第1話 底辺絵師が厄介ファンに異世界誘拐されるという事件が発生
私は、底辺絵師だ。
イラスト投稿サイトでもSNSでも、お気に入り数は100を越えたことが無い。
オリジナルもファンアートも、レスポンスをくれるのは一握りのファンだけ。
それだってあまり増えず、むしろ減っているように感じていた。
それでも、絵を描くことをやめるなんて、出来なかった。
「……なんだかなぁ」
私は液晶タブレットから顔を離し、ペンを置いた。
椅子に座ったまま体を伸ばすと、首や肩に疲れがたまっているのを感じる。
「寝るかぁ……」
私は椅子から立ち上がって、ベッドへ向かう。
時刻は深夜0時過ぎ。寝て起きれば、会社で仕事が待っている。
昔は色々と夢見ていた私も、いつの間にか20代後半の冴えないOLになっていた。
プロになれるとは考えもせず、けれども絵を描いていれば何者かになれる。そう思って描き続けた日々。
でも結局、それは自己満足に終始する創作活動であり、私は何者にもなれない。
その現実を、最近は受け入れつつあった。
それでも、私は描き続ける。
誰のためにならなくとも、それが私の一部なのだから。
きっと死ぬまで、懲りずに描き続けることだろう。
「でももうちょっと、健康になりたい……」
布団を被って、独り言をつぶやく。
近頃は集中力が落ちてるし、夜更かしも出来なくなっている。
もっと健康なら、絵に取り組む時間も増えるのに。
もう少し運動……いやまずは食生活……
取り留めの無い選択肢を思い浮かべながら、私は深い眠りに落ちていった。
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長い眠りのトンネルを抜けると、そこはファンタジックな石造りの広間だった。
「おぉ、どうやら成功したみたいなのです」
座り込む私の目の前には、黒髪ロングストレートの可愛らしい少女が立っていた。
いかにも魔法使いらしいローブを纏ってはいるが、顔立ちはどうみても日本人である。身長から察するに、小学校高学年から中学1年生あたりだろうか。でも顔付きはもう少し年上に見えなくもない。どうなんだろ。
……って、そんなこと考えてる場合じゃなかった。
「ここは……夢であってる?」
「夢の中なら、最初にそんなセリフは出てこないのです」
確かに。
「じゃあ現実? 異世界転生?」
「たぶんそんな感じなのです。ユリサキ先生であっているのです?」
「あ、はい」
ユリサキ。私がイラストを投稿するときに使っている名前だ。
「私の名前はもくれんなのです。先生なら知っているはずなのです」
もくれん。どこか聞き覚えのある名前……
「あっ。ちょっと前まで私のイラストにコメントくれてた」
「そうなのです。諸事情でこっちの世界に来てから、コメントが出来なくなっていたのです」
黒髪の少女、もくれんが嬉し気に微笑む。
彼女は恐らく、私のイラストを見てくれていたファンの1人だ。「構図がもうちょっと良くなりそうだけど十分カッコイイのです」だの「本当は別のキャラを描いて欲しかったけど良い絵なのです」だの、褒めてるのかケンカ売ってるのか分からない、嫌な絡み方をしてくるファンだった。
「……想像通り、子どもだったわけね」
「子どもじゃないのです。もうすぐ18歳になるはずなのです」
その身長もおっぱいも13歳くらいにしか見えないんだけど。あと精神年齢も。
「先生の方は、私の想像とはちょっと違ったのです。女の人なのは分かっていたのですが、もっとオタクっぽい見た目だと思っていたのです。身長高そうなのです。茶髪なのです。髪も短いのです。スリムなのです。胸が小さいのです」
「余計なことを言うのはネットと同じなのね」
彼女から見れば、身長165センチの私は背が高く見えるだろう。でも胸は同じくらいじゃない? いやでも、身長差が15センチ以上ありそうだから私の方が悲しい平坦かな……
まぁ、それはそれとして。
「それで、結局ここはリアルな夢なの? それとも私の頭がついに壊れた?」
「どっちでも無いのです。ユリサキ先生は異世界に召喚されたのです」
「壊れた方か……」
「残念ながら先生の頭はまだ壊れてないのです。ここは本当に異世界なのです」
「マジで?」
「マジなのです」
「証拠は?」
「何も無いのです」
「無いんすか」
「そういうものなのです。信じてもらうしかないのです」
「信じろって言われても……」
私は周囲を見回す。円形の広間は、石の壁に掛けられた謎照明によって十分に明るかった。天井はアーチ状なのか、わずかに湾曲している。そして床には、あからさまなファンタジー魔法陣が描かれていた。
ついでに私は、パジャマのまんまだった。
「なんでパジャマなの?」
「こっちが聞きたいのです。多分、寝てる間にこっちの世界へ来たからだと思うのです」
「呼び出すなら仕事中にしてくれないかなぁ……」
「そんなことしたら大騒ぎになるのです。きっと、神様がちょうど良いタイミングで連れてきたのです」
人の睡眠を邪魔するなんて、最低だな神様!
「それで、なんで私が異世界に呼ばれたの?」
疑い続けてもきりが無さそうなので、私はとりあえず異世界召喚されたという設定を受け入れ、会話を進めることにした。
「魔王を倒して世界を救う使命を与えられたとか?」
「そんなわけないのです。先生にそんなこと出来ないのです」
段々とこの女の子にムカついてきましてよ!
「実は先生を呼び出したのは、何を隠そう、この私なのです」
「まぁ、そうだろうね」
異世界召喚直後にファンと邂逅する偶然なんて無いので、コイツの仕業なのは当然であった。
「それで、私のファンであるもくれんさんは、なんで私を呼んだの? サインでも欲しいの?」
「先生のサインなんかいらないのです。先生を呼んだのは、絵を描いて欲しいからに決まっているのです」
絵を描いて欲しいからって、人を異世界に誘拐するのはどうかと思う。あとサインも欲しがりなさい。
「よし。絵を描いてあげるから、その後はすぐに自宅へ帰らせて。もうちょい寝かせて」
「それは出来ないのです。どうすれば元の世界に帰れるのか、召喚した私も知らないのです」
「もくれんさん。人のね、大人の人生ってね、そんな個人のわがままで左右して良いものじゃ無いって、お姉さんは貴女に伝えたいの。わかる?」
「パジャマ姿の人に言われてもピンと来ないのです」
見た目は大事だよねー。
「それに私も、ちゃんと考えたのです。私の召喚獣の絵を描いてもらうなら、私が好きな絵描きさんが良いと思ったのです。その中で、ユリサキ先生が一番だと思ったのです」
「……ふーん」
ぶっちゃけ、超嬉しかった。
一番好きな絵描きだなんて、人生で一度も言われたことの無い言葉だった。
まさか異世界召喚(暫定)を経て、その言葉が聞けるとは。
「あっちの世界から消えても影響が少なくて、私もそれなりに満足できる。そんな一番都合の良い絵描きさんが、ユリサキ先生だったのです」
「ふーん。すっごいムカついたなー」
感慨に浸った時間を返せ。
「ところで、さっき『召喚獣』って言ったよね」
「そうなのです。私は召喚士なのです」
彼女がそう言って手を伸ばすと、淡くぼんやりとした光の粒子がどこからともなく集まり、彼女の手の中で1冊の分厚い本へと変化した。
「私はこの召喚書、『よびだしちゃん』に描かれた絵を召喚出来るのです」
「なるほど。ひどいネーミングセンスだね」
「かわいいと思うのです」
ちょっとだけ不服そうにもくれんが言った。調子に乗らせない方が可愛げがあるな、この厄介ファン。
「それで、その本の絵を私に描かせて、美麗かつ格好良い召喚獣で異世界無双しようと」
「だいたいそういうことなのです」
「よしわかった。断る」
「断っても元の世界には戻れないのです。私に協力してくれたら、この世界で生活するためのお金を出してあげるのです」
「アンタの下僕になれってこと?」
「そういう感じで召喚したのです。あきらめて欲しいのです」
ファンを自称しながら絵描きを隷属させるって、サイコホラー系の映画に出てくる奴でしょ!?
正直こんな少女に付き合いたくは無いのだけれど、これが夢なのか幻覚なのか、はたまた本当に異世界召喚されちゃったのか、それが分からないうちは従うしかないように思えた。単独行動するなら、この奇妙な状況に関する情報をもっと集めてからの方が良いだろう。
「わかった。絵を描く。その代わり、生活費と、あとパジャマの代わりに着るものをお願い。それとこの世界について詳しく教えて」
「まかせてなのです。先生にちゃんと絵を描いてもらえるよう、私も適度に頑張るのです」
笑顔のもくれんを見て、夢なら早く覚めてくれないかなと、私は心底願うのだった。