絆
新しい家に移ってしばらく経ったある日、ユニ達の子が産まれた。
名前はイルス、元気な男の子だ。
目はユニと同じ碧色で頭頂部にはジョアンと同じ茶色い髪が産毛のように生えていた。
イルスの頭を軽く撫でて、俺はジョアンとユニにお祝いの言葉を掛けて家を出た…。
ユニが出産した日、俺はジョアンやユニと他人になった。
俺はローゼやガウドさん達との話し合いの結果、特級冒険者にならずダンゲカイ家の人間として、そして貴族として生きることを決意した。
話し合いの後、しばらくしてダンゲカイ家の館に泊まり込み、貴族としてのイロハを徹底的に叩き込まれた。
完全にダンゲカイ家が俺の生活拠点となっていて、家に帰るのは数日に一度だけ許された。
そんな状態だったので、ユニ達とは疎遠になっていた。
ジフさんやジェントさんには行き帰りの道中に挨拶するくらいに付き合いはあったが、グエンさん達は街にいる事が少なく会う機会はほとんど無くなっていた。
最近は、数日に一度あった外出許可も徐々に減ってきて、今では館の外に出る事もほとんど無くなった。
それでもユニの出産日には帰宅出来るようにローゼと交渉し、なんとか出産日に帰宅する許可は得られた…。
出産日の数日前にそのことを報告する為だけに帰ったのだが、ユニやジョアンは俺に対してどこか余所余所しくなっていた。
久々に実家に帰って来た息子をもてなしていると言われればそうなのかもしれないが、それとは違う言葉では表せない微妙な”壁”のようなものを感じた。
まるで前世で経験した、妻の実家に帰省した時の妻の母親の対応と似ていた。
その時は書類上家族といえども実際には数回しか会ったことがなかったので仕方なかったが、まさかユニとジョアンから同じような対応をされるとは思ってもみなかった。
そんな寂しさを感じながら会話が一区切りしたタイミングで、俺は何気なく自分の部屋のドアを開けた…。
この部屋は館での話し合いの後、ローゼからピエット討伐の褒美として下賜された家で、俺がこの家に帰って来た時に寝室として使っていた部屋だった。
しかし、俺が使っていた寝室とは何もかもが違った。
元々ユニの出産の為に頼んだ家なので好きにしてもらっても構わないのだが、俺が使っていた寝室はもう”俺の部屋”ではなくなっていた。
「いや、あの、申し訳無いとは、思ったんだが、その、そろそろユニも出産することだし…。」
後ろからジョアンの声が聞こえた。
しどろもどろで何が言いたいのかわからない。
「……えっ、あっ、うん。 いやいや、こちらこそ、これから色々忙しくなるし、うん、頑張って。」
それよりも自分自身が何を言ってるのかわからなかった。
なんとか話をした後、俺は逃げるように家を出た。
家を出る前、ユニとも少し話したような気もするが、何を話したのかもよく覚えていない。
ただ考えることは1つだけだった。
うまく笑えていただろうか…。
自分の部屋が無くなるのは仕方がないことだと理解はしている。
俺がこの家を出ることは決まっているし、もうすぐ産まれてくる赤ちゃんのことを考えれば当然のことだ。
ただ、突然のことで思考が追い付かなかった。
見ないようにしていた現実を不意に突き付けられ頭が真っ白になった。
鈍器で頭を殴られたような衝撃というのを初めて味わった。
そして、本当の意味で他人になってしまったのだなという事を実感させられた。
中身がオッサンの俺でもくるものがあったが、逆に踏ん切りもついた。
そんなことがユニの出産の数日前だったが、この日が俺にとって本当の意味でダンゲカイの人間として生きる覚悟を決めた日だった。
ユニが出産した日の夜、ローゼ様とコルツから俺専属の執事を紹介された。
名前はブンジャミン。
歳は30くらいだろうか?
ぽっちゃり体型の優しそうなオッサンといった雰囲気だ。
「遅くなったが、クライス。 お前専属の執事だ。 能力は保証する。 見限られんようにな。 ブンジャミン。 お主も遠慮はいらん。 見込みがなければ遠慮せず正直に言ってくれ。」
ブンジャミンは何も言わず軽く頭を下げていた。
これでやっとコルツの監視から開放される!
と思った事もありました…。
今にして思えばコルツがしていた監視は、ローゼ様の仕事の合間に相手をしていただけだったのだろう。
しかし、ブンジャミンは俺の専属というだけあって、四六時中俺の側から離れず身の回りの事を全部やってくれる。
貴族なら当然のことなのかもしれないが、小市民の俺には苦痛でしかない。
一番の苦痛はトイレの時に扉の前で待たれることだった。
ナイーブな俺はトイレで大をするとき近くに人がいると出来ないタイプの人間なのだ。
小はまだ我慢出来る。
しかし、大は緊急事態でもない限り公衆便所ですることはない。
そんな人間がトイレの近くに立って待たれるのはかなりキツイ。
それにたまには周りを気にせず鼻をほじったり、ちょっとソファで横になったりしたい。
なんなら思いっきりおならをしたり、くしゃみしたり出来る時間が欲しかった。
プライベート的な問題はそれだけではない。
魔法の練習や気軽にクロック達と話すことが出来なくなった。
口に出さずに会話出来ないこともないが、たまに声に出してしまうことがあるし、そもそも俺はクロック達と同時進行で誰かと普通に会話することなんて出来ない。
専属の執事が付いたことにより常に気を抜く事が出来なくなってしまったのだ…。
着替や食事の準備などの身の回りの世話はメイド長のヨーリがやってくれるが、もちろんその間もブンジャミンはドアの横で待機して、ずっと待機している。
そんな状態が続いたある日、テーブルマナーの練習中にコップを倒して水をこぼしてしまった。
以前、ブンジャミンに「このような場合、貴族はメイド達に任せて堂々としているように。」と、注意をされた。
しかし、根が庶民の俺としては咄嗟の時どうしても自分で片付けようとしてしまう。
慌てて倒れたコップを立て、襟に引っ掛けている自分のナプキンでこぼれた水を拭いた時、我に返って固まった。
俺が机を拭いたまま下を向いて固まっていると、メイド長のヨーリが続きを片付けてくれた。
俺は怖くて顔を上げる事が出来なかった。
音もなく近寄って来たブンジャミンの足先が視界に入る。
ブンジャミンは何も言わずに立っていた。
恐る恐る顔を上げると、ブンジャミンは注意する訳でもなく呆れる訳でもなく淡々と話し始めた。
「クライス様、お召し物は大丈夫でしたか?」
「あっ、はい…。」
「では、お召し物が汚れてしまった時は……。」
と、こちらが拍子抜けしてしまうほど何事もなかったようにテーブルマナーの練習が再開された。
「あの…、ブンジャミンさん?」
「貴族が下の者に”さん”を付けて呼んではいけません。」
「あ、はい。 …あの、さっきの水をこぼしてしまった時のことは…。」
「なにがいけなかったのか、わかってらっしゃるようですが?」
「あぁ、それは…、はい…。 あの…、こういうことって、コルツやローゼ様に報告するんですか…?」
そう俺が質問した瞬間、ブンジャミンの雰囲気が変わった。
怒りのような悲しみのような、呆れているようにも感じる雰囲気で片膝を付き、目線を合わせて話し掛けてきた。
「クライス様、私のことを勘違いされているようなのでお話させて頂きます。 まず、私はあなた様の執事でございます。 コルツ様やローゼ様にクライス様のことを紹介して頂きましたが、決して付き従っている訳では御座いません。」
「……はい。」
「次に我々執事の教訓としてこんな言葉があります。 ”専属は主の為 長は家の為 他は自らの為 それら全ては主の為” 専属の者は主の手となり足となり、時には目や耳や口にもなる者で御座います。 そしてヨーリのようなメイド長や執事長はこのダンゲカイ家が他家に侮られないように、いつ、どのような方がいらっしゃられても万全の状態でお出迎えする為にいる者達で御座います。 その他の執事やメイドは、給金や地位や名誉の為など様々な目的で働く者達がいます。 しかし、理由はどうあれ与えられた責務を果たすことによって主の為になるので御座います。 それぞれ目的や立場は違っても、結果は主の為にいるという言葉なのです。」
「主の為にって…。」
「クライス様。 私の主はコルツ様ですか? それともローゼ様ですか?」
「……。 俺…いや、私だ。」
「そうです。 専属だけは他の者達とは絶対的に違うことがあります。 それは専属以外が指す主とは個人だけでなく一族全てが主ということです。 しかし我々専属が指す主とはたった独りの個人を指します。 それがクライス様、貴方なのです。 私にとっての主とはクライス様だけなのです。」
「……。」
俺はなんと言えばいいのかわからず、頷くことしか出来なかった。
「それに主の質は専属の質なのです。 主の失態や粗相を言いふらすということは、自らの無能を語るも同然なのです。」
「そうか。」
「ですから、今はほんの少しで構いません。 少しで結構ですから、これから少しずつ信頼して頂けませんか?」
「…今まで悪かった。」
自然と出た言葉がそれだった。
気付けば頭を下げて謝っていた。
「従者に頭を下げてはいけませんよ。」
ブンジャミンはいつも通り優しい声で俺の行動を戒めてくれた。
思い返せば、ブンジャミンは貴族としての常識やマナーを教えてくれていただけだった。
しかし俺はブンジャミンとの会話を適当に切り上げて壁を作って当たり障りのない対応をして、自分をよく見せようと取り繕って距離を作っていた。
そのうえ自分勝手な思い込みで、一方的にブンジャミンをローゼが送り込んだスパイとして見ていた。
結果、失敗しないことばかり気にして挙動不審になり、貴族らしからぬ行動を繰り返していた。
「今まで本っ当にごめんなさい。 色々あって自分のことだけしか考えられてなかった。 今から気持ちを入れ替えるから、これからの俺を見ていて欲しい。」
「少しずつで結構で御座います。 私もクライス様の信頼を勝ち得る事が出来るように精進致します。」
頭を下げるブンジャミンに俺は自然と右手を出していた。
「まだまだ至らぬ事が多いとは思うが、これからも宜しく頼む。」
「このブンジャミン、全身全霊を持ってクライス様に死ぬまでお使いさせて頂きます。」
固い握手を想定していた俺の右手に、少し戸惑ったブンジャミンが手の甲に口づけするという、なんとも締まらない主従関係はお互い苦笑いから始まるのであった。




