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マナー

 デカい。

 最初に懐いた印象は、ただただ単純な畏怖だった。

 抱えて持つほどに大きな深皿。多すぎてスープから大きく顔を出した麺。厚切りの肉はその大きさを主張するようにはみ出ていて、輪切りのゆで卵はまるっと二個分も使って飾られている。そしてその上に茹で野菜がこれでもかと塔のようにそびえ立っていた。


 これは人の食事なのだろうか。ギトギトの脂がテカるそれを眺め、私は呆然と哲学にふける。

 大型の草食獣ならこれくらい食べるかもしれないが、およそ人の腹に入り切る量ではない気がした。噂には聞いていたが実際に目の前にすると圧巻だ。


 私はカトラリーに手を伸ばす。

 ここはフォークやナイフはなく、ハシと木製の少し大きなスプーンしかないらしい。

 ハシは随分前に異世界人が広めたから、使い方は知っている。三十年ほど練習に費やしたから完璧だ。あれは魔女の修行よりよほど身が入った。


 まずは、上にのっている温野菜。これがなくならないと麺まで辿り着けない。

 おそるおそるハシで摘まんで口に入れると、茹でられて柔らかくなりつつもシャキシャキした食感も残る野菜はなかなか悪くなかった。……が。


 味がない。


 まあ、野菜は新鮮だしマズくはない。が、美味しいわけでもない。普通に食べられるが、こればかりで量があるとなかなか厳しいものがある。

 なにより、野菜を茹でただけだなんて、これは私の求めた料理ではない。


「ヘイおまち!」


 むぅ、と眉をひそめていると、二つ隣の席に私のものとまったく同じ料理が運ばれた。

 先ほどの男の分だ。チラリと横目で見ると、彼はそのまま食べ始めるのではなく、隅に置いてあった粉の調味料に手を伸ばし、温野菜の上へ豪快に振りかける。


 そうか、味がないならつければいいのだ。そのための調味料は私の近くにもいくつか置いてあった。ご自由にどうぞということだ。

 異世界のものかもしれない、という珍しい料理に舞い上がっていた。その味をしっかりと楽しみたい、と肩ひじを張っていた。

 違うのだ。言うなればこの温野菜はメインの前のサラダ。それもお好みで味付けできる楽しみを備えている。


 私は見慣れない小さな容器たちを見て、二つ隣の席の男……いや、先生と同じものを手にする。

 これは……胡椒? 振りかけてみたそれは、湯気に触れてふわりと舞うほどに細かいスパイスだった。

 こんな店にあるのが信じられない高級品だ。


 ただの茹で野菜に胡椒を大量にかけて食べる。そんな雑なことをしていいのだろうか。一流シェフが丹精込めて作った最高の料理に、ほんの一つまみだけかけるべきものではないのか。

 私も一度箒で産地まで行って仕入れようとしたが、あまりに遠く、また行く先々の魔女たちが領地を荒されると勘違いして襲ってくるので断念した品だ。


 ザクリ。


 胡椒のかかった野菜をいただく。うん、美味しい。やはり胡椒だ。

 自分が知っているものはもう少し粗挽きだったが、より丁寧に挽いてある分、素材の味を引き立てている。これならいくらでも食べられそうだ。


 ザクリザクリと小気味よい音とともに野菜を攻略していく。やがて麺が見え、スープが覗いて、ゴクリと喉を鳴らした。

 これからが本番だ。私は麺を数本箸でつまみ、木製スプーンの上でクルクルと巻き付ける。一口サイズにして舌に運んだ。


「美味しい」


 思わず声が漏れた。見た目は決して上等だとは思えないのに、太い麺と濃厚なスープが絶妙に絡んでいる。正直、ここまで美味しいのかと驚いたほどだ。

 すぐに次の一口が食べたくなって、また箸で麺をつまみスプーンの上でクルクル回す。本当はスプーンを使うのは不器用者の所作なのだが、このドッシリとした物量を相手にすると箸だけでは容易に千切れてしまいそうだ。……と。


 ふと、視線を感じた。見ると、二つ隣の若者……先生がこちらを見ていた。

 なんだろう、町娘のように見える幻術に不備はないはずだけれど。いくら私でも、ただの町人に見破られるようなヘマはしないし。


 目が合うと、先生はサッと視線を外す。逆にわざとらしいほどだ。

 本当になんなのか。不思議に思っていると、彼は箸で麺をすくい取るように豪快につまみ、そのまま口へと運ぶ。



 ズゾゾゾ!



 力強く啜る音。

 驚いた。完全にマナー違反だ。食べるときに音をたてないのもパスタを啜らないのも初歩の初歩だ。心の中の先生評価ガタ落ちだ。

 まあしかし、咎めはすまい。ここはどちらかといえば庶民的な地域の店である。客のテーブルマナーにまでいちいち文句を言ってもキリがない。

 まるで淡い初恋が終わったかのような寂寥感は覚えるが……


 いや。


 チラリと、私は店主を盗み見る。

 中年の彼はあろうことか、若者の食べ方を咎めるどころか苦々しい顔すらせずに、眺めて笑っていた。

 その食べっぷりを見るのが気持ちいいと言うように。


 なぜ若者は私を見ていた?

 なぜ店主はあの食べ方を笑って見ていられる?

 そもそも……この量の麺を、私の食べ方でチマチマ食べていたら冷めて伸びるのでは?


 正しいのはあちらなのだ。


 先生……いや、師匠に倣う。麺を大量にすくい取り、巻き取らずそのまま口に運ぶ。

 すさまじいまでの抵抗感。食という日常において身に染みついた聖域が、ここまで破りがたいとは。人から魔女になるときですらこれほどの葛藤はなかった。


 意を決して、音を立てて豪快に啜る。アツアツの麺と、絡んだスープが口内へ飛び込んでくる。

 世界が変わる。


「美味しい……」


 あまりの美味しさに、気づけば飲み込んでいたほど。ほとんど噛まなかったのではないか。

 なんだろう。勢いよく啜ると全然味が違う。さっきも美味しかったけれど、今回は段違いだ。

 なにが違うのだろうか。閨に帰ったら必ず研究しなければならない。魔女としての生涯を捧げてもいい。


 指が誘われるように、次の麺をすくう。啜るのにもはや抵抗はなかった。


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