吐息を吐いてぶるぶると震えている。
「でもね、逆ですわ。わたくしたちがあの鉱山を用済みと思っていた。なんせ変動が起これば、あの鉱山は大きな献納金の支払いがあるだけのものだから」
「は、はぁ? うそだ……嘘だって言ってくれ……」
「別にあったっていいのよ? どうせ変動で別の鉱山でまた安定的に魔石が取れているから、支払えるし。でも丁度いいときに裏切ってくれた、喜んで権利をもらってくれた」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ」
「そして善意を裏切った。助ける理由もまったくない。そんなあなたたちは用済み、ですわ」
嘘だ嘘だとつぶやく彼はもう焦点があっていなかった。
ふらりと立ち上がって、希望がないことを悟り、おぼつかない足取りで応接室を後にする。
案外あっけなく、決着がついてアーデルハイトは騎士はいらなかったなと思った。
ブラームス伯爵一家は、献納金の支払いに首が回らなくなって夜逃げしていった。
もうどこで何をしているかもわからない。
しかし、アーデルハイトの人生には二度と関わりそうもないことは確かだった。
ブラームス伯爵家の領地は、隣接する領地の貴族に振り分けられて、結局アイヒベルガー伯爵家に鉱山は帰ってきて少し領地は広がった。
痩せた土地ではあるものの、焦る必要はない。これから管理者を置いて、何をするのに向いている土地かを判断し、新しく作っていけばいいのだ。
物事というのは単純ではない、男と女だからと言って簡単にラベリングできるわけでもないし、収入があるからと言ってその根源さえ手に入れればいいというわけではない。
アーデルハイトは今回の件で強くそう思った。
そして、元ブラームス伯爵領へとやってくるとその教訓を強く思い出す。
馬車の中から窓の外を眺めながら、そこにいる人々を眺めていた。
向かいの席にはラウレンツが座っていて、外を眺めるアーデルハイトのことを眺めていた。
退屈なのだろうと思い、なんとなく今回の教訓から出した結末をラウレンツに伝えることにした。
「ラウレンツ」
「あ、なぁに。アーデルハイト」
「わたくし、他家とのつながりのために嫁に行くことはやめにしました」
「え?」
突然の話題に首をかしげて声をあげるラウレンツに続けて言う。
「……今までは当たり前のようにそれを義務だと思っていたのですけれど、どう考えても、わたくしには今の方が性に合っていますもの。あまり贅沢はできなくても、この土地で両親と兄を支えますわ」
それが、貴族女性の幸福につながらないことは知っている。
それが世間の人間がよく言う言葉であるとも知っている。けれどアーデルハイトを深く知っている人間はそうは言わない。
事情を加味してくれるし、わかってくれる。
そんな周りの人々が好きだから、貢献したいのだ。
結局、アイヒベルガーは誰にとっても金の卵を産む鶏なのだ。狙われることも多い。だからこそいて無駄ということもないだろうと思うのだ。
だからこれからも仕事を頼むし、ラウレンツとは長い付き合いになる、なので口にした。
「そっかぁ…………そ、っかぁ……」
ラウレンツは呆けた顔で同じことを二回言った。
それから、咄嗟に口元を覆ってぐっと顔をしかめて、なにかを我慢しているような様子だった。
その反応はこのことを誰に伝えた時とも違って、アーデルハイトは怪訝な顔をして首を傾げた。
ラウレンツは必死に目を泳がせて色々と考えて「うーん」とうなった後、やっと手を離して少し顔を赤らめてアーデルハイトに言った。
「ごめん、俺の中の浅はかで間抜けな部分が、すごく喜んでる」
「……」
「君の考えた色々とか、苦悩とか、これからの苦労とか抜きに、それってずっと一緒に仕事ができるってこと!? って、馬鹿みたいに喜んでる」
「?」
「や、わかってるよ。それって決断だ。大変な決断だし、すごいって思うし、らしいなとも思うし」
ラウレンツは必死になって言葉を紡ぐ。
嬉しいなんて言われるとは思っていなかった。
「でも、やっぱり、俺は嬉しくて……君がいつかどこかへ行くこともなくて、昔のただの知り合いに成り下がることもなくて、もしかしたらもっと一緒に仕事をする機会も増えるのかなとか、そう思うと俺はなによりそれが嬉しい」
「なぜかしら」
俯いて自身の手を手で握ったり、こすったりしながら言うラウレンツを不可解に思って問いかけると、ぱっと顔をあげて言う。
「なぜって、そりゃっ……それは…………え、待って、俺が今ここで下手なこと言ったら、絶対に今の関係壊れるよね?」
頬を染めて、甘い空気になってラウレンツは焦った様子でなにかを言おうとした。
しかし、はっと気が付いて、途端に真面目な顔をしてアーデルハイトに問いかけた。
「今、俺たち友人だよね。それも割と仲のいい友人だよね」
「一応は」
「なら、それでいい、それがいい。俺、万が一にも君に気持ち悪がられたくないもの」
突然決意をして、きっぱりと主張するラウレンツはあまりに真剣過ぎて少し可笑しかった。
「容易に行動に出たら痛い目を見るものだしね。うん。タイミング的にも今じゃない」
「ふっ、ふふっ……ならいつなら正解なのかしら」
「わ、わからないけど、豪華なパーティーと晩餐会の後、静かなバルコニーで……とか?」
「あら、ロマンチストね。わたくしならそうね……二人を引き裂く国を巻き込んだ事情の中で命の危機にさらされながらも再開を誓って……の方がいいわ」
少し考えてアーデルハイトはラウレンツを揶揄うように無理難題を押し付けた。
それは確認の意味もあった。
それがアーデルハイトが想像しているものかどうか。
「っ、それはもちろん素敵だけどさ! え、やだよ俺。引き裂かれたくない、幸せがいい」
どうやら見当違いのことは言っていなかったらしく、同意はするが実行は難しそうであった。
そんな彼に、アーデルハイトは肩を揺らして笑って、それから訂正した。
「そうね。嘘よ。わたくしは、それほどロマンチストじゃないもの、いつでもいいわ。でも、相手次第よ。どんな状況でも……ね」
それからラウレンツをじっと見る。
アーデルハイトの瞳にラウレンツは「うっ」と小さくうめき声を漏らしてそれから観念したのだった。
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